第十六話 頑張ろう
あぁ~俺何やってんだろ……。って、退社の時間までひたすら思い続けたよ。すぐそばでじじいが近くで執務を行っている間、俺はただ黙々と官能小説を読み続けた。
一冊終わってまた一冊、さらには一冊終わってまた一冊。尼、海女、尼と年齢層高めの女性のあられもない姿の描写を読み、本気で俺は何やってんだろうって思った。
その間、社長室には幾度となくじじいの部下らしき社員が出入りをしたが、その度に学生服を着たまま官能小説を読みふける俺を見て「え?」みたいな顔をしていた。
なんなら官能小説を読む俺を横目にじじいから説教を受ける社員までいた。さすがに気まずいと思って席を外そうか、とじじいに聞いたが「全部聞いておけっ!! 余すことなく聞いておけっ!!」と一喝された。緊張した社長室でただただ部下の人が「申し訳ありません」と頭を下げる横で官能小説を読む俺。
いや、なんじゃこりゃ……。
結局、じじいに解放されるまでの八時間俺はぶっ通しで官能小説を読み続けた。どうやら台車の官能小説はレーベルごとに積み上げられていたようで、退社直前までそのことに気づかなかった俺は尼、海女、尼、尼、尼と極度に『アマアマ』な作風ばかり読むことになってしまった。
が、少しでも早く読まないといけないという焦りは、俺に効率的な読み方を覚えさせてくれた。最初の二冊はそれぞれ二時間近くかかったのに、退社直前には40分ほどで一冊読めるようになっていた。
そして、退社。俺はじじいのリムジンに官能小説と一緒に乗せられて帰宅する。
「じゃありゅうく~ん、また明日も頑張りましょうねっ!!」
と、じじいが俺に別れを言って投げキッスをしてきたので、華麗にかわして「よろしくおねがいします」と頭を下げるとリムジンは走り去っていった。
明日も八時間このじじいと一緒に仕事するのか……。
まだ初日だというのに凄まじい疲労感を抱きながらリムジンを見送った俺は、水無月家へと帰っていく。
なんだろう……相対的に水無月家がオアシスのように感じてしまうのは俺の感覚が麻痺しているからだろうか。
目の前にそびえ立つ水無月家を見上げて俺は何とも言えない安心感を抱いてしまった。
たぶん疲れてるせいだな……。そう自分に言い聞かせて持ち帰った一部の官能小説の乗った台車を持ち上げてドアまである行く。
そして、
「先輩っ!! おかえりなさいっ!!」
ドアを開けるとそこには制服姿の鈴音ちゃんが嬉しそうに微笑んでいた。
あー可愛い……。
どうやら車の音で俺の帰宅に気づいてくれたようだ。彼女は俺のもとへと駆け寄ってくるとぎゅっと俺にハグをした。
あー癒される……。今、俺は旦那を玄関で出迎える嫁がいかに素晴らしいのかを理解しているわ。鈴音ちゃんは俺をぎゅっと抱きしめながら「先輩、お疲れ様です」と俺を労ってくれる。
「た、ただいま……」
俺は鈴音ちゃんの髪から漂う甘い香りに卒倒しそうになりながらも、何とか返事をすると「あ、あれっ!?」と鈴音ちゃんは何かに気づいたように俺から体を放した。
「どうしたの?」
「こ、これ……なんですか?」
どうやら台車の存在に気づいたようである。しばらく台車を眺めて首を傾げていたが、不意にその台車に乗っているのが何なのかに気がつき、目をキラキラさせる。
「せ、先輩、これっ!!」
「ああ、社長から一週間以内に全部読めって言われたんだよ……」
「こ、これ全部ですかっ!?」
「いや、これはごく一部だよ。会社にまだこれの三倍近くあるっ!!」
「さ、三倍もあるんですかっ!?」
どうやらさすがの鈴音ちゃんもこの量には度肝を抜かれているらしい。
「さすがにこの量を一週間で読めってのは無理ゲーすぎると思うんだけど……」
「え?」
と、そんな俺の愚痴に鈴音ちゃんが不思議そうに首を傾げる。
あ、違うんだ……この子、量の多さに驚いているんじゃないっ!?
「いいなぁ~私も学校つまんないですし先輩と一緒にずっと読んでいたいです……」
どうやら鈴音ちゃんの言った『これ全部ですかっ!?』は『これ全部読ませてもらってるんですかっ!?』の意味だったようだ。
現に鈴音ちゃんはしゃがみ込むと目をキラキラさせながら官能小説を眺めている。そして、彼女はしゃがんだまま顔を上げると、胸の前で手を組んで羨望の眼差しを俺に向ける。
「せ、先輩……私もその……読んでいいですか?」
「別にいいけど……」
俺がそう答えると鈴音ちゃんは「やったーっ!! わーいわーいっ!!」と両手を広げて台車に乗った官能小説を抱きしめた。
そんな彼女を真顔で見下ろす。
よくこんなに喜べるな。こちとら朝から『アマアマ』すぎて糖分過多だぞ……。
俺が軽い胸やけを覚えていると鈴音ちゃんは「じゃあこれ私たちの部屋に運んでおきますね」と頼んでもないのに、台車に乗った官能小説を抱えて二階へと駆けて行った。
ゲームのハードを買った初日みたいな興奮のしかただな……。
※ ※ ※
さて家に帰ってきてようやくの安息の時間が訪れる……と思いきや俺の仕事はまだ終わらない。なにせ、一週間以内に数百冊を読破しなくてはならないのだ。それこそ寝る間も惜しんで読んでも間に合わせるのはかなり厳しい。
ということで俺は夕食の最中も官能小説を読むハメになった。あ、もちろん飯を食いながらこんなもん読みたきゃねえけど、じじいから鈴音母にすでに話が言っているようで、鈴音母は『がんばってね~』と俺にエールを送りながら、両手両足を椅子に縛られた旦那と息子にスプーンで夕食を食べさせていた。
なにからなにまでカオスなんだよ……。
官能小説を読みながら飯を食い、官能小説を読みながら風呂に入り、官能小説を読みながら寝室へと戻ると、タオルに頭を巻いた鈴音ちゃんが「んんっ……」といやらしい声を漏らしながら机で官能小説を読んでいた。
「先輩、この淫乱教師シリーズ面白いですよ」
と、鈴音ちゃんは顔を上げると俺に微笑みかけた。どうやら鈴音ちゃんはお気に入りのシリーズを見つけたらしく、机には『淫乱教師と~』と書かれた小説が積まれている。
と、そこで俺はあることに気がつく。
「鈴音ちゃん……今、何巻読んでるの?」
「ろ、6巻です……。読み始めたら面白くてつい……」
化け物じゃねえか……。さすがは官能小説の読み専である。じじいは今からでも鈴音ちゃんを社長に据えるべきなんじゃないかとすら思えてくるぞ……。
その凄まじい読書スピードに俺が口をパクパクさせていると、鈴音ちゃんは不意に「クスッ」と笑うと小説を机に置いて立ち上がった。そして、俺のもとへと歩み寄ると少し悪戯な目で俺の顔を覗き込む。
「先輩、お疲れみたいですねぇ~」
彼女はそう言って俺の頬をツンツンと突く。
あー可愛い可愛い。けど、間近で見つめられるとなんだか恥ずかしい……。
「ま、まあな、学校とはまた違った疲労がたまったかもな……」
「じゃあ労わないとですね。ベッドでうつぶせになってください」
「ぶひっ!!」
と、俺は鈴音ちゃんに言われた通り、回転ベッドに乗ってうつぶせになった。
どうでもいいけどこのベッド……全然落ち着かない……。
鈴音ちゃんもまたベッドに上がってきた。そして、俺の胴体を両足で挟むように立つと、右足で俺の背中を踏みつけた。
「あ、あぁ……」
俺の背中を踵でぐりぐりする鈴音ちゃん、その力加減が絶妙で思わず情けない声が漏れる。
「お客さん、痛くないですか?」
「い、痛い……けど、気持ちいいです……ぬあぁっ!!」
と素直に感想を述べると鈴音ちゃんはクスクスと笑う。そして、背中からお尻、さらには太ももふくらはぎと踏んづけていただき、みるみるうちに全身から力が抜けていくのが分かった。
そして、鈴音ちゃんは一通り俺を踏んづけ回すと、今度は背中に腰を下ろして肩に手を回した。
「お客さん……凝ってますね……」
「ぬおっ!!」
あーやばい……生き返るわぁ……。
鈴音ちゃんはなかなか心得ておるようだ。肩に掌で触れると的確に凝りを見つけて親指で指圧してくれる。
「き、気持ちいい……」
『ぬおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!』
思わずそんな声を漏らしてしまう。そして遠くからまたマフィアの遠吠えが響く。
おい、あのおっさんまた仕掛けてんな……。が、俺の体からはすっかり力が抜けてしまっており盗聴器を探すために体を起こすことすらできそうになかった。
絶対、何か勘違いされてるよな……。
が、もうそんなことはどうでもいい……。鈴音ちゃんはしばらく俺の肩を揉むとふいに肩から手を放した。
そして……。
「鈴音ちゃん?」
彼女は不意に俺の背中に重なるように体を倒すと、俺の背中にぴったりと顔をくっつけた。
「先輩……聞いてもいいですか?」
「いいよ」
「先輩はどうしてお祖父ちゃんのところで働こうと思ったんですか?」
と、唐突にそんなことを尋ねる鈴音ちゃん。もちろん理由はそれ以外の選択肢が巧妙に排除されたからだ。が、きっと鈴音ちゃんが求めているのはそういうことではないことは、なんとなくわかった。
「お祖父ちゃんは厳しい人です。かなり覚悟を持って働かないと体が持たないですよ……」
「まあ、そうだろうな。だけど、なんとか頑張るよ」
「なんだかこの一週間で、先輩はすごく頼もしくなった気がします……」
「そ、そうか?」
「そうです。なんだか先輩の頑張るぞっていう気持ちが私にまで届いてきて、嬉しいです……」
「ありがとう……」
正直なところはっきりとした自覚はない。だけど、鈴音ちゃんがそう思うのならば、そうなのだろう。
「先輩……」
と、鈴音ちゃんは俺を呼んでしばらく黙った。
そして、
「私、先輩についていきます。今の私が先輩のお役に立てるかはわからないですが、私、いっぱい勉強して大学にも行って、先輩のお役に立てる立派な大人になります」
「…………」
「だから、待っててください」
そう言って鈴音ちゃんは俺の背中にぐっと頬を押し付けた。
多分、恥ずかしくて顔を見られたくないんだろう。普段はあんなにも変態なことをしているのに、こんなときはシャイらしい。
だけど、顔を見られるのが恥ずかしいのは俺も一緒だ。
俺と鈴音ちゃんはいろいろと感覚が倒錯しているのだ。それが少し可笑しかった。
「鈴音ちゃん、俺……頑張るよ」
「うん……」
「多分、お祖父さんは俺が想像しているよりも何倍も厳しい人だし、そう簡単に社長になんてなれないと思うけど、それでも頑張る」
「私、待ってるね……」
頑張ろう……。
小説家の癖におしゃれな表現は思いつかないけど、鈴音ちゃんの頬を背中に感じながら俺は頑張ろうと思った。
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