第十五話 水無月サファリパーク

 とりあえず鈴音ちゃんが碧山を篭絡させることによって、何とかその場は収まった……ような気がする。


 いつの間にか碧山を作中に登場することを強制的に決められ、内心不安を抱きつつも俺たちは公園で碧山と別れた。


 このまま家に帰って鈴音ちゃんとの約束である二話投稿のために執筆に勤しむつもりだったのだが、彼女との分かれ道である三叉路にたどり着いたときに、彼女に袖をくいくいと引かれる。


「先輩……ちょっと家に寄っていただけませんか?」

「いや、でもそろそろ帰らないと執筆時間が」

「そ、そうですが……新しい登場人物を出すためには新しい性癖も必要かと思いまして……」


 あ、つまり変トロ出したいってことですね。


 確かに変トロなしで執筆するのは少し心もとない気もした。


 俺はなんとなく先の展開を頭の中で考えてはいたものの、そこに性癖を描写できるかと言われれば自信がない。もしも碧山を物語に登場させるのだとすれば、彼女は実際のNTR好き変態女としてではなく、メインヒロインハルカから主人公を奪い取ろうとするライバル、つまりは実際とは逆の立場として登場させることになる。だとしたら、碧山をモデルにするにしても、それはあくまでビジュアルと言うか表面的な性格をモデルにするだけで、作中の性癖は無から作り上げなきゃいけないということだ。


 けど、


「どうやって鈴音ちゃんは俺の性癖を引き出すつもりなんだ?」


 今まではハルカの魅力を引き出すために彼女の依り代である鈴音ちゃん自身から性癖を引き出してもらうことで小説の糧としてきた。が、碧山という新キャラを出すことによって、ことは二人だけで済む問題ではなくなった気がする。


「要するに先輩を誘惑する悪女を用意して、それに私が嫉妬すればいいということですよね?」


 俺の疑問に鈴音ちゃんはそう答える。


「碧山さんを作品に登場させる理由は、魅力的なサブヒロインから誘惑されて心が揺れてしまう背徳感と、本命ヒロインの嫉妬心で読者の性癖をくすぐるためだと思います」

「ま、まあそうだな。だけど、それなら役者が不足しているんじゃないのか?」


 別に鈴音ちゃんを侮っているわけではない。だけど、今、鈴音ちゃんの家に行ったところで、彼女はどうやって俺からそんな性癖を引き出すのだろうか?


「役者ならいます」


 が、そんな俺の疑問に彼女は断言する。


 どうやら彼女には作戦があるようだった。



※ ※ ※


 結局、鈴音ちゃんの言葉を信じた俺は水無月家へとやってきた。が、家の前で鈴音ちゃんは「先輩……ここで少しお利口さんにしていてくださいね」と言って、俺を家の前に置いたまま一人自宅へと入っていく。何が何やらわからないままドアの前でお利口さんにしていたのだが、しばらくすると「おい!」と野太い声が背後から聞こえてきたので振り返る。


 そこにはスーツ姿のスキンヘッドの中年男が立っていた。


 え? 誰この人、マフィア?


 そのあまりにもサングラスの似合いそうな強面の男は、眉を潜めて訝しげに俺を見つめている。


 ちょっと待て……これって、すご~くマズくないか……。


 水無月家の敷地内にいて、俺に見覚えのない男といえば一人しかいない。


 間違いない……この人、鈴音ちゃんの父親だ。


 そのことに気がついた瞬間、心臓が止まりそうになる。


「てめえ誰だ。翔太の知り合いか? まさか鈴音の知り合いじゃないだろうな?」


 と、マフィアは俺の顔をまじまじと眺めながらそんなことを尋ねてくる。


 いや、どっちも正解だけど、状況的には後者だと答えるのはマズいような気がする。


「い、いやそれは……」

「どうなんだ」


 マフィアの目が徐々に険しくなっていく。俺はまるで蛇に睨まれた蛙。翔太の知り合いだと答えることもできるが、その目つきは俺にごまかしを許してくれない。


 と、その時だった。


「せ、先輩……お利口さんにしていましたか?」


 と、ドアが開き私服に着替えた鈴音ちゃんが姿を現した。


 あ、終わった……。


 俺は死を確信する。そしてゆっくりと瞳を閉じると、マフィアに撃たれるのを静かに待った。


「あ、パパ……おかえりなさい」


 が、マフィアに撃たれる前に鈴音ちゃんのそんな声が聞こえたので俺は目を開いた。どうやら鈴音ちゃんは目の前の修羅場に全く無自覚なようでニコニコと微笑みながらマフィアのもとへと歩み寄ると父の腕にしがみつく。そして頬をマフィアの二の腕に押し付けた。


 あ、パパに甘える鈴音ちゃん可愛い。と、そんな彼女の姿に俺も一瞬、自分の置かれた立場を忘れそうになるが、相変わらず俺を睨むマフィアの姿にすぐに我に返る。


 鈴音父は鈴音ちゃんに視線を移した。


「鈴音、こいつは鈴音の知り合いか?」


 と、尋ねるマフィアに鈴音ちゃんは「うん、そうだよ」と相変わらずニコニコ答える。すると、再びマフィアは俺を睨みつけた。


「てめえ、この家に何の用だ」

「え、え~とそれはなんというかその……」


 あなたの娘さんにNTR的な変態トロフィーをですね……なんて言えるわけ……ないっすよね……。


 俺がなんて答えればいいかわからず、黙っているとマフィアは「もしも鈴音に下手な真似したら命はないと思え」と言うと、そのまま鈴音ちゃんを腕から放すと「ったく……」と言ってそそくさと家に入っていった。


 あぁ……今すぐ家に帰りてえええええええっ!!


 ダメだ。絶対殺されるっ!! 鈴音ちゃんが何をするつもりなのかはわからないけど、どの方向に転んでも生きてこの家から帰れる気がしねえ。


「先輩、早く行きましょ?」


 が、鈴音ちゃんは相変わらずこの危機的状況を理解していない。俺の腕に手を回すと俺を家の中に引っ張っていく。


 家に上がった俺は、鈴音ちゃんに引っ張られたまま鈴音ちゃんの部屋のある二階へと連行されていく。刑務官に絞首台へと上らされる囚人のような気持ちで一段また一段と階段を登っていく。


 お父さんお母さん。今まで育ててくれてありがとう……。


 心の中で両親に感謝をしながら階段を登り終えた俺は、そのまま鈴音ちゃんの部屋の前までやってきた。


 鈴音ちゃんが部屋のドアを開けると、彼女の整理整頓の行き届いた部屋が視界に入った。そして、部屋の中央には満面の笑みを浮かべながら俺を見上げる鈴音母の姿。


 そして、鈴音母は何故か鈴音ちゃんの制服を着ていた。


「こののんくんっ、こんばんは」


 と、相変わらずニコニコと笑いながら手を振る鈴音母の姿に俺は、両手で顔を覆うと、その場に崩れ落ちる。


 なんてこったい……。


 役満だ。俺がマフィアに殺されるだけの理由がこの部屋には全て整っていやがる……。


「あら? こののんくんどうしたの? や、やっぱり私の制服姿じゃ興奮できない?」


 鈴音母の不安げなそんな声が聞こえる。


 いや、可愛いよ。エロいよ。鈴音ちゃんには悪いけど、鈴音ちゃんにはまだない大人のエロさがムンムンだよ。鈴音ちゃんよりもお胸のあたりも窮屈そうなところもたまんねえわっ!!


 だけどごめん……今は素直に喜べない。


「先輩? どうしたんですか? 何か悲しいことでもあったんですか?」


 と、心配した鈴音ちゃんが俺の頭をなでなでする。すると鈴音母もまた「私もこののんくんなでなでしたい」と言うと、俺のもとへと近寄ってきて俺の顎をなでなでする。


 鈴音母よ……それは猫の撫で方だ……。


 一人絶望する俺とそんな俺をなでなでする鈴音母と鈴音ちゃん。


 あぁ……何この状況……。


 俺はゆっくりと両手を顔から放すと俺をなでなでする二人を見上げる。


「す、鈴音ちゃん……これはどういうことですか?」


 鈴音ちゃんは首を傾げる。


「どういうことって……先輩の小説のお手伝いですが……」

「ありがとう鈴音ちゃん。だけど、今日は少々マズいような気がするのですが……」

「ま、マズいって何がですか?」

「何って、首領……いや、お父様も帰ってこられたことですし、こういうのを見られると色々とマズいのでは?」


 俺の目の前には鈴音ちゃんと鈴音母、そしてこれから繰り広げられるのは、おそらく変態の極み。つまり、俺は今からこれからマフィアの妻と娘と変態的なことをするということだ。


 殺されるだけでは済まない……。


 が、俺の顎をなでなでする鈴音母の表情には緊張感は微塵も感じられない。それどころか怯える俺を見てクスッと笑いまで零す。


「あら? もしかしてこののんくんはパパのことを心配しているのかしら? それなら心配しないで、パパにはちゃんと話してあるから」

「は?」


 と、わけのわからんことを言う鈴音母。


「いやいや、そんなこと説明して納得していただけるお父様には見えませんでしたが」

「そんなことないわ。さっき電話でちゃんと説明したわよ? そしたらあの人ノリノリで映像に残しておけって」

「はっ!?」


 いかんいかん。事態が全くの飲み込めない。


 が、俺はふと部屋の端に三脚に乗ったハンディカムが鎮座しているのに気がついた。


「あの人ね、こういうのが好きなの」

「どういうのですか?」

「どこの馬の骨ともつかないような男の子に、妻と娘が取られるのよ? あの人きっと今頃部屋で涎垂らしているわよ」


 と、鈴音母が言ったその時だった。


「ぬおおおおおおおおおおおおおっ!! ぬおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」


 と、ドスの利いた地響きのような雄たけびが一軒家を揺らした。その地響きに鈴音母はまたクスクスと笑う。


 そこで俺は理解した。


 翔太って父親に似たんだなって……。


 ダメだ。俺の鈴音父に抱いた威厳が音を立てて崩れていく。ちょっと待って? さっきの俺への睨みはなんだったの? もしかしてあのおっさん、俺を睨みながら内心ドキドキしてたの? この男に今から妻と娘を奪われるとか考えながら、心をときめかせていたってこと?


 いやいや追いつかんっ!! この家の一切合切、俺の頭では追いつけないっ!!


 そうだよな。変態の長男がいて変態の長女がいて変態の母親がいるんだから、そりゃ変態の父だっているよな? いないはずないよな。


 ちょっと考えればわかることだった。


 この家にまともな人間なんているはずがない。となるとさっきの父親の威嚇するような行動もより気持ちを高ぶらせるための演技だったってことか?


 この家族レベル高すぎだわっ!!


 水無月サファリパーク……開園です。

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