第二十二話 変態からくりハウス

 結局、俺は碧山の家でお茶を頂くことになった。お世辞にも外観は綺麗とは言えないおんぼろアパートではあるが、いざ入ってみると彼女の住む部屋は整理整頓が行き届いており、かなり綺麗だ。


 そういえば二年前もそうだったような気がする。俺は二年前、週に一度はこの家にお邪魔して彼女と小説の話をしたり、一緒に執筆作業に勤しんだりしていたっけ?


 彼女の部屋を見ているとそんな記憶が徐々に蘇ってくる。懐かしさを覚えながらも彼女の部屋に上がると、碧山は「お茶淹れるから、そこでくつろいでて……」と言ってキッチンでやかんに水を入れ始める。


 ちゃぶ台の前に腰を下ろす俺。なんというか他人の家というのは何とも気持ちが落ちつかない。俺が一人そわそわしながら壁に掛けられた碧山妹の習字の作品を眺めていると、不意に玄関のドアが開いた。


「ただいまっ!!」


 と、元気な声とともにランドセルを背負った少女が部屋に入ってくる。彼女は俺の姿を見つけると「あれ?」と不思議そうに首を傾げる。


 そんな彼女の姿を見て俺の記憶の扉が開くとともに、愕然とする。


 もしかしてこの子、未唯みいちゃんなのか?


 だが、俺の記憶が正しければ彼女はもっと幼かったはずだ。確か最後に会ったのは二年生のときだったっけ? ってことはもう四年生ってことかっ!?


 まだ高校生の分際で時の流れの恐ろしさを痛感する俺。そんな俺を未唯ちゃんは首を傾げたまま眺めていた。が、不意に。


「もしかして、お姉ちゃんの元カレ?」


 と、彼女が口にするものだから一気に部屋の空気が凍りついた。キッチンからは「はわわっ……」と碧山の間抜けな声が聞こえてくる。


 が、子どもとは残酷だ。どうやら未唯ちゃんには俺の記憶が残っていたようで「やっぱりそうだ。元カレの人だっ!!」と嬉しそうに叫ぶと俺のもとへと駆けてくる。


「お兄ちゃんっ!! もしかしてお姉ちゃんとよりを戻したの?」


 と、彼女は俺の前に立つとそんなことを尋ねてくる。


 なんかよくわからんが、凄く良くない流れのような気がする。完全に凍りついた俺と碧山は何も言えずに未唯ちゃんを見つめることしかできない。が、当の未唯ちゃんは恋愛というものに興味を持ち出すお年頃らしく、目をキラキラさせながら俺と碧山を交互に見やる。


 こ、ここは何とかして話題を逸らさなければ……。


「み、未唯ちゃんだよね……大きくなったね」


 と、親戚のおじさんよろしく、とりあえずは彼女の成長に感心してみることにした。


 が、


「あれだよね。焼けぼっくいだよね? 火が付くんだよね?」

「なっ……」


 未唯ちゃんは俺と碧山の関係以外に全く興味がないらしい。


 ってかそんな言葉どこで覚えやがったんだよ。このませガキは……。


 その衝撃発言に慌てて碧山が駆け寄ってくる。碧山はひきつった笑みを浮かべると「み、未唯ちゃん……私と金衛はそんなんじゃないよ」と震える声で弁明する。


「あ、あはは……未唯ちゃんは難しい言葉を知ってるんだね。えらいえらい」


 とりあえず俺も碧山に加勢する。


 頼む……やめてくれ……。


 が、未唯ちゃんの勢いは全くもって衰えない。それどころかひるんだ俺たちを一気に仕留めようとさらなる強力なパンチをお見舞いしてくる。


「お兄ちゃんとお姉ちゃんもプロレスごっこするの?」


 OH……NO……。


 とんでもない変態金の卵が目の前にいた。そのあまりにもド直球な質問に俺も碧山も絶句する。


 プレロスごっこって何かな? 僕、子供だからよくわかんないよ……。


 これにはさすがに碧山も耐え切れなくなったようだ。碧山は相変わらずひきつった笑みで「み、未唯ちゃん、向こうでゲームして遊ぼうよ。お姉ちゃんと一緒にレースゲームしよ?」と何が何でも話題を変えようとする。


 でもやっぱり。


「あのね、ママはね三河屋のお兄さんと時々プロレスごっこしてるよ。ぎゅーってしてるよ」


 やめろっ!! もうやめてくれっ!!


 誰だよ三河屋のお兄さんってっ!! サブちゃんか? サブちゃんなのか?


 今のあれだわ。絶対に俺が聞いちゃいけない話だったわ……。その証拠に碧山は今にも泣き出しそうな顔で未唯ちゃんの体に縋りついている。


「み、未唯ちゃん……れ、レースゲーム……」


 もう声にならない声で、それでも未唯ちゃんにゲームを進める碧山。


 すまん碧山……もう手遅れだ……。


 と、そこで未唯ちゃんは「あっ!! そういえば今日はコー君と遊ぶ約束してたんだっ!! じゃあ、お姉ちゃんっ!! 晩御飯までに帰るねっ!!」と言うと、散々爆弾を投下しておいて素知らぬ顔で家を出ていった。


「…………」

「…………」

「…………」

「…………」


 部屋に取り残された俺と碧山はその場でしばらく生きた屍と化していた。



※ ※ ※



 とりあえずなかったことにするのが一番だというのが二人の暗黙の了解だった。しばらくその場で凍りついていた俺たちだったが、やかんがピーピーと鳴る音で我に返った。


「い、今、お茶淹れるね……」


 とキッチンに駆けていく彼女の背中に「お、おう……サンキューな……」とかろうじて答える。そして、彼女は急須にお湯を移すと、お盆に急須と湯呑を二つ乗せてこちらへとやってきた。


 よし、仕切りなおそう……。さっきのはなかったんだ。俺は何も聞いていないし、何も覚えていない。


 碧山が俺の前に湯呑を置いてそこに日本茶を注いでくれた。


 俺は「ありがとう」とお礼を言って静かに湯呑に口をつける。そして彼女もまた自分の湯呑にお茶を注いでお茶を啜った。


 二人の間には会話はなく、外からわずかに子どもたちの遊ぶ声が聞こえている。


 平和だ……平和な平日の夕方だ……。


 俺は「ふぅ……」と息を吐くと心を平常心へと持っていこうとする。


 が、


「もう、たっくんてば、どこ触ってんの?」


 と、壁の向こう側から曇った女の声が聞こえてきた。


「こ、このアパート……壁、薄いんだよね……」


 と、直後碧山は頬を染めたまま恥ずかしそうにそう呟いた。


「そうみたいだな……」


 そう答えて俺は再びお茶を啜る。


 するとまた壁の向こう側から。


「いやんっ!! そんなところ触らないで……は、恥ずかしいってば……」

「いいだろ。お前だって気持ちよさそうな顔してんじゃねえか」

「そ、そんなこと……いやんっ!!」


 マズいよ……凄くマズいよ……。


 どうやら壁の奥で見知らぬカップルが何かをおっぱじめようとしている気配がする。どうやらそのことに碧山も気づいたようで、彼女は頬を真っ赤にして俯いてしまう。


 なんだろう……そんな碧山の反応、なんだかそそる……。


 が、今の俺は碧山にそそられている場合ではない。さすがにこれ以上気まずくなっている場合ではないんだ。


「そ、そういえば……小説の調子はどうだ?」


 俺は少し大きめの声で碧山にそう尋ねた。


 とにかく俺は彼女と会話をすることによって壁の向こうの声をかき消さなければならない。どうやら碧山も俺の意図に気がついたようで「え? あ、うん、一応この後の構想はできてるよっ!!」とやや大きめの声で返事をする。


「お、お前、忙しいのによく構想とか練れるな。俺なんて部活もバイトもしてないのに毎日ヒーヒー言いながら書いてるぞ」


 それは俺の素直な感想だった。彼女はろくに執筆時間なんて取れていないはずだ。それなのに一日二話投稿という離れ業をやってみせている。本当に彼女のその変態的アイデアはどこから湧いて出ているのだろうか?


「ま、まあ、アイデアって案外日常の中に転がってるし……」


 と俺の質問に答えつつもさらに頬を赤らめる碧山。


「あ、あのさ……金衛……」

「なんだよ」

「きょ、今日更新する話は読まなくてもいいよ……」


 何を言い出すかと思えばわけのわからんことを言いだす碧山。


「は? なんでだよ。言っとくけど、俺はお前の作品面白いと思って読んでるぞ。もっと自分の作品に――」

「そ、そういうことじゃなくて……」


 が、碧山は俺の言葉を遮った。


「よ、読むのはいいんだけど……そ、その最新話はあくまで私が無から思いついた話で、特定の何かからアイデアを得たとかそういうのじゃないから……」

「はあ? どういうことだよ」


 そこで碧山はばっと顔を上げた。


「も、もしも今日の話で、隣の部屋から主人公とヒロインがあんなことやこんなことをしている声が、私……じゃなくてもう一人のヒロインの部屋まで聞こえてくるようなシーンがあったとしても、それは何かをモデルにしたとかそういうのじゃないからっ!!」


 そう言って碧山は「はぁ……はぁ……」と荒い息を繰り返した。


 そんな彼女を見て俺はようやく理解した。


 どうやら目の前の変態同級生は、たった今隣の部屋から聞こえてきているカップルの声を聞いて何か神の天啓を受けてしまったらしい。


「お、おう……わかったよ……。あくまでモデルとかはないんだな」

「そ、そういうことだから……」


 結局、それっきり沈黙してしまった俺と碧山は三十分近く隣の部屋から聞こえてくるカップルのプロレスごっこを盗み聞きする羽目になった。

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