第十八話 翔太、その域に到達する

 水無月家の人たちってなんていい人たちなんだ。たかだか素人小説家の俺なんかのために、彼らはプライドというプライドを全て捨てて俺の小説に協力してくれた。

 普通だったら……普通だったら、赤の他人相手にあそこまでの醜態を晒すのなんて末代までの恥レベルだ。にもかかわらず彼らはきっとそれを覚悟のうえで俺の未来に掛けてくれたんだと俺は理解することにした。


 本当はあんな姿など見られなくなかったのに、慈悲深い彼らが自分たちを犠牲にしてまで俺に小説を書かせてくれたのだ。


 そう理解する。


 いや、そう理解しなきゃなんない。でないと、俺の頭が追いつかない。


 頼むそうであってくれ……でないと、まるであの家族が望んで俺にあの変態性をさらけ出したことになってしまうではないか……。


 が、彼らの動機はどうであれ、俺はなんとか最新話を二話書き上げることができた。それぞれ予約投稿をして明け方近くにベッドに入った。


 かなり体に鞭を打ったが、それなりの仕上がりになった自負はある。さすがというかなんというか彼らが出してくれた変態トロフィーは光り輝いていた。それを頼りに執筆に臨めば、少なくとも展開に困るなんてことはありえないのだ。


 だからかなりの手ごたえを感じながら睡眠に入った。それに俺は二話も投稿したのだ。きっと朝になったら順位がひっくり返っているはずだ。


 そう思っていた。


 のだが、


「…………」


 目を覚ました俺は絶句した。


「嘘だろ……」


 望月ウサ先生こと碧山月菜は依然として一位の座に鎮座していた。いや、それだけならばまだわかる。単純に俺の実力が彼女に追いつかなかっただけだ。俺が驚いたのは彼女の最新話の投稿時間だ。彼女は一つ前の話を投稿して半日ほどで最新話を投稿していた。


 つまり、彼女もまた二話投稿を始めたということだ。


 俺に順位を抜かれまいと彼女もまた必死になっているようだった。だけど、俺は思う。昼間は生徒会選挙に勤しみ、放課後は猫カフェでアルバイト。それに今日は選挙演説も控えている彼女に、いったいいつ二話を投稿する暇があるのだろうか?


 もしかして書きためていたのか?


 一瞬、そんなことを考えたがすぐに俺はそれを否定する。


 そんなはずはない。だって、俺と鈴音ちゃんが雑木林でにゃんにゃんしていたのを見た碧山は、その日のうちにそれをモデルに話を書いて投稿していたのだ。


 だとしたら……。


 俺は碧山月菜という女の子の本気を垣間見た。



※ ※ ※



 思い通りの結果にならず、朝から少し憂鬱な気持ちになりながら登校する俺、どうやら今朝、鈴音ちゃんは選挙演説の準備があるようで早々に登校してしまったらしく、翔太と二人だけの登校だったのだが……。


「しょ、翔太?」


 なんだか親友のようすがおかしい。いや、前からずっとおかしいのだけど、今日はとりわけおかしい。


「翔太? おい、俺の声が聞こえてるか?」

「ぁ、ぁぁ……」


 翔太のセンサーにゴミでも溜まっているのだろうか、翔太の反応がとんでもなく悪い。彼の耳や目のセンサーを確認してみるが、目はバッキバキだし耳にもイヤホン等の障害物は詰まっていない。彼はバッキバキの瞳で俺を見つめてはいるものの虫の息なんじゃないかと心配になるほど返事が小さい。


「翔太、体調でも悪いのか?」

「ぅぅん……」


 微動レベルで首を左右に振る翔太。


「何か不幸なことでもあったのか?」

「ぅぅん……」


 と、この質問にもやっぱり首を左右に微動させる翔太。


「だったらどうしたんだよ? もしかして昨日のアレがマズかったのか?」


 と、尋ねたその時だった。


「ぬおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」


 と、翔太ゴリラの絶叫が通学路に響き渡り、周りの生徒たちが何事かと俺たちに視線を向けるので、俺は慌てて翔太の口を塞いだ。


「しょ、翔太。悪かったっ!! 俺が悪かったから、少し落ち着けっ!!」


 やっぱりだ。どうやら昨日のアレが翔太の脳にバグを起こしているらしい。


 そりゃそうだ。自分の家で親友が妹と母親を相手にあんな破廉恥なことをしていたんだ。常人だったら発狂するに違いない。まあ翔太が常人かと言われれば甚だ怪しいが、とにかく昨日のアレは刺激が強すぎた。


 俺は翔太が悟りを開いたものだとばかり思っていた。いや、現に翔太はその域に達しようとしてた。だけど、そんな翔太の澄み切った気持ちを汚そうとする煩悩。それが翔太の心を汚染していたのだ。


「悪かった翔太っ!! 本当にすまなかった翔太っ!!」


 俺は絶叫する彼の口を塞いだまま、ただ平謝りすることしかできない。が、翔太はそんな俺の手をゆっくりと退けると「ふぅ……」と一度深呼吸をして俺を見やった。


「いや、悪いのはお前じゃない。その域に到達できない俺の問題だ」


 翔太は「俺の方こそすまない」と逆に謝ってくる。


「竜太郎。信じてもらえないかもしれないが、最近俺の体がおかしいんだ」


 そう言って翔太は話し始める。いつの間にか彼の目は常人のそれに戻っている。


「俺は鈴音に踏んでいただいた……いや、踏まれたあの日に何かに目覚めた。天啓と言えばわかりやすいのかな?」


 いや、天啓というよりは性癖と言ったほうがわかりやすいぞ。


「とにかく、あの日、俺は目覚めたんだ。心の中が澄み渡るような感じがして、今、自分が妹から踏まれているのは、何か自分に対する神からの試練のようなものだと捉えることができたんだ」


 と、なかなかヤバめなことを言いだす親友。


「だから俺はその日から、鈴音やママ……いや、お袋のお前に対する言動も、全ては神からの試練として受け入れることにしたんだ。この試練を乗り越えることができれば俺は本当の意味で悟ることができるって」

「そ、それは崇高な行いじゃないか……」

「いや、だけどおかしいんだ。俺はずっと心を清めようとしてきた。現に俺は煩悩を抑え込んでいたし、煩悩が抑えきれないと思ったときは写経を続けていたんだ。それなのに……それなのに……頭が重たいんだよ。頭の上に何か重い物が乗っているような、そんな感覚が取れないどころか悪化していくんだよ……」

「しょ、翔太それって……」


 そこまで翔太の話を聞いて、俺はわけのわからないことをのたまう翔太の話が俺にひどく馴染みのある話であることに気がつき目を見開く。


「なあ、頼む竜太郎。俺のことを変な奴だと思わないで聞いてくれ。頭が重いと感じた俺はある日、風呂上りに鏡を見たんだよ。そしたら、俺の頭の上に大きなトロフィーみたいな物体が乗っているんだよ」

「ぬおおおおおおおおおっ!!」


 なんてことだ。なんてことだ。


 翔太よ。まさかお前もその域に到達しているのか? 俺にしか見えないと思っていたトロフィーがお前の目にも見えるってのか?


 そのあまりの衝撃に絶叫する俺に、再び周りの生徒たちの視線を一心に浴びる。


「お、おい竜太郎落ち着けっ!! どうしたんだ?」


 と、翔太に肩を揺すられてようやくハッとした俺は慌てて頭を振る。


「わ、悪い……話を続けてくれ」

「あ、あぁ……と、とにかく、俺の頭の上には変なトロフィーみたいな物が乗っていて、こいつが俺の頭から離れないんだ。鈴音やお袋が竜太郎に優しくするのを見れば見るほど、こいつはどんどん重くなってきやがる。だから、俺はこいつを悪魔と呼ぶことにしたんだ」


 俺がトロフィーと呼びありがたがる物体を悪魔と呼ぶ翔太。


「俺はこの悪魔と戦う。こんな物のせいで道を踏み外すわけにはいかないんだ。時々さっきみたいに頭がぼーっとすることはあるけど、俺は絶対にこの悪魔からの誘惑に屈しない。竜太郎よ。俺が何を言っているかわからないだろうし、頭のおかしい奴だと思うかもしれない。だけど、見ていてくれ。俺はこの悪魔に打ち勝ってみせる」


 支離滅裂なことを言っているように聞こえる翔太の言葉が、俺にはちゃんと理解できてしまっていた。


 どうやら変態トロフィーは本来忌み嫌われるものらしい。翔太の言葉に震えが止まらない。俺は自分が常人で翔太が狂人だと思っていた。だけど、翔太はそれが逆だと言っているのだ。


 悪魔の誘惑に打ち勝とうとする翔太と、悪魔からの誘惑をありがたがって、あろうことかそれをコレクトしている俺。


 おかしい。


 その言い方だとまるで俺が狂人みたいじゃないかよ……。

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