第十三話 夜行性猛獣

 さて寝室に戻ってきた俺だったが、なんというか……緊張で胸が張り裂けそうです。


「…………」


「…………」


「…………」


「…………」


 一つの寝室に一つのベッド。それを始め見たときから覚悟はしていたが、いざ鈴音ちゃんと同じベッドで眠るとなると、その緊張は凄まじい。


 そして、それは鈴音ちゃんも同じのようで、さっきから俺たちは横になって見つめ合ってはいるが、会話らしい会話はできないでいた。


 さすがにこのままだと眠れそうにない。ここはとりあえず彼女を安心させてあげなきゃ……。


「た、確かに同じベッドでは眠るけど……その……急に何かをしたりするわけではないから……」


『ぬおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!』


「そ、そうですよね……。私たちはただ同じベッドで眠るだけです……」


『ぬおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!』


 と、お互いにあくまでこれが寝具としてのベッドであることを再確認する。が、このなんともいかがわしい形状のベッドと、妙に雰囲気のある照明のせいで二人して感覚が麻痺しそうになる。


「せ、先輩……」


 と、そこで鈴音ちゃんは震える声で俺の名を呼ぶ。


「ど、どうした?」


「確かにここはただ眠るだけのベッドですが……も、もしもその……先輩がその……私に何かをしても、私、拒否したりしないですから……」


『ぬおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!』


「え? あ、いやその……」


 と、鈴音ちゃんの爆弾発言に俺は目のやり場を失う。そんな俺を見て鈴音ちゃんはクスッと笑う。


「先輩って意外とシャイなんですね」


『ぬおおおおおおおおおおおおおおおっ!!』


「いや、だって俺はまだ高校生だし、鈴音ちゃんのことは大好きだけど、心の準備ってのもあるし……」


『ぬおおおおおおおおおおおおおおっ!!』


 とあたふたするとまた鈴音ちゃんはクスクスと笑う。


「先輩……はい……」


 と、そこで鈴音ちゃんが人差し指を俺に差し出す。どうやら俺を落ち着かせてくれるようだ。


「いつもお世話になってます……」


 と、一礼をして鈴音氏の指を咥える俺。悔しいけれど、こうやっているときが一番素直でいられる気がする。


「先輩、今日は本当に嬉しかったです。お祖父ちゃんはやりすぎだった思いますが、それでもあそこまで真剣に私のことを考えてくれて男らしかったです……」


「ちゅぱ」


『ぬおおおおおおおおおおおおおっ!!』


「私も正直なところまだ不安なところはあります。ですが、それ以上に先輩にあそこまで言ってもらえて嬉しさの方が大きいです」


「ちゅぱ」


『ぬおおおおおおおおおおおおおっ!!』


「だから先輩、これからもよろしくお願いしますね」


『ぬおおおおおおおおっ!!』


「ちゅぱ」


 そう言って鈴音ちゃんはにっこりと微笑んだ。その笑顔はさっき鈴音母が描いてくれたイラストそっくりの笑顔だった。


 そうだ俺はこの笑顔が一番近くで見られればそれでいい。そして、その権利を手に入れたのだ。確かに不安だよ。俺なんかに社長なんて務まるかもわからないし、小説だって本当に完成させられるのかわからない。それでも、あのじじいに大見栄を切って良かったと心から思えた。


「せ、先輩……」


 と、そこで鈴音ちゃんは何故か俺から視線を逸らした。


「ちゅぱ?」


 恥ずかしそうに視線を逸らす彼女を眺めていると、彼女は少し怯えるように俺に視線を戻すとこう言った。


「ぜ、贅沢は言いません……。で、ですが、今日という日を忘れないために、一度だけ私にキスをしてくれませんか?」


『ぬおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!』


 そんな彼女の言葉に頬が急激に熱くなる。鈴音ちゃんは俺の口から指を抜くと、そっと瞳を閉じて唇を僅かに尖らせる。


 もちろん、そんな彼女の願いを断る理由なんてない。だけど……俺は動揺していた。鈴音ちゃんと唇を交わしたい。彼女と互いに想いあっていることを確認したい。


「す、鈴音ちゃん……」


 だけど俺はその一歩が踏み出せなかった。


「こ、怖い……ですか?」


『ぬおおおおおおおおおおおおっ!!』


「いや、そういうことじゃなくて……」


「わ、私とキス……するのは嫌……ですか?」


『ぬおおおおおおおおおおっ!! 鈴音がっ!! 鈴音の唇があんな男にいいいいいいいっ!!』


「そ、そんなはずないよっ!!」


「だったらどうして……ですか?」


 当然だ。鈴音ちゃんとキスがしたくないわけがない。


 キスしたいに決まってるっ!!


 ここでキスをしないなんて男じゃない。鈴音ちゃんは覚悟を決めて待ってくれているのだ。俺はそんな状態に逃げるほど臆病じゃないはずだ。


 だけど……だけど……。


「さっきからうるさいんだよっ!!」


「え?」


 と、鈴音ちゃんは目を見開いた。


 もちろん無視しようと思ったよ。いや、無視しなきゃいけないことだってわかってるよ。だけどさ……だけど……さっきから夜行性動物の鳴き声がうるさすぎてそれどころじゃないんだよっ!!


 鈴音ちゃん、ホントごめんっ!!


「す、鈴音ちゃん……もしかして毎晩、こんな感じなの?」


「毎晩……ですか?」


 あー聞こえてないんだ……。鈴音ちゃんはこのサファリパークに慣れ過ぎて、この遠吠えが生活音以上に感じられなくなっちゃってんるんだ……。


「そ、その……お父様はいつもあんな風に夜に叫んでるの?」


 そう尋ねるとそこで鈴音ちゃんは「あ、あぁ……」とようやく俺の言葉の意味を理解してくれた。


「そ、その……今日は特別だって言えないのが恥ずかしいです……」


「ごめんね、鈴音ちゃんは何も悪くないよ。それよりもよくあれで近隣住民から苦情がこないね……」


 もしも隣の家があんな猛獣を飼ってたらノイローゼになる自信がある。そして、そんな猛獣と同居することになった今、俺は数日以内にノイローゼになる自信があるっ!!


 そんな俺の指摘に鈴音ちゃんは苦笑いを浮かべる。


「そ、その……うちは外壁が防音になっているから近所迷惑は大丈夫だと思います……」


 できれば家の中も防音にしていただきたい。


 相変わらず雄たけびを上げるマフィアに俺は心からそう思った。


 それはそうと……。


「なあ、鈴音ちゃん……なんかさっきからお父様の雄たけびが俺たちの会話の相槌のように聞こえてくるのは気のせいかな?」


 なんなら鈴音の唇がどうとか言ってたけど、なんでマフィアは俺たちがキスしようとしていることがわかるんだよ……。


 雰囲気を壊してしまって申し訳ないけど、俺はベッドから起き上がって照明をつけると部屋の探索を始めた。そして、すぐに不審な物を見つけた。


「鈴音ちゃん……ちょっとこっち……」


 と、部屋の隅でそれを見つけた俺は鈴音ちゃんを手招きする。首を傾げながらも鈴音ちゃんはこちらへとやってくると、俺が指さしたそれを見やった。


「これ……前からあったっけ?」


 俺が指さしたのはコンセントに刺さった三角形の電源タップだった。そして、俺は昔テレビでこういうのに盗聴器は仕掛けられているみたいな話を聞いたことがある。


「こ、これ、私のじゃないです……」


 どうやら黒のようだ。マフィアはここに仕掛けられた盗聴器で俺たちの会話を聞いて興奮しているらしい。


「鈴音ちゃん……」


 と、そこで俺は鈴音ちゃんの耳元に唇を寄せる。すると鈴音ちゃんは「はわわっ……」と少し照れるように頬を赤らめた。そして、要件をヒソヒソと伝えると鈴音ちゃんは「い、いいですけど……」と少し戸惑いながら電源タップの前で四つん這いになった。


 そして髪を耳にかけると唇を電源タップに寄せる。


 な、なんかエロい……。


 そして、鈴音ちゃんは電源タップの前で「ちゅっ」と唇を鳴らした。


 その直後、


『ぬおおおおおおおおおおおおっ!! 鈴音の唇がああああっ!! なんてことだっ!! なんてことだっ!!』


 とそんな雄たけびが聞こえてきた。


 あー間違いねえわ。これだわ……完全にこれだわ。


 となると、俺がやることは決まっている。俺はひっしに電源タップの前で唇を鳴らす鈴音ちゃんに「ちょっとだけ耳を塞いでて」と耳打ちをすると俺自身も耳を塞いだ。


 そして、電源タップに唇を近づけると。


「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」


 と、盗聴器のマイク目掛けて渾身の叫び声を上げた。


 その直後、


『うぎゃああああああああああああああああああああっ!! 鈴葉ちゃんっ!! 耳がああああっ!! 耳があああああああっ!!』


『ちょ、ちょっとパパっ!? 大丈夫っ!?』


『聞こえないよっ!! 僕、鈴葉ちゃんの声、全然聞こえないよっ!!』


 と、遠くから夫婦の声が聞こえてきた。どうやら効果は抜群だったようだ。せっかくの雰囲気をぶち壊してくれたマフィアに制裁を加えたところで、俺は電源タップを引き抜いてベッドに戻った。


 あぁ……もうめちゃくちゃだよっ!!

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