第七話 鈴音ちゃんの嫉妬

 嘘だろ……これが本当に碧山月菜あおやまつきななのか?


 呆然と碧山月菜を自称する少女を眺めていると、彼女はムッと頬を膨らませて俺を睨んだ。


「金衛竜太郎、聞こえてる? お~い、無視すんなっ」


 と、そう言われて俺はようやくハッとする。


「ごめん……だけどお前、本当にあの碧山月菜なのか? 言い方は悪いけど、俺の知っている碧山月菜はなんというかその……もっと―」

「もっと地味で、瓶底メガネをかけていて、顔も髪で隠してたし、絵に描いたような文学少女だった。そう言いたいんでしょ?」


 と、彼女は俺の言いたいことを先回りした。


「そういうことだ」


 信じられないものを見るような俺の目に、彼女は何故か上機嫌な笑みを浮かべて「確かに、前の私はそうだったわ」と答えた。


「だけどね、私は過去の自分とは決別したの。もっと自信をもって生きることに決めたの。生徒会選挙に出たのもそれが理由よ」


 そういや、さっき鈴音ちゃんに生徒会選挙がどうのとか話してたよな。


「そういやお前三年だろ。三年で生徒会選挙って、お前、来年の選挙まで留年するつもりなのか?」

「もちろん卒業するわよ。知ってる? 三年生が生徒会長になった場合、会長は二年生を副会長に指名するの。で、私が卒業してから次の選挙までは副会長が代理になることになってるの。っても、前例はないみたいだけどね」

「へぇ……そんなルールがあるんだな。一つお勉強になったよ」


 と、答えつつも俺はやっぱり目の前の少女が碧山月菜だと信じることができないでいた。


 そうだ。彼女の言った通り、彼女は言っちゃ悪いが地味で絵に描いたような文学少女だった。


 俺は約二年前の記憶を思い出す。


『か、金衛くんって本読むのが好きなの? 実はね……わ、私も小説が好きなんだ……』

『み、みんなには言ってないんだけど、私、小説書いてるんだよ……。え、ええ? 金衛くんも書いてるの? 一緒だね……』

『金衛くんの小説読んだよ。金衛くんの書くラブコメ、キャラクターもみんな可愛いいし素敵な話だね。わ、私も金衛くんみたいに素敵な話が書きたいな……』

『か、金衛くん、今日、一緒に本屋さんによって小説買って帰ろうよ……。一緒の本読んで金衛くんと感想を言いあいたいな』

『わ、私……金衛くんのこと……好きだよ。これからも一緒に本を読んだり、小説を読んだりしたいな……』


 今になって考えてみると、当時の彼女は鈴音ちゃんとよく似た女の子だった。


 どうしてあの時彼女の告白を断ったのかは当時の俺に聞いてみないとわからないけど、多分、当時の俺は碧山と本の話をするのが大好きだったけど、彼女を異性として見ていなかったんだと思う。だから突然告白されて驚いて断ったんだ。


 それから俺と碧山は徐々に会話が少なくなり、疎遠になっていった。二年も三年もクラスが違ったし、うちの高校は生徒数も多い。正直なところ彼女の存在は俺の記憶から今日の今日まで完全に消えていた。


 碧山は俺の顔を何か懐かしそうに眺めていた。


「懐かしいな。一年のときは一緒に本屋に寄ったり、金衛の家で一緒に執筆したりしたよね。深雪ちゃんだったっけ? 彼女ももう高校生だよね? 元気してる?」

「ああ、俺とは別のもっと頭のいい高校に進学したよ」


 と昔の思い出を口にする碧山。彼女の話を聞く限り、確かに彼女は俺の知っている碧山月菜に間違いないようだ。


 そういや俺の家にも何回か来たことあったよな。


 と、信じられないが、受け入れざるを得ない現実に動揺していると、彼女は不意にハッとしたように目を見開いた。


「そういえば金衛は……まだ小説書いてるの?」

「お、俺?」

「うん、金衛の書くラブコメ面白かったよね。少なくともあの時は私、金衛の小説の一番のファンだった自信はあるよ。で、どうなの? まだ書いてるの?」


 と、興味津々にそう尋ねる碧山だったが、俺はそんな何気ない質問に冷や汗をかいていた。


 もちろん今も絶賛執筆中ですよ。目の前にいる可愛い少女が見えますか? 俺は彼女をモデルにして性癖全開変態官能小説を書いてます。信じられないでしょ。あんな甘酸っぱいラブコメを書いてた俺がそんなの書いてるなんて。


 なんて口が裂けても言えねえっ!!


「どうなの? 書いてるなら私も読みたいな」


 と、碧山。


「え、え~と、最近はあんまり書いてないかな……」


 曖昧な返事をすると碧山は少し残念そうに「そうなんだ」と答えた。


「お前の方こそどうなんだよ」


 半ば強引に話題を碧山の小説の話に捻じ曲げる。が、俺の質問に碧山は「え? わ、私っ!?」とさっきの俺と似たような反応を見せる。


「わ、私はその……」

「もしかして今も書いてるのか、なら俺にも――」

「か、書いてるわけないじゃんっ!!」


 と、彼女は俺の言葉を遮るようにそう答えた。何故だか彼女の頬は真っ赤に染まっている。


「か、金衛だって私に小説の才能がないことぐらい知ってるでしょ?」

「そんなことねえよ。お前の小説、俺かなり好きだったぜ」


 別にお世辞を言っているわけじゃない。俺は彼女の小説が好きだった。今だから言うが、当時の俺は少し彼女の才能に嫉妬すらしていたかもしれない。


 と、褒める俺だったが彼女は「そ、そんなことない。私は才能ないから」と首を横に振る。


「とにかく今は小説なんて書いてないのっ!! そ、そう言えば私、まだ昼食とってないんだったわ。あはは……二人の会話を邪魔してごめんね。私、もう行くから」


 そう言って彼女は脱兎のごとく俺たちの前から姿を消した。


 ってか、あいつ何であんなに焦ってたんだよ……。彼女の挙動のおかしさに俺は首を傾げるが「先輩……」と鈴音ちゃんが俺を呼ぶので彼女を見やる。


 彼女は俺の顔を見ながら首を傾げていた。


「碧山月菜さんは先輩のお知り合いだったんですか?」


 ああ、そう言えば彼女を置いてけぼりにして、碧山と話してたけど、彼女のこと鈴音ちゃんにはまだ説明してなかったな。


「碧山とは一年のときにクラスが一緒だったんだよ。お互いに小説が好きだったからちょっと話したりしてたんだ」


 と、説明するが鈴音ちゃんは何やら訝しげに眉をひそめた。


「ちょっと話すだけの関係には見えませんでしたが。そ、それに先輩の家も出入りしていたようですし……」

「ああ、それは一緒に小説を書いてたからだよ。なんていうの? 作家仲間みたいな」

「ほ、本当ですか? 私にはもう少し進んだ関係のように見えましたが」

「い、いや、そんな関係じゃないよ。俺たちはただの作家仲間だよ」

「そ、そうですか……」


 と、彼女は俺の説明に納得しているのかいないのか、そう答えはするものの俺から顔を背けた。


 が、その直後、


「い、いててててっ……」


 俺は脛に痛みを感じた。そこで思い出す。俺は碧山が来るまで鈴音ちゃんから変態なでなでをされてたんだっけ?


「先輩、さっきの続きです……」


 どうやら彼女はさっきの続きをしてくれているようなのだが、水無月変態探検隊はどうやらドリルでトンネルの掘削を始めたらしく、彼女のつま先が俺の脛をぐりぐりしているのだが、なんかちょっと痛いです……。


「先輩は痛いのはいやですか? せ、先輩ならよろこんでくれると思って強めにしてみたんですが……」


 と、俺から顔を背けながらそんなことを言う鈴音ちゃん。


「い、いえ……嬉しいです……」


 と、俺は彼女の善意での痛めつけに苦笑いを浮かべながらそう答えた。


 す、鈴音ちゃん? ちょ、ちょっと痛いよ……あぁ……けど痛いのも悪くないかも……。



※ ※ ※



 放課後、俺は今日も小説執筆のためにまっすぐ家に帰ってきた。ここからは自室にこもって晩飯ができるまで執筆するだけだ。自宅のドアを開けると、とりあえずコーヒーでも沸かそうと、リビングへと廊下を歩いていく。リビングの扉は開けっ放しになっており、廊下からソファに座る制服姿の深雪が見えた。


 どうやら深雪もまた寄り道せずまっすぐ帰ってきたようだ。彼女はソファの上で体育座りをしながらスマホを眺めている。どうやら、スマホに夢中で俺の帰宅には気づいていないようだ。


 俺は深雪を脅かしてやろうと、あえてすり足でリビングへと入っていく。が、リビングに入ったところで、俺は彼女の様子が少しおかしいことに気がついた。


 彼女はスマホに夢中だった。いや、それはいい。問題は彼女の頬だ。彼女の頬は真っ赤に染まっており、彼女は人差し指で下唇をなぞっていた。そして時折、身を捩っていやがる……。


 おい、ちょっと待て……俺はそんな仕草にとても見覚えがあるんだけど……。


 と、そこで深雪は俺の気配に気づいたのか不意に顔をこちらへと向けた。そして、ビクッと肩を震わせると、ものすごい勢いでスマホを背中に隠した。


「お、おにい、帰ってたんだっ!?」


 と、明らかに慌てふためいた様子でひきつった笑みを浮かべる深雪。


「なんだよ。そんなに慌てて……」

「慌てて? な、何の話?」


 と、明らかに何かを誤魔化す深雪。


 そんな彼女を見つめながら、俺は顔から血の気が引いていくのを感じた。


 が、慌てて頭を振る。


 ないないない。さすがにそれはない。


 深雪が官能小説を?


 絶対にない。そもそもあいつは性格上そういうのは毛嫌いするはずだ。確かに少女漫画はオタクレベルに読むが、彼女はもっと甘酸っぱいラブコメが好きで、官能小説なんて……。


 もしかして鈴音ちゃんが?


 いや、さすがにそれもないな。


 さすがに鈴音ちゃんも深雪に官能小説を読んでることなんて言ってないだろうし、深雪の鈴音ちゃんの印象からもそれはありえない。


 なら、なんであんなに鈴音ちゃんみたいに恥ずかしそうにスマホを眺めてたんだよ……。


「お、おにいどうかしたの?」


 と、頭を振る俺を見て深雪は不思議そうに首を傾げる。


「いや、なんでもない……」


 と、俺が答えると彼女はソファから降りた。そして、相変わらず背中にスマホを隠したまま、決して俺に背を向けずに一定の距離を保ちながら、リビングを出て行こうとする。


「おい、俺を熊かなんかと勘違いしてんのか? なんだよその変な歩き方……」

「な、なんでもないっ!!」


 そう叫ぶと深雪はドタドタと足音を立てながら逃げるようにどこかへと駆けていった。

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