第十九話 食物連鎖

 鈴音ちゃんはその後もブタどもの餌付けを続けた。鈴音ちゃんの足元へとやってきたブタどもは鈴音ちゃんの餌をむさぼりつつ、彼女の脚やスカートをしばらくクンカクンカして、満足そうだった。


 なんて言うと意味深に聞こえるけど、これは何かのメタファーではなく文字通りの意味だ。


 結局、一時間ほど俺と鈴音ちゃんはブタと戯れて店を出た。


「な、なんだか、お腹が減りましたね……」


 と、鈴音ちゃんが言うので、俺も自分が空腹だったことを思い出す。そういや俺たち、ブタに餌はやったが、自分たちの腹ごしらえはまだしていなかった。


 レストラン街を歩きながら、俺たちは何か美味そうな店を散策していると、ふと一軒の店の前で足が止まった。


 とんかつ屋……。


 俺と鈴音ちゃんはしばらく暖簾に描かれたブタのイラストを眺めてから顔を見合わせた。


「さ、さすがに……ねえ……」


 と、俺がひきつった笑みを浮かべると彼女もまたひきつった笑みを浮かべる。


「え、えへへ……そ、そうですよね……」


 いやいや、さすがにブタカフェからのとんかつ屋は人としてマズい気がする……。


 俺たちは同時に激しく首を横に振って、今のはなかったことにしてその場を立ち去ろうとした……のだが……。


「いらっしゃいませっ!! お客様二名様ですかっ?」


 と、威勢のいい声とともに、中年の男が店内から飛び出してくる。


 あ、なんかマズい気がする……。


「お客さん、今日はサービスデーですよっ!! なんと定食のご飯は食べ放題っ!! さらにおまけでひれかつを二枚つけますよっ!!」


 ご、ご飯食べ放題に、ひれかつサービスっ!?


 そんなワードに、一瞬だけ心が動いた……ような気がしたが、この誘惑に乗るわけにはいかない。


 俺は相変わらずひきつった笑みを浮かべると「え、え~と、ちょっとほかの店も回ってから決めようかなと……」と、遠まわしに断りを入れる。そんな俺に鈴音ちゃんもまた「そ、そうですね……ちょ、ちょっと他のお店も覗いてから決めます……」と同調する。


 が、不意におじさんの表情が曇った。


「実はね、うちの店、今日で閉店なんですよ……」


 と、突然衝撃発言を口にするおじさん。


 あ、マズいわ……完全に良くない展開に向かっているような気がする……。


「初めて、ここの敷地に先代が出店してきて五〇年、とんかつ一筋でやってきました。このモールができることになって、一時は店を閉じることを考えました。ですが、先代の守ってきたとんかつの味を守るためにこのモールでの出店を決断して、これまで頑張ってきました……」


 あぁ~あぁ~やばいって……完全に泣き落としに入ってんぞ。このじじい……。


「で、ですが、時代の流れってやつですね。これまで必死にやってきたんですが力不足で私は、祖父や父親が守ってきたこのとんかつ屋に幕を閉じることにしたんです……」


 俺は助けを求めようと鈴音ちゃんを見やった。


「そ、そうだったんですね……」


 ああやばいよ。完全に篭絡しちまってるよ……。


 彼女は瞳にわずかに涙を浮かべながら、うんうんと真剣におじさんの話に聞き入っていた。


「悔しいです……死んだ親父に顔が立たねえ。ですが、どうしようもない。だからせめて店を閉める今日だけは、親父たちの作った最高のとんかつの味をお客様に楽しんでいただきたいんです。せめて、親父たちが守り続けた最高のとんかつの味をお客さんの思い出の中で、生かせ続けたいんです。ですから、今日は利益はど返しで、ドドンと五パーセントオフで提供させていただきます」


 と、両手で顔を覆うおじさん。


 でもなんか五パーセントって現実的な割引だな。俺はそんな親父の浪花節になんともいえない胡散臭さを覚えた。


 が、隣の無垢な少女は違う。


「わ、私、感動しましたっ!! お、おじさん、私にお父さまとお祖父さまの守ってきた味を記憶に残させてくださいっ!!」


 完全におじさんに言いくるめられた彼女は何度も頷いて、俺を見やった。


「せ、先輩、入りましょうっ」

「で、でもいいのか?」

「い、いいです……た、確かに少し心は引けますが、おじさんの話に感動してしまいました……」


 あぁ……なんて純粋な子……。


 が、鈴音ちゃんが良いというのであれば、まあ……いいか。飯もお代わりし放題だし。


 覚悟を決めた俺はおじさんに「じゃ、じゃあ、入ります」と答えた。直後、おじさんは顔を覆っていた両手を下ろすと満面の笑みで「ありがとうございますっ!! 二名様ご案内で~すっ!!」と叫んで意気揚々と店内に入っていた。


 いや、切り替え早っ!!


 ということで俺と鈴音ちゃんは、ブタカフェからとんかつ屋に直行という鬼の所業のようなハシゴをすることになった。


 おじさんに案内されながら、テーブルへと向かう途中、ふと厨房に目がいった。そこにはパイプ椅子に座って、退屈そうにスポーツ新聞を眺める老人がいた。


 お、おい、なんかあのじいさん、おっさんに顔がクリソツなんだけどっ!!


 おい、まさか親子じゃねえだろうな? それともあれか? 俺はじじいの親父の地縛霊でも見てんのか? トロフィーの次は幽霊まで見えるようになっちまったのか?


 完全にじじいの口車に乗せられた俺は、愕然としながらもテーブルへと案内される。


 俺と鈴音ちゃんはじじいのおススメとかいうご飯食べ放題、ヒレカツサービス付きの定食を二つ注文した。じじいは「まいどっ!!」と軽快にオーダーを通すと、次回来店時に使えるとかいうドリンクサービスチケットを残して厨房へと歩いていく。


 おい、次回使えるってどういうことだよっ!!


 ああん? そっちがそう来るなら、こっちはこっちでこの後、食中毒になって本当に営業最終日にしてやろうかっ!!


 俺はじじいが厨房に消えるまで、その背中を睨み続けた。



※ ※ ※



 いや、美味いよ……美味いのは美味い。そりゃ揚げたてのとんかつなんだもん。


 だけど、なんか納得いかねえ……。


 と、美味いとんかつを頬張りつつも、腑に落ちなかった俺は正面の鈴音ちゃんを見やった。


 彼女はフォークを握ったまま、とんかつに手を付けようか悩んでいるようだった。


 あのくそじじいの話に一時は感動していた彼女だったが、いざ、とんかつが目の前で出されると、何とも言えない躊躇いを覚えたらしい。


 しばらく、とんかつと睨めっこしていた鈴音ちゃんだったが、決意したようにとんかつにフォークを刺すと口へと運んだ。


「しょ、しょうがないですよね……わ、私たちは大切な命を頂いて生きているんです……。そ、それに天国のお父様も、きっと私たちに笑顔でとんかつを食べて欲しいと思っているはずです……」


 そう言って彼女は瞳に涙を浮かべながら、それでも可憐な笑みを浮かべる。


 あぁ……なんて健気なんだ……。そのあまりの健気さに泣きそうになるわ……。


 あ、あとちなみに、そのお父様とやらの幽霊は、さっきスポーツ新聞片手に競馬がどうのこうの言いながら店を出ていったぞ。


 どうやら天国のお父様とやらはブタよりも馬の方が好きらしい。


 それから俺と鈴音ちゃんはしばらく、尊い命を頂く作業を続けた。そして、皿が空になったところで鈴音ちゃんはフォークをおいて俺を見やった。


「せ、先輩……い、一週間、よく頑張りましたね……。ちょっと頭を出してください」


 と、鈴音ちゃんがそんなことを言うので、俺は彼女に頭を差し出した。すると、彼女は俺の頭に手を置いて「よしよし」となでなでしてくれた。


 ああ、最高……。


 その突然の鈴音ちゃんからの癒しタイムに、ほんの少しだけじじいへの怒りが消えた……気がする。


「せ、先輩……睡眠時間は取れていますか?」


 と、俺の頭をなでなでしながら心配そうにそう尋ねる鈴音ちゃん。そんな彼女に「ああ、大丈夫だよ」と答えると彼女は少し安心したように俺の頭から手を放した。


 彼女が俺をなでなでした理由。それはこの一週間、死ぬ気で小説を書いたことに対する労いだろう。


 正直なところ、この一週間は本当に大変だった。学校が終わるとすぐに帰宅し、夜遅くまで執筆。さらには朝も早めに起きて登校時間ぎりぎりまで小説を書いたのだ。間違いなく、この一週間は俺史上もっとも文字を入力した一週間だと思う。彼女を安心させるために嘘をついたけど、実際のところ睡眠時間もかなり削った。


「せ、先輩はその……ランキングはご覧になられましたか?」

「ランキング?」


 と、首を傾げると鈴音ちゃんがそう言ってスマホを取り出した。そして、何かを操作して俺の方にスマホを向ける。


「こ、これです……」


 俺はスマホの画面を見やった。そして、大きく目を見開く。


「う、嘘だろ……」


 そこに表示されていたのは、俺が小説を投稿しているサイトのランキング画面だった。日間ランキングと書かれたページの一番上に『親友の妹をNTR』の文字。


 それはつまり昨日、俺の小説がサイト内で一番ポイントを稼いだことを意味する。


「せ、先輩さすがです……。や、やっぱり先輩のその……せ、性癖は凄いです……」


 と、褒めているのかよくわからない賛辞の言葉を俺に送る鈴音ちゃん。


 俺はしばらく画面を見つめたまま身動きが取れなかった。


 嘘だろ? 俺の小説が一位? だってこの間、初めてランキングに載ったような小説だぞ? それが一位なんて……。


「こ、これはあくまで私の予想ですが……や、やっぱり全編書き直したのがよかったのだと思います……」

「い、いや、そうだけど……」


 にしたって……。


 実は俺はこの一週間、小説の全編改稿を行っていた。


 そしてその理由は。


「き、きっと、これでうまくいくはずです……」


 鈴音ちゃんはそう呟いた。


 その理由は、目の前の少女の兄貴、つまりは水無月翔太の性癖を書き換えるためだった。


 あの鈴音ちゃんの家での変態トロフィー大収穫祭の日、俺は鈴音ちゃんからその作戦の全容を聞いた。それは『親友の妹をNTR』のキャラクター秀太をドSからドMに書き換えることだった。


 翔太が鈴音ちゃんに高圧的になった理由は俺の小説だ。だとしたら、そんな現状を変えられるのも俺の小説だけ。それが鈴音ちゃんの考えだった。が、鈴音ちゃんが俺にそんな提案をした理由は、それだけではない。


 彼女は俺の小説の一番の読者だ。そして、彼女は誰よりも詳しく俺の小説を分析している。あの日、彼女は俺にさまざまなデータを見せてくれた。


 見せてくれたのは、毎話ごとのお気に入りの増減と読者の増減。彼女は毎日、俺の小説のデータを取って、その推移をグラフにしてくれていた。


 おそるべき俺の小説への探求心……。


 正直、初めて見せてもらったとき、俺は開いた口がふさがらなかった。が、彼女は一人でも多く俺の小説の良さを知ってくれる人を増やすために、絶え間ない努力を裏でしてくれていたらしい。


 いやホント鈴音ちゃんの爪垢を煎じて、ここのクソとんかつ屋の店主に飲ましてやりたいぐらいになっ!!


 その結果、俺の小説のある傾向がわかった。それは鈴音ちゃ――もとい、ハルカちゃんと兄とのシーンを更新したときよりも、ハルカちゃんと遼太郎とのシーンを更新した後の方が読者がより増えていることがわかった。


『こ、このサイトの読者さんはその……女の子をイジメるよりも、女の子にイジメられる方が喜ぶ変態さんが多いみたいです……』


 と、その変態読者さんが喜びそうなセリフとともに彼女はそう結論付けた。


 その結果、鈴音ちゃ……いやいや、ハルカちゃんは兄と兄の親友の両方を掌の上で転がすとんでもない変態悪女として描かれることになったのだが、結果的に読者は大幅に増えたのだから彼女の見立ては正しかったということだ。


 だけど、俺の不安はまだ残る。


「確かに読者が増えたのは嬉しいけど、こんなので本当に翔太の性格が変わるのか? それに翔太が今も俺の小説を読んでるかはわからないし……」


 素朴な疑問を口にする。


 確かに翔太が鈴音ちゃんに高圧的になったのは俺の小説のせいかもしれないけど、だからといって今度もうまくいくなんて保証はない。それに翔太が今も俺の小説を読んでいるかなんて……。


 が、鈴音ちゃんは首を横に振った。


「そ、その心配はいりません……。お、お兄ちゃんは今も先輩の小説に夢中です……」

「もしかして、あの野郎。鈴音ちゃんの前で堂々と」

「そ、そうじゃないです……。そ、その……実は昨日お兄ちゃんのスマホを確認したんです」

「スマホを確認っ!? あいつスマホにロックもかけてないのか?」

「き、昨日はお兄ちゃん、その……ソファで眠ってしまっていたので……それで顔認証を寝顔で……」


 全国の不倫してる旦那さんっ!! 事件ですよっ!!


「そ、その……設定によっては寝顔でも大丈夫だそうです……。そ、それでお兄ちゃんの小説の閲覧履歴を確認しました。そ、そしたら、直近で、先輩の小説を全話閲覧していることがわかりました……」

「つ、つまり、改稿後の俺の小説もばっちり読んでるってことか?」


 彼女は頷いた。


 なるほど、それならば翔太の性格が変わっている可能性はあるかもしれない。


 けど、やっぱり不安はぬぐえない。


「す、鈴音ちゃんは翔太が新しい変態トロフィーを獲得したと思うか?」

「へ、変態トロフィーってなんですか?」


 と、尋ねると鈴音ちゃんは首を傾げる。


 しまった……それはこっちの話だ。


「ご、ごめん、鈴音ちゃんはこれで翔太が鈴音ちゃんに高圧的に接しなくなると思うか?」


 そう、あらためて尋ねると鈴音ちゃんは難しそうに眉を潜める。


「しょ、正直なところ五分五分だと思います……」


 ま、そうだよな。前回はたまたまうまく言ったが、次もうまくいくなんて……。


 が、そんな俺の悩ましげな表情に鈴音ちゃんは慌てて首を横に振った。


「で、ですが少なくとも私はその……せ、先輩の小説を読み直して、また新しい何かに芽生えましたっ!!」

「お、おう……あ、ありがとな……」


 と、フォロー兼性癖暴露をする鈴音ちゃん。


「問題は翔太の方だな……」


 と、つぶやくと鈴音ちゃんはじっと俺を見つめる。


「せ、先輩はよく頑張りました。い、今はまだ五分五分かもしれませんが、その確率を引き上げるのは私の仕事ですっ」

「私の仕事?」

「は、はい……そ、そもそもこれは私たち兄妹のことですし、これ以上先輩にご迷惑はおかけしません……」


 と、決意に満ちた表情で俺を見つめる鈴音ちゃん。


「こ、ここからは私がなんとかしてみます……」

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