第二十話 甘々と稲光
あぁ……腹いっぱい食った……。とんかつ屋を出た俺がお腹をぽんぽんと叩くと、それを見た鈴音ちゃんがクスクス笑った。
「な、なんだか先輩……たぬきさんみたいで可愛いです……」
と、鈴音ちゃんにたぬき扱いされて、少し恥ずかしくなった俺はお腹から手を放すと「じゃ、じゃあ行こうか……」と言って、彼女とともにエスカレータを降りた。
ショッピングモールの二階には洋服屋を中心としたファッション関係のショップが並んでいた。俺がこのモールを訪れるのは初めてではないのだけど、いつも俺は奥にある書店以外訪れることはないので、彼女と二人で歩くモールの景色はなんだか新鮮だった。
あ、なんか今デートしてるって感じするわ……。
「わぁ……か、かわいいなぁ……」
と、そこで鈴音ちゃんは一軒の洋服屋の前で足を止めた。そして、彼女は店頭に飾られたマネキンを目を輝かせながら見つめる。
そのマネキンは薄水色のワンピースを身に着けていた。長めの丈のスカートの下部は一部レース地になっており、マネキンの脚の部分が透けて見えている。可憐なだけでなく、ほんのり色気もあるあたり、さすが鈴音さんお目が高い。
彼女はマネキンに近寄ると、スカートの裾についた値札を捲った。そして、俺を振り返ると苦笑いを浮かべる。
「え、えへへ……さ、さすがにちょっと手が届かなかったです……」
どうやら想定よりも少し高かったようだ。が、彼女はそのワンピースに少し未練が残ってるようで、しばらくマネキンを羨ましそうに眺めていた。
そんな彼女の姿を見ていると、買ってあげたくなるから不思議だ。このワンピースを買ったら彼女は喜んでくれるんだろうな……なんて考えていると、そんな彼女の笑顔が見たくなる。
あぁ……俺、絶対将来アイドルに給料貢ぎまくる男になる気がするわ……。
と、わずかに自分の将来に悲観しつつ、彼女を眺めていると、彼女は不意に俺のもとへと駆け寄ってきた。
「ご、ごめんなさい……わ、私の好きなものばかり見て……た、退屈でしたか?」
と、不安げに俺の顔を見上げた。
「そ、そんなことないよ。鈴音ちゃんが楽しそうにしてる姿を見てるだけで、俺も楽しいし」
なんて、とっさに口にしたが、口にした瞬間、わりと自分が思い切ったことを口にしたことに気がついて急に恥ずかしくなった。そんな俺の恥ずかしさが鈴音ちゃんにも伝播したのか、彼女は何も答えずに頬を赤らめた。
なんとも気まずい空気が二人を覆う。が、鈴音ちゃんは頬を真っ赤にしたまま「せ、先輩……」と俺を呼ぶ。
「きょ、今日はその……せ、先輩の小説のお役立ちができるように……で、で、デートをしているんでしたよね?」
「え? あ、そうだったよな……たしか……」
と、そこで俺は本来の趣旨を思い出す。そういや、あの日、鈴音ちゃんはそう言って俺をデートに誘ってくれたんだった。
「だ、だとしたらその……か、カップルみたいにしていないと、小説の役に立たないですよね?」
と、彼女は口にした。が、俺には彼女の言葉が具体的にどういうことなのか理解できなかった。
俺が少し困った顔をしていると、彼女は不意に自らの右手を俺の左手へと伸ばす。
そして、
「っ……」
彼女は自分の右手を俺の左手に絡めた。つまり……要するに……こ、これは手を繋ぐという行為である。しかも、彼女は俺の指に自らの指をからめるようにして、いわゆるカップル繋ぎをしている。
自らの指の間に彼女の暖かい指の感触を感じながら、俺は心拍数が上がっていくのを感じた。
変な話だとは思う。だって、俺たちはこれまでカップルでもしないような、恥ずかしいことを小説のために繰り返してきたはずだ。それなのに、今まで繰り返してきたどんな過激な好意よりも、彼女の手を絡めている、カップルだったら当たり前のようにするその行いに、俺は胸をドキドキさせているのだから。
「せ、先輩……こ、これで少しは……参考になりますか?」
鈴音ちゃんは相変わらず顔を真っ赤にしたままそう尋ねた。
「う、うん……鈴音ちゃんのおかげでいい小説が書けそう……」
と、声を振り絞るようにそう答えると、彼女は頬を真っ赤にしながらもわずかに微笑み「お、お役に立ててうれしいです……」と小さく答えた。
俺たちは手を繋いだまま歩き出す。
なんだろう……手汗が止まらねえわ……。
「ご、ごめん、手汗……ベタベタしない?」
さすがに彼女を不快にさせるのは嫌だったので、思わずそう尋ねた。が、彼女はわずかに微笑んだまま首を横に振る。
「せ、先輩の手汗……不快じゃないです……。せ、先輩も緊張しているのがわかって、少しドキドキします……」
なんて言うもんだから、さらに手汗が止まらなくなる。けれども鈴音ちゃんも緊張しているのは、彼女の掌から感じるわずかな鼓動の感触で理解することができた。
結局、それから俺たちはろくに会話も交わさずに、モールを歩いた。そして、次に会話を交わしたのは雑貨屋の店頭に並べられたヘアクリップを彼女が見つけたときだった。
「せ、先輩……こ、これ、可愛いと思いませんか?」
そう言って彼女はヘアクリップを手に取った。そのヘアクリップには小さな花がついていた。
「可愛いと……思うよ」
と、答えると彼女は共感してくれたのが嬉しかったのか、小さく微笑む。彼女はその小さなヘアクリップをしばらく掌に乗せて眺めた。
そして、
「わ、私……これ買います……」
どうやら彼女は購入を決めたらしい。俺から優しく手を放すと、レジの方へと歩いていこうとした。が、そんな彼女の後ろ姿を眺めていると、いてもたってもいられなくなる。
「そ、それ……俺が買うよ」
そう言うと、彼女は足を止めて俺を振り返った。そして、頬を真っ赤にしたまま顔の前で手を振る。
「そ、それはさすがに先輩に悪いです……」
「いいよそれぐらい。それに小説のことで鈴音ちゃんには感謝してもしきれないぐらいだし、こんなので恩返しができるとは思っていないけど、せめてこれぐらいの恩返しはさせてほしい」
「そ、それはあくまで先輩の実力で……」
「そ、それに俺はそのヘアクリップを鈴音ちゃんに買ってあげたい」
「…………」
そんな俺の言葉に鈴音ちゃんは頬を赤らめたまま黙り込んだ。
俺の小説は日間ランキング一位を取った。それは紛れもなく鈴音ちゃんが俺のサポートをしてくれたおかげだ。日間一位だぞ? ただの底辺作家だった俺がそんな栄誉を賜るなんて、少し前の俺だったら信じられなかった。それを彼女は叶えてくれたのだ。
だけど、それ以上に、俺は彼女にそのヘアクリップを買ってあげたかった。
「買っても……いいかな?」
正直なところ怖かった。あまり執拗に買うと言えば押しつけがましくなってしまう。気を遣わせてまで奢るほど惨めなものはない。
そんな俺の言葉に鈴音ちゃんはしばらく黙っていた。
が、不意に頬を赤らめると。
「あ、ありがとうございます……」
と、小さく答えた。
買い物を終えて店の外に出ると鈴音ちゃんは相変わらず、少し恥ずかしそうに俺のことを待っていた。彼女にヘアクリップの入った小さな紙袋を渡すと、彼女はそれを受け取って胸に押し当てた。
「せ、先輩……ありがとうございます。だ、だけど、お金は大丈夫ですか? 結構高かったので……」
と、嬉しそうにしながらも少し心配げに俺を見上げる鈴音ちゃん。そんな彼女に俺は「だ、大丈夫だよ。鈴音ちゃんには前からお礼がしたかったし」と少しひきつった笑みを浮かべる。
そ、そうなのよ……結構高かったのよ……。
だってヘアクリップだよ? 普通500円くらいだと思うじゃん? レジに行って2000円って言われたときは正直、血の気が引いたね。慌てて財布を開いて手持ちを確認したよ。これで手持ちが足りないなんて事態になったら、恥ずかしいなんてレベルじゃねえ……。
が、幸いなことにぎりぎり足りた。さっき自販機でジュース買おうか悩んだけど、あれ買ってたら俺死んでたわ……。
ま、まあ、なにはともあれ、ささやかながらも彼女にお礼が出来た。そして、俺はこのとき初めて女の子にプレゼントを上げることが、こんなにも楽しいことだということを知った。
今だけはキャバ嬢に貢ぐ男の気持ちがちょっとだけわかるわ……。
鈴音ちゃんはそんな俺に「う、嬉しいです……」と、答えると袋からヘアクリップを取り出して、それをしばらく嬉しそうに眺めていた。そして、俺を見やるとやっぱり少し恥ずかしそうにこういった。
「つ、付けてみてもいいですか?」
と、彼女がそう言うので俺は頷く。すると、彼女は横髪に触れて、それを耳に掛けると、プレゼントしたヘアクリップを取り付ける。
「ど、どうですか?」
鈴音ちゃんは恥ずかしそうにそう尋ねてくるので、俺まで恥ずかしくなる。
可愛い……とんでもなく可愛い。
彼女の髪のコスモスの花は、彼女の可憐さを引き立て、それでいて主張しすぎることなく、控えめに咲いていた。
「よ、よく似合ってると思うよ……」
そう答えるのが精いっぱいだった。本当はこの上ない賛辞の言葉を送りたい。もっと気の利いた言葉を送りたい。だけど、そんなことをしたら、恥ずかしさで胸がはち切れてしまいそうだ。結局、それしか言えなかったが、それでも彼女は満足してくれたようで「あ、ありがとうございます……」と答えた。
※ ※ ※
俺たちはその後もモール内でウィンドウショッピングを楽しんだ。その間、俺たちはずっと手を繋いだままだった。
驚くことに彼女と手を繋いでから、俺はまだ変態トロフィーを出してない。手を繋いでたのは清楚系変態美少女の水無月鈴音だぞ? 彼女と手を繋いで変態トロフィーを出さないのなんて、戦場に婚約者の写真を持ってった兵士が無傷で帰ってくるくらいありえない……。
そんな事実に驚愕したまま、最寄り駅へと帰ってきた俺と鈴音ちゃん。さすがに最寄り駅まで戻ってくると、俺も人目が気になってきた。だから、優しく彼女から手を放そうとしたのだけど、彼女は俺の手を再び取ってぎゅっと握りしめるもんだから、俺のドキドキが止まらない。指を絡められ、驚いた俺は隣の鈴音ちゃんを見やったが、彼女は俺には顔を向けずに、俯いていた。
「せ、先輩……きょ、今日のデート……少しは先輩の創作の役に立てそうですか?」
と、彼女は相変わらず俺には顔を向けずにそう尋ねた。
正直なところ、創作の役に立つかどうかは微妙だ。彼女と初めて手を繋いでからの俺の記憶はおぼろげだからだ。
「そ、そうだな……少なくともデートシーンの参考には――」
「ま、まだ足りないと思いませんか……?」
と、そこで彼女は俺の言葉を遮るようにそう言った。
「え? た、足りないって……」
「た、足りないと思いませんか?」
と、再び同じ質問をする鈴音ちゃん。
お、おいちょっと待て……これって……。
鈴音ちゃんはそう言うと、俺から手を放して、俺に向き直ると、頬を染めたまま俺を見上げる。
そんな彼女を見て俺は確信した。
つまり鈴音ちゃんは俺にキで始まってㇲで終わる二文字のあれをやってもよいと、許可しているのだ。
「ちょ、ちょっと待ってくれ鈴音ちゃん。本当にそんなこと……」
確かに俺たちは小説の参考にするためにデートをした。だけど、それはあくまでシミュレーションであって、キスをすることは一線を越えている。いや、紐飴プレイとかとっくに一線超えているんだけど、それとは違った意味で一線を越えているような気がした。
動揺する俺を見て、鈴音ちゃんはハッとしたように目を見開いた。
「す、すみません……わ、私……」
と、彼女はさすがに自分の提案が行き過ぎたことに気がついたのか、恥ずかしそうに俺から顔を背けた。
そんな彼女に安堵した俺だったが、彼女は不意にスカートのポケットから何かを取り出す。
それは飴玉だった。
「鈴音ちゃん?」
「そ、そうですよね……せ、先輩の書いているのは官能小説でしたよね? 普通のキスなんてしても、さ、参考にならないですよね?」
あ、違う……。俺は手法のことを話したいんじゃなくて、もう一歩手前の話をしてるんだよ。
あと、その飴玉……何に使うつもりなの? すっごく卑猥な妄想しか膨らまないんだけど?
俺の心のハードルを軽々飛び越えていく鈴音ちゃんに動揺する俺だったが、そんな俺に彼女もようやく気がついたようで、不意にハッとした顔をすると恥ずかしそうに、俺から子を背けた。
「せ、先輩は、わ、私とキスをするのは……い、いやですか?」
と、あまりにも破壊力のある彼女の一言に、俺は一瞬昇天しそうになる。
嫌だと? 水無月鈴音とキスをするのが嫌だと?
そんなこと、あるわけねえじゃねえか。
「そ、そんなことはないよ。だけど、鈴音ちゃんはいいの?」
そう尋ねると鈴音ちゃんは「わ、私は、先輩の小説のお役に立ちたいです……」と、答えた。
こう言われた以上、男として逃げるわけにはいかない。
俺は覚悟を決めると、彼女の肩に手を置いた。それを合図に鈴音ちゃんは顔を上げたままゆっくりと瞳を閉じる。そして、俺はゆっくりと顔を鈴音ちゃんの顔に近づけていく。
ああ、やばい……俺、キスするんだ。鈴音ちゃんとキス……するんだ……。
そして、二人の唇がいよいよ触れようとした……その時だった。
「りゅ、りゅ、りゅうたろおおおおおおおっ!!」
俺と鈴音ちゃんの唇が触れるその直前、そんな声が俺の耳を劈いた。
俺と鈴音ちゃんは慌てて声のした方に顔を向けると、そこには見知った顔があった。
水無月翔太が鬼の形相で俺を睨みつけていた。
どうやら俺は五分五分の賭けに負けたらしい。
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