第二十一話 鋼鉄の変態トロフィー
「竜太郎、どういうことか説明してもらおうじゃねえか……」
考えうる最悪のタイミングだった。よりにもよって、俺と鈴音ちゃんが唇を交わそうとしたその直前に、翔太は姿を現した。翔太はじっと俺を睨んだまま微動だにしない。
あ、これ完全に怒ってますわ……。
話が違うじゃねえか親友よっ!! 俺は一週間睡眠時間を削って、お前の性癖を書き換えてやったはずだぜ? なのに、なんでお前の頭上には負の変態トロフィー『妹を束縛して喜ぶ』が乗っかってんだよっ!? 鋼鉄製の頑丈そうなトロフィー持ってんなお前。誰に貰ったんだ? そんな立派なトロフィー……。
「聞こえなかったか? 竜太郎。なんでお前が鈴音と一緒にいるんだ。なんで、お前が鈴音の肩を掴んでいる。なんで、今にもキスしそうなほどに顔を近づけてるんだよ」
と、そこで翔太はじわじわと俺との距離を詰めるように、こちらへと歩み寄ってくる。
翔太の口角はわずかに上がっていた。が、その不敵な笑みが決して好意的なものじゃないってことぐらい、鈍感な俺にだってわかる。
せめて鈴音ちゃんが矢面に立たされないように、彼女を背中に隠してから翔太に体を向けた。
そんな俺の態度がさらに翔太の癪に障ったのか、翔太は一気に俺との距離を詰める。
翔太の顔を見つめながら俺はふと思う。
ってか、何で俺、こいつにキレられてるんだ? こいつはただ鈴音ちゃんの兄というだけで、恋人でもなんでもない。そんな翔太が俺と鈴音ちゃんが二人きりでいたとして、いったい何に文句をつける筋合いがあるんだよ。
あぁ……そう考えると、無性に腹が立ってきたわっ。
頭上の鋼鉄製変態トロフィーを掲げて、俺を威嚇してくる翔太。が、ここでひよるのはさすがにダサい。俺はそんな翔太を睨み返してやると、翔太はそんな俺の表情が意外だったのか、わずかに動揺するように目を見開いた。
「何を勘違いしているか知らないけど、俺と鈴音ちゃんはお前が思っているような関係じゃないぞ」
「ほう……じゃあ、どういう関係なんだよ」
ああ? 聞きたいか?
なら言ってやるよ……いや、無理だわ。
俺と鈴音ちゃんはよりエロい官能小説を書くために、お互いの性癖を暴露し合い、時には落ちたスプーンを舌で拾わせたり、紐飴をだ液まみれにして遊ぶ関係です……なんて、こいつに絶対言えねえ……。
「と、とにかくお前が思っているような関係じゃない」
お前が思っているよりも俺たちはもっとヤバい関係だ。多分、お前、鈴音ちゃんのあんな姿見たら泣くぞ?
はっきりと答えない俺に翔太は「ふんっ!!」と鼻で笑う。
「付き合う直前の、一番楽しい時間を過ごしてますとでも言いたげだな」
全然違います。鈴音ちゃんはそんなピュアな距離感を楽しむような、初心者向けトロフィーは卒業してるよ。
あ、あれ、なんか俺、鈴音ちゃんの悪口言ってねえか……。
ま、まあとにかくだ。
「仮にそうだったとして、兄のお前が俺に対して何の文句を言う権限がある」
「悪いことは言わない。鈴音から手を引け」
「だから、なんで兄貴であるお前に、んなこと言われなきゃなんない」
と、俺たちの言い合いは徐々にヒートアップしていく。と、そこで背中の鈴音ちゃんは俺のシャツをギュッと掴む。
あ、あぁ……なんか悪くない感触……。
そりゃ怖いよな。わかるよ、鈴音ちゃん。彼女よりも頭一つ大きい男が大声で言い合いをしているんだ。いくら鈴音ちゃんだって怖いよな。
「埒が明かないな。だったら教えてやるよ。鈴音にはな、俺が必要なんだよっ!!」
と、声高々に豪語する翔太。
うわぁ……。
なんだろう……さっきからこいつの言葉はなんかクサいんだよ。なんか自分に酔っているというか……。今の言葉を録音して十年後のこいつに聞かせてやりたいぐらいだわ。
だが、自分に酔いきった翔太の言葉はそれで終わらない。
「鈴音はな、まだ世間を知らないんだよ。それでいて絶世の美少女だ。鈴音が健全に学園生活が送れるように、お前みたいな変な虫が付かないように俺には彼女を保護する義務がある」
と、とうとつに義務を振りかざす翔太。
そこで鈴音ちゃんは俺の背中からひょっこり顔を出す。
「お、お兄ちゃん、そ、その絶世の美少女ってのは、恥ずかしいからやめて……」
そんな鈴音ちゃんに翔太は、少し面食らったように狼狽する。
「と、とにかくだ。鈴音はまだ高校二年生なんだ。来年は受験も控えているんだし、俺は兄として鈴音を守らなくちゃなんない」
と、微妙に軌道修正してそう豪語する翔太。
よくもまあ、自分の性癖をここまで捻じ曲げて正論ぶれるもんだ。
が、翔太の言葉には一理あるのも確かだ。一応、翔太の言葉は通っているように聞こえなくもない。だけど、ここで俺が折れてしまったら、翔太はさらに調子に乗って鈴音ちゃんを束縛するに違いない。
「そうなのか。けど、お前のお母さんはまんざらでもない様子だったぞ」
と、答えると翔太は「お、お前、まさかもうママ……じゃなくてお袋に挨拶も済ませてんのかっ!?」と目を向いた。
ま、ママっ!? え? 翔太ちゃんもしかしてお母さんのことママって……。
だ、ダメだ。凄まじい破壊力の言い間違えに、とんでもないカウンターパンチを食らった気分だ。返す言葉が見つからない。
俺は翔太ちゃんにバレないように、彼の背後を覗き見た。そこには翔太が必死に隠す何かのトロフィーが見えるが、残念ながら『マザコ』までしか読めない。
その言い間違えは翔太の怒りを加速する。どうやらその羞恥心が、結果的に彼の怒りに油を注ぐ形になったらしい。
おいおい、今の俺は何も悪くねえだろっ!!
が、こうなってしまったら翔太も引っ込みが聞かない。彼はさらに俺に詰め寄る。
「とにかくっ!! 俺は、お前みたいに鈴音に言い寄ってくるような悪い虫は駆除しなきゃなんないんだよっ」
と、血管が切れちまいそうなほどに顔を真っ赤にしてそう叫ぶ。
事態はあまり良くない方向に向かっていた。翔太のあまりに自分本位な言葉に腹が立って、鈴音母の名前を出して挑発したが、ここでこいつを怒らせて、殴り合いになんてなろうものなら、貧弱な俺ではこいつには勝てない。それに、暴力沙汰になんてなったら、下手したら退学だぞ?
それは鈴音ちゃんの望む結末ではないことはわかる。確かに鈴音ちゃんは翔太の常軌を逸した言動に辟易しているが、それでも翔太は彼女のたった一人の兄貴なのだ。その兄貴が暴力沙汰で退学なんて彼女は絶対に望まない。かと言って、このまま翔太を野放しにするわけにもいかないのだ。
が、こいつの怒りは頂点に近づいている。下手に刺激したら本気で殴り掛かってきかねない。
俺は再び翔太の頭上の鋼鉄製の変態トロフィーを見上げた。その今まで見たことのないような強固なトロフィーに思わず尻込みしてしまいそうになる。だけど、このトロフィーがある限り鈴音ちゃんは幸せになれない。だとしたら、何が何でもこのトロフィーを打ち砕かなきゃ、俺たちは前に進めない。
「俺たちがお前の思っているような関係じゃないって言ったのが聞こえなかったのか?」
「そういや、そんなこと言ってたな。まあ、明確な返答はまだもらえてないけどな」
「俺は鈴音ちゃんからある相談を受けていたんだよ」
「相談? なんでお前みたいな男に鈴音が相談なんかしなきゃなんない」
正直なところ迷っていた。これを口にしてしまったら、翔太が理性を失って暴れまわってもおかしくなかったからだ。だけど、目の前の鋼鉄の変態トロフィーを打ち破るには、リスクを取る覚悟が必要だった。
「俺じゃなきゃダメなんだよ。俺はお前の親友だからな」
翔太は少し驚いたように目を開いた。きっとそれはこの期に及んで俺が翔太を親友呼ばわりしたからだと思う。が、翔太はすぐに再び俺を睨む。
「優しい鈴音ちゃんはな……ずっと、お前のことを心配していたんだよ」
「鈴音が俺を心配? 言っておくがはったりは効かねえぞ」
こいつどこまで自分に自信があるんだよ……。
「はったりじゃねえよ。鈴音ちゃんはずっと心配していたんだ。お前のことをな」
「ほう……はったりじゃないなら言ってみろよ。鈴音が俺の何を心配するんだ?」
もう引き返せない。
俺は一度深呼吸をした。そして、翔太を睨みつけてやると言葉を大にして叫ぶ。
「てめえが妹モノの官能小説に夢中になってることだよっ!!」
俺の叫び声は住宅街へと響き渡った。
「鈴音ちゃんはずっと心配してたんだ。お前がよりにもよって実の妹と近親相姦する官能小説に夢中になっていることを心配して、お前が変な道に進まないか心配した鈴音ちゃんが俺に相談をしてきたんだ」
言っちまった……ついに俺は言ってしまった。
その言葉はあたりに響きわたり、やがてあたりを沈黙が襲う。その言葉に翔太はしばらく何も答えなかった。翔太は目を丸くしたままじっと俺を見つめて身動きが取れないでいた。
が、身動きの取れない翔太の頬がみるみる赤くなっていくのが分かった。
「ぬおおおおおおおおおおおおっ!!」
直後、今度はそんな雄たけびとも悲鳴ともつかない叫び声が住宅街に響き渡った。
「なんでだ。なんで鈴音がそんなことを知ってるんだ。おかしい。俺は鈴音には絶対にバレないようにしてたはずだ。それなのに、それなのに、なんでそんなことを……」
と、翔太は叫び声を上げたかと思うと、今度はそんなことをぶつぶつと呟き始める。
や、やばい翔太が壊れ始めている気がする……。
俺はそんな翔太を尻目に鋼鉄の変態トロフィーを見やった。
トロフィーにはヒビが入っていた。
効いたってことだよな。俺の一撃は翔太に効いたってことだよな。だとしたら、追い打ちを掛けなきゃなんない。
「翔太、お前がソファで寝落ちしたときに偶然、鈴音ちゃんが見つけちまったそうだ。それから鈴音ちゃんは、お前のことが心配で心配で仕方がないんだよ。それにお前が官能小説を読むようになってから、お前の態度が高圧的になったことも鈴音ちゃんは心配してたんだ。だからお前の親友である俺に鈴音ちゃんは相談した。た、確かにさっきは少し鈴音ちゃんとそういう空気になったことは認める。だけど、お前への心配と比べたら、そんなこと大した問題じゃない」
翔太は膝から崩れ落ちた。そして頭を抱えながらその場にうずくまる。
ああ、やっちまったよ。仕方がなかったとはいえ、心が痛む。
翔太が蹲っている間にも彼の変態トロフィーはピキピキと音を立てながらヒビが大きくなっていくのが見えた。
俺は蹲る翔太を見つめた。彼は体を小刻みに震わせていた。
「せ、先輩……」
と、そこで心配そうに鈴音ちゃんが、俺の背中から体を出す。そりゃそうだ。実の兄がこんなことになっているのだ。優しい鈴音ちゃんは何よりも兄の心配をする。彼女は翔太の目の前にしゃがみ込むと、心配げに翔太を見つめた。
きっとここは俺の出る幕ではないのだ。
それに翔太のプライドと変態トロフィーはもう何もしなくても勝手に崩れ落ちる。
だから俺はそれを静かに見つめることにした。
「お、お兄ちゃん……」
鈴音ちゃんは兄を呼んだ。もちろん兄は答えない。そりゃそうだ。今、翔太はその羞恥心に鈴音ちゃんの顔すらまともに見られないはずだ。
それでも鈴音ちゃんは「お、お兄ちゃん……」と、翔太を呼ぶ。
が、やっぱり翔太は返事をしない。
だけど、翔太の体の震えは徐々に落ち着いていくのが分かった。そして、翔太はようやく、顔を上げると俺の顔を見上げる。
そして、
「お、お前だって、一度や二度、妹モノの動画や漫画……読んだことあるだろ?」
そう言って、翔太はニヤリと笑う。
そんな翔太を見て、俺は愕然とする。
ひ、必殺技……論点のすり替え……。
その瞬間、今にも砕けてしまいそうだった変態トロフィーは直後、ヒビがひとりでにふさがり、元の頑丈な鋼鉄製変態トロフィーへと復活を遂げる。
「なあ、翔太。お前だって妹を持つ者としてわかるだろ? 妹なんかに欲情なんてするはずがない。それなのに何かの気の迷いで妹モノに手を付けちまうことなんて誰にだってあるよな? 竜太郎、そんなことないなんて言わせないぞ」
そう言って翔太は「がははははっ!!」と高笑いを上げた。そんな翔太の姿に俺は身震いする。
い、言い返せない……。
確かに翔太の言葉は正論だった。
お、俺だって妹モノのエロ漫画を読んだことも動画を見たこともある……。
だ、ダメだ。言い返せない。何も言い返せない。あと一歩だったのに、俺は土俵際で見事にひっくり返されてしまった。
「そ、それは……」
「だから、お前と鈴音の心配は杞憂だ。俺はあくまで鈴音を保護者として心配しているんだ。変な心配をかけたことは謝るよ。だが、金輪際、鈴音の心配は無用だ。俺は鈴音に欲情なんてしない。するはずがないっ!!」
翔太のトロフィーはどんどん大きくなっていく。完全に理論武装した翔太にもはや怖いものなど何もなかった。それが詭弁だってわかっていても、俺には翔太のその変態理論武装を打ち砕く術を持ち合わせていない。
「まあ、今日のところはお前たちに心配をかけたことに免じて、キスをしようとしたことは許してやろう。それに俺とお前は親友だからな。俺は親友には寛大なんだ。だがな竜太郎、次はないぞ。次、鈴音に変な真似をしてみろ。俺はお前の首をへし折ってやるからな……」
「…………」
翔太は自らの勝利を完全に確信していた。
まずい……このままだと鈴音ちゃんは今まで以上に翔太に束縛されることになる。そんなの鈴音ちゃんが求めていることじゃない。
だけど、だけど、それを止める術は俺には……。
翔太は勝利に酔いしれるようにゲラゲラと笑った。そして、立ち上がろうと膝を立てようとしたとき、
「ほ、本当は欲情してるくせに……。こ、この変態兄貴……」
鈴音ちゃんがそう呟いた。
「す、鈴音ちゃん?」
「せ、先輩……ここからは私に任せてください」
彼女はそう言って優しく微笑むと、目の前で立ち上がろうとする兄の頭を踏みつけた。
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