第十三話 新たなる性の目覚め

『せ、先輩はよく頑張りましたね……えらいえらい。いっぱいなでなでしてあげますね。よしよし……クスっ……先輩ったら犬みたいで可愛いです……』


 あぁ……早く鈴音ちゃんから褒められたい。そして、鈴音ちゃんから目いっぱいなでなでしてもらって、甘やかされたい……。


 彼女によって性癖を引き出された上に、ご褒美のお預けまで食らった俺は、俄然やる気にみなぎっていた。原稿さえ書けば……彼女の望む原稿さえ書けば、俺はそのご褒美を手に入れられる。


 わかってる。わかってるさ。俺は完全に鈴音ちゃんの掌の上で転がされている。完全に手綱を彼女に握られているのはわかっている。けど、彼女に手綱を握られていることさえも喜びに変えられている今の俺には、そんな彼女にあらがうことなんて出来そうになかった。


 だから俺は彼女を喜ばせるための最高の物語が書きたい。


 が、そんな俺の操られたやる気とは裏腹に原稿の進みは芳しくなかった。


 なかなか思い通りに原稿の進まない俺は時計を見やる。小説を書き始めて一時間以上経つが、想定していた文字数の半分にも達していない現状に焦りが募ってくる。


 早くしないと時間切れになってしまう。このまま執筆が停滞していると、原稿を書き終える前に、鈴音ちゃんの帰宅の時間が訪れてしまうのだ。それにその時間になると深雪や両親だって帰ってきてしまうかもしれない。


 あぁ……堪えられねえ……。明日までお預けなんて今の俺にはできそうにない。


『ご、ごめんなさい……わ、私そろそろ帰ります。ご、ご褒美はまた今度までとっておきましょう』


 鈴音ちゃんがそんなことを言いだすのを想像して思わず身震いした。


 こんなにもやる気にみなぎっているのに、俺の原稿が進まない理由、それは主に二つある。


 一つ目は。


「ん、んんっ……す、凄いです……」


 一つ目はテーブルを挟んで向かいに座る少女、水無月鈴音である。彼女は蘭鬼六先生の最高傑作『花と蛙』に夢中だった。彼女はその過激な内容に終始頬を赤らめ、変な吐息を漏らしながら身悶えしている。どうやら人差し指を咥えているのは彼女が官能小説に夢中になっているときの癖のようだ。


 んなもん見せられて執筆に集中できるかよっ!!


 気になってそっちにしか視線が行かねえ……。


 執筆を待つ鈴音ちゃんのいい暇つぶしにと思って、本棚の奥に隠していたものを貸してあげたのだが、ここまで彼女の性癖にぶっささったのは少々想定外だった。「わ、私……こ、この本買います……」と言って文庫本のタイトルを必死にスマホにメモしていたのが一〇分ほど前の出来事だ。


 この分だと図書室の本棚は中央アジアどころか、そろそろ東欧あたりも安全地帯ではなくなってきたぞ……。


 そして、俺の執筆が思うように進まないもう一つの理由、それはそもそも俺の書いている官能小説の内容にあった。


 翔太がモデルである兄の秀太、そして鈴音ちゃんがモデルである妹ハルカは一見仲のいい兄妹だが、実はそうではない。兄、秀太は妹ハルカの兄への愛情と忠誠心を逆手に取り、彼女を性奴隷として扱っている。誰かにバレて家庭が崩壊してしまうことを恐れたハルカちゃんはそんな秀太からの仕打ちに耐えていたが、そんなある日、彼女は兄の親友、遼太郎から告白される。初めはその告白を拒否したハルカちゃんだったが、遼太郎の優しさに触れるうちに彼女はいつしか、遼太郎に好意を寄せるようになり、兄の目を避けて二人は密かに愛を育んでいく。が、ハルカは秀太からの度重なる調教により、遼太郎への恋心とは裏腹に兄なしでは生きていけない体になっていた……。


 よくもまあ実際の友人とその妹を題材にして、こんな酷い作品が書けたな……俺。


 ま、まあ、それはさておき、俺がこの作品でランキング入りしたきっかけとなった前話では、主に遼太郎とハルカの甘い展開が繰り広げられた。この話は主に俺と鈴音ちゃんとのやり取りがモデルになっているのだけど、俺の洗脳された欲望をそのまま殴り書きしたような話なので正直苦労はなかった。が、今執筆している話はそんな彼女が自宅へ戻り再び秀太から奴隷のような扱いを受けるという前話とはかなりギャップのある話だ。


 つまり秀太のドS的な欲望をいかに魅力的に書くかが今回の肝なのだ。


 だが、今の俺は『年下の女の子になでなでされて喜ぶ』と刻まれた変態トロフィーのせいでS的欲望がすっかり消え失せていた。


 俺は女の子をイジメたくない……むしろイジメられたい……。そんな状態で秀太が鈴音ちゃ――もといハルカに酷いことをする展開なんて思いつかない……。


 そんなこんなで俺はもう一〇分以上一文字も進まないという状態が続いている。


「せ、先輩……」


 と、そこで鈴音ちゃんの声がしたのでノートパソコンから顔を上げる。するといつのまにか鈴音ちゃんは文庫本を閉じて心配そうに俺を見つめていた。


「どうしたの?」

「わ、私に何かお手伝いできることはありますか?」


 どうやら俺がちょっとしたスランプに陥ったことに彼女も気づいたようだ。そんな彼女に俺は正直に心境を吐露することにした。


「正直なところ、秀太のシーンを書くモチベーションが沸いてこないかも……」


 そう素直に鈴音ちゃんに伝える。そんな俺の言葉に彼女は黙り込む。が、しばらく沈黙したのちに「せ、先輩……」と再び俺の名前を呼んだ。


「せ、先輩は、さっき私がした話を覚えていますか?」

「さっきの話?」

「は、はい……わ、私がその……本当は先輩の頭をなでなでしたいって話です……」

「う、うん……覚えてるよ……」


 なんならそのことしか覚えていない。


「わ、私がそんな気持ちになったのは……と、図書館で先輩にその……ペンを拾わせて、そのご褒美に頭を撫でたのがきっかけだと思います……」


 彼女は俺のM的な性癖を引き出すために、俺にペンを拾わせた。そして、俺はまんまとその策略にハマったのだが、性癖を引き出されたのは鈴音ちゃんも一緒なのだ。そのせいで彼女は変態トロフィーを二つも獲得して、その結果、俺は今、ご褒美のお預けを食らっている。


 だけど、どうして彼女が突然、そのことを再び口にしたのか、俺にはわからなかった。


 と、そこで彼女は何かを恥じらうように、俺から顔を背けた。


 そして、


「せ、先輩も……私に同じことをしてみますか?」


 鈴音ちゃんはそんなことを口にした。


「え、ええ?」


 鈴音ちゃんからの突然のそんな提案に俺は思わず困惑する。


「ど、どういうこと?」

「わ、私は先輩にペンを拾わせて……ちょ、ちょっとだけSに芽生えてしまいました。で、ですから先輩も同じことをすれば……Sが芽生えるかもしれません」


 つまりこういうことだ。鈴音ちゃんは俺に新たな変態トロフィーを手に入れろと言っている。


「せ、先輩……私は先輩の執筆のお役に立てるのであればなんでもします……。いえ、したいです……」


 そこで鈴音ちゃんは背けていた顔を俺へと向けた。その瞳はやっぱりどこまでも透き通っている。


 と、そこで彼女はティーカップの皿の上に乗せられていたスプーンを手に取った。そして、ぽっと頬を染めると、そのスプーンを俺へと差し出す。


 それはこのスプーンをペンの代わりにしろという意思表示だ。


「本当に……いいのか?」


 彼女は俺をじっと見つめたまま小さく頷く。そんな彼女を見ながら、俺はふとあることに気がつく。


 あ、あれ?


 なんだか鈴音ちゃんの眼差しから羞恥と同時に期待が読み取れるんだけど……。


 も、もしかして、こいつ……やりたがってないか? よくよく見てみると彼女の正座した太ももが、わずかにもぞもぞしている。


 俺……また鈴音ちゃんの掌で転がされてるんじゃ……。


 俺はそんな疑問を抱きつつも、スプーンを持って立ち上がる。そんな俺の顔を鈴音ちゃんが顎を上げ見上げた。その表情は羞恥に満ちていたが、それと同時に飼い主がフリスビーを投げるのを心待ちにしている犬のようにも見える。


「じゃ、じゃあやるよ……」


 そう断って、俺は持っていたスプーンから手を放した。当たり前だけどスプーンは重力に従って床へと落下していく。スプーンはフローリングの床に衝突すると金属独特の甲高い音を立てながら床を転がり……。


 よりにもよって、俺のつま先のすぐ前でぴたりと止まった……。


「せ、先輩……め、命令してください……」

「め、命令って……」

「しゅ、秀太になりきってください……秀太ならハルカちゃんにどんな命令をしますか?」

「そ、それはその……」


 もちろん秀太がどんな命令をするのかはわかる。何せ秀太は他でもない俺が作り出したキャラクターなのだから。


 だけど、それを鈴音ちゃんに対して口にすることには抵抗がある。お、俺はこんなにも純粋な女の子に酷い命令をしなきゃなんないのか?


「先輩……わ、私は大丈夫ですから……」


 鈴音ちゃんは俺を促すようにそう言った。どうやら彼女はとっくに覚悟を決めているらしい。


「じゃ、じゃあいくよ?」

「は、はい……」

「す、鈴音ちゃん、スプーンを拾ってくれるかな?」


 と、彼女に頼んだ。


 俺の頼みに鈴音ちゃんは何も答えなかった。彼女は少し不満げに口を噤むと俺から顔を背ける。


「しょ、秀太はそんなに優しい頼み方はしません……」

「す、鈴音ちゃんっ!?」


 どうやら彼女は俺の頼み方に不満があったようだ。ようするにもっと口汚く命令しろ……というのが彼女の注文らしい。


「じゃ、じゃあ……」


 そう言って俺は一度深呼吸した。


「す、鈴音……スプーンを拾え」


 意を決して俺はそう口にする。その瞬間だった、鈴音ちゃんは体をビクッと身震いさせると、小さな体をぎゅっと縮こめて怯えるように俺を見上げた。


 彼女は瞳をわずかに潤ませながら、じっと俺を見つめている。


 そして、彼女は震える声でその言葉を口にした。


「か、かしこまりました……お、お兄さま……」


 その瞬間、俺の胸の中で何かが弾ける音がした。


 か、かわいい……。


 そのわずかに怯えた、それでいて何かを期待するような声音に思わず身震いがした。


 や、やばい……俺の中で何かが目覚め始めているかもしれない……。


 彼女は正座したまま床に手をつくと、そのまま四つん這いになる。そして、猫のように俺の方へと近づいてきた。彼女は俺のつま先の前で止まるとそのままぺたんと尻を床につき女の子座りをすると俺を見上げる。


「せ、先輩……もっと命令してください……」

「め、命令って、命令はすでに――」

「せ、先輩……原稿のためです……心を鬼にして秀太の気持ちになってください……」


 鈴音ちゃんがまるで召使いになったみたいに俺の命令に服従している。


 ダメだ竜太郎……お前は超えてはいけない一線を越えようとしているぞ。だけど、もう俺は欲望を理性で押さえつけることはできそうにない。


 彼女は俺からの命令を待つように、それでいて恥じらうように口元を拳で隠して潤んだ目で俺を見つめている。


「お、お兄さま……わ、私に命令してください」


 そんな彼女の言葉で俺の心に秀太が憑依する。


「て、手を使わずにスプーンを拾え……」


 が、さすがに言った瞬間、自分が酷いことを口にしたことに気がついて我に返った。。


「ご、ごめん鈴音ちゃ――」

「か、かしこまりました……お兄さま……」


 が、彼女はそんな俺の言葉を遮るようにそう言うと、じっと床に落ちたスプーンを眺めた。


 そして……。


「っ……」


 彼女は髪を耳に掛けると、ゆっくりとスプーンに唇を近づけていく。俺のつま先から目と鼻の先にあるスプーンに唇を触れた。そんな彼女を遥か頭上から見下ろす俺。彼女はわずかに顔を横に傾けているせいで、彼女が唇を動かして必死にスプーンを拾い上げようとする姿がよく見える。


 とんでもない光景を目の前に俺は言葉を失う。


 唇でわずかに持ち上げてもすぐに落してしまうスプーン。彼女は失敗の度に「んっ……」と、吐息を漏らして、もどかしそうに腰をくねらせる。身を捩る彼女とそれと連動してわずかに揺れるスカート。


 このままではいつまで経ってもスプーンを拾い上げることはできない。彼女は一度、スプーンから顔を上げると、俺を見上げた。そして、恥じらうように頬を染めると虚ろな瞳で俺をじっと見つめたまま、唇の間から小さな舌を出す。


 おいおい鈴音ちゃん……嘘だろ……まさか……。


 俺の悪い予感は見事に的中した。彼女はあろうことか、舌を出したまま再びスプーンに顔を寄せると、舌をスプーンに触れた。


 舌先を使ってスプーンを拾い上げようとする彼女は何度か失敗を繰り返したが、ようやくうまくスプーンを救い上げると、そのままスプーンを咥えて顔を上げた。


「…………」


 彼女を見下ろす俺。そして、彼女はスプーンを拾い上げた喜びと興奮に恍惚としている。


 俺は震える手で彼女からスプーンを受け取った。スプーンには彼女の唾液がわずかに付着していて……もうエロい以外の言葉が見つからない。


「せ、先輩……」


 鈴音ちゃんが俺を呼んだ。俺は何も答えらずに彼女を眺めていると、彼女は頬を真っ赤にしたままわずかに笑みを浮かべた。


 そして、


「せ、先輩……私を褒めてください……」


 ピコーンっ!! と頭の中で音がする。


 俺は変態トロフィー『年下の女の子を召使扱いして喜ぶ』を手に入れた。

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