第二十一話 貧乏少女のささやかな楽しみ
結局、碧山はバイト先に病欠の連絡をしてから、しばらく保健室で眠った。熱も38度あり、かなりつらかったのだろう。彼女が額に汗を浮かべながら「んんっ……」とやらしい吐息を漏らすものだから、煩悩大仏がアップを開始し始める。
おい、やめろ……俺は今マザーテレサよりも穢れなき気持ちで彼女を見守っていたいんだ。はい、おメメチャックね。保健室では大人しくしていましょうね。
ほんと俺の性癖って元気……。
が、なんとか大仏の開眼を阻止しながら待つこと二時間、彼女は目を覚ました。彼女は「そろそろ帰らなきゃ」と言って重い体を引きずるようにして保健室を出ていくので、さすがに心配になった俺は彼女の後をついていくことにした。少し眠ったのが幸いしたのか、校門を出てしばらくの間は何とか一人で歩いていた彼女だったが、歩くペースは徐々に落ちていき、ついには足を止めて荒い息を繰り返す。
「本当に大丈夫か? 家族に迎えに来てもらったほうがいいんじゃ……」
と、彼女を心配する俺だが、彼女は相変わらず苦しそうに微笑むと「ううん、だ、大丈夫……はぁ……はぁ……」と弱々しい力こぶを作ってみせる。
いや、全然大丈夫そうに見えねえよ……。
「それにお母さんはまだ仕事中だろうし……」
彼女がそう言ったとき、俺の記憶の扉が開く。そうだ。彼女の家はそうだった。しばらく彼女と交流をしていなかったせいですっかり忘れていた。
彼女の家は母親しかいない。その理由は知らないがそうだったはずだ。彼女の母親は家族を養うために毎日夜遅くまで働いているのだ。もちろん娘の一大事となれば優しい彼女の母親は仕事を放り出してでも彼女を迎えに来るだろうが、碧山がそれを躊躇う理由はなんとなくわかる。
「大丈夫だよ。休憩しながら歩けば何とか帰れるよ」
「だけど」
「それに金衛は執筆も残ってるでしょ? 頑張って面白い作品書いてね」
どうやら彼女は俺に対して申し訳なさを抱いているようだった。どうも彼女は他人に迷惑を掛けるのが好きではないらしい。
が、少なくとも今の俺は『そっか。じゃあ頑張って帰ってね。俺は今から帰って執筆するから』と口にできるほど肝っ玉は据わっていない。
となると彼女を助けるしかない。
「おい、碧山」
覚悟を決めた俺は彼女に背中を向けてその場にしゃがみ込んだ。
「か、金衛……どうしたの?」
碧山は少し動揺したように首を傾げる。そんな彼女に「背中に乗れ」と言うと彼女は少し驚いたように目を丸くさせる。
「乗れって……おんぶってこと?」
「そうだよ。おんぶだよ」
「お、おんぶって私が金衛におんぶしてもらうってこと?」
「それ以外に何があるんだよ。さすがにこの後倒れられたら後味が悪すぎるからな。乗り心地は保証しないけど、歩くよりは幾分か楽なはずだ」
そう言って俺は「ほらっ」と彼女を促した。彼女は周りをきょろきょろと見渡すと恥ずかしそうに「は、恥ずかしいよぅ……」と躊躇った。
「背に腹は代えられないだろ? それにそのメガネをかけてれば誰も碧山だって気づかないよ」
と、言うと彼女は「た、確かに……」と納得した。それでも彼女は躊躇っていたが、覚悟を決めたのか「ちょっと待ってて……」と言うと左右に後ろ髪を分けると凄まじいスピードで後ろ髪を三つ編みにした。
どうやら彼女なりの変装らしい。おかげさまで彼女は懐かしい地味な女子高生へと変貌を遂げた。
これはこれで素朴で可愛い。
なんて、考えていると彼女は「は、恥ずかしいからあんまり見ないで……」と小さく呟いた。そして、彼女は俺の肩に手を回すとぎゅっと後ろから抱きしめるように俺に体を密着させた。
ぬおっ!!
その直後、俺の中の何か(大仏)が目を覚ましそうになる。
いかんぞ。これはいかんぞ竜太郎。ここはなんかキザな感じでイケてたじゃん? なんだかんだ言いつつも、かっこいい感じのキャラ出せてたじゃん?
大仏のせいで全部台無しになりそうなんだけど。
大仏に失望しつつも彼女の太ももに腕を回して立ち上がる。
「お、重かったら言ってね……」
これは性なのかもしれないが、女の子というのは自分の体重を気にする生き物らしい。が、碧山は重くない。それよりも頭に乗っている大仏が重い。
とりあえず記憶を頼りに俺は碧山の家へと向かって歩き始めた。幸いというかなんというか、周りに生徒の姿はなく俺たちが衆目に晒されることはほとんどなかった。
それにしても……。
柔らかい……。
相変わらず碧山の体は全体的に柔らかい。そんな彼女は俺におんぶされて少し体の力が抜けたのか、俺の肩に顎を乗せたまま「はぁ……はぁ……」と荒い息を繰り返している。そんな彼女の息が時折耳たぶにかかって力が抜けそうになる。そして、その度に開眼しそうになる煩悩大仏。彼女の汗まみれのブラウスの感触をうなじのあたりに感じるが不思議と不快感はなかった。
そして大仏の瞼ピクピク。
彼女を運ぶこと自体はなんら肉体的苦痛はないのだけど、なんというか修行僧のような感覚になるのが不思議だ。翔太が悟りを開いた理由が少しわかる気がする。
※ ※ ※
結局、俺は何とか彼女を背負ったまま自宅へとたどり着くことができた。その間に無事大仏は開眼してご満悦なご様子だ。
目の前のトタン屋根のお世辞でも綺麗とは言えないアパートの前で彼女を下ろすと、彼女は熱のせいなのかおんぶされた羞恥心なのか、頬を真っ赤にして俺に頭を下げた。
「あ、ありがとう……」
「今日はゆっくり寝ろよ」
「え? あ……うん……」
と、そんな俺の言葉に曖昧な返事をする碧山。
「もしかして寝れない理由でもあるのか?」
そう尋ねると彼女は苦笑いを浮かべた。
「ほ、ほら、私これから夕食作らなきゃだし……」
「は、はあ? 夕食もお前が作ってるのか?」
「うん……だってお母さんは遅くまで帰ってこないし、みんなお腹空いちゃうから……」
どうやら碧山はアルバイトのみならず、家事全般を一人で担っているようだ。
「お前って、いったいいつ小説を書いてるんだよ……」
「家事が終わって妹を寝かしつけてからだから……深夜かな……」
なんというハードスケジュール。しかもこいつは最近、俺に対抗して二話投稿をし始めているのだ。そりゃ熱を出してぶっ倒れるのも無理もない。
「おいおい、さすがにそこまでして書かなくても……」
本気で心配になってきた俺がそう言うが彼女は静かに首を横に振る。
「だって小説を書くのが私の唯一の楽しみだから……。それに少しだけど、あのサイトお金も貰えるし。もうすぐ妹が誕生日だからプレゼント買ってあげるって約束してるんだ……」
と、嬉しそうにそんなこと言う碧山。
なんだろう。彼女が良い子すぎて泣けてくる。
なんと健気な少女なのだろうか。俺が変態をやっている間、彼女は家族のために汗水流して働いているのだ。いや、もちろん俺だって真剣に小説のために変態をやっているつもりだけど、なんか凄い後ろめたい気持ちになってくる。
俺が鈴音ちゃんに紐飴を舐めさせている間に彼女は猫カフェで働き、俺が変態トロフィーの選別を行っている間に彼女は妹や母親の夕食を作っている。
あ、やばい……言葉にできないけど……俺、やばいわ……。
なんだか碧山が眩しすぎて見てられない。
俺は「と、とにかくお大事にな」と逃げるようにその場を後にしようとするが、そんな俺を碧山は「か、金衛……」と呼び止めた。
振り返ると彼女は相変わらず苦しそうに笑みを浮かべると「こんなことでお礼になるかどうかはわからないけど、お茶でも飲んで行って」とアパートを指さした。
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