第三話 水無月サファリパーク出張版
結局、何がなんだかわからないまま俺へのご褒美パーティは終わった。結局、翔太とマフィアは宴が終わるまで目を覚ますことはなく、俺の頭の中は原稿のやり直しという言葉でいっぱいだった。
そして数日後。
「こ、ここか……」
とある都心部のオフィス街、スマホの地図を頼りにここまでやってきた俺は目の前のオフィスを見上げた。
『川村ビル』
そのビルの入り口にはそう書かれてある。どうやらここで合っているようだ。
俺がやって来たのはびじょびじょ文庫を発行しているイタリア書店のオフィスビル。
やって来た理由はもちろん『親友の妹をNTR』の書籍化の打ち合わせだ。ビルに入り受付らしき人に事情を説明すると、エレベーターの前で待っていてくれと言われたので大人しく待つことにした。
そして待つこと五分。
チンという昔ながらの音ともにエレベーターが開き、中から見慣れたこわもてのマフィアが姿を現す。名刺を貰ってはいたが、どうやら本当にマフィアはここの編集長だったようだ。
「こ、こんにちは……」
と俺が脚をがくがく震わせながら挨拶をするとマフィアはささっと俺のもとへと駆け寄り、俺の耳元に唇を寄せる。
そんなマフィアに俺は鈴音母同様に耳たぶを甘噛みされるかと身構えたが、そんなことはなかった。
「この間の、我が家での話は絶対にオフィスでするなよ……」
と、マフィアはそう囁いて俺を恫喝してきた。
どうやら自宅では手足をしばられてお預けプレイをされていることは、会社では秘密にしているようだ。
「も、もちろんです……」
と、震える声で答えるとマフィアは安心したのか、俺の背中をポンポンと叩いてエレベーターへと促した。そしてそのまま7階へと上がると、そこにはテレビドラマなんかで見たことがある絵に描いたような編集部の風景が広がっていた。
これが本物の編集部か……。
なんて一人感動するのも束の間、マフィアは再び背中をポンポンと叩き、俺を編集部の奥へと連行していく。奥へとやってきた俺は応接間のような部屋に通された。
「コーヒーは飲めるか?」
入室早々そう尋ねられ「はい……」とコーヒーが飲めないにも関わらず二つ返事をすると、マフィアは部屋を出ていった。
が、それも束の間、
「こののんく~んっ!!」
と、応接間に明るい声が響き渡るとともに俺は背後から誰かに抱きしめられた。この明るいトーンの声と、背中に感じるどデカいマシュマロの感触。
間違いない。
「お、お母さまっ!?」
鈴音母は俺の肩に顎を乗せたままにこにこしている。
「あら、お母さまなんてなかなか攻めた呼び方してくれるじゃないっ!?」
「い、いや、それは……」
「いいのよ? 私のことはどんな呼び方をしてくれても。でも、おすすめは……ママかな?」
と、ところかまわずいつも通りの鈴音母。
「ってか、なんでここにいるんですか?」
「だって私、こののんくんの作品のイラスト描くことになったし。それとも私がいちゃ……いや?」
と、わざとらしく寂しそうな顔をする鈴音母。
可愛い……あざといが可愛いのが悔しい……。
などと、まるで水無月家の中にいるようなやりとりをしていると、不意に応接間の扉の開く音がした。
そして、
「ぬ、ぬおおおおおおおっ!!」
振り返るとコーヒーカップの乗ったお盆をブルブルと震わせながら、目を大きく見開くマフィアの姿があった。
おいおいなんかよからぬ連鎖反応が起きてるぞ……。
オフィスすら自分のフィールドに変えてしまう夫婦の存在に唖然としているとマフィアは「な、なんてことだ……なんてことだ……」と呟きながらこちらへと歩いてきた。
「こののん先生、それにママもとりあえずソファに腰を下ろしたまえ……」
と、マフィアがギリギリのところで自制心をたもって俺たちに着席を促すので「し、失礼します……」と断りを入れてソファに腰を下ろすと、何故か鈴音母も俺に体を密着させるように腰を下ろした。
俺に体をぴったりとくっつけて座りながら足を組む鈴音母。彼女のスーツスカートからは真っ白い脚が伸びており、ブラウスは第一、第二ボタンが外され谷間が俺から丸見えである。
見てはダメだとわかっていてもそのあまりにも魅力に満ちた身体に目がいっていると鈴音母は「クスっ……」と笑う。
「もしかして興奮しちゃった?」
「い、いや、そんなことは……」
と、慌てて視線を逸らす。そして、向かいのソファに座るマフィアは「はぁ……はぁ……」と息を荒げつつもなんとか自制心をたもちながらコーヒーに口を付ける。
が、手がブルブルと震えておりほとんどがぴちゃぴちゃとテーブルにコーヒーが落下する。
このおっさん職場に私情を持ち込むってレベルじゃねえぞ……。
あとどうでもいいけど、このマフィアは今、怒ってるのか? 喜んでるのか?
マフィアはカップをテーブルに置くと「知っているとは思うが、私はびじょびじょ文庫の編集長、水無月翔一だ」と自己紹介をした。そして、今度は鈴音母に手を差し出す。
「そして、そちらに座っておられるのがイラスト担当のみゅうみゅう先生だ」
おいおいこの人みゅうみゅうって名前なのかよ……。
「みゅうみゅうです。こののん先生、気軽にママって呼んでねっ♡」
いやみゅうみゅうはどこに行った。
「よ、よろしくお願いします……」
とりあえずここは社会人として行儀正しく頭を下げておく。が、すぐに「こののんくんったら、そんなに緊張しなくてもいいのよ? ほら、もっと肩の力を抜いて」と俺の肩を揉み始めるものだからまたマフィアの発作が再発する。
「ぬおおおおおおおおおおっ!!」
やべえ、全然打ち合わせが進む気がしねえ……。
「だ、大丈夫です。それよりも打ち合わせを……」
と言うと鈴音母は少し寂しそうな顔をして「そう? もう少し家族団らんを楽しみたかったのに」と俺の肩から手を放した。
いつ俺が水無月家に仲間入りしたんですかね……。
「と、と、とにかくだ。みゅうみゅう先生が前回の打ち合わせでおっしゃってたようにこののん先生には物語を一から組み立て直してほしいと思っている」
と、そこでマフィアがようやく本題を口にする。
あとどうでもいいけど、この間のあれは打ち合わせだったのか……。
「は、はい、うかがっています。で、ですが、ウェブに上がっている内容ではマズいのでしょうか?」
「ああダメだ。全然ダメだ。確かにウェブであれだけのポイントを稼いだのは称賛に値するが、このままでは書籍化は厳しいな」
と、マフィア。まあなんとなくウェブ版をそのまま本にするわけではないとは思っていたけど、まさかここまで徹底的に否定されるとさすがにショックは大きい。
「具体的に何がマズかったんですか?」
「愛だよ」
いや、頭イッてんのか? このおっさん……。
「は、はあ……」
「お前はこの小説のハルカは鈴音をモデルにして小説を書いているようだな?」
「え? は、はい……そうですが……」
「じゃあ鈴音をモデルに官能小説を書いていると言ってくれ」
「はあ?」
いや、なんで口に出して言う必要があるんだよ……。ってか鈴音ちゃんにもこの間おんなじこと言われたし、鈴音ちゃんはとんでもないところで親父の遺伝子を受け継いでやがる。
「おい、聞こえなかったか? 鈴音をモデルに官能小説を書いていると言ってくれ」
「そ、それは……」
「こののんくん、それははっきりしておかないと話が進まないわ」
いや、進むだろ……。
が、多分こいつらは俺が口にしない限り、話を進めるつもりはないな。
「そ、その……す、鈴音さんをモデルに官能小説を書かせていただきました……」
「ぬおおおおおおおおおおおおおおっ!!」
予想はしていたけど、ただ俺の口からその言葉を聞きたかっただけらしい……。
もうやだ……俺、家に帰りたい……。
それからマフィアはしばらく一人乱れ狂い、一分ほど経ってようやく呼吸を整えた。
「と、ところでさっきの愛についてもう少し具体的にうかがえますか?」
「そ、そうだったな……。ならば再びきみに尋ねよう。この『親友の妹をNTR』の主人公はきみの自己投影だと思ってくれていいのかね?」
「ま、まあ……そういう側面もあると思います」
「そんな曖昧な言い方ではわからな――」
「ああもう、わかりましたよっ!! この小説の主人公のモデルは僕で、ヒロインは鈴音さんです。これでご満足いただけたでしょうか?」
「ぬおおっ――」
「パパ、話が進まないわ」
と、再び発狂しかけたマフィアをなんとか鈴音母が止めてくれた。
「す、すまない……ならば、その上で言わせてもらおう。この小説は確かによくできているし、ウェブでこれだけのポイントを稼いだことにも頷ける。だけど……だけどだ、俺はこの主人公から鈴音への……じゃなかったハルカへの愛を感じなかった」
「は、はあ……」
「単刀直入に聞こう。きみは鈴音のことをどう思っている」
「いや、それと小説とは関係ないでしょ」
「この主人公はどこかハルカの気持ちから逃げている節がある。もしもこれがきみの自己投影だとしたらきみの鈴音への気持ちが主人公に憑依してしまっているのかと思ったのだ」
と、マフィアは愛だと言った理由を語った。
これだけ発狂しておいて意外にもまっとうな指摘をされてしまい俺はやや面喰ってしまう。
もちろん俺は鈴音ちゃんが……好きだ。だけど、どこか彼女に対して向き合えていない自分がいることも否定できなかった。
「まあ急いで出す答えではないだろう。ゆっくりそのことを考えてプロットを練り直してほしい、この主人公にとってハルカが単なる道具にならないように気をつけてくれ。読者は意外とわかるもんだぞ……」
「…………」
さっきまで出張版水無月サファリパークのようになっていた応接間が一瞬、静まり返った。が、鈴音母はそんな沈黙を嫌うように「まあ、堅苦しい話はおいといてっ!!」とブリーフケースから数枚の紙を取り出して俺に差し出した。
「ねえねえ、こののんくん見て見て。これ、こののんくんの創作の役に立つかしら?」
「え? …………なっ!?」
紙に目を落として俺は絶句する。そこにはあまりにも過激な俺と鈴音ちゃんによく似た壇上の情事が描かれていたからだ。
「っ…………」
「よく描けてるでしょ? 二人のこと想像して描いちゃった」
描いちゃった……じゃねえよ。よく娘を想像してこんなとんでもねえ絵がかけるなっ!!
「こののんくん、これ持って帰って創作に役立てて?」
「いや、これは……」
と、そこで鈴音母は俺の耳元に唇を寄せる。
そして……
「三枚目の女の子は私がモデルよ……」
と、爆弾発言を残すと「じゃあこののん先生、頑張ってね」と応接間を出て行ってしまった。
その直後「ぬおおおおおおおおっ!!」と、マフィアの雄たけびがこだましたが俺の耳にはあまり入ってこなかった……。
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