第十四話 至福の時

 恐ろしいことに、彼女と変態ごっこをしてからというもの、自分でも信じられないほどに執筆が捗った。さっきまで女の子をイジメるなんてもってのほかだと思っていたのに、秀太が心に乗り移った俺は、鈴音ちゃ――もといハルカをイジメたくてしかたがない。


 が、連載の都合上、ありとあらゆる妄想を三千文字という限られた文字数に抑えてなんとか最新話を書き切った。


 そして、鈴音ちゃんはそんな俺の小説を絶賛してくれた。


「せ、先輩……こ、これ凄いです……」


 と、彼女は頬を染めて体をもぞもぞさせながら、気恥ずかしそうにそう感想を述べる。それを見て俺はホッとした……。


 となるのとやっぱり俺が期待するのは……ご褒美のあれだ……。


 だが、そんなことを口にする度胸は俺にはないので、彼女が言い出すのを待つしかない。


 そして、そんな俺の気持ちは表情となって彼女に伝わってしまったようだ。鈴音ちゃんは俺の顔を見ると恥ずかしそうに俺から顔を背ける。


「…………」

「…………」


 沈黙が自室を覆う。が、俺は恥ずかしくて『俺をなでなでしてくれ』なんて口が裂けても言えそうにない。


 やばいぞ……このままだと一向に何も進まない……。


「せ、先輩……」


 と、そこで彼女が俺を呼ぶ。


「ど、どうしたの?」


 あれか? ついにあれをしてもらえるのか?


 期待に胸を膨らませつつも、あくまで平静を装いながらそう尋ねる。すると、彼女は相変わらず頬を真っ赤にして俺から顔を背けながらこんなことを口にした。


「せ、先輩はその……わ、私に何をしてもらいたいですか?」

「え? ええ?」


 そんな質問に、俺は愕然とする。


 い、いやっ!! そんなもん決まってるじゃねえか。鈴音ちゃんに頭に手を乗せられてなでなでされたいんだよ。『よくがんばりましたね先輩。よしよし』って言われたい以外に俺にどんな願望があるんだよっ!!


「あ、あれだよ……さっき約束した……あれ……」


 と、俺は頬が熱くなるのを感じながら、そう答えるが彼女は俺から顔を背けたままだ。


「ご、ごめんなさい……そ、その……わ、私先輩との約束がなんなのか……わ、忘れてしまいました……」

「っ……」


 と、そこで俺は鈴音ちゃんの頭上に乗ったどデカいトロフィーの存在に気づく。


『年上の男の子を焦らして喜ぶ』


「わ、私……先輩の口から何がしてほしいのか聞きたいです……」


 と、少し呼吸を荒げながらそんなことを言う鈴音ちゃん。


「そ、それはその……あれだよ!! あれ……」


 ああやばい泣きそう……。もうご褒美が目の前に迫っているというのに、彼女の悪戯心が俺のご褒美を阻む。


 そんな彼女に眺められながら俺は感じた。


 いや、この表現は少し語弊があるな。まるで俺が変態みたいだ。言い換えよう。


 彼女に眺められながら俺は思った。


 もしかしてだけど……俺は気づかないうちに、鈴音ちゃんにあらゆる主導権を握られつつあるんじゃねえか?


 彼女にスプーンを拾わせていた時だってそうだ。彼女は俺の命令に従っているように見えたし、俺だって彼女を支配する欲望を満たしていた。だけど、実際には俺はS的性癖を彼女から自由自在に引き出されていただけで、何も自発的に動いちゃいない。


 あくまで俺は彼女に踊らされているだけなのだ。


 やばいぞ竜太郎。このままだとお前は彼女の操り人形だぞ。


 彼女は年下の女の子だ。にもかかわらず先輩である俺はお預けを食らってこんなにも情けない姿を晒している。


 お前、本当にそれでいいのか?


「…………」


 俺は自問した。そして、心を鬼にして一つの決断をする。


 それでいいっ!!


 俺はそれでいいっ!! いや、それがいいっ!!


 悔しいよ……確かに悔しい。こんな年下の女の子に主導権を全て持っていかれて悔しいに決まっている。だけど悔しいけど……嬉しいんだよ。


「せ、先輩……」


 と、そこで彼女はようやく俺へと顔を向ける。


「わ、私……先輩の口から聞きたいです……。わ、私に何をして欲しいのか……先輩の口から聞きたいです……」


 ああ、すげえ焦らされてる……。


 彼女は興奮が抑えきれないのか、頬を真っ赤にしたまま胸を手で押さえて荒れた呼吸を抑えている。


「ご、ごめんなさい……わ、私……酷いことをしている自覚はあります……。で、ですが……せ、先輩の顔を見ているとその……意地悪がしたくなってしまって……」


 彼女は相反する二つの思いに苦しんでいるようだった。


 俺のことを今すぐにでもなでなでしたい……だけど、そんな俺に意地悪がしたい。


 その変態と変態のサンドイッチになった彼女は苦しさに悶えていた。


 苦しそう……だけど嬉しそう……。


「せ、先輩……意地悪な私を許してください……」


 今にも泣き出しそうな目で俺に謝る鈴音ちゃん。


「俺はその……鈴音ちゃんから……」


 声を絞り出すように俺はお願いをする。熱い……頬が熱い……や、やばい血管が切れてぶっ倒れそうなほどに恥ずかしい。


 そんな俺を鈴音ちゃんもまた覚悟を決めてじっと待っている。


 だから、俺は逃げないっ!!


「俺は、鈴音ちゃんになでなでされたいっ!!」


 そんな声が夕方の自室に響き渡った。その声の大きさに彼女はビクッと身体を震わせる。


 俺はそう叫んで彼女を見つめる……。


 沈黙が室内を覆う……。


 そんな室内で彼女は俺を黙って見つめていた。


 が、不意に怪訝そうな表情を浮かべる。


 え?


「せ、先輩は……と、年下の女の子にそんなことをされて喜ぶ人なんですか?」


 彼女の方が一枚上手だった。


 ぬおおおおおおっ!! 俺はなんて恥ずかしいことを口にしてるんだあああああっ!!


 ああ、死にたい死にたい死にたい死にたいっ!!


 だれか俺を殺してくれ。このとんでもない変態高校生を今すぐ殺してくれえええ。


 きっと鈴音ちゃんは素直に話せば喜んでなでなでに応じてくれると思っていた。


 そう高を括っていた。


 が、彼女はそんな俺をまるで変態を見るような軽蔑の目で見つめた。そんな彼女の表情を見た瞬間、俺の羞恥心が爆発した。


俺は床に頭を擦りつけながら自分の変態発言を後悔する。


 が、そんな時だった。


 蹲る俺の頭にポンと誰かが手を置いた。


 え?


「せ、先輩、その……な、なでなでされて嬉しいですか?」


 震える声で、鈴音ちゃんは俺に言った。


「そ、それはその……」


 嬉しい……嬉しいに決まっている。だけど、今の今まで羞恥心に悶えていた俺はそんなことを口にできない。


「わ、私はその……う、うれしいです……先輩のことをなでなでできて嬉しいです……」


 彼女は恥ずかしそうに……それでいて嬉しそうにそう呟いた。


「お、俺はその……」

「せ、先輩……ご、ごめんなさい……先輩の苦しむ顔があまりにも可愛くて、つい意地悪がしたくなってしまいました……」

「鈴音ちゃん……」


 彼女の手はどこまでも優しく俺の頭を撫でる。その包まれるような感触に俺の心がすーっと落ち着いてくる。


「せ、先輩は今日一日よく頑張りましたね……えらいえらい」


 俺は彼女に身を委ねることにした。


 どこまでも優しい手の感触と、年下の女の子に頭をなでなでされる背徳感が絶妙に混じり合い、俺の心を幸福で満たしていく。


 あ、俺……やっぱり変態だ……。


 俺は彼女の顔を見ようと、頭を上げようとした。


 が、


「だ、ダメです……か、顔は上げないでください。そ、その……スカートの中が見えちゃいます……」


 顔を上げなくても彼女が頬を真っ赤にしてそんなことを言っているのが手に取るようにわかった。


 俺は頭を上げたい感情をぐっと押し殺した。


 それに今日も目的は彼女になでなでされることだ。それはもう達成されたのだ。欲張るよりも今は手に入れた至福の時間を楽しもうと思った。


 彼女は俺への意地悪の埋め合わせなのだろう、いつまでもいつまでも俺の頭を撫で続けてくれていた。

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