第十五話 圧倒的ラスボス感……

 よくよく考えてみれば、俺と翔太の付き合いは五年近くになるというのに、翔太の家にお邪魔したことがないということに俺は今日気がついた。


 今になって考えてみれば、翔太と二人で遊ぶときは決まって外か俺の家に来るかの二択だったし、何度か翔太の家に行くみたいな話をしたときは、何かにつけて断られていたような気がする。


 まあ、俺は遊ぶ場所なんてどこでもよかったし、特に翔太の家に行きたいという願望もなかったから、そんなこと意識もしてこなかったけど、今考えてみると確かに行ったことがない。


 なんで俺がそんな話をするかというと、それは今日の三時間目の後の休み時間に遡る。


「あ、あの……せ、先輩っ」


 教室を移動する途中に、たまたま鈴音ちゃんとすれ違った俺は、彼女から呼び止められた。


 彼女が学校で俺に話しかけるなんて珍しい。そんなことを考えながら振り返ると、彼女は胸に音楽の教科書を抱えながらこちらへと駆け寄ってくる。彼女の歩調に合わせてハルカちゃん丈のスカートがゆらゆらと揺れる。


 俺の前までやってきた彼女は周りの生徒の視線を気にするように、一度辺りを見渡すと、俺の耳元に唇を寄せた。


「せ、先輩その……お話が……」


 そんな彼女の吐息のような囁きが鼓膜を震わせて身震いしそうになった。


「ど、どうかしたの?」

「そ、それは……その……」


 と、俺を呼んでおいて彼女はそこで何やら言いよどんだ。彼女が耳元で囁いているせいで、俺には彼女の表情は見えないが、彼女の声の震え具合からきっと顔が真っ赤なのは理解できた。


 だから、俺は身構えた。


 おやおや鈴音ちゃん。きみは公衆の面前で一体何を言い出すつもりだい?


「きょ、今日の放課後……わ、私の家に来ませんか?」


 彼女が口にしたのはそんな言葉だった。


 あ、あれ? 普通だぞ……。


 いや、普通に考えて鈴音ちゃんに家に誘われるのはとんでもないことなんだけど『わ、私……今日……履いてないんです……』ぐらいの覚悟をしていたので、拍子抜けしてしまった……。


 ということで、俺は鈴音ちゃんの家に招かれることになり、その時に彼女の家、つまりは翔太の家を訪れるのが初めてだということに気がついた。


 というわけで放課後、彼女と自宅近くの公園で落ち合った俺は、二人で彼女の家へと向かったのだが……俺は気がかりなことがあった。


「翔太にバレたらまずくないか?」


 何せあのシスコン野郎のことだ。俺が彼女の家に訪れたなんて知ったら、明日駅のホームから突き落とされたとしても驚かん……。


 が、心配する俺に鈴音ちゃんはクスリと笑う。


「あ、安心してください……お兄ちゃんは今日予備校なので、夜まで帰ってきません」

「なるほど……」


 その辺りの抜かりはないようだ。

 と、そこで足を止める。


「こ、ここです……」


 そう言って彼女が指さしたのは極々一般的な一軒家。


 そういや翔太ってこんな家に住んでたっけ? うっすらとした記憶を蘇らせながら一軒家を見上げていると、鈴音ちゃんは門を開けて俺を手招きしたのて、俺ものこのこついていく。


 彼女はカバンから猫のキーホルダーのついた鍵を取り出すと、ドアの鍵を開けた。


 そこに現れたのは、これまた極々一般的な一軒家の玄関。


「た、ただいま……」


 そう言って家に入る鈴音ちゃん。


 なんというか……他人の家に入るのは妙に緊張する。自分の家とは違う独特の匂いを感じながら家にお邪魔すると、そこには見覚えのないスーツ姿の綺麗なおねえさんの姿があった。


 だ、誰だこの綺麗なおねえさんは……。


 そのスーツのおねえさんはどこかに出かけようとしているのだろうか、イヤリングをつけていたが、俺の姿に気がつき「あら?」とこちらを向いて首を傾げた。


「鈴音ちゃんが男の子を連れてくるなんてめずらしいわね」


 と、笑みを浮かべるおねえさん。


 美人だ……。


 そして、その笑顔はあまりにも鈴音ちゃんの笑顔とよく似ていた。


 鈴音ちゃんの……お姉さん?


 ん? でも待てよ……鈴音ちゃん……というか翔太にお姉さんがいるなんて話は聞いたことがないぞ?


「こ、この方がその……前に話した先輩だよ」


 と、首を傾げる俺をおいて、鈴音ちゃんがお姉さんに俺を紹介した。


 お姉さんはしばらく首を傾げていたが「ああ〜っ!!」と何かに思い当たったかのように目を見開いた。


「もしかして、あなたがこののん先生?」

「え? あ、ああそうです……」


 あまりに自然にお姉さんがそう尋ねるものだから、とっさにそう答えた。


 ん? ちょっと待てよ……なんで、この人俺のペンネーム知ってんだ……っておいっ‼︎


 おい、なんで知ってんだよっ‼︎


「ちょ、ちょっと待ってくださいっ!!」

「あら? どうかしたかしら?」


 いやいや、逆になんで、そんな普通の顔ができるんですかっ⁉︎


 なんでだ? なんで彼女が俺の官能小説家としての名義を知っているんだ。俺が玄関で一人青ざめた顔をしていると「せ、先輩……」と鈴音ちゃんが俺を呼ぶ。


「せ、先輩……その……すみません……」


 と、鈴音ちゃんが俺に深々と頭を下げる。


 え? これ、どういう状況?


「す、数日前にうっかりソファで先輩の小説を表示したまま眠ってしまって……その、小説をママに見られちゃったんです……。そ、それで私、恥ずかしくなって、つ、つい先輩の小説だから応援するために読んだって言い訳しちゃって……」


 お、鈴音ちゃんは申し訳なさそうに事情を説明する。


 なるほど……と、俺は納得しかけそうになった。が、彼女の言葉にとんでもないワードが含まれていることに気がつき目を見開く。


「鈴音ちゃん……今、ママって聞こえたんだけど……」

「は、はい……言いましたが……」


 おいおいちょっと待て……嘘だろ。おいっ!!


 我が目を疑った。ちょっと待て……ママってなんだよ鈴音ちゃん。


 俺は女性を見やった。女性は相変わらずにこにこと微笑みながら、俺と鈴音ちゃんを交互に見やっていた。そのグラマラスな女性は何をどう見ても二十代にしか見えない。


「す、鈴音ちゃん、聞いてもいい?」

「は、はい……」

「鈴音ちゃんってお姉さんのことママって呼ぶの?」

「わ、私……お姉ちゃんはいませんが……」

「ほう……じゃ、じゃあこの人はきみのなんなんだい?」

「は、母ですが……あ、あれ……先輩……会ったことありませんでしたっけ?」

「い、いや……ないけど……」


 と、さも当たり前のようにそう答える鈴音ちゃん。


 や、やばい……ここの家に入ってから色々と情報量が多すぎて頭がついてこない……。 

 と、そこで鈴音ちゃんのお姉さん改め鈴音母はクスッと笑うと、俺の元へと歩み寄ってくる。そして、玄関よりも一段高い廊下で膝に手をつくと、顔を突き出して俺をまじまじと眺めた。


「小説、読ましてもらったわよ。こののん先生っ」

「え? は、はあっ!?」


 ああ、だめだ頭が追いつかん……。


 よ、読んだってなんすか……。読んだって……。


「こんなに純朴そうな男の子が頭の中であんなにエッチな妄想してるなんて……クスッ……やっぱり男の子って、みんなそうなのね」


 そう言って鈴音母は俺の頬を指先でつついた。


 あ、やばい……変態トロフィー出ちゃいそう……。


 そんな大人の女性からの母性本能ドバドバツンツン攻撃を食らって昇天しそうになっていると、彼女は不意に悪戯な笑みを浮かべた。


「あのハルカちゃんって女の子……鈴音ちゃんでしょ」

「え? い、いや……それはその……」


 いや、答えられるわけねえだろ。

 はい、あなたの娘をモデルに官能小説書いてますとか言える度胸があるなら俺はもっと大物になってるさ。


「す、すみません……俺、今ここで死んだ方がいいでしょうか?」


 が、そんな俺の自殺宣言に鈴音母は首を傾げる。


「どうして謝るの?」

「いや、だって……」


 あんたの娘と息子を小説で近親相姦させてんだぞ?


「別に本名を使っているわけでもないんだし、いいんじゃない? そりゃそうよね。鈴音ちゃんは可愛いものね。私が官能小説家だったとしても真っ先に鈴音ちゃんをモデルにするわね」

「は、はぁ……」


 自分の娘を引き合いに出して何を言ってるんだい? お母さん。


 その鈴音ちゃんを超えるとんでもない変態性を持つ鈴音母に、俺は開いた口がふさがらない。


 が、鈴音母の口撃は終わらない。


「ねえ、次の作品はおばさんをモデルにするのはどう? ほら、私って不倫してそうな雰囲気あるでしょ? 熟女を襲う娘の担任なんてのはどう? クスクスっ……」


 いや、全然笑えないですよ?


 ダメだ……これはダメなやつだ。


 もしかして今俺、この年上痴女、いや美女から言葉責めされてる?


 トロフィーいっぱい出ちゃいそうなんだけど……。


 完全に言葉を失い、冷や汗をかくことしかできない俺の頭を撫でる鈴音母。


 そんな彼女に俺は思う。


 なんだこの圧倒的ラスボス感は……。


 こ、この人あれだ……序盤は親切な人として登場して、最後の最後で圧倒的な力で主人公をねじ伏せてくるタイプのラスボスだ……。


 そんでもって、この人が間違いなく鈴音ちゃんの母親だと確信できる。


 どうやら鈴音ちゃんの変態性はこの人譲りらしい。


 彼女は完全に鈴音ちゃんの変態上位互換。まだ会って数分も経ってないけど、俺にはわかる……。多分この人には鈴音ちゃんでも歯が立たない。


「こののんくんって案外うぶなのね。可愛い……」


 そんな彼女に俺の体は完全に硬直してしまい身動きが取れない。


 が、そんな時。


「ま、ママ……あ、あんまり先輩をイジメないで……」


 鈴音ちゃんがそんな俺に助け舟を出すようにそう言った。そこで鈴音母はハッとする。


「あら、いけない……そろそろ行かなくちゃね」


 と、腕時計を見やると慌ててハイヒールに足を入れて、ドアを開けた。


 た、助かった……。


 そんな姿を見て、俺はようやくホッと胸を撫で下ろした。が、家を出ようとした鈴音母はふとこちらを振り返った。そんな彼女を呆然と眺めていると、彼女は俺に近寄ってきた。


 そして、


「鈴音ちゃんをよろしくねっ」


 そう言うとあろうことか、両手を俺の方へと伸ばすと、俺の首に腕を回して、自分の胸元へと引き寄せた。


「ふんがっ……」


 突然、頬が柔らかい感触に包まれた。


 な、なんだこの幸せな感触は……そして……デカい……。


 鈴音母は俺を胸に抱きしめたまま、よしよしと俺の頭を撫でる。


「鈴音ちゃんったら、いつもあなたの話を私にするのよ。よっぽど気に入ってるのね。こののんくん、あの子をいっぱい可愛がってあげてね」


 あ、ダメ……と、トロフィーが出ちゃう……マジでトロフィーが出ちゃうからもう勘弁してくれ……。


 結局、鈴音母は一分近く泣きそうな俺を抱きしめてから満足そうに家を出ていった。


 バタンと扉が閉まるのを見届けると、俺はようやく胸を撫で下ろして鈴音ちゃんを見やった。


 鈴音ちゃんは珍しくムッと頬を膨らませながら恨めしそうにドアを睨んでいた。


「ま、ママのバカ……」


 どうやら変態の天才を持ってしても、あのラスボスには勝てないらしい……。

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