第五話 添い寝

 結局、鈴音ちゃんのお着替えを何とか乗り越えた俺は、鈴音母と鈴音ちゃん、さらには和尚太さんの三人でカレーを食べて、水無月家をお暇した。


 あ、ちなみに俺の右手には鈴音ちゃんの制服入りの紙袋が握られています。鈴音ちゃんは綺麗に折りたたんだ制服をビニール袋に入れて、さらに紙袋に入れて外から見えないようにして渡してくれたのだ。


 普段ならば家に帰ってあとは寝るだけなのだが、そうも言っていられないのが今の俺の現状。鈴音ちゃんと毎日更新をするという約束を守るためにも、睡眠時間をぎりぎりまで削って執筆に勤しまなければ……。


 十分ほど歩いたところで自宅へと到着した。俺はドアを開け「ただいま~」と帰還を伝えると、家の奥からドタドタとけたたましい足音が聞こえてきた。そして、足音とともに現れたのは深雪だった。


 彼女は既に風呂から上がったらしく、パジャマに睡眠キャップという今時漫画でも見ないような睡眠準備万全状態で俺の前までやってきた。


「おにい、おかえりっ」


 と、元気よく俺にそういう深雪。が、そんな彼女に俺は訝しむ。


 わざわざ俺如きが帰ってきただけで深雪が玄関まで出迎えに来るか? いつもだったらリビングのソファに寝そべってドラマに夢中になっている彼女が、わざわざ玄関まで出向いてニコニコ笑みを浮かべながら俺におかえりなんて言うか?


「言っとくけど、宿題はやらないからな」


 そんな彼女の怪しさに先回りして拒否をしておくことにした。が、彼女は「え?」と首を傾げる。


 どうやら宿題のお願いではないらしい。となると金か?


 と、思考を巡らしていると深雪はまたにっこりと微笑む。


「ねえ、鈴音ちゃんとどこかでご飯してたんでしょ?」


 と、尋ねられ俺は彼女の笑顔の理由を理解した。どうやら持ち前のやじ馬根性を発揮しているらしい。


 が、情報なんかくれてやるか。


「さあな」


 と、答えると深雪はムッと不機嫌そうに頬を膨らませる。が、ふと俺の手に握られた紙袋に気づくと「わぁ……」と目を輝かせる。


「おにい、それエルフローレンの紙袋じゃんっ!! もしかして、洋服買ったの?」


 と彼女が尋ねるので俺の顔から血の気が引く。


 俺は紙袋に目を落す。鈴音ちゃんが持たせてくれたその袋には某有名ブランドのロゴが印刷されていた。どうやら、これを見た深雪が勘違いをしているらしい。


「な、なんでもないよ。ほら、あっちいけよっ!!」


 と、彼女を手で払う仕草をするが、すっかり俺の紙袋に興味を持った深雪は俺にくっついてくる。


「ねえねえ、もしかしてこれ鈴音ちゃんが選んでくれたの? だって、おにいのセンスでエルフローレンなんて買わないもんね? ってことは放課後街にデートしたのっ!? ねえねえ詳しく聞かせてよ」


 と、鈴音ちゃんの制服の入った紙袋を覗き込もうとする深雪。


 おい、やめろって……まじでやめろっ!! 洒落じゃなく心の底からやめてくださいっ!!


 死ぬっ!! こんなことがバレたら俺も鈴音ちゃんも社会的に死ぬっ!!


「ひっぱるなっ!! これは単に体操着入れてるだけだよ」

「そんな嘘に騙されないもんっ!! だって家にこんな紙袋なかったもん」

「と、とにかく買い物なんかしてないからあっち行けよっ」


 と、紙袋を覗き込む深雪の顔をぐいぐいと押して強引に引きはがす。すると、深雪はようやく体を放す。


「もうっ……そこまで強く押さなくてもいいじゃん……ちょっと冷やかしただけなのに」


 お前は冷やかしのつもりかも知れないけど、俺の目には鋭利な刃物にしか見えねえんだよ……。


 俺の頑なな拒否に深雪はまたムッとふくれっ面になる。が、またすぐに笑顔に戻ると、俺の顔を見上げる。


「でも、なんだかうまくやってるみたいだね」

「ま、まあ、それなりにはな……」

「おにい~顔がにやけてますぞ。このこの」


 と、深雪は俺の頬をつつく。


 あ、やばい……今のツンツン、ちょっと鈴音母を思い出した。


 深雪はしばらく俺の頬をツンツンしていたが、不意に少し不安げな表情を浮かべる。


「でもおにい、あんまり調子に乗って鈴音ちゃんに求めすぎちゃだめだよ。鈴音ちゃんは私なんかより何倍も初心な女の子なんだから、強引に手つないだりキスしたりしたら怖がっちゃうからね」

「お、おう……」


 俺の目には初心には見えないけどな……。


 が、深雪がそう思うのなら、そういうことにしておこう。


 俺は「あんま夜更かしするなよ」とブーメランが突き刺さりそうなセリフを深雪に言い残して自室へと引き上げた。



※ ※ ※



 自室に戻った俺は鈴音ちゃんにいっぱい出してもらった変態トロフィーの中から作品に使えそうなものを選び出して文章にしていく。いつもトロフィーを出すときは軽く恐怖を覚えるのだけど、実際に執筆となると彼女のいつもの変態行為がいかに自分の小説の糧になっているのかを思い知らされる。


 そして夜11時。


 調子よくタイピングをしていた俺だったが、ふと足元に置かれていた紙袋に目をやる。


 鈴音ちゃんの制服……。


 俺が紙袋を見やったのには理由がある。それは今まさに、主人公遼太郎がハルカの制服を脱がすシーンを執筆しているからだ。もちろん、それはさっきの鈴音ちゃんとのやりとりをモデルにしているのだけど、あの時、俺は目を瞑っていた。だから、細かい制服の構造を俺はあのとき理解できなかったのだ。


 そう、それが俺が鈴音ちゃんの制服に興味を抱いた唯一の理由で、他意はない。


 俺は震える手で紙袋を机の上に置く。


そ、そうだ竜太郎……これはあくまで小説の参考資料として素材の感触や構造を確認したいだけ。


 なのになんでだろう。紙袋からビニール袋を取り出した俺の胸は躍っている……ような気がする。


 いやいや、気のせいだ。俺はビニール袋のなかにそっと手を入れる。手に触れた生地には折り目がついている。きっとこれは鈴音ちゃんのスカートだろう。そっとスカートを引っ張り出す。


 ああ、やばい……鈴音ちゃん公認とはいえ、とてつもない犯罪の匂いがする……。


 とりあえず自分の目の前にスカートを掲げてみる。


 が、その直後、頭上にドスンと鈍い重みを感じた。


 見なくてもわかる変態トロフィーだ……。鈴音ちゃんは遠隔操作で変態トロフィーを出すことも出来るらしい……。


 JKの制服掲げてみた。


 いや、だからなんだよ……。


 が、相変わらず鈴音ちゃんのスカートには埃一つ付いていやがらない……。一日着用した後の制服だというのにさっきクリーニングから帰ってきたかと思うぐらいに皴一つ見つからない。


 俺は鈴音ちゃんのスカートを掲げながら、心の中で一つ葛藤を抱えていた。


 俺はこのスカートに顔を埋めるべきかどうか……。


 でもやったら人間として終わるような気もする……。


 いや、でも……これはあくまで官能小説の資料として、どんな匂いがするのか確かめなければならないという大義名分がある。だとしたら、これは人間をやめるどころか作家として尊ぶべき行いなのだ。


 俺はそっと、スカートを掴んだ手を自分の顔の方へと近づけていく。ひらひらと揺れる鈴音ちゃんのスカートの裾。


 そして、スカートが俺の鼻先に触れようとしたその時だった。


 コンコンと、誰かが俺の部屋をノックした。


 やっべっ!!


 俺は慌ててスカートを紙袋にぶち込む。


「ど、どうしたっ?」


 と、震える声でドアの向こう側に声を掛けると「おにい……」と深雪の声が聞こえてくる。


「なんだよ」


 と、答えながらビニール袋も紙袋にぶち込んで、そのままベッドの下に滑り込ませた。


 その直後、自室の扉が開く。


 そこに立っていたのはパジャマに睡眠キャップ姿の深雪だった。彼女は左手に細長いウサギのぬいぐるみを抱え、右手で目を擦っている。


「おにい……怖い夢見た……」


 と、鈴音は眠そうな声でそう言う。


「だったらなんなんだよ……」

「今日はおにいのベッドで寝る……」


 そう言って部屋に入ってくる深雪。


 俺はそんな深雪の姿を見てため息をつく。彼女は月に一回ほど定期的に、怖い夢を見てひとりで眠れなくなり俺の部屋へとやってくる。ちなみにこのことは恥ずかしくて母親には秘密にしているらしい。


 というわけで彼女は俺のもとへと歩み寄ってくると、俺の手を引いた。


「おにいも寝ようよ……」

「いや、一人で寝ろよ」

「やだ……怖いもん……」

「怖いっておにいもこの部屋にいるんだから怖くないだろ」

「だ、だって、寝てたら急に誰かに足を引っ張られるかもしれないし、そしたらおにいのこと巻き添えにできないじゃん」

「なら、なおのこと一人で寝ろや。俺を巻き込むな」

「お願いおにい、一緒に寝よ?」

「ったく……」


 ホント都合のいいときだけ甘えてくる可愛げのない妹だ……。


 俺はノートパソコンを見やった。いつの間にかノートパソコンの液晶にはスクリーンセーバーが表示されている。さっきはスカートのことで頭がいっぱいでパソコンを閉じるのを忘れていたが、パソコン側が気を利かせてくれたらしい。


 俺はしぶしぶ立ち上がると、深雪とともにベッドへと歩いていく。


 まあ深雪が部屋に来た時点でこれ以上執筆は無理だし、続きは通学の電車の中でやるか……。


 というわけで、俺と深雪は一緒にベッドに入る。が、深雪は「おにい、みぃちゃん踏んでる」と持ってきたウサギのぬいぐるみを俺の体の下から引き抜くと、それを自分のそばに置き、俺の腕に絡みついてきた。


「暑い、離れろ」

「やだ、怖いもん……」


 そう言って離れるどころか彼女は俺の腕を抱き枕か何かと勘違いしているのか、股の間に俺の手を挟んで、胸を俺の二の腕に押し当てるようにしてしっかりホールドする。


 なあ深雪よ。お前は兄妹だからって気を許してるのかもしれないけど、いくら兄妹でも胸を押し当てられて股に手を挟まれたら少しはドキドキするんだぞ。


 が、深雪本人は俺の部屋に来て安心したのか、瞳を閉じると完全に寝る体勢に入る。


 が、不意に片目を開けると。


「おにい目がエッチ……」


 と、俺を牽制してきた。


「どうせ鈴音ちゃんもそんな目で見てるんでしょ……」

「見てねえよ。そもそもえっちな目ってなんだよ」

「今のおにいみたいな目だよ。おにい、凄いこと教えてあげよっか?」

「凄いこと?」

「実はね、おにいと私、血繋がってないんだよ?」

「はいはい、嘘乙」


 と適当に答えると深雪は「クスっ……バレたか」と小さく微笑んでから今度こそ目を閉じて寝息を立て始めた。

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