第十二話 栄光のトロフィーは二人の変態のもとへ

『今、兄の後ろを歩きながら先生の作品を読んでいます。兄にバレるのは怖いですが、そのぶんスリリングで胸がキュンキュンしてしまいます。また後程感想を送りますね』


 感想欄には『すず』の名前でそう書かれていた。スマホから顔を上げて鈴音ちゃんを見やると、そこには顔を真っ赤にして画面を凝視する鈴音ちゃん。


 やっぱり読んでるんだ……。


 彼女は俺の視線にも気づかずにスマホの画面に夢中だった。相変わらず頬を真っ赤にしたまま、時折ビクッと身体を震わせたり「んんっ……」といやらしい吐息を漏らしたりしている。そして、口元が寂しいのか、さっきから彼女は人差し指でしきりに自分の下唇を撫でていた。


 淑女の皮を被ったとんだド変態が目の前にいた。


 自分の書いた小説を目の前で美少女に読まれて、挙句の果てにはビクビクと身体を震わされて、俺はどうにかなってしまいそうだ……。


 それからしばらく鈴音ちゃんは小説を読み続けていた。そして、不意に「ふぅ……」と小さく息を吐くと、そのままスマホをポケットにしまった。


 おやおや、鈴音ちゃん。何か大切なことをお忘れじゃないですか?


 そのまま感想を書いてくれるものだと期待した俺はずっと不安と期待を抱きながら彼女を眺めていた。が、鈴音ちゃんは特に何かを入力するそぶりもなくポケットにスマホをしまってしまった。スマホを凝視するがやっぱり通知はない。


 俺は縋るような目で鈴音ちゃんに目をやった。


 そんな俺の視線に気がついた彼女も俺を見やり一瞬、目が合うが彼女は少しバツの悪そうな顔で俺から視線を逸らした。


 それを見て俺は確信する。


 鈴音ちゃんは俺を焦らしている……。


 彼女は俺が感想を心待ちにしていることを知っていながら、あえて感想を書かずにいるのだ。彼女は相変わらず頬を真っ赤にしたまま少し荒い息を繰り返していた。


 結局、放課後を迎えるまで俺のスマホに『あなたの小説に感想が書かれました』と表示されることはなかった。



※ ※ ※



 放課後、抜け殻状態で家に帰ってきた俺はリビングのソファで横になる。


 重い……変態トロフィーが重い……。


 鈴音ちゃんの焦らしの効果は絶大だった。一時間目、二時間目、三時間目と進むごとにトロフィーはどんどんと重くなっていった。


 褒められたい……鈴音ちゃんから『よしよし』と言われながら頭を撫でられたい……。


 ただその気持ちだけが大きくなっていった。


 が、いくらスマホを眺めても通知は来ない。


 今日はもう諦めよう。諦めてせめて官能小説の中でハルカちゃんにいっぱい頭をなでなでしてもらおう。そう気持ちを切り替えた俺はノートパソコンを広げた。


 が、その時だった。室内に来客者を伝えるチャイムの音が響いた。


 誰だ? 俺は立ち上がるとインターホンへと歩み寄る。そして、液晶画面に表示された人物を見た瞬間、心臓が止まりそうなほど驚いた。


「す、鈴音ちゃんっ!?」

「そ、その声は……せ、先輩ですか?」


 何故だ? 何故鈴音ちゃんが俺の家の前に立っている?


「もしかして深雪と遊ぶ約束でもしてたの? 深雪ならまだ帰ってきてないけど……」


 そう尋ねると液晶に映った少女は首を横に振った。


「きょ、今日はその……せ、先輩に用があって来ました……」



※ ※ ※



 数分後、ノックをして自室に入ると、鈴音ちゃんはテーブルの前で行儀よく正座をして俺を待っていた。お盆を持った俺は彼女がお土産で持ってきてくれた紅茶の入ったカップを二つテーブルに置いて彼女の正面に腰を下ろす。


 それはそうと……。


 鈴音ちゃんはわざわざ俺の家に何をしに来たのだろうか……。


 彼女を見やった。彼女は何やらそわそわした様子でわずかに身を捩りながら、俺とは目線を合わせず伏し目がちで座っている。


 なんかエロい……。


 俺は彼女から頂いた紅茶を啜った。アールグレイのわずかに甘い香りが口の中に広がる。


「紅茶美味しいよ。ありがとな」


 と、お礼を言うと彼女は「よ、よろこんでいただけて、う、嬉しいです……」と声を絞り出すように答えた。


 が、なんとなく気まずい空気が室内を覆い、俺と鈴音ちゃんはただ紅茶を啜りながら時間が経過する。


 本当は今すぐにでも聞きたかった。鈴音ちゃんの小説の感想が聞きたい。が、何となくそれが聞きづらい空気が室内を覆っている。


「せ、先輩……小説の評判はどうですか?」


 と、そこで鈴音ちゃんが口を開いた。が、俺と目を合わせる様子はなく伏し目がちのままティーカップの柄の部分を人差し指でなぞっている。


 いちいち動きがエロい……。


「お、おかげさまで読者が増えたし、初めてランキングにも乗れたよ。鈴音ちゃんには感謝以外の言葉が見つかんない。ありがとう」


 現に小説の評判がいいのは鈴音ちゃんが俺の性癖を引き出してくれたおかげだ。まあ、今の俺はその副作用に苦しんでるんですけどねっ!!


「よ、よかったです……で、でも、人気が出たのはその……あくまで先輩の実力です……」


 と、謙虚に自分の功績を否定する鈴音ちゃん。

 そんな彼女を見て、俺は我慢が出来なくなる。


「で、できれば……鈴音ちゃんの感想も聞いてみたいな……」


 そう尋ねた瞬間だった。鈴音ちゃんはビクンっと体を震わせる。その動きはまるで俺から小説の感想を聞かれることに怯えているようだった。


「す、鈴音ちゃん?」

「ご、ごめなさい……わ、私はその……最新話は……」

「面白かった?」

「それはその……」


 と、何故か俺の質問にはっきりと答えない鈴音ちゃん。そんな彼女に首を傾げていると、彼女は不意に顔を上げた。そして、今にも泣きだしそうな目で俺を見つめる。


「せ、先輩……わ、私から褒められたい……ですか?」

「っ……」


 と、いきなり核心を突くような質問をする鈴音ちゃんに思わず絶句する。彼女の目にはまるで俺の頭上に乗った変態トロフィーが見えているようだった。

 動揺する俺はあえて平静を装ってぎこちない笑みを浮かべる。


「ま、まあ……誰にだって褒められるのは嬉しいよ」

「そ、そういうのじゃありません……」

「え? ど、どういうこと?」

「せ、先輩は私に頭を撫でられて……『よしよし』って言われながら褒められたい……ですよね」

「そ、それは……」


 ああ、完全にバレてる。俺の性癖は完全に見透かされている。まあ、その性癖を解放したのは彼女自身だからな……。


「わ、私……ここ数日、変な夢を見るんです……」

「ゆ、夢?」

「お、怒らないで聞いてください……そ、その先輩が、私に褒めてくれ褒めてくれってせがんできて……わ、私が先輩の頭をなでなでする夢です……」


 き、奇遇ですな。僕もそれとよく似た夢を最近よく見ます。


「わ、私……その夢を見るようになってから、先輩のことをなでなでしたくて体が疼くんです……。ほ、本当は今すぐにでも先輩の頭を撫でて、せ、先輩のことを褒めてあげたいんです……」


 そのときだった。俺は彼女の頭上に奇妙なものを見た。


 変態トロフィーだ……。


 トロフィーには『年上の男の子を餌付けして喜ぶ』と書かれている。それを見た俺は理解する。


 俺は鈴音ちゃんから一方的に性癖を解放されていたのだと思っていた。だけど、実際には違ったのだ。実際には俺の性癖を引き出した彼女自身も新たな性癖を引き出してしまっていたようだ。


「せ、先輩のこと……撫でたいです……」


 ん? でもちょっと待てよ……俺たちは何を我慢しているんだ?


 いや、確かに鈴音ちゃんに面と向かって撫でてくれというのは恥ずかしい。だけど、俺と鈴音ちゃんの利害は一致しているのだ。だったら、無理に我慢なんてしなくてもお互いの欲望を満たせば……。


 そう思った俺だったが、そんな俺の思惑に気づいたのか鈴音ちゃんは首を横に振った。


「だ、ダメなんです……」

「だ、ダメって何が……」

「わ、私にはその……せ、先輩のことを焦らしたい欲望もあるんです……」

「っ……」


 彼女は一枚上手だった。あの日、俺は鈴音ちゃんから変態トロフィーを解放されて、自分の潜在的な変態性に気がついてしまった。が、俺が一つトロフィーを解放している間に彼女は二つもトロフィーを解放していたのだ。よく見ると彼女の頭上にはもう一つトロフィーが乗っている。


『年上の男の子を焦らして喜ぶ』


 トロフィーにはそう書かれていた。


 ダメだ……彼女とは変態の格が違いすぎる……。


 どうやら彼女は二つの欲望の中で板挟みになっているらしい。


「せ、先輩……こうしませんか?」


 と、そこで鈴音ちゃんが提案する。


「い、今から連載を一話書いてください……。そ、それでもしも先輩が面白い話を書いたら、そ、その時は私は先輩を褒めます……。頭をなでなでして『よしよし』って言います……」


 もしも俺が面白い話を書けば、なでなでしてもらえる……。


「み、身勝手なお願いですみません……で、ですが、私……もう我慢できないんです……」


 かくして俺は鈴音ちゃんのなでなでを手に入れるために、彼女の目の前で、彼女をモデルにした官能小説の執筆を開始することとなった。

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