第十一話 筋の通し方

 なんだこの世界最強のジェットコースターに乗ったような気分は……。さっき俺はこのじいじをよぼよぼながら圧倒的なオーラがあるとかなんとか表現したけど、その意味深な表現をしたのが恥ずかしくなるレベルの拍子抜けだ。


 愕然とする俺にじいじは「ごめんね~びっくりさせちゃった? お詫びにほっぺた触らせて」と日本語になっていない日本語をのたまうと、身を乗り出して俺の頬に指先でぷにぷに触れた。


「すご~いぴちぴちじゃないっ!! やっぱり若いっていいわね。でも若い頃の鈴葉ちゃんはもっとぴちぴちだったのよ~」


「…………」


 いかん……深々と頭を下げて挨拶をするつもりだったのに、完全に面食らってしまって何も言葉が出ない。


 と、そこで脇に立っていた黒服が「ごほんっ!!」と咳ばらいをする。どうやら、本題を話すよう促されているようだ。


「あ、そうだったわ。竜太郎くん、私はイタリア書店を経営している水無月猛みなづきたけしよ。気さくにたけちゃんって呼んでもらえると嬉しいわ」


 と、そこでじいじは名を名乗った。


 なるほどマフィアは婿養子なのね。と、今更そんなことに気づく。


 あと、俺にはこの人をたけちゃんと呼べる自信はないです……。


「はじめまして。金衛竜太郎と言います……」


 と、自分も名前を名乗るとじいじは「りゅうくんね。覚えたわ」と俺に小さく手を振った。


「で、りゅうくん。りゅうくんが鈴音ちゃんにつばをつけたってのは本当かしら?」


「はいっ!?」


 いや……俺も初耳ですけど……。どうやら伝言ゲームのどこかで誤解が生まれているようだ。どうやら俺は勝手にとんでもないプレイボーイ認定されているらしい。


「いや、決して唾を付けたような覚えはないのですが……」


「あら? そうなの? じゃあ鈴音ちゃんと結婚する意志があるという解釈でいいかしら?」


「いや、だから……」


 なんだよ……このじいじには男女の交際は唾をつけるか結婚するかの二択しかないのか?


「どっちなの?」


 と、じいじは俺にその二択のどちらかを要求してくる。


「いや、まだ結婚とか具体的なことを考える段階ではないのですが、これからも鈴音さんとは末永くお付き合いができたらなと考えております……」


 とりあえずそう答える以外にない。が、じいじはそんな俺の答えに納得ができないように首を傾げて人差し指を頬に当てた。


 か、可愛くねえ……。


「う~ん、それだと水無月家としては困るのよね」


「こ、困る……ですか?」


「ほら、うちってこう見えてもそこそこ大きな家でしょ? その家の長女とお付き合いするとなるとそれ相応の覚悟を持ってもらわないと困るわけ。鈴音ちゃんが都合よく遊ばれて捨てられたなんてことになったら水無月家の名前に傷が付いちゃうし」


 と、水無月家の威信を気にするじいじ。


 おいじいじ……お前の家の嫡男、クラスメイトから豚扱いを受けてるけど大丈夫なのか? 水無月家の名前に傷がつくレベルじゃないと思うけど……。


「別に俺は鈴音ちゃんを捨てるつもりなんて――」


「じゃあ結婚するの?」


「いや、そこまではまだ――」


「それじゃダメなのよ♡」


 と、じいじは俺の言葉を遮った。じいじは一度葉巻を吸って「ふぅ~♡」と吐き出すと鋭い眼光で俺を見る。


「まあ名前云々は建前の話よ。実際のところイタリア書店は跡取りを探しているのよ。そこの野郎二人は腑抜けだし、有望な跡取りを探すためには鈴音ちゃんに連れてきてもらうしかないのよ」


 俺は思わず翔太とマフィアを見やった。二人は相変わらず体をブルブルと震わせながら真っ青な顔をしている。


 なんだかよくわからないが、なんとなく二人がじいじに怯えている理由がわかるような気がしてきた……。


「つまり鈴音ちゃんには中途半端な男と付き合っているような暇はないってこと。私だってあと何年生きられるかわからないし、跡取りを育てる時間も限られているのよ」


 なるほど……なんとなくじいじの言いたいことはわかった。とにかくじいじは自分の跡取りに相応しい男が喉から手が出るほど欲しいようだ。俺のような一般庶民にはわからないが、少なくとも水無月家にとっては大きな問題のようだ。


 が、さすがに俺としても寝耳に水な話だ。すぐに結婚してくれと言われて、はいと二つ返事ができるような覚悟はまだない。


「さ、さすがにそんな話を急にされても」


「じゃあ別れてちょうだい。鈴音ちゃんには意味のない恋愛をしている時間はないの。これまで鈴音ちゃんと仲良くしてくれてありがとうね」


 と、じいじは俺に鈴音ちゃんと別れることを要求してきた。


 いやいや話が急すぎるだろ。それになんとも独善的な話だ。正直なところ、とてもじゃないが承諾できるような話ではない。


「…………」


 その理不尽な要求に俺が黙っているとじいじはニヤリと微笑む。


「何か言いたそうな顔をしているわね♡」


「いや、そういうわけでは……」


「いいのよ。そのために今日はあなたを呼んだわけだし。言いたいことがあるのなら、なんでも言ってみなさい。それにそういう反抗的な目、私嫌いじゃないわよ♡」


 いや、あんたが好きかどうかは一ミリも興味がねえ……。


 が、言いたいことは確かにある。


「ならば言わせてもらいます。鈴音さんの意志はどうなるのですか? 確かに鈴音さんは水無月家の人間ではありますが、それ以前に一人の女の子です。その……たけちゃんさんはまるで鈴音さんを跡取り探しの道具のように話しますが、彼女の人生は彼女が決めるべきだと思います」


「ふふっ……やっぱり若い子って例に漏れず青臭いことを言うのね。漫画だったら私はヒール役ってところかしら」


「確かに俺は鈴音さんのことが好きです。ですが、これからゆっくりとお互いのことを知っていきたいとも考えています。だからまだ結婚みたいに飛躍した話は考えられません」


「…………」


 そんな俺の言葉にじいじは相変わらずニヤニヤしたまま何も答えない。


「何かおかしなことを言っているでしょうか?」


 なかなか返事をしないじいじに俺は不安でそう尋ねてしまう。


「言ってないわよ。確かに恋愛ってそういうものよね。すぐに結婚なんて言われても困っちゃうわよね」


「だったら――」


「でもダメ♡ なぜならうちは水無月家だから。それ以上でも以下でもないわ。理不尽だって思うでしょ? でもね、大人になったらことわりなんて口にしても誰からも相手にされないわよ。理だけでは何百人もの社員を食べさせていけないのよ」


 俺の言葉をじいじはバッサリと切り捨てた。なんという理不尽……。


「正直、俺だって鈴音さんと結婚できるならそれに越したことはないです。きっとこれから鈴音さん以上の女性とは出会えないと思いますし、鈴音さんとこれからも末永く仲良くしていきたいと思います」


「だったら結婚すればいいじゃない? まあ水無月家としてもその覚悟と資格があるならよろこんでりゅうくんを迎え入れるわよ」


「俺はまだ鈴音さんを幸せにできるような一人前の男ではありません。覚悟を決めたなんて無責任なことを口にできるような立場ではないです」


 確かにここで鈴音ちゃんと結婚すると覚悟を決めるのは簡単だろう。だけど、まだ自分の責任も取れないような高校生の俺が、そんなことを口にしてなんの説得力があるというのだ。


 が、やっぱりじいじは俺のことをニヤニヤと眺めたままである。


「りゅうくん、覚悟ってのは決まるものじゃなくて決めるものなのよ。そして、その覚悟に見合う人生を送るのがりゅうくんのお仕事。でも、どうしても自分に自信が持てないなら、一つやり方はあるわよ」


 そう言ってじいじは黒服を見た。すると黒服は近くの棚からまな板のような物を取り出した。黒服はそれをテーブルの上に置くと、懐から短刀を取り出してドンっ!! とまな板に突き刺した。


「なっ……」


 な、なんだよこれ……。突然現れた物騒な代物に絶句する。


「確かにりゅうくんの言う通り、何の実績もない高校生が覚悟を決めたなんて言っても、水無月家の全てを預けるような信用はないわよね。だから、その覚悟を態度で示してみるのも一つの手よ」


「ど、どういうことですか……」


「覚悟の証として、ここで指を詰めるのよ。結婚がしたいけど覚悟がない。それならここで覚悟を決めればいいんじゃない?」


 その柔らかい物腰からは考えられないほどに物騒なことを口にするじいじ。


「あなた鈴音ちゃんと結婚したいんでしょ?」


「はい」


「あなたにもしもその覚悟があるなら、私があなたを立派な人間に育ててあげるわ。だから何の実績もないあなたの覚悟が本物かどうか見せてちょうだい?」


「お、お祖父ちゃんっ!!」


 と、そこでようやく黙っていた鈴音ちゃんが口を開いた。さすがにいてもたってもいられなくなったようだ。


「さすがにそれはやりすぎだと思う。それに先輩は信用できる人だよ。それは私が保証する」


 と、身を乗り出す鈴音ちゃんだがじいじはニヤニヤとやっぱり笑顔を浮かべるだけだ。


「鈴音ちゃんったら本当にりゅうくんが好きなのね。だけどダメよ。鈴音ちゃんには信じられても私にはまだ信じられないんだもん」


 どうやらじいじは本気のようだ。俺はまな板に突き刺さった短刀を眺めながら考える。


 確かにじいじの言葉は大人の理屈だが、それ相応の説得力が感じられる。俺はじいじの人生がどんなものかは知らないが、きっとかなり波乱の人生を送ってきたであろうことは、その目を見れば理解できる。


 そんなじいじの言う覚悟は決まるものではなく、決めるものだという言葉。


 それは俺の胸にはっきりと突き刺さっていた。


 これまで俺は態度をはっきりさせないで逃げてきた節がある。鈴音ちゃんはきっと俺を好きでいてくれているだろう。このままだらだらとでも鈴音ちゃんとの関係が続けばいい。そんな甘ったるい覚悟で過ごしてきた。


 確かに俺は鈴音ちゃんに好きだと告げた。だけど、その先のことを具体的に考えられてきたと聞かれれば自信が持てない。


 だけど俺は鈴音ちゃんが好きなのだ。はっきり言って鈴音ちゃんがいなくなった未来なんて考えられない。それを高校生という身分を理由に結婚という言葉で具体化してこなかったのは俺の逃げだ。


 もちろん普通の家庭ならそれも問題ないだろう。だけど、俺の恋愛は確かに水無月家に少なからず影響を与えるようだ。もしも鈴音ちゃんとこのままずっと一緒にいたいならば、彼女の背後にある巨大な存在を全部引き受けてでも覚悟を決める必要がある。


 俺は指を一本失っても鈴音ちゃんと一緒にいたい。


 だってそうだろ? 俺の官能小説を書くためだけにこんな変態をやってくれる女の子なんてそうそういない。こんな最高の女の子を指一本惜しくて手放すようじゃ、俺の愛なんてその程度のものってことだ。


「指を詰めれば覚悟を認めてもらえるんですか?」


 いつの間にか俺はじいじの口車に乗せられている気がする。俺は鈴音ちゃんとただ仲良くしていたいと主張していたはずなのに、いつの間にか結婚を認めてくれるかどうかの話に変わっている。


 だけど、じいじは俺の目を覚ましてくれた。そうだ、ずるずると付き合っていても仕方がない。俺は鈴音ちゃん以外に結婚したい女の子なんていないんだ。


「もちろん認めるわよ。水無月家の名をもってそれを保証するわよ」


 蛍光灯を反射させてギラギラと光る短刀。その短刀を眺めていると、頭がおかしくなってくる。


 自分の中で何かが狂っていくのがわかる。本当は怖いはずなのに短刀から目が離せなくなって、恐怖とは裏腹に笑顔が抑えきれなくなる。


「先輩っ!! そんなことしちゃだめです」


「鈴音ちゃん、指を切る前に聞かせてくれ。鈴音ちゃんは俺と結婚する気はあるのか?」


 鈴音ちゃんは俺の言葉に目を見開いて硬直する。が、じっと彼女を見やると彼女は彼女は覚悟を決めるように首を縦に振る。


「はい、私、先輩のことが大好きです。私も先輩と結婚がしたいです。だからそんなこと」


「わかった。じゃあ指なんてくれてやるさっ!! おい、じじい俺の覚悟、瞬きせずに見ておけよ」


 俺は短刀の柄を掴むと力いっぱい引き抜いた。そして、左手の小指をまな板に置くと短刀を再びまな板に突き立てて、そのまま力いっぱい短刀に全体重をかけようとした。


 が、


 バシッ!!


 と、そんな俺の腕を素早く黒服が掴んだ。その突然の出来事に俺が目を丸くしていると「もう~りゅうくんったら、男らしいんだから~」と気の抜けたじいじの声が応接間に響いた。


「え?」


 と、じいじを見やると、じいじは「本当に指を切らせるわけないじゃない~。そんなことしたら私、つかまっちゃうわよ~」と俺の手を掴んで指をなでなでしてきた。


「は、はあっ!?」


「ごめんね脅かしちゃって。りゅうくんの覚悟を見るためにこんな怖いことさせちゃった。指、怪我してない?」


 そう言ってじいじは俺の指を入念に確認すると「あら~血が出てるじゃない~」と指を舐めてくれた。


 おい、じじい何やってんの……。


 じじいに指を舐められながら、俺はふと翔太とマフィアを見た。二人はその場にへたり込んで、股間からじょぼじょぼと汚い聖水を垂れ流している。


 き、汚い……。


 そして、鈴音ちゃんは「お祖父ちゃん……酷いよ……」と両手で顔を覆って泣いていた。


 と、そこでじじいは指から口を放すと、にっこりと微笑んで俺を見つめた。


「ごめんね。りゅうくんの男気が見たかったの♡ さっきのセリフ……さすがに濡れたわよ♡」


 てめえは濡れねえだろうがよ……。


 どうやら俺、および水無月家はこのじじいの壮大なドッキリにまんまと引っかかったらしい。


「それにそんな力で指なんか切り落とせないわよ♡」


 おうおう、なんか知ってるような話し方だな。


 が、俺はじじいを眺めながら体から力が抜けていくのを感じた。


 あぁ……俺、水無月家でやっていける自信ねえわ……。

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