第二十二話 ずっと鈴音ちゃんのターン

「ちょっとお痛が過ぎるんじゃないかな……」

 

 鈴音ちゃんは翔太の頭を踏んづけながら軽蔑の眼差しを向けてそう呟いた……。そんな彼女のスカートが風でひらひらと靡いている。

 

 そんな鈴音ちゃんの姿はフリーキックを打つ前のエースストライカーかと見間違うほどに凛々しい。

 

 と、冷静に例えつつも、俺は思う。

 

 え? これどういう状況? なんでこんなことになってるのか一ミリも理解できないんだけど……。

 

「す、鈴音……どういうことだよ?」

 

 どうやら状況が理解できないのは翔太も同じのようだ。

 

「そ、その前にお礼を言うのが先じゃないかな?」

「お礼? なんのことかさっぱりだな?」

「へ、変態のお兄ちゃんを踏みつけてくれてありがとうございますって、お礼を先に言うのが先じゃないかな」

 

 そう言うと鈴音ちゃんはタバコの火でも消すように、翔太の頬を踏んづける足をぐりぐりさせて、もう片方の頬を地面に擦り付けていた。

 

 俺はそこでようやく二つの事実を理解した。一つ目は鈴音ちゃんが怒っているということ。彼女の声のトーンは俺と話す時とは比べ物にならないぐらいに低く、その目はまるで汚物でも見るようだ。

 

 そして、二つ目の事実。そんな彼女の姿がわずかに俺の性癖を掠めていること。

 

 俺は大部分の哀れみの感情とともに、わずかに羨ましさを感じて翔太を見やる。

 

 翔太の顔は真っ赤に染まっていた。その表情は怒りと動揺が混じり合っており、その歪み切った表情に寒気すら覚える。

 

「鈴音、悪い冗談なら今すぐにやめろ。早く止めないといくら鈴音でも容赦しないぞ?」

「ほ、本当は嬉しい癖に……もっと素直になりなよ。ほ、本当は嬉しいんでしょ? 私に踏まれて」

「鈴音、てめえっ!!」

 

 さすがに妹ラブの翔太と言えど、これには堪忍袋の緒が切れたようだった。翔太は地面に手をつくと力づくで、足の乗った頭を持ち上げようとした。

 

 そんな姿を見てさすがに俺も鈴音ちゃんが心配になる。いくら立っている鈴音ちゃんの方が体勢的に優位だとは言っても相手は男だ。翔太が本気を出せば鈴音ちゃんの足を払いのけることなんて造作ない。それに今の翔太なら本気で鈴音ちゃんに手を上げたってなにも不思議じゃない。

 

 だから、俺は彼女を守ろうと彼女に駆け寄ろうとした。

 

 が、

 

「四月二一日」

 

 鈴音ちゃんは相変わらず軽蔑した目で、不意に数日前の日付を口にした。

 

「は、はあ?」

 

 と、俺の代わりに翔太がそんな声を上げる。俺も翔太もそのあまりにも脈略のないその言葉に目を丸くする。が、当の鈴音ちゃん自身は相変わらず軽蔑の目で翔太を見下したまま再び「四月二一日」と口にするだけだ。

 

「先生全編改稿ご苦労様です。先生のせいで僕の性癖が大変なことになっています。妹をイジメたかったはずなのに、妹にイジメられたくなった僕。先生どう責任をとってくれますか? わらわら……」

 

 とまるで呪文を詠唱するように淡々とそんなことを言う鈴音ちゃん。

 

 が、そこで不意に鈴音ちゃんの唱えた呪文に俺が聞き覚えがあることに気がついた。

 

 ちょっと待てこれって……あっ!!

 

「これ、お兄ちゃんが書いた感想だよね?」

 

 と、これまでの控えめな言葉遣いが嘘のように、すらすらと口にする鈴音ちゃん。

 

 そうだ。間違いない。それは俺の小説『親友の妹をNTR』に書き込まれた感想だ。こまめに感想をくれる読者だったからよく覚えている。確かハンドルネームは『sho_littlesister_moe』さんの感想だ。

 

 ちょっと待て『sho_littlesister_moe』……翔リトルシスター萌えっ!?

 

 嘘だろ……嘘だと言ってくれっ!!

 

 鈴音ちゃんがそう尋ねた瞬間、それまで必死に頭を持ち上げようとしていた翔太の動きがピタッと止まった。

 

 俺は生まれて初めて魔法を使う人間を目の当たりにした。

 

 石化の魔法をかけられた翔太と、その事実のあまりの衝撃に巻き添えで石化する俺。

 

 翔太の顔は本当に石にでもなったかのように、一瞬で血の気が引いて真っ白になったとか思うと、直後真っ赤に染まった。

 

 ああ……これは自殺モノに恥ずかしい奴だわ……。

 

 だが、俺はそんな翔太に唯一言ってあげられる言葉がある。

 

 翔太よ。いつもご愛読ありがとうございます。

 

「お、お兄ちゃん……妹で欲情しないって本当?」

 

 と、鈴音ちゃんは冷めた声で翔太に尋ねた。その言葉に翔太は露骨に狼狽したように体を震わせる。が、翔太はそれでも往生際が悪く引きつった笑みを無理に浮かべる。

 

「お、お前……さっき俺の言った言葉を覚えてないのか? 妹を持つ男だって時には妹モノの作品に触れることぐらい……あ、あるんだよ……。そ、それなのに、お前はそれだけで俺が妹に欲情するとか言っているのか?」

 

 と、あくまで変態理論武装を盾に頑なに鈴音ちゃんへの欲情を認めない翔太。

 

 が、俺にはわかる。翔太が『sho_littlesister_moe』の正体であることを知った俺にはわかる。

 

 翔太……お前は墓穴を掘った。

 

 そして、鈴音ちゃんもまたその言葉を待ってたと言わんばかりにわずかに口角を上げた。

 

「三月二日」

 

 そう鈴音ちゃんが口にした瞬間、翔太のひきつった笑みが真顔に戻る。

 

「す、鈴音……や、やめろっ!!」

 

 と、懇願する翔太だがもう遅い。

 

「こののん先生、更新お疲れ様です。先生事件です。先生の小説のせいでついに僕は妹のことを考えながら……ここからは言えません。更新待ってます……ハートマーク」

「ぬおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!! やめてくれえええええええええええっ!!」

 

 翔太の断末魔のような叫びが住宅街に響き渡った。

 

 そんな翔太にトドメの一撃を食らわせるように鈴音ちゃんは口を開く。

 

「お兄ちゃん。お兄ちゃんは私のことを考えながら何してたの?」

 

 ダメだ鈴音ちゃん。完全にオーバーキルだぞっ!! これ以上は単なる死体蹴りだ。

 

 翔太は抜け殻になっていた。焦点の定まらない瞳をきょろきょろさせながら口をパクパクさせている。そして、かろうじて口にした言葉。

 

「す、鈴音……やめて……ください……」

「もしかして私のこと、おかずにしてたの? お兄ちゃんってホント変態だね……」

 

 が、鈴音ちゃんはやめない。

 

 これは本当に鈴音ちゃんなのか?

 

 俺は我が目を疑った。俺の知っている鈴音ちゃんは確かに変態だけど、もっと控えめで変態モードのときは頬を紅潮させて恥じらっていた。だが、今は違う。怒りに満ちた鈴音ちゃんには何かがとり憑いているようだった。

 

 そして、俺は何がとり憑いているのかが分かった。

 

 それは俺が全編改稿したあとのハルカちゃんだ。彼女の心には俺の生み出したハルカちゃんの魂が憑依しているようだった。

 

 そこで俺は気がついた。

 

 それは翔太の頭上の鋼鉄製のトロフィー。そのトロフィーは依然として存在していた。だが、いつの間にかそこに刻まれた文字が書き換わっている。

 

『妹にイジメられて喜ぶ』

 

 いつの間に……。

 

 俺は愕然とする。それまで俺は翔太に一種の哀れみを覚えていた。だが、違うのだ。その一生モノの屈辱でしかないその光景は屈辱でもなんでもない。そして、鈴音ちゃんは翔太を苦しめているわけでもない。

 

 鈴音ちゃんは大好きな兄のためにご褒美をあげているのだ。

 

 つまり今、鈴音ちゃんの行動は誰一人として傷つけていない。

 

 な、なんて平和な光景なんだ……。

 

 だから鈴音ちゃんは口撃を止めない。大好きなお兄ちゃんのためにも口撃を止めない。

 

「お兄ちゃん、血のつながった兄妹は恋愛しちゃいけないって知ってる? お兄ちゃんは私にどんな感情を持ってるか知らないけど、私はお兄ちゃんとえっちなことできないよ。だって私とお兄ちゃんは兄妹だから。

 

 お兄ちゃんは私に欲情してるみたいだけど、私がお兄ちゃんに欲情することは絶対にないよ。そんなこと考えたら寒気がして、気持ち悪いとしか思わないよ。

 

 だけど、お兄ちゃんは私に欲情しちゃうんだよね?

 

 お兄ちゃん、もう一回聞くよ? 今私に踏まれてどんな気持ち? 恥ずかしい? お友達の前で性癖まで暴露されて、こんな風に踏みつけられて、普通は恥ずかしいよね? だけど今のお兄ちゃん、少しだけ嬉しそうな顔してるよ?

 

 だけどお兄ちゃんは悪くないよ。お兄ちゃんはこののん先生の作品で性癖を捻じ曲げられちゃったんだよね? 悪いのはこののん先生だよね?

 

 だから私決めたの。気持ち悪いし寒気もするけど、お兄ちゃんが私に欲情するの許してあげる。お兄ちゃんのこと嫌いになったりしないよ。頭の中で私にどんなえっちなことをしても許してあげる。

 

 お兄ちゃん、本当は私の靴にキスしたいんでしょ? 本当は顔だって上げたいよね? だって今顔を上げれば私のスカートの中見えるもんね?

 妹に踏まれながら、スカートの中覗くなんてこののん先生の小説みたいだね?

 

 いいよ一回だけなら。

 

 今まで私のことを大切にしてくれたお兄ちゃんにご褒美をあげないとね?

 

 ほら、早く顔……あげないの?

 

 私、怒らないよ? 変態さんだなって思うし軽蔑もするけど、怒ったりしないよ。それとも本当は怒って欲しいのかな?

 

 それとも私の言葉が信じられない?

 

 でも考えて? 今までだって私、お兄ちゃんのこと許してあげてたよね?

 

 お兄ちゃんが私の部屋を物色しても、私の下着が突然なくなっても、私、一度もお兄ちゃんに怒ったりなんてしなかったよね? 全部私は知ってたけど、それでも私は黙っててあげてたよ。

 

 だから今回も許してあげる。私の足元でブタさんみたいにブヒブヒしても許してあげる。だって頭の中はお兄ちゃんの自由だもんね。それを記憶に焼き付けて自分の部屋で何をしても私は怒らないよ」

 

 そこまで言って鈴音ちゃんは優しく翔太の頭から足を下ろした。そして、翔太の頭の前でしゃがみ込むと鈴音ちゃんはいつものような優しい笑みを浮かべて翔太の頭を撫で始めた。

 

「お、お兄ちゃん……な、何か言いたいことはある?」

 

 と、ようやくいつも通りに戻った鈴音ちゃんは頭を撫でながらそう尋ねた。

 

 そんな問いに翔太は。

 

「鈴音……こんな変態なお兄ちゃんを許しておくれ……」

 

 そう弱々しく呟いて翔太は臨終した。が、その表情はどこまでも安らかで、憑きものの落ちたような顔をしていた。

 

「わ、私、お兄ちゃんが変態さんでも大好きだよ……」

 

 そこには兄の魂から悪霊を退散し満足する変態陰陽師の姿があった。

 

 鈴音ちゃんはそう優しく兄の亡骸に語り掛けると俺の方を振り向いた。

 

「せ、先輩……ありがとうございました。お、お兄ちゃんを助けてくれたのは先輩の小説のおかげです……」

「い、いや、どう考えても鈴音ちゃんのおかげだろ」

「そ、そんなことないです。せ、先輩が頑張ってくれなければその……お兄ちゃんは……まだ私を束縛しようとしていたはずです。な、なので、私は最後に一押ししただけです」

 

 一押しどころの騒ぎではなかったような気もするけどな……。

 

 ま、まあ、とりあえずこれで鈴音ちゃんが翔太から執拗に束縛されることはなくなったようだ。

 

 と、そこで鈴音ちゃんは立ち上がった。そして、俺のもとへと歩み寄ってこようとした……その時だった。

 

「あら? 鈴音ちゃん? それに翔太ちゃんも……」

 

 と、そんな声がするので俺と鈴音ちゃんは同時に声のする方へと顔を向けた。

 

 そこに立っていたのは買い物袋を手に下げた鈴音母の姿だった。

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