第十話 忠犬リュウ公

 俺はもうとっくに気づいていた。


 俺には味方なんていないことを……。


「おにいは、私にどんなポーズがさせたいの?」

『せ、先輩……深雪ちゃんをベッドに横にさせて、そこに跨ってください』

「おにいが命令してくれないと、私何もできないよ」

『せ、先輩が命令しないと、深雪ちゃんが困っちゃいます……』


 これどういう状況? 俺は深雪と一線を越えるのが怖くて鈴音ちゃんと通話をしたはずだ。それなのに、何で深雪が鈴音ちゃんのコスプレをして、俺は鈴音ちゃんの命令にしたがって深雪を撮影する流れになってるんだ……。


『先輩……なでなでしませんよ……』


 それはつらい……。


 今の俺は後頭部に拳銃を突き付けられたまま、妹に手を出せと脅されている気分だ。


 なんという愉快犯……。俺はきっと殺されるんだ。なでなでというご褒美をちらつかされて、散々いたぶられてから殺される。


「おにい……私だって恥ずかしいんだよ。おにいが命令してくれなきゃ、私、どうすればいいかわかんないよ……」


 と、深雪からせかされる。


 これは……やるしかない。


「み、深雪」


 と、呼ぶと彼女は肩をビクつかせながらも「は、はいっ」と返事をする。


「と、とりあえずベッドで仰向けになろうか?」


 そう彼女に言うと、彼女は「うん……」と恥ずかしそうに頷いて、ベッドに上がり仰向けになる。そして、俺もまたベッドに乗ると、両足で跨るようにして彼女の足元に立った。


 ああ、やばい……背徳感で死にそう……。


 俺の命令に忠実に従う深雪だったが、さすがに兄妹としては一線を越えているその行為に緊張しているようで、両手を胸に当てたまま俺を見上げていた。


 が、その沈黙を始めに破ったのは鈴音ちゃんだった。


『先輩……深雪ちゃんの制服を少しだけ、はだけさせてください』


 本当にこの変態女は……。その兄妹としては一線を越える行為に怯える中、学園のアイドルにして学園一の淑女とみんなが勘違いしている変態女は、平然と俺にそんな指図をする。


 いや、さすがにそれは……。


 と、俺が尻込みしていると深雪は頬を染めたまま口を開く。


「ちょ、ちょっと制服をはだけさせた方がいやらしいかな……」


 どうやらイヤホンの奥の変態女はその性癖の強さからテレパスまで習得したようだ。深雪はまるで鈴音から直接命令でもされたように、ブレザーのボタンを外して前をはだけさせた。が、彼女のサービス精神はそれだけにとどまらない。彼女は首のリボンを緩めると、ブラウスのボタンの上二つを外した。


 そこで俺は初めて知る。思っていたほど彼女の胸は小さくない……。


 そもそも妹の胸なんて意識して見ることなんてないのだ。が、今の深雪は本来兄に対してアピールするはずのない、その部位をよりいやらしく工夫して俺に見せつけている。


 お父さんお母さん……ごめんなさい……。僕たち兄妹はもう手遅れです。


 なにやら甘えるように人差し指を咥える深雪。


 それはさながら深夜アニメの初回購入特典のヒロイン抱き枕のような格好だった。


『せ、先輩……シャッターチャンスです』


 と、変態遠隔シャッターがまるで見えてるかのように言うので、俺は彼女にレンズを向ける。


「な、なんだか恥ずかしいね……」


 レンズを向けられた深雪はそう言って頬を染めながら俺から視線を逸らす。


「ごめん……今度なにか奢るわ……」


 と、せめてもと俺がそう口にするが深雪は首を横に振る。そして、恐る恐る俺を見つめると彼女はこう口にした。


「奢らなくてもいいよ……。そ、そのかわり私のこときれいに撮ってね」


 そう言ってにっこりと微笑む深雪。


 その直後、頭がずっしりと重くなった。その重みで俺は確信する。


 あ~あ……出しちゃったよ……俺、妹でついに出しちゃったわ……。


 俺は変態トロフィーの重みを感じながらもバシャバシャとスマホで彼女を連写した。スマホにどんどん保存されていく写真を見て思う……深雪よ……いつのまにか大人の女に成長したんだな……。


 そこで深雪は不意にブレザーの襟に鼻を近づけると、恍惚とした表情を浮かべる。


「鈴音ちゃんっていい匂いがするよね……。甘くてそれでいてさわやかで……なんだか鈴音ちゃんって感じの匂い」


 そう言うと、深雪は襟を俺の方に向ける。


「おにいも嗅いでみる?」


 なんという誘惑……。その一言に激震が走る。


 その一言はつまり、鈴音ちゃんに千里眼で見られながら、妹の体に顔を近づけて、制服の匂いを嗅ぐということを意味している。


 いや、やりたいよ……トロフィーもう出ちゃってるし、今更隠さないけどやりたくてしょうがない。だけど、さすがに背徳感情が凄まじい……。


『先輩……やってください……』

「いや、でも……」

「おにいだって嗅ぎたいんでしょ?」

「だからってこれは……」

『せ、先輩……やれ』

「はい」


 俺はスマホをポケットに入れると、おそるおそる深雪の太ももに跨るようにしてマットレスに膝をついた。そして、両手をベッドにつくとそのまま鼻を彼女の襟もとへと接近させていく。


「おにいなんだか犬みたいだよ……」

「う、うるせえ……」

「どう? いい匂いするでしょ?」


 くんかくんか……。


 ブレザーの襟に鼻を押し当てた瞬間、彼女の言う通り、甘くてそれでいて清涼感のある香りが鼻腔に広がる。


 やばい……鈴音ちゃんの匂いだ。


「おにいは鈴音ちゃんの匂い……好き?」

「それは……」

『せ、先輩……答えてください』

「す、好き……です……」

「素直でよろしい」


 深雪はクスッと笑うと俺の頭をなでなでした。


 ああ、なんだこの変態の極致のような状況は……。


 そして、俺は鈴音ちゃんの匂いの奥に他の匂いも実は感じ取っていた。それは風呂から上がりわずかに火照っている深雪が醸し出す、俺に使用を許されていない深雪専用のボディソープの香りと、彼女のわずかな汗の入り混じった香り。


「み、深雪の匂いもする……」


 俺がそう言うと彼女は「ひゃっ!?」と驚いたように短い悲鳴を上げた。


「おにい恥ずかしいよ……あんまり嗅がないで……」

「嗅げって言ったのはお前だろ……」

「そ、そうだけど……私、いい匂いしないし……」


 そんなことはない。悔しいけれど深雪からもちゃんと女の子の香りがする。


 そして、そんな俺と深雪の会話は鈴音ちゃんの性癖にもぶっ刺さったらしい。


『せ、先輩のスマホは匂いは撮れないんですか?』


 撮れるかバカ野郎っ!!


「お、おにい……」


 と、そこで俺に匂いをかがれる深雪は恥ずかしげに俺を呼んだ。


「そ、そんなに私の匂いが嗅ぎたいの?」

「い、いや、それは……」

「いいよ……嗅いでも……」

「ぬおっ!?」


 と、歓喜と羞恥の入り混じった間抜けな声が漏れた。


「今のおにいは犬みたいで可愛いから……その……嗅いでもなんとも思わないよ……」


 なんという誘惑……。だが、俺にはその誘惑に首を縦に振る勇気は持ち合わせていない。


『せ、先輩……嗅げ』


 が、鈴音ちゃんがそんな俺の背中を蹴とばした。


「はいっ!!」


 と答えるもののどこから手をつければいいのか、いや鼻をつければいいのかわからず、あたふたしてしまう。


 そんな俺に彼女は「耳の後ろ……」と囁く。


「フェロモンは耳の後ろあたりから出るみたいだよ」

「そ、そうなのですか?」

「うん、だから耳の後ろが一番私の匂いがする……かも……」


 そう言って彼女は手で後ろ髪を上げると顔を横に向け、俺が嗅ぎやすいようにうなじのあたりを晒す。


「でも、いいのか?」


 そう尋ねると深雪は小さく頷く。だから、俺は鼻を彼女の耳の後ろへと近づけていく。


 くんかくんか。


 必死に彼女の匂いを嗅ぐ俺。彼女からもちゃんと甘くて、それでいて清涼感のある香りがする。


 気がつくと夢中になっていた。そのせいで俺の鼻息が少し荒くなり、鼻息が彼女のうなじにかかる。


「んんっ……おにい、くすぐったい……」


 そう言って深雪が身を捩るものだから、どうにかなってしまいそうになる。


 と、そこで俺は気づいた。耳元から俺同様に少し荒い鼻息が聞こえてくる。


 いや、鈴音さん……電話で匂いは嗅げませんよ……。


 俺はしばらく深雪の匂いを嗅いでいたが、彼女はふいに俺の顔を優しくうなじから放すと、とろんととけるような目で俺を見つめた。


 そして彼女は恥ずかしさのあまり、握りしめた手で口元を隠すとこう言った。


「他のところも嗅いでみる?」


 

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