第45話 3章15話.籌策を帷帳の中に巡らし、勝ちを千里の外に決す
内宮に入る前、新羅辰馬は全力で、上杉慎太郎の頬桁を殴り飛ばした。
「がっふ!? すんませんしたァ!」
「おう。次は本気で怒るからな」
魔王化した辰馬を「化け物」と呼んでしまったシンタへのけじめ。内心では複雑多様なコンプレックスが渦巻くものの、実際化け物なのだから仕方ないと自分を納得させる。
「うし、そんじゃ往くぞ」
「「「おう!」」」
かくて内宮へと、辰馬たちは足を踏み入れる。
・
・・
・・・
そして同じ頃、三条平野。
状況はアカツキに不利に働きつつあった。ラース・イラの騎兵隊は着実に防衛戦の弱いところを押し込み、一つ一つ崩してゆく。一点、小さなほころびさえ作れば、あとはラース・イラ騎兵を止められるものはそうそう存在しない。ひたすら徒に正面突破をしかけたと見せかけ、ひそかに側翼を叩いて防衛戦の弱いところを巧みに撃っていたラース・イラ、セタンタ・フィアンの戦術はついに奏功し、とうとう左翼に大穴を穿つ。明染焔の用兵ならこの瞬間、後詰めの後陣が敵を排除すべく突出するのだが、ここにいるのは凡庸の将。普通に敷かれた長陣後方は、すぐに前に出ることが出来ない。
アカツキの将たちはここで抜かれては、と兵力を穴の開いた左翼に集中。そうして正面が手薄になったところを、セタンタは満を持して正面突撃を仕掛けた。
「今まで我々を『赤い猪』と呼んでくれたアカツキの諸君よ、ここからは猪の恐ろしさ、とくと味わって貰う! ・・全軍、突撃ぃーっ!」
副騎士団長を先頭に、ラース・イラの総勢60万、そのほぼ半数におよぶ20数万が、一斉に三条平野を疾駆する。馬蹄のとどろきは百戦錬磨のアカツキ兵たちをすくませるに足りた。彼らも勇敢な武士たちではあるが、将校クラスを除く多くの侍たちは歩兵中心であり、突進する騎兵たちを支えるにいかんともしがたい。それまで拮抗していた戦場は、一挙ラース・イラに傾いた。乱戦となってしまっては陣形も兵法もあったものではなく、ただ数と武装と戦意の勝負。そして数においても士気においても、ラース・イラはアカツキを大きくしのぐ。
これは・・まずいですね。収集のつけようが・・。
彼女の冷徹な密偵である部分はここでアカツキを見限り、ラース・イラにつくことを提案する。それが現実的ではある。アカツキの諜報部においてトップに近い美咲のもつ情報をラース・イラの上層部は疎略に扱わないだろうし、そのカードを持ってすれば主君、小日向ゆかの身柄を保全することも可能だろう。主のためならむしろ国家の逆臣となっても進んでそうするべきだが、そこで目に入るのは
陣頭指揮の姫沙良に襲いかかる、騎士たちの無慈悲な刃。美咲はすかさず糸を走らせ、彼らの腕を絡め取る。ほとんど不可視の刃は鋼化タングステンの100倍の硬度。竜の魔女・ニヌルタの鱗すら斬り落とした刃が多少・神聖魔法で強化されているとはいえ
「つ、晦日さん、ありがとうございます!」
「仕方ないでしょう。貴方を見捨てては宰相の心証も悪くなりますからね・・。さぁ、次はどなたです? この命果てるまで、私と死のダンスを踊っていただきます!」
素直ではなく姫沙良に言い放ち、美咲は騎士たちと姫沙良の間に立ちはだかる。絶世の美貌を誇る赤毛の少女は決然と身構えながら、帰ることができない臣下の不明を心の中だけで主に詫びた。
そのとき。
ぶあ、と沸き起こる疾風、そして大地を焼く轟焔。
美咲も騎士たちも。一人残らずが空を見上げ、そして息を呑む。7体の赤鱗の巨竜と、それに跨がる有翼竜眼の男女、竜種たち。最前の、ひときわ巨大な竜に跨がるは、隻腕、赤毛。暇つぶしの道具を見つけたとばかり竜眼を輝かせるその女性を、当然、美咲が忘れるはずもない。
竜の魔女、ニヌルタ。そして彼女の配下たる竜種たち。宰相・
「宰相・本田馨綋が名代、晦日美咲さま。宰相の命により、わたくしニヌルタ以下、竜種28名、貴方様の隷下に馳せ参じました・・まぁ、愉しませてくれないと困るけれど。わたしの腕を切り落としてくれたあなただもの。つまらない指揮はしないでしょう?」
言って、挑発的に笑うニヌルタ。神国ウェルスの田舎の奥地、『聖域』に閉門蟄居させられるよりは、彼女はアカツキの一員となることを選んだ。
「ち・・たかが竜が7匹、なんだという! 今の貴様らの醜態をガラハド団長が見たらどう思われるか!」
セタンタ・フィアンは声を張り上げて督戦する。彼やガラハド、そして指揮官クラスの将校たちは竜を前にしておびえるような男たちではないが、一般の兵たちはそうはいかない。人間の根源的恐怖、「大きなものを恐れる」というのはどうにも簡単に克服できることではなく、ましてや竜である。世界最強のラース・イラ騎士団とはいえ、本物の竜を見たことのある人間は限りなく少なく、その時点で威圧の効果は十分すぎた。竜の焔は容赦なく戦場に焔の柱を燃え上がらせ、鎧ごと騎士たちを焼き焦がす。一瞬前まで一方的なハンターであったラース・イラ勢が、今度は一転、狩られる側に転落した。
「あら? たかが竜、といったかしら、あちらの指揮官どの」
セタンタの大声をしっかり聞きとがめて、ニヌルタは立ち上がる。一度敗れ、片腕を失ったとは言え、そのたたずまいはなお女帝の風格を失っていない。
「聖女さま、往ってもよくて?」
「今はまず陣容を建て直すべき・・と、言いたいところですが。どうせ聞くつもりはないのですよね?」
「当然。あの皇子様ほどおいしそうでもないけれど、なかなか強そうな獲物だし。それに・・」
ニヌルタは懐から、何本かの試験管を取り出す。
「気前のいい宰相殿がくれた『命の精髄』、早速試してみたいのよねぇ」
ニヌルタの能力の本領は「一度自分の力の一部を相手に譲渡→相手の中で醸成された力を回収→本来の力に倍する力を手に入れる」というものでこれにより実力においては互角だったはずの北嶺院文をあっさり追い落とし、新羅辰馬すら一度は捻じ伏せた。アカツキ当局に引き渡したときこの力には美咲自身が厳重な封印を施したのだが、宰相はそれを翻して利用することにしたらしい。命の精髄というのは錬成され結晶化された魂であり、ニヌルタの力をお手軽に増幅できるアイテム・・人間を生け贄にしてその魂を抽出するという製法ゆえに禁呪とされ、製造は厳禁されているのだが・・まで持たせて、ニヌルタという女の野心を考えると危険きわまりないと言わざるを得ない。
とはいえ。
使いこなせ、ということでしょうね・・やっかいなことを押しつけてくれる・・。
「宰相名代、晦日美咲の名において、騎竜の将・ニヌルタに命じます! 敵将セタンタ・フィアンの首を獲ってきなさい!」
「ふふ、御意!」
美咲の下命に、ニヌルタは竜に跨がるとふたたび空を駆けた。
・
・・
・・・
「そう来ますか・・宰相本田馨綋、なかなかどうしての手を打ってくる・・しかし、もう間に合いませんよ・・、あと1歩、わたしが新羅辰馬と神楽坂瑞穂を献じることで、猊下はすべてを超越した『真なる神』となられるのですから」
ホノアカの心臓を握りながら、磐座穣は呟いた。『見る目聞く耳』で三条平野の決戦の様子を見た穣にとって、竜の魔女の参戦は慮外ではあった。本田が彼女を使いたがることは予測できたが、ニヌルタの性格上ひとの風下にはつくまいと楽観していたのだ。珍しい穣の計算違いだった。
そして、もう一つの計算違いは。
やる気満々の兄・遷が、新羅辰馬たちの前に立ちはだかったことだった。こちらも深意を測り損ねた。五十六に対して忠誠の薄い兄は最低限の仕事を済ませたらやる気をなくして沈黙するか、ヒノミヤを去ると踏んでいたのだが、どうにも一人で辰馬たちを全滅させる気構えでいるらしい。
邪魔なことを・・。
兄の心、妹知らずでそんな風に思ってしまう穣。
まあ、すべては誤差の範囲です。結果は変わりません。
本来、天才軍師・磐座穣はわずかの誤差も許さない予見によってすべてを掌握してきたのだが、最後の詰めでついに知恵の鏡が曇り始めようだった。このわずかな計算違いが、最終的に彼女の命運を大きく変えることになる。
・
・・
・・・
そして新羅辰馬と磐座遷の戦い。
「
「せあぁ!」
抜き打ちに払われる蛇腹の短刀。久々に神讃全開で放たれる黒い光の魔力波は、『領巾』でも消しきれない。遷は『太刀』を抜刀、居合い気味に薙ぎ、難なく切り裂いて霧散させる。しかし辰馬に気を取られた隙、間合いに入った牢城雫の斬撃が、遷の脇腹を撃った。
「く・・ちぃ!」
半歩下がって、わずかに苦鳴を漏らす。斬撃そのもののダメージは『領巾』が消してくれるものの、叩きつけられた衝撃は身骨を揺らす。揺らぎ、かしいだその先、出水の術が脚を絡め取り、そこに拳を腰だめに構えた大輔。
「っけぇあ! 虎食み!!」
ごう、と猛虎の闘気が直撃。これ自体は『領巾』が打ち消し、ほぼノーダメージ。しかし一瞬の時間を稼がれ、次はシンタ。六本のナイフを円環状に遷の周囲に投げて突き立て、すかさず。
「爆!」
七本目は遷本体ではなく、その影を刺して爆ぜさせる。これとてもダメージにはならないが、しかし息つく暇を与えぬ連携は遷に反撃の暇を与えない。辰馬と雫が切り札である魔王化と天壌無窮を使ってしまっている現状ではあるが、このぶんならまず負けはない。なにより遷の身体はすでに神器の力に耐えられるものではなくなりつつあった。端正な美貌も、逞しかった身体も手足も、時間を王ごとに癩病のようにぼろぼろとくずれていっている。無尽の奇蹟を具現化する『珠』は、新羅辰馬たちを倒すまで肉体をもたせるというただ一点に使い切られており辰馬らへの脅威とはなりえない。
そして、限界が訪れた。辰馬たちがどうこうするまでもなく、磐座遷の身体はもはや気力では支えられないところに来てしまう。ここまで気力と根性でもたせていたのが驚異的であり、それ以上は磐座遷の気迫をもってしてもどうしようもなかった。太刀を持つ力すら残らず倒れ伏す遷に、辰馬と瑞穂が近づく。
「・・アンタは瑞穂にひどいことはしなかったらしいが、結局助けてもやらなかったんだよな? それって結局、あんたも陵辱に荷担したのも一緒だよ」
「わかって・・いる。俺は偽善者に過ぎないことは・・。斎姫を助ければ俺だけでなく、穣が責任を問われる。それは俺にとって、どうしても我慢ならないことだ・・。だから、斎姫には悪いと思っても『手を出さない』以上のことはできなかった・・」
「そーかい・・。瑞穂、決着、つけてやれ」
「はい・・」
瑞穂は一歩、前に出て、手をかざす。神々しくも優しく穏やかな光が玄室を満たし、収束して遷を包む。
「とき、じく・・? 俺を助けるおつもりですか、斎姫!?」
瑞穂がなにをしようとしているか、察して。遷は声を荒げた。自分の罪をまさかこの少女は、許すというのか。敵として立ちはだかった自分の死を前にして、この命を助けるというのか。
「やめなさい! 俺に貴方が力を使われる価値はない! 貴方が俺のために命を削る理由などないんだ!」
「理由がないと救ってはいけないなんて、そんな理由はないでしょう?」
時軸の力で朽ちつつある遷の身体、その時間を遡らせ、瑞穂はやや青ざめた顔で慈母のように微笑む。
「理由が必要なら・・これからのヒノミヤを、頼みます・・」
・・・
「妹を、救いたかった」
命を拾った磐座遷は、呟くようにそう言って妹の覚悟を辰馬たちに明かした。命を賭して五十六のために尽くそうとする穣と、その穣のためにすべてを擲った遷。兄妹の覚悟をきいて、人情話に弱い辰馬は鼻にすんと来てしまう。
「最初から、死ぬ前にこれを頼むつもりだった。ここから、直接五十六のいる『星辰宮』への道をつないである。行ってくれ。穣とは戦わないでくれ、あいつは、五十六に誑かされているだけなんだ・・」
「了解。ま、あれだ。無駄な戦いを避けられるなら、こしたことねぇし」
「たぁくんったらまーた悪ぶったいいかたしちゃって。穣ちゃんと戦わない理由が出来てほっとしてるんでしょ?」
「まったく、わかりやすいわよねぇ、辰馬。ま、そこが可愛いんだけど」
「うるせーなぁ・・行くぞ!」
・
・・
・・・
そして、星辰宮。
そこは広大無辺、どこまでも白く白い、清浄な神力の空間。
「う・・」
「げぅ・・っ」
「ぐぶ・・」
大輔、シンタ、出水の三人が、息苦しげに呻吟する。
「どーした、お前ら? ・・毒?」
「まさか。毒なものかよ。穢れを清める浄化の気よ。穢れたものには確かに、毒かも知れんがな」
怪訝げに訊く辰馬に声を返し、現れたのは。
長髪、浅黒い肌に、水干。
わずかにまばらな髭が生えているが、まずこれを汚いとかみっともないと見る向きはいないだろう。野趣に満ちた、若く、逞しく、美しい男だった。
まとう圧倒的な神力は、女神ホノアカを顕現させた
「あなた・・は・・、まさか・・?」
「くく、分かるか、瑞穂? さすがにあれだけ肌を重ねただけはあるな。そう、儂は神月五十六! この星辰宮に封印されしいにしえの星神、アマツミカボシと合一した、唯一にして真なる神である!」
「ミカボシ・・荒神を!?」
アマツミカボシ。かつてこの星の外から飛来してあらゆる厄災のもとをなしたとされる大悪神にして、『男神』。その力から一度は神の座に列せられたがあまりの乱暴狼藉から古代の女神たちにより殺され、厳重に封印されたはずの存在。ヒノミヤの存在意義のひとつが、封印の管理だ。その封印を、どうやら神月五十六は解いたらしい。この青年が本当に五十六であるのか、というのが、辰馬たちにはまた判然としないのであるが。
五十六を名乗る青年は、軽く手を差し上げる。
放たれる光の波動。逆巻く不可視の神力波は、空間をぐぢゃぐじゃとかみ砕きながら辰馬たちを襲う。最前衛の辰馬とエーリカがそれを受けた。受けた瞬間、これをまともに受けてはまずいと理解。「飛べ!」叫んで、自らも横っ飛び。7人がそれぞればらけて飛び退いた。
ずぅ・・ごじゅぐっ・・!
空間をかみ砕き、ねじ切りながら地面に着弾した神力波は、着弾すると床を激しく食い破り、轟音を轟かせて数メートルの縦穴を穿つ。
空間削撃・・空間を操るって部分はサティアに近いが、威力はこっちか・・。
亜空間から無尽蔵に光剣を抜いて放つサティアと、空間を粉砕して位尽くす五十六。確かに多少似ているところはある。とはいえサティアの光剣に比べても、五十六の空間削撃の威力は桁が違った。
「ふふ、次はこれでどうだ?」
そう言うと、五十六は一度に10条を超える空間削撃場を生み出す。なにが危険といってまずその視認のしにくさ。ほぼ透明であり、周囲の空間をガンガン派手に振動させているからかろうじて知覚できるが、人間の感覚は7割方視力頼り。達人は皮膚感覚や第6感で危機を察知できると高らかに謳う論者は多いが、あんなもん嘘である。超感覚知覚である程度の察知が出来ようと、これだけ視覚に依存している人間という生き物が視力を封じられれば不利を強いられるのは間違いない。
それを立て続けに打ち込まれ、辰馬たちは一瞬にして満身創痍に追い込まれる。かろうじて致命は避けた・・あるいは、相手がわざと外した・・とはいえ、ダメージはいきなり大きい。
「くっくく・・こんなものでやられないでくれよ、魔王どの? せっかくの力だ、どの程度遊べるのか、しっかり確かめさせて貰わねばな」
「くそ、思いっきり悪役笑いしやがって、どっちが魔王だばかたれ・・望みどおり、こちも本気でやってやるよ!」
「威勢のいい。やってみろ、ただし、早くな。さもないとそちらの3人が死ぬぞ」
五十六は大輔たちに顎をしゃくってみせる。女であり女神の祝福を受ける瑞穂とエーリカ、祝福されていない魔力欠損症だが欠損症ゆえに神力の干渉を受けない雫、そして母から受け継いだ聖女の資質がある辰馬にはなんともないが、純度の高すぎる神気は女神の祝福の象徴、神力を持たない『男』というものにとって危険物だ。
「時間制限付き・・ってことか。まーいい、とにかく速攻でぶちのめす!」
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