第9話 邪悪の創世神2.お姉ちゃんの本気

 長尾邸を探すのに労は要らなかった。太宰のように込み入った町並みでもなく、開けた村であるから、適当に一番立派な家を当たればすぐに突き当たる。辰馬の実家、新羅公南流古武術講武所に匹敵するほどの大きさの家、その庭には雄偉なえんじゅの木が屹立し、風にそよぐの葉の下に一人の少女の姿があった。


「来ましたか。神にたてつく、愚かな魔の眷属」


 感情の感じられない、虚ろな瞳で言う。


 手をかざし、なぎ払う。


 ぶぁ・・ッ!


 大気が怖気だった。辰馬たちは感覚と言うよりほとんど直感で飛び退く。次の瞬間、轟音。光の波動が走り、地面に、まるで巨人がとんでもなく大きなシャベルを突き立てたかのように巨大なクレーターが穿たれる。辰馬はへぇ、とつぶやき、大輔たちは想定を隔絶した威力に青褪あおざめる。


「我が女神のために、あなたたちを生け贄に捧げます。お覚悟を」


 金色に輝く瞳に剣呑な炎をともし、追撃の構えに入る少女。


「ばかたれ。笑わせんなよ、神使しんし風情が。借り物の神力なんぞすぐに引っぺがして、下らん呪縛から解き放ってやるよ……長尾早雪ながお・さゆき


 辰馬はせせら笑い、相手を挑発するように昂然と言い放つ。名前を言い当てられ、少女……早雪は一瞬、動揺した。


 長尾、早雪……? それが、私の名前? いえ……わたしはサティアさまの神使ラティエル。魔徒の言葉などに煩わせされる必要なし!


 轟ッ!


 再び、光の衝撃波。


 辰馬はそれを迎え撃つべく腕を腰だめに構え。


 しかし辰馬が盈力を打ち放つより早く、衝撃波は断ち割られ、霧散する。


 盈力はもちろん、神力も魔力も、霊力も放たれた形跡はない。


 ただの純粋な剣閃。その斬撃のあまりの凄絶によって、神力の衝撃波は断たれた。


「ここはお姉ちゃんの出番かなー♪ たぁくんたちは先に進むといいよ、ここはあたしが任された!」


 抜く手も見せぬ抜刀から、納刀。いっさいの霊的資質に頼ることなく、身体能力のみで神力の核を斬ってのけた雫はそう言うと、ドヤ顔を決めた。


「んじゃ任せた」


 任された、という雫の言葉に、辰馬は舎弟たちをせかして先に進もうとする。その襟首を、雫が掴んで引き留めた。


「ちょーい! ちょっとは心配な顔してくんないかなぁ! 『おねーちゃん一人ー置いていくわけにいかねぇ、おれも戦うぜ!』とかぁ!」

「いや、しず姉にそんな心配いらんやろ・・おれよか強いし」

「強いとかそーゆう問題じゃなくてね! おねーちゃんを心配しよーよ!?」

「めんどくせーなぁ……そんじゃ、一人で大丈夫かよ、しず姉?」

「うんうんっ♪ そーいうのそーいうの! 『心配ご無用、ここはあたしにお任せあれ!』ってね!」

「そか。そんじゃ任せた」

「だーかーらぁ!」


「……つまらない茶番。時間稼ぎのつもりですか」


 轟ッ!

 わーのきゃーのと騒ぐ辰馬と雫めがけ、早雪=ラティエルは再度光の波動を放つ。


 直撃の瞬間。


「ふぅ……気の短いこと……」


雫の腕が閃く。右半身の構えから左腰の長刀を抜刀、逆袈裟から一瞬のうちに7,8回剣光を閃かせ、納刀。細切れにされた光の波動はむなしく風塵ふうじんとなって霧散する。


「さて・・いくぞ、お前ら」

「雫ちゃん先生一人でいいんスか? あの女、明らかにフツーじゃねぇっスけど」

「あぁ、心配いらん。あの人が本気になったら、親父たちにも負けねぇ。心配するなんざ烏滸おこがましい。100年早いわ・・んじゃ、勝てよ、しず姉!」

「まーかせて! 勝ったらごほーびにちゅーしてねー!」


・・・


「ふふり。約束しちった。これで勝てばあとでちゅー。ふへへ」

「緊張感のない方ですね・・それで、私に勝てるそうですが・・果たしてどうやって?」


 つい・・と早雪=神使ラティエルが前に出た。8メートルはあった間合いが、瞬時に詰まる。超常の身体能力で一気に詰めて、神力を帯びた腕の一薙ぎで首を刈り落とす・・はずだった。


 が。


「ん・・まあまあの速さかな」


振り抜いた腕の先に雫の首も身体もなく。

 声は真後ろから聞こえる。


「天使を降ろしてるだけあって、そこそこ速いは速いんだろーけどね。残念ながら本当に歩法を極めた人間ってのは、そんなもんじゃないんだよ・・っと!」


 ざんっ!


 抜刀の音は、駆け抜ける激痛と衝撃より、数瞬遅れてやってきた。早雪、というよりラティエルが神の庭で生まれ落ちて以来、感じたこともないような痛み。数歩、吹き飛ばされ、かろうじて踏み止まる。


「峰打ち・・馬鹿にしていますか・・?」

「んー、だって殺すわけにいかないでしょ?」

「後悔させます。もう貴方の刃が私にとどくことは・・」


 ざん!

「ぁあ゛!?」


 ぞん、ざっ、ざしゅ、どふっ、ぞぶしゅ、ざしゅっ!


「ああああぁぁぁぁぁぁぁぁーっ!?」


 瞬閃、7連撃に、早雪=ラティエルはたまらず倒れる。あまりにも一方的に過ぎた。天使を身に降ろし神使となっているとはいえ、このダメージは強烈すぎる。


「くあぁ!」


 闇雲に神力塊を放って状況を打開しようとする早雪だが、雫は火の粉を払うように無造作にそれを切り裂く。あまりに次元の違いすぎる相手の力量をようやくに悟り、早雪=ラティエルは恐怖に顔を歪ませた。


・・・


 牢城雫は1693年、覇城家の本領、旧都覇城に生まれる。

 父は覇城家傍流牢城家当主、牢城訓ろうじょう・とき、母はデックアールヴ(闇妖精。ダーク・エルフ)により累代の森から追われたアールヴの姫、フィーリア。大恋愛のすえ結婚した二人の愛の結晶として生まれた雫には、しかし一つの欠陥があった。


 先天的魔力欠損症。人間が潜在的に秘める潜力オド、表面に顕在する顕力マナを問わず、一切の霊的な力の加護がないという欠損。ごくまれに生まれるこの病状の持ち主は一切の霊的能力を行使できない代わり、あらゆる霊的なる力に対する絶大な対抗力を持つ。


 覇城はアカツキの筆頭貴族であると同時に、魔術の名門である、その純血に妖精種=アールヴを混ぜたのみならず、魔力欠損症の雫が生まれたことで、牢城家は覇城の傍流たるを廃された。


 そんなことは関係なく訓とフィーリアは雫に深い愛情を注いだが、聡い雫は自分のために父が家を追われたことに心を痛め、6歳の時家を出た。


 子どもの足である。とうぜん大した旅が出来るはずもないが、なんの偶然か雫は当時まだ隠れ里に隠れていたはずの新羅家に迷い込み、のちに魔王を殺し世界を救う勇者となる人物、新羅狼牙に出会う。狼牙は雫を一人の淑女として扱い、さとし、そしてこう言った。


「自分のせいで人が不幸になるなんて考えてはいけない、それは傲りというものだ。もし、それでも納得いかないのなら。自分が不幸にしたそれ以上、もっと人を幸せにできるように努力すればいい。その努力のためなら、僕はいくらでも助けになろう」


 この言葉は雫の心に大きく響いた。あとにして想えばこれが雫の初恋だった。以後雫は新羅家に入り浸り、狼牙に師事して新羅江南流を学ぶ。それから1年で狼牙は魔王討伐に旅立ってしまったが、武術なるものが純粋に楽しくなっていた雫はそのまま狼牙の父、牛雄に師事して剣術の研鑽を続けた。剣腕けんわんが高まるにつれて心も強くなり、雫は自分が理想とする自分に着実に近づいていくことを喜んだ。


 1年後、狼牙帰還。雫は狼牙が妻を迎えたことに軽いショックを覚えるが、その細君、聖女アーシェ・ユスティニアが抱きかかえる銀髪の赤ん坊、新羅辰馬を抱かせてもらった瞬間にそのわだかまりは四散した。狼牙への思いはそのときからそっくり辰馬への慈愛にかわり、自分は一生、この子を守るのだという強い使命感が雫の心に芯として突き立った。


 それからの雫はよりいっそう剣に打ち込み、牛雄と狼牙という伝説的武人二人の指導で神域の武力を手に入れるに至る。愛刀から繰り出される秘剣・神伏かみふせは霊的抵抗力の高さにアーシェ・ユスティニア・新羅、ルーチェ・ユスティニア・十六夜の神力を斬る技量を乗せて会得したものだ。なんの努力もなくただ素の神力の高さだけで戦う天使ごときが、雫に太刀打ちできるはずもない。


・・・


「これで・・、終わり!」

 袈裟懸け。回避のさらに先まで伸びる太刀筋が、ラティエルの肩を捉える。そのまま一回転して逆手に短刀を抜き、胴凪ぎ。さらに回って正面に迫り、一切の霊力を使うことなく、擦過の威力のみで大気が燃えんばかりの凄絶な突きがラティエルの横顔をかすめて突き抜ける。


「!?」


 反射的に顔を背けて躱す早雪=ラティエル。躱したさきに肘があり。ガン! とまともに打ち付けられて、早雪=ラティエルの意識は途絶とぜつした。


「ふぃーっ! やっぱ全力出すと疲れるね! というわけでちょっと休憩。必ず、勝って帰ってくるんだよー、たぁくん……はぁふ……」


 早雪=ラティエルを神魔封じの封神符ほうしんふを織り込んだ縄で拘束すると、雫も座り込んで軽く目を伏せた。


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