第8話 邪悪の創世神1.寒村宮代

「神楽坂と神月、ヒノミヤを二分する二大巨頭の争い、ですか……」

「それでまぁ、神楽坂の娘で齋姫? まあ、うちの母さんみたいな。そーいうのを保護して、いま病院に入ってもらってる。肉体的にも精神的にもダメージ多そうでさ、聴取はしばらく待って欲しい」


話はそこで区切られる。

 冒険者たちの喧噪と、ラジオから聞こえるDJの声が、やけに遠く響いた。ここは緋想院蓮華洞。「魔王退治の勇者一行」の一人十六夜蓮純が立てた「ギルド」であり、また奥の間は自宅併設。妻・ルーチェ・ユスティニアとの愛の巣でもある。やけに大きな事態に首を突っ込んだ甥に詠嘆する蓮純に、辰馬は言葉を重ねる。


「瑞穂って言うんだけど……正直、かわいそうな目に遭っててさ。あんまりつつかないでやってくれるかな。かわりにできる限りおれが話す」

「へぇ……」


 辰馬の言葉に雫と似たような感慨を持ったルーチェが、生暖かい視線で甥を見遣った。


「あ゛? なに、なんよその目? べつにおれ、瑞穂に特別な感情とかないから。変な勘繰りすんなよ」


 辰馬はほんの少しだけ不機嫌そうにむくれる。特別声が上擦ったり、焦って早口になったりとかいうことはない。平然としたもので感情のゆらぎは看て取れない。少なくとも、辰馬の表層意識における瑞穂への感情は「かわいそうな女の子」であってそれ以上ではなかった。


「はいはい。辰馬は雫ちゃん一筋だものね」

「うんうんそーだよねぇー♪ たぁくんはあたしのモノっ!」

「違うわばかたれ。なに言ってんだ離れろバカ姉」

 抱きついてくる雫を、必死でひっぺがす。雫は小柄で華奢なくせに、おそろしく力が強いからひっぺがすのも一苦労だ。


 蓮純は切れ長の瞳をさらに細くして、黙考もっこう

「失礼。少々待ってください」

 言い置いて、また事務所奥に入っていく。手持ち無沙汰に残された辰馬に、ルーチェが声をかける。

「姉さんと義兄さんは、どんな具合? 姉さんは元気にしてる?」

「あー、まあ。仲良くしてるよー。とりあえずのところは体調も、心の方も安定してる。心配ないと思うけど、まあ気になるなら遊びに来て」

「わかった、それじゃまたお邪魔させてもらうわ、蓮純と一緒に」

「ん、みんな喜ぶ」


 甥と叔母の会話に、雫はともかく大輔たち舎弟分たちは「はー」「ほー」とため息しきりだ。むべなるかな、生きた伝説を相手に、友人が平然と話しているのだから。


「やっぱ新羅さん、すげー人なんだよな・・いつもアホみたいにぼけーっとしてるけど」

「あぁ、オレも同じこと思った。いっつもアホみたいに薄ぼんやりしてるんだけどな」

「天才はどこか抜けてるものでゴザルよ・・まぁ、アホっぽいのは確かでゴザルが」

「やーい、辰馬バーカバーカ!」

「お前らのほーが億倍アホっぽいわ! あとでしばくからな!」


「賑やかなことで・・お待たせしました、この資料を」

 戻った蓮純が、綴じたファイルを差し出す。

 白黒写真と、何枚かのテキスト。

「んぁ? 依頼?」

 受け取り、ファイルを開く辰馬に、蓮純は硬い声をかけ、

「はい。一件是非ともお願いしたい・・いつもの小遣い稼ぎではなく、辰馬の『盈力えいりょく=ゲアラッハ』を見込んでの仕事です」

 

盈力ゲアラッハ。それは16年前には認識の薄かったものだが、『魔神戦役』以降神魔の私生児が増えるに及んで世界的に認知されるようになった力。


 簡単にいってしまえばかつて魔王オディナがルーチェを前に説いた、神力と魔力の融合した力、である。相反する相殺し合うはずの力がごくまれなケースとして相殺せず累乗され、人間から見てあまりにも隔絶した神族、魔族と比較してもさらに桁はずれの力を持つ。といっても威力自体が上がるというわけではなく、本質的な力が変るのだ。


 一言で言えば、本来不滅の創世神、あるいは魔王を殺せる。これはかつて2年前、クーベルシュルトのライモンド・ドーリッシュという青年冒険者が創世神イーリスに挑み疵を負わせたという事実があり、証明された。ただし絶対的な地力の違いがあり、ライモンドはけっきょく消滅させられた。だからこの報告自体かろうじて逃げ帰ったその仲間たちの報告に過ぎないのだが、まず神力使いと魔力持ちの子供=盈力持ち、となるのは間違いがなく、辰馬がその最高峰……なんといっても魔王その人と歴代最強の聖女の息子だ……であることは疑いがない。


「危険度はかなりのものとなりますが……辰馬、きみがヒノミヤと全面戦争をしようというのなら、この程度こなしてもらえねば話になりません」


・・・


 京師太宰から汽車に乗り3時間。

「ふひぃ~、ここが宮代……。田舎」

「そーだねー。のどか。走り出したくなるよね!」

 太宰とおなじ八幡平野はちまんへいやの範囲内であり、まだ京師近郊といっていいはずだが、宮代はひなびた寒村、といった風情の小村だった。八幡平野北東、北嶺山脈から伸びる三十三頭竜川みとみずりゅうがわの支流で区切られたこの区域は山谷に囲まれたすり鉢状の盆地となっていて、山あいの盆地、それも6月とあれば汗を搔く暑さ……といいたいところだが、やけに風が冷たくうすら寒い。


「いや全然。つーかなんでしず姉はそう野生児なんだよ。……ともあれ、創神サティアか……こんな田舎の村に根を張って力を蓄え、ねぇ。まあ、なんにせよあれ読んだからには処断せざるを得んけどな・・。あんなもん許すわけにいかん。人間バカにしゃーがって、これだから神も魔族もよぉ! いっそのこと全部この世から消し去ったろーかと思うわけですよおれとしてはな!」


 いつになく強い語調で、辰馬は赤い瞳を使命感と意欲に燃やす。


「あー、いつものやつだ」

「いつもどーりだな、神魔嫌い」

「こりゃ女神サマも災難でゴザルなぁ・・」


 神魔嫌い。


 魔族に翻弄された母を思い、母を陵辱した魔族を憎み、母を救わなかった神を憎み。結果として辰馬は神魔というものを強く強く憎悪するメンタリティを確立している。その激情たるや尋常の熱意ではない。去年、蒼月館そうげつかんに入学してからの一年で辰馬が狩った神霊・魔族の数はゆうに200を超える。とはいえ、狩った相手を殺した経験は一度もなく、人であれ魔物であれ、辰馬は「殺す」という経験がまったくにないのだが。それでもランクDからランクSSのクエスト難度のうちAランク以上のクエスト受注数200で、遂行率は100%、新羅辰馬という少年は、いまだ挫敗ざはいを知らない。

 

とはいえ。


「あー、身体痛てぇ……。蓮っさんもルーチェおばさんも、本気出しやがって……」

「あれでも力半分じゃないかなぁ~。本気だったら殺されてるよ、あたしたち」

「え゛、マジですか、あれで? ……やっぱ伝説の英雄って化けモンなんですねぇ……」

「そらそーだ。あっちゃあ魔王殺しでこっちは学生だぜぇ? むしろその差をあんだけ詰めた辰馬サンがすげーよ」

「ま、それでも軽くあしらわれた感でゴザルが」

「辰馬だらしなーい! 死んじゃえ辰馬!」

「……なんか毎度台詞が悪意的なんだが。そこの妖精潰していーかな?」

「やめろおぉぉぉぉぉぉ! いくら主様ぬしさまであってもそれだけは許さんでゴザルぞおぉア!」


 一行は皆すべからく満身創痍だった。


 任務を任せるに当たって、まず蓮純たちを満足させる技量があるかどうか、模擬戦で試された結果だ。蓮純が作り出した隔離世かくりよ・・現世界げんせかい彼岸ひがん、その狭間に創りだされた人造の異世界、亜空間で蓮純、ルーチェという豪華すぎる仮想的と対峙した5人はその持てる力の全てを使い、ありとあらゆる技能と戦法を駆使して戦ったものの、それはほとんど戦闘といえるものではない程度に一方的に終わった。


 ルーチェの栄耀なる光の祝祭グロリアス・ルーチェトリビュスティ一閃、それだけで戦線半壊した辰馬たちのなかに蓮純が白兵で突っ込み、クールマ・ガルパの聖仙直伝・仙気格闘術カラリ・パヤットの技で一気にたたみかける。


 薄打なら自信のある大輔が壁になるべく前に出るも強烈無比の蹴りの一撃で意識を刈られ、横から放たれて蓮純の足を絡め口をふさぐべく放たれた出水の泥魔術はあっさり解呪ディスペルされる。死角に潜んでからのシンタのバックスタブもルーチェが踏み込んでの崩拳で沈められ、残すは主力の辰馬と雫のみ。


 雫と辰馬は目で合図し、雫が前衛で時間稼ぎ、辰馬がその間に術式の組み上げに入るが、剣聖とまで言われる雫の剣技に蓮純の拳技は互角かそれを上回る。その感に辰馬はかろうじて術式を組み上げた。覇葬はそう天楼絶禍てんろうぜっか


 放たれるは黒き六翼。父・狼牙の『焉葬えんそう』が生み出す世界を食い尽くすばかりの大暗黒マハー・カーラな重力場に比べれば遠く及ばない力だが、辰馬の凍てつく黒き光も十分神を殺すに値する威力。


 それを、ルーチェはいともたやすく消し去ってしまう。そのために要した力は『神奏・七天熾天使セプティムス・セーラーフィーム』でも『創奏・創世天主ヤーウェ・アドナイ』でもなく、軽く腕を振るだけの彼女にとって一番の基本技に過ぎない『栄耀なる光の祝祭グロリアス・ルーチェ・トリビェスティ』で。


 辰馬の渾身があっさり消された時点で、勝敗は決した。蓮純とルーチェは一気に辰馬に肉薄、夫婦息の合ったコンビネーションで辰馬をサンドバッグにし、華奢な容姿が物語るとおりに耐久力の薄い辰馬は1秒ともたずダウン。最後まで残った雫は辰馬の敗北を確認して降参した。


 ということがあって、目覚めたところから3時間かけての宮代である。5人ともダメージは大きいが、自分のまだまださ具合を突きつけられて克己心に燃えているぶんやる気は強い。


「さて。長尾さんだっけか」

「あぁ、かわいそーな村長さん」


 辰馬は懐から資料を取り出し、目を通してまた不愉快げに柳眉を歪めた。


「改めてこれは、なぁ・・ブッ殺すしかねーよな、というかほかにどーしよーもない・・」


 かみしめるように言って、資料を見直す。


 そこに列挙されているのは凄まじいばかりの災厄だった。


 まず4年前。彼女は異国とつくにからふらりとやってきた。


 異装だった。上半身は乳房を申し訳程度に包んで隠す薄衣のみで、白い柔肌をほとんど隠せていない。下半身は上に比べればそれなりに隠す昨日を果たしているが、それも長めの腰帯をぐるっとまきつけただけの言ってみれば原始的な装束。あちこちにシャラシャラと取り付けられた飾りの宝飾具が、また彼女をいかがわしい踊り子かなにかに見せていた。


 この服装が神国ウェルス・・正しくはウェルスよりさらに古い、キンシティア王朝期の人々が好んで着用した服装・・のキトンというものであると判ったならば彼女の出自に少しは穿った見方もできたかもしれないが、辺鄙へんぴで退屈な盆地の寒村にそんな知識人がいるはずもなく。ただの痴女かそっち系の踊り子だろうと処理された。実際そう見て彼女に言い寄った男も何人かいたが、それらは強烈な肘鉄で撃退されたらしい。


 少女は童顔に見合わないたわわな乳房を見せつけるようにして威風堂々、宮代の村長・長尾義時ながお・よしときに目通り。もちろんただの寒村の村長に過ぎない長尾がその威圧感に太刀打ち出来るはずもなく、彼女は長尾の家に賓客として住まうようになる。普段長尾邸の子弟であっても口に出来ないような食事を平然と口にし、長尾の一人娘、長尾早雪ながお・さゆき卑女はしため扱い。我が物顔に村を闊歩し、その後ろ姿に陰口を叩こうものはことごとく「謎の」事件や事故に巻き込まれて大けがを負った。


 もはや少女が只人ただびとであろうはずはないと村の皆は確信するに至る。しかし時既に遅し。この村は彼女の神力によって外界から隔離された。


「ここはわたしの隔離世。いまからわたしが『創世の女神』を継ぐものとしての実験……いえ、試練を始めます。この試練の立会人となれたこと、おおいに喜びなさいな、可愛い虫けらたち……別に殺しはしない、ただわたしがこの『箱庭』を少しずつ広げていくために必要な力を、毎日奉納しなさい」


 そう、村民全員の脳内を強烈な、圧倒的威圧を伴う念話がつんざいたのが丁度4年前。それから毎日、彼らは1日2回、朝の訪れと夕方日の沈むとき、強制的に霊力を吸い上げられることとなる。


 この頃になると少女はその名も素性も、隠すことがなくなった。女神サティア。サティア・エル・ファリス。このアルティミシア大陸を創造した【絶対無二の造物神】グロリア・ファル・イーリスの娘神であり、創神。その性質のあまりの隔絶ゆえに、人間に慈悲心などかけらも持たない。関心の持ち方はあくまで実験動物に対するそれだった。


 何人かの勇敢な村人が邪悪な……実際彼女は善悪とかそういうものを超越していて、彼女が自分の益としての行動が人間にとっては邪悪に見えるというだけだが……女神をしいすべくくわを握り、斧を取った。この村に伝説の【勇者】など望むべくもないので、それでも頑張った方だろう。ただ、これは女神の不興を買い、彼女の嗜虐心しぎゃくしんを逆撫でした。


 集まった勇者は四人。それぞれ直江俊郎なおえ・としろう宇佐見勘解由うさみ・かげゆ甘粕晴之かまかす・はるゆき柿崎直文かきざき・なおふみという。彼らは威勢も高く長尾邸に乗り込み、そして翌日、惨死体で発見された。しかし凄惨を極めたのはその事実ではなかった、それをなしたのが女神ではなく、無理矢理鉈を取らされて勇者達の頭を執拗しつように裂かされた長尾の娘、早雪であったということがむごたらしさに拍車を掛けた。とはいえこの件があってから、表だってサティアに刃向かおうというものは村にいなくなった。


 半月、1月、2月、そして1年2年・・サティアは支配圏を少しずつ拡大、力を増していくが、莫大な神力を持つが扱いに関してまだまだなところのあるサティアの隔離世結界には完璧な維持が出来ず、わずかなほころびが生ずる。それを宮代の守護神、土后、鵜戸御社之媛神うとのみやしろのひめがみは見逃さなかった。自らの神力を綻びに透し、広げていき、やがて開く。絶対的な神力に微弱な神力で立ち向かうそれは海神の大波に砂粒のような人間が挑む如きもので、どうしようもない徒労であり苦行であり苦痛を伴う。しかし媛神には一度村人を守れなかった自責の念があり、その苦渋が彼女に限界を超えた力を出さしめた。気の遠くなるような苦痛を乗り越え、とうとう宇土御社之媛神は隔離世結界に穴を空けた。


 それはすぐに察知され、鵜戸之媛神はサティアに軟禁される憂き目に遭う。しかし媛神からいつかくるこのときを聞かされ待望していた村人は、神様の犠牲を無駄にせず京師太宰へと使いを走らせた。一人ではない。そんな馬鹿な真似があるものか。30人ばかり放ち、29人が途中で惨たらしく殺された。仲間を売ればお前だけは助けると言われ、屈した者もやはり殺された。だが、辛うじて一人は生き残り、太宰に到達して緋想院蓮華洞の門を叩いた。


・・・


 読み直すたびに、辰馬の白い肌は怒りで紅潮していく。口の端がピクピクひきつり、眉根がきりりと結ばれる。


「よし、行くぞ。クソ女神を殺す」

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