第15話 2章4話.克己

 神楽坂瑞穂の蒼月館1年に編入が決まったとき、辰馬も含めて全員が驚いた。


 まあ本来驚くことでもない。瑞穂は顔立ちからして童顔だし、その風貌にはあどけなさを多分に残す。


 のだが、体の一部の発育があまりにも圧倒的な・・121センチという巨砲を所有している・・存在感を誇るため、それだけで年齢不相応なのだった。辰馬の周囲にはグラマーな女性が多い(母、叔母のぞく)が、それでも瑞穂のそれは別格過ぎる。


 そういうわけで良くも悪くも目立ちに目立ちまくる瑞穂は、その日、7月1日から蒼月館冒険科1-Aに編入された。学生たちは各年次ごとにA~Fクラスに、“成績順”に割り振られる。辰馬たちが2のDに集まっているのも成績があまりよろしくない・・エーリカに限っては本来非常に頭がいいのだが、彼女は国籍違いでこちらの歴史や文学の素養がないため苦戦している。辰馬はというと地頭はいいが基本的に勉強しない。大輔、シンタ、出水の三人組はお察し・・ためで、そこを鑑みるとやはりヒノミヤでの英才教育というのはかなり瑞穂の身になっている。


 とはいえ、やはり人が最初に見て度肝を抜かれるのはその巨砲であり、男子はだらしない顔で鼻の下を伸ばし、女子は驚きと嫉妬と羨望に視線を向ける。悪意的視線というものに敏感になっている瑞穂はそれだけで縮み上がりそうになるが、先日来、彼女には新羅辰馬というひとつの心の支えが出来た。奴隷の立場として、辰馬の顔に泥を塗るわけにはいかないという心情が瑞穂を萎縮から救い上げ、毅然と、というほどには堂々と出来ないが、びくびくおどおどする臆病さからは脱する。


「もとヒノミヤの齋姫、神楽坂瑞穂です。諸事情あっていまはヒノミヤを離れ、剣術師範の牢城先生のところで起居させていただいています。どうか、みなさまよろしくお願いいたします」


 齋姫、と聞いてクラスの生徒たちが愕然とどよめく。大陸主要9国のうちでもアカツキは未だなお迷信深く、主神ホノアカこと日輪火之赤大神ヒノワホノアカノオオカミ信仰というものは昔に変わらず根強い。齋姫というのは巫女の首座であると同時にホノアカの意思の代弁者であり、ある意味では女神その人と同一視される向きすらある。瑞穂の自己紹介に、それまで欲望と嫉視に満ちていたクラスメイトたちの視線がきらきらとあこがれに満ちたものへと変わった。


 もちろん、そんな中でも欲望を捨てきれない下衆だったり屑だったりも存在し、それはエリートクラスであっても変わらない。というより、才気あるエリートが力のある女を食い物にしたがる例は古来後を絶たず、このクラスの月護孔雀つきもり・くじゃくという少年はその典型であった。美貌あり、才能優れ、術士としての能力にも恵まれるが、どうしようもない卑劣漢であり、精霊や半身、半魔の娘を食い散らかしてきた悪党。


 孔雀は消息を絶った齋姫の事件について、ある程度真実の断片を知る立場にあった。なんとなれば自分もヒノミヤの大神官・神月五十六こうづき・いそろくやその先手衆さきてしゅうのように瑞穂を犯したいと願っていたところに好餌が転がり込み、舌なめずりをする。


・・

・・・


「掛けまくも畏き、日輪ひのわ火之赤ほのあかの大神おおかみ宇土うと御社みやしろ神居かむいの庭の、幸い多き御凪原みなぎのはらに、御禊みそぎはらえし時よりせるは、祓の庭の大神たち。諸の禍事まがこと、罪、穢れあらもうば、祓い給い、さきわえ給い、聞こえ給えと申す事を聞こえしめせと畏み畏みももうす」


 玄道学の授業。瑞穂がホノアカに捧げる祝詞のりとを朗々としょうすと、空気が清められるかのような感覚が場を満たす。実際、気分が軽くなり、力の満ちる感覚が皆に行き渡った。


「さすが齋姫さま!」


「すばらしいお力です! 姫さま!」


「はは、そんな・・たいしたことは、ないですよ・・」


 皆が口々に瑞穂を褒めそやす。それは「齋姫」としての瑞穂を称える言葉であって、齋姫としての自分を意識するとどうしてもかつての陵辱を思い出さざるを得ない瑞穂の心は苦痛を訴える。呼吸が乱れ、酸素の欠乏から四肢が痺れる。心因から来る偏頭痛が割れ鐘を鳴らし、動機激しく、そして血液が焼けるようなジュワッ、とした痛みを、瑞穂は何度も何度も覚えた。実際に血液が燃えているわけではない、あくまでも心因によるもの。この世界この時代、心理的ストレスによる肉体へのダメージはまだ広く証かされていないが、ウェルスの医師にして錬金術師テオフラス・パラケストゥスによれば心理的ストレスにより10年間にわたり9度以上の高熱が続いた(そして原因から分かたれるとその発熱症状は嘘のように消えた)という事例が報告されている。


「大丈夫ですか、神楽坂さん?」


 かろうじて笑顔をとりつくろいながら、眩暈をおぼえる瑞穂をさりげなく支えて、孔雀がそう言った。


「気分が優れないのでしょう? 保健室に行きましょう」


「っ!?」


 そう、言った孔雀の瞳の奥に蠢く、暗いくらい欲望のぎらつき。それを見た瞬間、瑞穂は飛び退った。理性による制御のない、ただの身も世もない反射運動。辰馬や雫が見たならこの動きに落第点をつけただろうが、どうしようもなかった。


 いまの・・視線。間違いない、この人の欲望・・。


 流れ込んだ感情の残滓に、怖じ気を震う。思い起こすだけで震えの来る恐怖。


「ふふ、どうしました? さぁ、保健室にいきましょう?」


 へらり、と笑みながら歩を詰める孔雀。今までの瑞穂ならあえなく恐怖に屈したが、辰馬の顔を思い浮かべる。いつもぼんやりしているか眠たげか、あとは不機嫌かしかないと友人たちに言われる辰馬が、自分に向ける顔を思った。困ったようなもてあますような、それでいて決して瑞穂を見放すことのない、なんともいえず優しい顔。


「・・触らないでください」


「? でも、具合、よろしくないでしょう?」


「これ以上、間を詰めるなら。多少の傷は覚悟していただきます」


 神楽坂瑞穂は、勇気を鼓して昂然と言う。十数日ぶりの凜然とした態度に自分でも驚くぐらいだった。自分のためには湧かない力が、人を思うことで湧いてくるのだと知って誇らしくもある。


 へぇ・・この期におよんでこんな顔をするんだ・・。一度完全に折れたって聞いてたけど、ま、なけなしのプライドを総動員してるんだろうね、かわいいもんだ。


 その気丈さをどう引き裂いてやるか、サディスティックな嗜虐の瞳で不用意に歩を進めた孔雀は、自分の見立ての甘さを思い知ることになる。


 相手を敵と見定めた瑞穂は容赦なく《読心》を使い、孔雀の邪心を確信するや迷うことなく小さな口訣こうけつ(呪文)を唱える。


 次の刹那、目に見えない巨人の巨大な足底が。この狭い教室内でほかの級友たちはことごとく避け、孔雀だけを踏みひしいだ!


「げぶぁ!? が、ああぁ゛ぁ゛っ!!?」


 孔雀は五臓六腑のすべて踏み破られるような痛みと衝撃に悶絶する。状態の異常さは孔雀が踏みつけられているその場の床に穿たれる同心円状のひびで明らかだった。孔雀の本性を知らないクラスメイトたちは齋姫の突然の凶行に驚き、孔雀を解放するよう求めたが、瑞穂は首を横に振る。編入初日でクラスメイトたちにどう思われようが、二度と自分に手を手だそうなどと考えられないくらい、完全に心を折るつもりだった。


 孔雀はなんとか法術を練って見えない巨人の下から逃れようとする。解呪系の法術なら得意だ。今までだって力を誇る女の術を無力化して、ねじ伏せてきたという自負。しかし神楽坂瑞穂という圧倒的に巨大な才能と、神力と霊力の本質的な質量の違いをつきつけられ、瑞穂のプライドを崩してやろうと算段していた孔雀は自分のプライドの方が瓦解していくのを感じた。あまりにも、実力の差がありすぎる。


「この・・お、お前・・ヒノミヤでお前がどんな目に遭ったか、バラしてもいいのかぁ? せっかく逃げてきたのに、台無しになるぞ・・ッ、ぐぐあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~ッ!!?」


「ご自由に。いまさら誰にどう思われたところで、わたしは変わりません。ただ、わたしに牙をむいたこと、十分に後悔はしていただきますが」


 身も世もなく本性を現して、必殺の脅しを放つ孔雀。しかしその恫喝にも、瑞穂は柳眉りゅうび寸毫すんごうたりと動かすことはなく。巨人・・アカツキの神話に言う国産みに際し、山を運び土を掘ってホノアカを助けたとされる、だいだらぼっちの眷属・・にもう一度、敵の背を踏みにじらせる。


「・・っ、うぎぎぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃ~、ひぃぐ、ぇぐぁ、つ、ぶれ・・あががあぁ~っ!! こ、こんなはず、ないんだ、僕が、女なんかに、負けるはずが・・おぼごあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ~っ!!」


 頑迷がんめいな孔雀に、瑞穂はもう孔雀を相手にしているのではなかった。瑞穂の目が追っているのは神月五十六であり、長船言継であり、兼定玄斗であり、長谷部一幸であり、ほか彼女に呪縛を植え付けた男たちに対する、これが反撃の嚆矢こうしとなる。瑞穂は巨人に孔雀を拉がせ、押さえつけたままに両肩の関節を外させる。孔雀はそれこそ身の毛もよだつような悲鳴を上げた。瑞穂の心に相手を傷つけすぎたことに対する自責の念がよぎったが、つけいる隙を作ってはならないとそこは心を鬼にする。


「はぁ、はぁっ・ぼ、ぼくが、悪かったよ・・・も、もう・・許してくれ・・」


「もう二度と、わたしに危害を加えないと誓うのなら」


「ああ、誓うから・・」


 敗北宣言の孔雀を解放する瑞穂。不可視の(瑞穂には見えているが)巨人がどけられると、孔雀は瞬時に肩を入れ直し、瑞穂へ躍りかかった。


「くはぁ・・ははっ、甘いんだよ馬鹿が、死んじゃえよッ!!」


無数の、月輪の如き刃が、教室全体を巻き込んで乱れ舞う。しかしそれは次の瞬間、停止し、時間を逆回ししたように消失していく。瑞穂の神力、その一端、時の流れを操る力。本来十全の力を発揮するには大がかりな儀式と祭文の詠唱を必要とするが、今の瑞穂の体内には莫大な力のストック・・新羅辰馬の盈力えいりょくの決勝である、即ちは精・・があったために、今回限りながら力を現出するに困難はなかった。


 時が動き出して、さかのぼっていることに気づいた孔雀・・この時点で彼とても尋常の術者ではないが、あまりにも相手が悪すぎた・・。その身体が、ぐしゃ、といびつに握りつぶされる。


「そう出ることは、わかっていました」


 悲しげに瑞穂が言うや。消えたのではなく、どいただけの巨人が。主人の敵を倒すべく、その屈強な両のかいなに容赦ない力を込めた。


・・

・・・


 結局保健室に送られたのは孔雀であり、瑞穂の慈悲を無にした報いとして巨人の抱擁は孔雀の全身の骨をぐしゃぐしゃに砕いていた。瑞穂としても心をのぞいた際数々の少女たちへの陵虐の記憶がなければもう少し手加減したかもしれないが、自分と同じような目に遭わされた少女たちを思えばあそこで容赦する手はなかった。


 こうして、神楽坂瑞穂の編入初日はいきなりの乱闘で始まり、圧倒的な力の片鱗を見せつけた瑞穂はクラスに畏怖をもって迎えられたのである。


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