第46話 3章16話.剛強なるは必ず死し、仁義なるは王たり
全開で行く。
あと数分なら魔王の力も使えるだろうと、辰馬は呪い石を外した。
呪訣。覚醒する本質。天が謳い地が戦き、空が震える。
その、地上に生きるすべてが恐れにふるえるほどの霊威を前にして、「くく・・そうでなくてはな。来い、新羅辰馬。魔王殺しの栄爵も、ついでに貰っていくとしよう!」荒神を宿した神月五十六は悠然と微笑った。
「やかましーわ、やれるもんならやってみろ!」
地を蹴って、肉薄。打ち込む拳は真なる覚醒を経た盈力を帯びて、それだけで父・狼牙の天桜絶禍、叔母・ルーチェの七天熾天使に匹敵する威力。拳が空を裂くたびに、ぎゅおっ、ばひゅ、と轟音が響く。
そのとおりに、空を切るのだった。中たらない。新羅辰馬という天才が新羅江南流という高度に洗練された術理を今のレベルまでつきつめて、確実に仕留める意思を持って虚実をとりまぜての打撃を繰り出しているにもかかわらず。五十六の身体にはかすりもしない。風に舞う柳の葉、水面に揺れる笹船の歩法と体術。それは新羅江南流・陽炎の術理。
・・こいつ・・。
薄く笑いながらこちに目を合わせてくる五十六に、辰馬の脳裏でひとつの仮定。空間削撃以外にいくつか隠してあるのだろうこの相手の能力、そのひとつはおそらく「目を合わせた相手の技量をコピーする」もの。だから苛烈な攻防の中で、辰馬から目を離すわけにはいかないのだろう。とはいえ、術理が頭の中にあったところで鍛錬なしで新羅江南流の体術秘伝を使いこなせるはずもない。神月五十六の地力が相当高いレベルで肉体を錬磨していることは間違いがなかった。
そして、フェイントからの右ストレートを読まれ躱され、足下を軽く払われる辰馬。それ自体はほんの小さな崩しにすぎないが、達人同士の詠み合い化かし合いにおいてほんのささいな隙こそが致命。
意識が0.0000001ミリ秒にも満たない時間、足もとを向く。表層の意識は五十六から動いていない。身体も沈めたりしていない。
それでも、深層の意識がそちらをかすかに意識すれば、五十六には十分。
辰馬の打ち出した腕に、上から右の鈎手を引っかける。ぐい、打ち下ろし、そのまま引き崩す。上体が空いた。左の掌を辰馬の顎先に。打ち込む瞬間、くん、とスナップをきかせ、衝撃を反響させる。
どぉふっ!
「くぁ・・っ!?」
直撃。よろめく辰馬。魔王の霊威をまとうといえど、肉体そのものは人間ベースから変容したわけではない、脳を揺らされれば脳震盪を起こし、脳震盪を起こせばふらつき、よろめく。かろうじての判断で、追撃を避けて10メートルほど、一気に飛び退いた。無理してのバックステップにひどい吐き気がするが、あのまま間合いにいては仕留められている。どうしようもない。
くそ、にしても拳で上手いかれるとは・・腹ン立つ・・。
辰馬とて弓取りの子(部門の家柄)としての矜持がある。自分の技をコピーしただけの相手にやられるなどと、我慢できることではなかった。
つまるところ・・あっちのほうが冷静で理知的におれを分析できてるからおれをハメられるわけだ。こっちも冷静になれ。拳の達人なるは臆病謹慎。頭を使って、逆に罠にはめろ。向こうがこっちを舐めてるなら、もっと舐めてバカにさせて、驕らせろ。
苛烈な攻防の中で、わざと隙を作る。隙、といっても常人ならほぼ気づかない、巧妙に隠された空隙。それを五十六は誘い、と知って逆を打つ。それを何度も繰り返す。繰り返すうち、五十六の動きが単調化する。辰馬が隙を見せたら、自動で逆を打つ。惰性でその行動がすり込まれた五十六の一撃、大振りで止めに来る。それがわかっていれば、そこにカウンターを置いておくことは難しくない!
どぅっ!
今度は辰馬の右掌打が、五十六の頬桁をえぐりこむように叩いた。続けて左ボディ。さらに、右足を跳ね上げ、高角度で野太刀の斬撃を思わせる、必殺の上段回し蹴り! 神月五十六はガードもできず衝撃を逃すことも許されず、長い黒髪をなびかせて地面に這いつくばる。
「っし!」
「・・・・」
残心の構えを決める辰馬の前で、五十六の肩が震えた。痛みと屈辱からか、と思うも、「くくく、ははは・・!」という哄笑がそれを裏切る。ゆっくりと、片膝立ちになりつつ立ち上がる五十六は、浅黒くも端正な顔立ちに邪悪な笑みを浮かべた。
「効いた、効いたぞ新羅辰馬。さすがは魔王の継嗣。そして、さすがは我が生け贄! その力を儂に捧げるためにきてくれたこと、心の底から嬉しく思うぞ!」
「誰が生け贄か、ばかたれ。このまま沈めて終わらせる。観念しろ、クソ爺。次に目が覚めたら王城の牢獄だ」
まとう盈力の密度を高め、次こそ必殺の一撃をと構える辰馬。たちのぼる魔王の気は目に見えるほどに濃密な圧を帯び、しかしそれが徐々に徐々にと、かさを減らしていき、五十六へと流れていく。
「儂の・・ミカボシの能力は3つ。ひとつは空間削撃、ひとつは目視した相手の能力の模倣。そして最後のひとつが、「接触を持った相手の力を奪い取り、神力に変換する」力。さすがにそこまで膨大な盈力を一度には奪いきれんが・・なんにせよ、終わりだ。こうなった以上、遠からずお前の力は儂のもの。王手詰み・・お前流に草原の民の言い方で言うなら、シャー・ルフだ」
にやり、残忍に笑い。
轟!
と空を裂いて、巨大な虎の衝撃波が五十六を叩く。それはガードすらしない五十六の髪をわずか、そよがせたのみだったが、五十六はひどく苛ついた表情で不愉快げに相手を睨めつけた。
「この場に不相応の
「るせぇ・・親分がピンチの時に頑張れねぇで、なにが舎弟だよ・・シンタ、出水、気合い入れるぞ! 新羅さんに貰った恩、ここで返す!」
「「おぉっ!!」」
「身のほど知らずの塵が・・ならば死ね!」
駆けて間を詰める大輔に、五十六の無慈悲な空間削撃。「出水!」「合点承知でゴザル!」出水が術で造った石像が、大輔の目の前で身代わりになってぐしゃりと粉砕された。時間を得て、大輔は一気に踏み込む。大きく弓を引くように右腕を振りかぶる。毎日30万回の腕立て伏せと、同じく30万回の拳立て伏せ、30万回の指立て伏せと10万回の一指禅で鍛えた上半身。拳のタコは巻き藁がぐすぐずになるまで突きを繰り返した結実、土台となる足腰は日々、腕立てに劣らないだけ繰り返す片足スクワットの成果。その拳は石造りのゴーレムすら一撃で破砕する威力。
かつて、朝比奈大輔はきわめて荒んだ少年だった。家庭環境が劣悪で、水商売の母は不貞を繰り返し、そのヒモである父は酒を昼から酒をかっ喰らい、頭の上がらない妻の代わりに大輔を打擲した。幼い頃、まだまともだった父のすすめで空手に出会った大輔はやがて父よりはるかに強くなったが、父を憎みながらも結局、包丁すら向けて自分を虐め、脅し、痛めつける父を殴ることはできなかったから、傷が絶えることがなかった。
やがて蒼月館に入った大輔は空手部・・は存在しなかったから、拳闘部に入る。圧倒的に強かった大輔は一躍、エース候補と謳われるも、しかし不幸なことに彼は、自分で思う以上に強すぎた。軽い拳の一撃で前エースの3年生を再起不能にしてしまい、その1試合を最後に大輔は試合というものから閉め出されることになる。強者ゆえに、戦うことを禁ぜられた。
そうして、大輔は、同じような拳闘部くずれを集めて愚連隊を組織し大暴れするようになる。それを「おまえうっさい、しばくぞ」の一言とともに文字通り、たたきのめしたのが新羅辰馬。辰馬は「暴れたかったらおれがいくらでも相手してやっから、他人様の迷惑んなることはやめとけ。はっきり言ってみっともねーし」倒した大輔にそう言った。その後大輔は何度となく辰馬に挑み、挑む都度に荒んだ心のささくれがとれた。辰馬としてはただの五月蠅い同級生をしばいただけのことだったが、大輔がどれほど救われたかわからない。全力で殴っても構わない相手がいる、それは拳の道に生きる人間なら、間違いなくなによりも渇望すること。それが大輔が辰馬を親分・・主君と慕う確たる理由。シンタにも出水にも同じような理由があり、それはある意味で瑞穗や雫やエーリカが辰馬を想う気持ちにも劣らない。いざとなれば彼らは辰馬のために死ねる男たちであり、そして今がまさにその、いざというとき!
さておき。
馬鹿が。そんな大ぶりが・・。
五十六はそう嘲って、軽く上体を逸らそうとする。物理的な威力は驚異だが、五十六に当てることは不可能な大振りでしかない。
しかし。
いつの間にか、気配を消して背後から迫ったシンタが、五十六を羽交い締めにする。
「あんまり、脇役舐めんなよ、大神官猊下! ・・いけぇあ大輔!」
「おぉ!」
顔面に、朝比奈大輔全力の轟拳が叩き込まれる。鼻から血しぶきを上げて、五十六は吹っ飛んだ。
「・・く、くそ、塵が、いい気に・・」
「らあぁ!」
かろうじてダウンせず、残した五十六のボディに、大輔の連打。しかし五十六はそのすべてを受け、捌き、そしてカウンターを繰り出して大輔に膝をつかせる。全開の空間削撃を繰り出そうと、力を高めるその力が、しかし不自然に歪む。
「こ、れは・・瑞穗、・・貴様かっ!?」
「ようやく、貴方の力・・ミカボシをとらえることができました。万全の状態であったならどうしようもありませんでしたが、格下と侮っていた朝比奈さんたちから思わぬダメージを受けたことでほころびが生じましたね。人を見下す者はこうして、報いを受けることになります・・! これでようやく・・、お義父さまの仇と、わたしの恨み!」
淡く清浄な、光の発現。時軸の発動。時間が遡る。五十六とミカボシの、融合が解けるときまで。
「くあぁぁ・・っ!」
呻く五十六。封印の宝具、ミカボシの封石が、音を立てて落ちた。それをシンタが奪おうとするが、五十六は軽捷にそれを躱し、封石を取り戻す。とはいえすぐさまミカボシは降ろせない。「退け!」シンタを突き飛ばすと、脱兎のごとく星辰宮から飛び出す五十六。そのあまりに潔い撤退ぶりに、辰馬たちはあっけにとられ追うことができない。
「たぁくん、大丈夫?」
荒い息をつく辰馬に、ようやく我に返った雫が駆け寄る。雫もエーリカも、五十六のはなつ威圧に根源的恐怖心を刺激され、動くことができずにいたのだった。その恐怖の源泉はつまり、瑞穗がうけた仕打ちと同根。敗北し、陵辱されることを、雫とエーリカは恐れたということになる。
「あぁ・・なんとか無事・・。瑞穗に決着つけさせることが、できなかったな、すまん・・」
「・・いえ、あの老人を凌いだ、という事実があれば十分です。あの老人も、間違いなくわたしに負けたという現実に呪縛されることになるでしょう。それで十分、復讐は果たせました」
「じゃあ、これで終わり?」
「いや・・今すぐとって返すぞ! 戦場は・・三条平野か」
・
・・
・・・
「くそ・・まさか屑ごときに・・!」
五十六は通路の壁を力任せに殴りつけた。30前後に若返っていた顔や指は、ミカボシとの融合がとけたことでふたたび老いを感じさせるものになっている。何度かミカボシを身に降ろそうと試したものの、さっきまでミカボシを降ろしていられたのは磐座穣をはじめとしたヒノミヤ諸子のはたらきで蓄えた霊力を変換した神力あってこそ。今の衰えた五十六の霊力ではなにをか況んやだ。五十六は苦々しげに頭を振り、追っ手の恐怖に身震いした。
厩舎に趨る。馬厩士をなかば強引にどかし、一番名馬の栗毛の四白流星に跨がるとヒノミヤを駆け去る。
「捲土重来、このままでは終わらんぞ、儂は絶対に・・」
「神月老」
呪うように呟くもと、大神官の馬前を遮る、一人の赤い鎧の騎士。
「ガラハド! いいところに来た、護衛せよ!」
最強騎士を得てまだ運はつきていない、と意気を盛り返す五十六、その首元に突きつけられる、白く輝く長剣。
「牢城くんに言われたことがあり・・。騎士の責務に縛られるより、心の命じるままに振る舞ったらどうかと。・・心のままに振る舞うのなら、私の行動はこういうことになります」
そして。
剣光が閃いた。
・
・・
・・・
来た道を戻る辰馬たち。その前を遮る、ひとりの巫女。
肩までの、さらさらの金髪セミロングに、ヒノミヤの巫女としてはむしろ異端な、袖も分かれていないしごく普通の巫女服。青い瞳は復讐に燃えながらもなお美しく、清楚な美貌はヒノミヤの最後に残った女神と言うにふさわしい。右手に持った短杖を、磐座穣は辰馬へと突きつけた。
「磐座さん・・」
「ひとまずご勝利、おめでとうございます・・。ですが最後にヒノミヤ最後の一員として、お相手願いましょう。このわたしがいる限り、宗教特区ヒノミヤは、神月五十六さまの理想は焉りません!
「終われって・・今更、戦う意味ねーだろーが・・」
「意味はなくとも、意義はあります! わたしの誇りと矜持と、存在のすべてを賭けて最後の勝負です!」
神力の光を陽炎のように立ち昇らせ、穣は気炎を吐く。辰馬たちは顔を見合わせた。正直なところを言えば、もうこれ以上戦う意味はない。しかも現在辰馬の魔王化、雫の天壌無窮、瑞穂の時軸がことごとく打ち止めで、うっかり戦えば全滅させられかねない。ここはどうあっても戦うわけにいかない。どうやってあきらめてもらうかというのが眼目になる。
んー・・どーすっか・・。
逡巡する辰馬と、仲間たち。その前でひたすらに殺る気の穣。
その穣の頭を、突然現れた人影の剣がごすり、と叩いた。
「はぅ?」
あえなく目を回す穣。そこに立っていたのは、まだ辛そうにしてはいるものの動くことのできる程度に回復した磐座遷であった。
「ありがとう・・妹を死なせずに、済んだ。あとは司直に出頭して、罪を償うとする」
そう言い残し、軽く穣の華奢な身体を肩に担ぐと、磐座遷は去って行く。
「・・よし、んじゃ、あと一踏ん張りするぞ!」
・
・・
・・・
宰相、
普段なら文武百官が勢揃いしてしかるべき場所だが、今はラース・イラと総力戦という緊急事態。下級の文官がまばらに残ってはいるものの、上級士官のほとんどは出征中。しかし本田の顔は普段、将棋盤の前で策を練っているときとまるで変わらずなにを考えているかわからない。ただ、まったく焦ってはいないということだけがわかるのみだ。
「陛下、そろそろご出御の頃合いです」
「ふむ? そうか」
帝、永安帝も落ち着いたものである。いよいよ出番がきたということで、うきうきした顔で聞き返す。
「は。どうぞ救国の君として、名を成されませ」
すでにラース・イラ勢を駆逐する策は完成している。竜の魔女の出陣と、もうひとつの手もすぐに萌芽するだろう。あとは帝の出御という、錦の御旗で箔をつけるのみ。
「今度はこちらからラース・イラに攻め込むのもいいやもしれんな」
「ご冗談を」
冗談でもなく言った主君を、一言で窘める。怜悧冷徹な言葉ひとつで、独裁の君主たるはずの永安帝は震え上がってしまう。
そしてアカツキの元首と宰相が、いよいよ戦場に親征するはこびとなった。
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