第47話 3章17話.円石を千仞の山より転じるが如き者は勢いなり

 ヒノミヤにおける新羅辰馬の最後の仕事は、自分を解任することだった。


 ヒノミヤから兵を揚げさせるわけにはいかず、かといって辰馬がここにとどまっているわけにもいかない。そのために、大勝利を飾った明染焔たちと合流した辰馬は、すぐさま事後処理、もとヒノミヤの将でありここにとどまるに相応しい片倉長親と、最後に残った姫巫女、鷺宮蒼依に軍と指揮官印璽を引き継ぐと、自分は軍権を返上、山を下りると船で太宰に向かう。


「この水路がもっと大きけりゃなぁ、軍の進退も便利に・・あー、いかんわ、この考え方やめんと・・」


 甲板で風を受けながら運河の拡大だとかそれによる兵士と糧秣の運搬だとかを考えてしまい、辰馬はいかんいかんと頭を振る。わずか数日、仮の軍人生活だったというのに、ずいぶんとなじんでしまっている自分が怖い。


「確かに、水路が充実すればそれだけ流通の利便性も増しますからな。残念ながら、本朝は海運ということに対して意欲がない。このままではこれからの商業時代、ウェルスやヴェスローディアに置いて行かれましょう」

「うん・・あ? うん」


 突然話しかけられた。振り向くと男が立っている。


 30才前後の間、太い男だった。首が太く、腰が太く、腕が太い。出水も体躯として太ましいが、この男はぷにデブの出水と違い、ガチデブである。デブなのだが全身の肉がパンパンに詰まっていて、しかもその肉がみしりと硬い。そのせいでだらしない雰囲気はなく、堂々とした風格をまとう。髪型はアカツキには珍しいドレッドで、三白眼。鼻梁逞しく鼻は上を向き、唇は分厚くめくれる。どうお世辞を並べようが決して美男子ではないが、味がある、というのか。なんとなく憎めないものが感じられる。太く威風のある体躯をつつむのはクリームブラウンの三つ揃え。どちらかというと和装で前掛けでもしていればどこぞの大店のやり手若旦那といった風情だ。


「誰?」

「はは、警戒せんでください。小心者でしてね、そう怖い目をされると縮み上がってしまう」

「どこが。総身これ旦、って感じだけど」

「そちらこそ。放胆そのものの用兵と統帥力、感服いたしました。奪った土地でいっさいの略奪もなく、戦後すぐというのに民は安楽。おかげで商売も捗りました」

「商売? あぁ、やっぱ商人さんか」

「はい。梁田篤と申します、以後お見知りおきを」


 梁田と名乗った男は、そう言って胸ポケットから名刺を取り出し、辰馬に渡した。アカツキに名刺のやりとりという風習はまだないが、やはりこれも一応作家の出水が扱うので辰馬は驚くことなく受け取る。


 ふぅん、商業街区の山中屋・・山中・・あー・・。


「山中って、山中伊織の山中?」

「は、ご想像の通りです」

「つーことは・・ウチが伽耶の血筋ってことを知ったうえでここにいる・・ってことでいいんかな?」

「・・は」


 梁田は巨大な三白眼を、やや伏せて声をひそめた。拝跪する。


 山中伊織やまなか・いおりは約800年前、アカツキを2分した二人の皇帝、燕熙帝えんきてい凌河帝りょうがていの東西戦争において、敗者の側、凌河帝の下で活躍した武将。いにしえの闘将にあやかって月に七難八苦を祈願したといい、本当に苦難の人生を送ったことで知られるが、実のところ家財を主君のために使うことなく子孫に残し、商家を興したことから後世の人気は「忠義を尽くした闘将」という評と「主君より自分の家を重んじた悪将」という評で分かれる。


 それはまあ、いい。山中伊織は所詮、ローカルヒロインでしかなく、彼女が大英雄として広く人口に膾炙するに至れなかった理由はその主君筋に伊織をはるかにしのぐ、将器と武芸と、そして美貌とを兼ね備えたスーパーヒロインがいたからであった。


 その名を伽耶聖かや・ひじりという。皇弟ながら朝臣たちに祭りあげられ、悲劇の道をたどる凌河帝の物語に華麗絢爛な華を添える、アカツキ史上における最大の英雄。圧倒的大兵を擁し雲霞のごとく押し寄せる燕熙帝の軍を7度にわたり押し返し、最後の戦いでは『天の輝きの精霊ハジル・チンギス・テングリ』から授かった聖剣『天桜』で単騎900の首を獲ったと言われる女傑であり、そして、現行皇家の血を憚って声高にいうことはできないが、新羅家の祖にあたる。


 伽耶聖は最後にとらわれ、敗将として言語を絶する凌辱のあげくに蓬川沿いの河原で首を打たれるのだが、その子孫は幼かったために赦された。ただし伽耶の姓は朝敵であるためもっぱらに使えず、ために伽耶聖の息子親良の名を音読みしてシンラ、これが転じて新羅となり、ふたたび訓読に戻りしらぎ、となって現在につながる。現代においてこれはあえて隠していることではなく、少し血筋を調べればわかること。さすがに教科書に載っているほどではないが、歴史好きの人間が東西戦争期の書物を読んでいけばまず簡単にいきあたる。実際、辰馬はそうして気づいたし、傍若無人の祖父・新羅牛雄など公文書において堂々と伽耶朝臣牛雄、と書くぐらいだから、伽耶聖の配下であった山中伊織の子孫が、とつぜん現れた若い将軍に主君の影をみて参じたとしても疑うにはあたらない。


「主公、どうかこの私めを配下の末席にお加えくださいませ」

「あー、うん。まあ・・別にいいかな。軍人になるつもりはねーけど」

「今はそれで。ときが来れば竜は水を得て天に昇るもの。たとえご主公の願いがどうであろうとも、この乱世は主公を放っておきますまい」


 んー・・なんかこの人も、思い込み激しそうだな。長船といい、おれは三白眼のおっさんに懐かれる体質なんか・・。


「ひとまず、三条平野に向かわれるのでございますな? しかし兵がない」

「ん」

「将たるものが兵を将いずでは片手落ちというもの、どうか私めにお任せくださいませ」


・・

・・・


「どっから湧いたんすか、こんな大軍!? しかも装備も最新鋭!」


 ここ数日、必要に駆られて軍事カタログを熟読、結果すっかりにわか軍事オタと化した大輔が叫んだ。


 梁田篤が、軍の備品以外ではほとんど流通していない通信機で連絡を取った先は傭兵ギルド。太宰に到着した辰馬の前に、勢揃いする竜騎兵2万。彼らの持つ銃はライフリングされていないマスケットではなく、最新鋭のライフル銃であり、さらには連装式のガトリング銃砲すらも50挺、装備している。


「ジョン・鷹森です。金が続く限り、我が忠誠は絶対。どうぞよろしく、わが主君」


 まさしく森を見晴るかす鷹のごとくに鋭い目を柔和に緩めて、50がらみの褐色肌の傭兵隊長は辰馬に握手を求めた。辰馬も、うさんくさい無私の忠誠より「金の続く限り」という言葉に好感を持ち、逞しい手を握り返す。


「・・・・」

「・・っ!? ・・!」


 しばらく、握手が続き。


「はは、こりゃすげぇや。あっしぁこれでも、握力には自信があったんですがね・・」

「ここの焔とか大輔とか、おれより力強いけど?」

「ジーザス、どういう集まりだ・・。野郎ども、負けてらんねぇぞ!!」


 かくて辰馬たちはふたたび騎上の人となる。今回の行軍速度は、今までのそれより圧倒的に速い。馬の性能、傭兵たちの馬術、そして傭兵隊長ジョンの統帥術、それらが合わさって、ラース・イラの「騎士団」に匹敵する速力を生む。


・・

・・・


「多少は楽しめたけれど、最強騎士団のトップ、ここまでかしら?」


 竜の魔女・ニヌルタは嗜虐的に竜眼を煌めかす。その眼光の先に立つのは「騎士団」副団長セタンタ・フィアン。豪放闊達なる戦闘狂は、その全身に無数の大きな疵を負っていた。


 常人なら一つで致命、それを総身に負いながらなお不敵に笑ってのけるセタンタの精神力は大したものだが、実力差はあまりにも大きい。力の差は互いの身に負った傷の重さから明らかであり、序盤に奇襲奇策でおわせた軽傷をのぞいてニヌルタはほぼ無傷。


確かに俺じゃあこの魔女の相手にはならんか・・。だが、こいつをここに釘付けにすりゃあ、全体の戦況はラース・イラのもんだ!


 騎竜の爪と火炎の吐息を躱しつつ、セタンタは魔槍・ブリューナクを投擲する。必中にして必殺の槍は過たずニヌルタの心臓へと飛翔し、過たず貫いた。


 貫いたと見えるものの、ニヌルタは何事もなかったような顔で胸に突き立った槍を引き抜く。そして軽く頭上で旋回させると、フッ、と短い呼気とともに投げ返す。血しぶきが上がり、セタンタが膝を突く。


 実のところ、ニヌルタとて魔槍を無傷で受け止めているわけではない。ただ、今の彼女には潤沢に命のストックがあった。宰相・本田馨綋から与えられた『命の精髄』、禁術により精製された、抽出された人間の魂。


 一撃で間違いなく一人分の命を散らすのだから、確かに凄まじくはあるけれど。


 今の自分を崩すことは不可能。これ以上の遊びは無意味とそう確信して、ニヌルタは隻腕を天にかざす。


「天に蒼穹そうきゅう、地に金床! 万古ばんこの闇より分かれ出でし、汝ら万象の根元! 巨人殺しの神の大鋸、わが手に降りて万障ばんしょうを絶て!! 天地分かつ開闢の太刀ウルクリムミ!!」


 放たれる始原開闢の光。もはやここまで、とセタンタは瞑目して。


 網膜を焼く光が、消失。


 何事かと目を開けば、赤い鎧の背中。黄金色の短髪、セタンタより背は低いが、威風堂々たる背中のなんと頼もしいことか。


「貴方ともあろうものが、簡単に諦められては困ります。師匠」


 ややかすれたハスキーな声。騎士団長、ガラハド・ガラドリエル・ガラティーンの帰還であった。


「・・こりゃ、失礼・・。団長のお帰りだ! 押し返すぞ!!」


勇気百倍、ラース・イラの兵士たちはとてつもない鼓舞を得て、一挙アカツキの勢を打ち崩す。ヒノミヤの人造聖女、晦日美咲が行う奇蹟の力に匹敵するか、それ以上の効果を、ガラハドはただその背中を見せるだけで友軍に与える。


「あなたが、団長さん? なんだか危なそうねぇ・・まずは死んで。ウルクリムミ!」


 ニヌルタの誰何。と同時のウルクリムミ。しかしガラハドは剣でそれを受け、「ウルクリムミ」そのままに撃ち返す。光衝波はニヌルタと騎竜を猛然と飲み込み、防御障壁を間に合わせたニヌルタはともかく、竜は致命的大ダメージを負う。


「ッ!?」

「退け。無駄に殺すつもりはない」


 この言葉が竜の魔女の逆鱗に触れる。お前などいくらでも殺せる、そうとも取れる言葉を、ニヌルタは看過しえない。


「舐めて貰っては困るわね、団長さん」


 騎竜を降りる。命の精髄、3本ばかりまとめて呷った。


「全力で叩きのめしてあげる。わたしを侮ったこと、冥府の獄で後悔なさい」


・・

・・・


 アカツキ皇帝、永安帝・暁政國が戦場に到着、戦袍と軽甲に着替えて本陣の床几に腰掛けた瞬間、敵兵が突進してきて腰を抜かす。永安帝の来臨を知ってその首を狙った決死隊、これを阻むべく殿前都点検・元帥・本田為朝が近衛を督戦し、任をこなして敵決死隊を全滅させるが、為朝はその乱戦のなか、皇帝を護り戦死。


「主上、前線に出られませ」


 宰相・本田馨綋の言葉に、永安帝はおびえきって首を振る。いつどこから凶刃が襲うか知れない、こんなことなら出御など考えねばよかったと泣きわめく。


「怯えることはありません。敵の威勢もここまで、次はこちらの手が結実するときです」


 本田はそう言って、戦死した本田の元帥杖を拾う。


 高らかに、北に向け、かざす。


 計算通りのタイミングで、鬨の声が天地をどよもした。彼らはアカツキ北方の守護者、桃華帝国との対峙していた元帥・井伊の20万、大返しでの参戦であり、その後方に続くのは桃華帝国の鎮南将軍、東方屈指の用兵巧者・呂燦の旗。


 新羅辰馬が戦場に到着したのは、このときである。


・・

・・・


 普通なら3日の行程を、2日で駆け抜けて本営に参じた辰馬たちと、2万の兵。


「うし、往くか」

「ちょっと待った、辰馬サン」


 さっそく陣頭に出ようとする辰馬を、シンタが呼び止める。


「あ?」

「これ着ねーと。辰馬サンの正装」


渡される、白い布。辰馬の顔がたちまち渋面になる。


「お前・・ホントしばくぞ。こんなもん二度と着るか、ばかたれ!」

「でも、間違いなくこれ着た方が士気上がるんすよ?」

「ぐ・・」

「辰馬サンが恥ずかしがったせいで兵士が無駄に死ぬことになるかもなーぁ? まあ、しかたねーか、無理にとは言えねーしぃ? でも辰馬サンが覚悟すれば、無駄に死ぬ兵士が確実に減るんスよねぇ~」

「く・・っ」

「ほら。また歌って踊りましょ、辰馬サン?」

「・・くそ、ホント泣くぞ・・、着替えっから消えろ、うらぁ!」


・・

・・・


 ほんんど宰相・本田に引きずられる形で陣頭に立たされた永安帝・暁政圀。数十年ぶりに立つ戦場に、テンゲリの王子ハジルに植え付けられた恐怖がよみがえり全身が総毛立つ。そういえば今のラース・イラの宰相はあのハジルだというではないか。皇帝としての体裁など投げ捨てて、身も世もなく逃げ出したかった。


 吼えたいほどの恐怖。


 隣で平然としている宰相が、憎くてしようがない。だが彼らなしで国を立ちゆかせることができないことを忘れられない程度には、永安帝は理性的であった。暗君であり、専横の君ではあるが、暴君ではない。


 そうして恐怖と戦いながら陣前を通り過ぎる兵たちを見送るなかで。


「!?」


 永安帝の心が、ズッキュウゥ~ン♡ と高鳴った。


 腰ほどまでの、緩くウェーブを描く銀髪。ツリ目がちの大きく濡れた瞳は紅玉の輝き、鼻梁すらりと伸びる。唇と頬はほのかに紅く、もの柔らかなあごのラインがいかにも育ちの良さそうな気品と優しく典雅な性格を物語る。身にまとうは白く華奢な鎧甲と、羽衣のような白いローブ。胸は・・どうにも残念な絶壁具合だが、それを補ってあまりある可憐な美貌。まさに天使。


 ありていにいってしまって、女装した新羅辰馬なのだが。初見の永安帝は完全に騙される。恐怖も忘れて本田の袖を引いた。


「宰相。あの者は誰だ? 姓氏は、出身は、親は?」

「はて、過分にして存じませんな。あとで調べておきましょう・・しかしこの乱戦、うっかりしていては彼女も・・」

「いかん! 全軍突撃! あの娘を討たせるな!」


 本田馨綋という人物は天才的な博覧強記を誇る。辰馬のことは晦日美咲ほか諜報部の報告でその容姿すっかり頭に入っており、女装とは言え特別メイクを施しているわけでもない辰馬を見間違うはずもない。


 しかし本田があえてとぼけたことで、アカツキ本陣が大挙して動く。敵味方併せて100万、とはいえ一度に60万と40万の総力が動いたわけでは、当然なかったが。ここにきてアカツキはその全軍を一挙動かすという壮挙に出る。その理由が皇帝のとち狂った恋情というのが締まらないところではあるが、竜の魔女の参戦、北方元帥・井伊の大返しと援軍たる桃華帝国の呂鎮南、それに加えてこの一挙全軍投入。これで戦の勢いはとうとう、完全にアカツキに傾いた。


・・

・・・


 ここまで、だな。戦果は十分。


 ガラハドは強烈なチャージでニヌルタを崩し、牽制の一撃。ニヌルタはわずかに身じろぎして躱し、その隙にガラハドは馬腹を蹴って戦闘領域を外れる。ラース・イラの騎士たちは一糸乱れぬ統制で、かの騎士団長に続いた。後方からアカツキ勢が撤退の敵軍の隙に乗じようとするが、ガラハドは一切の隙を見せることなく、むしろ追撃のアカツキ勢に手痛い痛撃を加えた。


・・

・・・


「やっと終わり、か・・。ふっはぁ~、ホント、大概疲れたが。頭ン中ちゃっちゃくちゃらんなるし」


 新羅辰馬は撤退していくラース・イラの兵たちを見送り、ここ数日の緊張からようやく解き放たれる。指揮杖がわりの旗をぽいと放り捨て、そして歴史に残る三文字の言葉を残す。


「勝利、平和、万歳!」


「「「勝利、平和、万歳!!」」」


 すかさず、大輔たちが腕を突き上げ、唱和すると、


「「「勝利、平和、万歳!!!」」」


それは2万傭兵隊に広がり、やがてアカツキ全軍に広がる。この三文字は単に、辰馬がなんとはなしに口にしただけの言葉だったが。のちに新羅辰馬と彼に従うすべての兵士たちの合い言葉として、大陸を席巻することとなる。


 アルティミシア大陸、帝暦1816年8月6日。


 後世に「ヒノミヤ事変」として伝わる大事件は、ここに終幕した。

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