第48話 3章18話.跋-清算
ヒノミヤ事変におけるそれぞれの損害。
アカツキ↔ヒノミヤ戦線は9万対7万でそれぞれの損害8500、31000。ヒノミヤ側の損害は実に実働兵力の半分近く、アカツキ勢は相当に勇戦したものの、それでも1割の大損害を被った。軍旅の事としては互いに当分、再起不能といってよい。
そしてアカツキ↔ラース・イラ戦線。アカツキの最終兵力は援軍を得て倍近く膨れあがったが、戦闘開始時点における公称値は40万対60万、損害は2万と19000。これもヒノミヤ戦線ほどの苛烈さではないが、およそ全軍の5%という損耗はこれまでの戦争とは一線を画す。総力戦の時代が幕を開けつつあった。
戦後、アカツキ皇帝永安帝はある少女を探して一時使い物にならなくなったが、この皇帝は暗君ながら無能ではなく、自分の立場を護るための保身感覚においては優秀と言っていい。すぐに特赦を出して人気取りをはかり、公庫を開いて施しを行い各地を賑わした。
そして恩人たる元帥・殿前都点検、本田為朝の慰霊を国葬として盛大に行う。本田は民衆に非常に人気のある元帥だったから、これも人気取りの一環と言えた。人気取り人事はさらに続き、本来殿前都点検を継承するのは過去の実績、そして今回の戦において援軍を果たした功労から井伊であるはずだったが、永安帝はこの最重要のポストに本田の娘、弱冠の姫沙良をつける。姫沙良は非常に戦意の高い部隊をひきいて勇戦したもののその活躍は局地的なものにすぎず、この人事には自分が大元帥となるはずだった井伊の恨み節もあって紛糾したが、永安帝は鶴の一言で断行した。
宗教特区ヒノミヤも、大きな変革を余儀なくされた。陰謀家、神月五十六の画策と蠢動が明るみに出たことでアカツキ司直の手が入り、それまで国家権力と真っ向から対峙できた巨大宗教組織は規模を大きく減らすこととなる。
その指導者に推戴されたのは、最後に残った姫巫女・鷺宮蒼依。流浪の武芸巫女から異例にして破格の栄達だが、本人はあまり嬉しがっていない。窮屈な椅子の座り具合に居心地の悪さを感じ、斎姫としての条件であるホノアカの『心臓』の適合者でないこともあり、もっと相応しい指導者・・正統な斎姫である神楽坂瑞穗を招聘して立場を変わって貰うべく何度も打診したが、瑞穗は穏やかに、しかしはっきりと断る。以前ならともかく、今となっては瑞穗にとって辰馬のそばという場所は、ただ肉体的欲求だけの理由ではなく特別になっていた。丁重に断り、新しいヒノミヤの発展を祈りますと言い添えた。
長船言継により一度毀された神威那琴と沼島寧々が帰還して蒼依の補佐につく。彼女らの心の傷が癒えることは一生、ないのだろうが、人間という生き物はそんな傷にもどうにか折り合いをつけて生きていくのだろう。
もとヒノミヤの大神官、神月五十六は、いつの間にか京師太宰の保安部前に置き捨てられていた。その力を恐れられた老神官はしかし昔日の力の片鱗面影もなく、現在王城柱天の地下室で尋問を受けている。
五十六の精神力はさすがなもので、苛烈な拷問にもほとんど声ひとつあげない。しかし彼がアカツキの脅威となることはもうない。力を取り戻すより早く、老衰が彼を葬るだろう。一時を撼がせた一代の梟勇も、役目を終えて退場すれば哀れなものだった。
先手衆筆頭、磐座遷は妹と連座して司直に出頭。極刑を覚悟したが、尋問という面談に訪れた宰相・本田馨綋は彼に司法取引を持ちかけ、私的な密偵として迎えた。当然、これまで通り汚れ仕事も担わせられるのだろうが、まず温情的な措置だったといっていい。彼の時間の砂時計はまだまだたっぷりと時間を残しており、その意味で彼にとって物語はまだ終わっていない。
兄以上に時間を残している妹、ヒノミヤの軍師・磐座穣は、尋問に対してあっさりとすべてを話した。今更、隠して意味のある情報などないだろうし、隠してもすぐに暴かれる。そう判断した結果だった。美少女捕虜を拷問する期待に記述官を置かず挑んだ獄吏はあからさまに落胆し、そしてむしろ穣が口にする情報の膨大を記述させられて逆に精神と手首を傷つけられた。
穣もまた兄同様に宰相・本田の誘いを受けたが、神月五十六に心酔している穣は当然、一切の言葉に耳を貸さなかった。本田としてはこの知恵長けすぎた少女の首に縄をつけることなく解放するのは危険すぎるわけで、ならば監視を兼ねて学校に通うよう言いつける。蒼月館なら新羅辰馬を監視している諜報部の晦日美咲がおり、穣も五十六の仇である新羅辰馬を監視できるから理由付けができる。本田としても魔王継嗣と天才軍師を互いに牽制させ合い、それを美咲に監視させることで保険ができるというわけで、三方両得とはならないが穣と本田、双方にメリットはある。磐座穣はこの条件を呑み、代わりに定期的にヒノミヤに戻って事務処理、組織経営を続けることを許可させた。
冒険者育成校・蒼月館の組織経営も、多少の変容を見せた。校長は女性のままだが、理事会に男性が4人増員されて女性主権の風を少々緩めた。また、直接に学園を運営する学生会の男子に対する風当たりも柔らかいものになる。ニヌルタに唆され、踊らされて利用されるだけ利用された学生会長・北嶺院文は自分の不明を羞じ、屈辱に打ち震えた結果、「全てはあいつが悪い」と新羅辰馬を睨み付ける日々を送るが、じっと辰馬ばかり見つめているうち、その胸にやたら甘やかなものが去来する。辰馬は容姿だけなら少年というより美少女なわけで、レズビアンの文が美貌の魔力にいままで参らなかったのはフィルターをかけていたからに過ぎない。うっかり気を抜いて惚れてしまうのも無理からぬことではあった。かわってそれまで文の恋人の地位にあった林崎優姫が、辰馬を目の敵にするようになる。
副会長ラシケス・フィーネ・ロザリンドはあの事件後、すぐに立ち直り、学園の礼拝堂で普段通りに笑顔を振りまいているかに見える。が、一番トラウマが根深いのはこのタイプであり、なまじっか本人が傷を蓋する精神力を持っているために我慢できてしまい、手遅れになるまで気づかれにくい。時折、さしたる理由もなく悲鳴を上げるラシケスに先輩で親友である北嶺院文は療養を勧め、西方の聖女は夏休みから9月の間、高原の避暑地に療養に向かった。
そして、新羅辰馬の身辺も、不変ではない。
なにより大きいことは、
辰馬の結婚。
これだろうか。
相手は神楽坂瑞穗でも、牢城雫でも、エーリカ・リスティ・ヴェスローディアでもない。辰馬にとってはまったく、影も形も知らない相手である。
小日向ゆか。
アカツキ皇室傍流三家、覇城・北嶺院・小日向の一家、小日向家の当主であり、晦日美咲の仕える主君でもある。
伽耶聖の裔、新羅家の跡取り、新羅辰馬。
それが公人として無能なら、なんとでもなる。問題なかったのだが、辰馬は軍人としての破格の将器と、凄絶なまでに人を惹きつけるカリスマを二つながらに証明して見せた。アカツキという国はこれを看過できない存在と見ざるを得ない。辰馬に野心がなかったとしても何人か野心的な諸侯が辰馬を担ぎ、「凌河帝の衣鉢を継ぐ」などと題目を並べたら国が割れる。
というわけで楔を打つ必要に駆られ、本田馨綋が打った策がこの一手である。まがりなりにも皇籍の小日向家と新羅家の縁談をまとめることで、新羅家を皇室の連枝として取り込んでしまうという訳だ。瑞穗、雫、エーリカ、そして竜の魔女に受けた傷から回復した女神サティアの四人は非常に不本意な顔をしたが、さすがにこの縁談に横車も入れられない。1816年9月16日、新羅辰馬と小日向ゆかは華燭の典を迎えた。
それだけで終わらない。皇籍であるゆかを住まわせるに寮の一室などゆるされるものではなく、というわけで、蒼月館の敷地に突貫工事で、少し小さめの宮殿が建てられた。小日向家の公主、ゆかと新郎、新羅辰馬、そして辰馬の側妾たちはこの中に入ることとなる。
小日向ゆかという少女は素直であり、悪い子ではないのだが、なにぶんにも。
ガキすぎるよなぁ・・
辰馬としてはそう、嘆息せざるを得ない。
ゆかはまだ9才。美少女であることはまちがいないが、ロリコンではない辰馬としては突然降って湧いた妹ぐらいにしか思えない。子供ながらのわがままさと無計画な浪費癖を持ち、さらにため息の増えることに、
「あなたを監視させていただきます」
唐突に転入してきて四六時中辰馬の挙動を観察する磐座穣と、「主君であるゆかさまのお世話は、わたしの役目」とほぼ一日中宮殿に入り浸る美咲。気づけばなんだか熱い視線を注いでくる学生会長と、辰馬が結婚話を受けたときからずっと機嫌悪げな瑞穗、雫、エーリカ、サティアの四人。
なんだこれ・・。
そう思わざるを得ず、宮殿から抜けて学園外で落ち合った大輔たちにこの悩みを打ち明けると、「贅沢なこってすねぇ」と逆に盛大なため息で返された。
いやホントに悩んでんだけど。
しかも、ゆかとの婚儀で名目的に皇籍に列したとはいえ勝手に押しつけられた宮殿の維持費やら生活費やら、そういうものが公布されるわけでもない(ヒノミヤ事変の膨大な報酬は宮殿の造営費を請求されて飛んだ)。むしろ小日向家が国に負っていた借金の返済を押しつけられて辰馬の生活はひどく逼迫され、過去のゆかの浪費は新規にAランク案件をこなしてそれなりの報酬を受けても足りないほどである。宰相の狙いは餓え《かつえ》殺しかと疑わざるを得ない。
まあそれはいい。よくはないが、とりあえず置く。
そして。
ヒノミヤ事変から2ヶ月、11月1日、神楽坂瑞穗は義父・相模の墓を建立した。
寸刻みに切り刻まれた相模の死骸はほぼ原形をとどめず残らなかったが、瑞穗は遺髪と素服を遺体がわりの人形にまとわせ、しめやかに葬儀を行った。墓には辰馬も呼ばれた。瑞穗も辰馬も、式服や巫女服、かんみそという姿ではなく、神前ということを意識しない普段着姿。寒がりの瑞穗はこの時期もう冬着の重武装である。神に祈ることのない辰馬だが、ただの個人的敬意から、顔を合わせたこともない故人に素直な気持ちで手を合わせた。
このときを境にして、神楽坂瑞穗は性格にやや変化を見せる。恐怖と臆病、それを復讐心で糊塗して自身を支えていた少女の性格は大きく変化するわけではないが、少しだけ柔らかく、そしてわがままに自分を主張するようになった。正しい言い方をすれば、本来の人柄に立ち戻ったというべきであろう。
「いままで、わたしはいろいろなことに絡め取られ、囚われていましたが、ようやく新しい一歩を踏み出すことができそうです。全てはご主人さまの・・辰馬さまのおかげです。どうも、これまでありがとうございました・・これから先も、そばに置いて下さいますか?」
辰馬の腕を取り、121センチの超弩級柔肉を大胆にすりつけながら、やや紅潮した顔で瑞穗は辰馬を見上げる。辰馬がこれまでに見たどの表情より、自然でかわいらしい表情だった。
この顔を見るために、ここまでやってきたんかな、おれは・・。
わずかに、感慨。
「あぁ・・。これから、よろしく。瑞穗」
「はい! 不束者ですが、辰馬さま!」
瑞穗はより強く辰馬の薄い胸板に顔を埋め、それまで我慢してきた涙を精算するように盛大に泣いた。辰馬はその背中を抱きとめ、優しく撫でる。ヒノミヤ事変、ひとりの少女の悲劇に端を発する長かった物語は、ひとまずここに終わった。
黒き翼の大天使~第1幕~ヒノミヤ事変篇 遠蛮長恨歌 @enban
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