第34話 3章4話.混水摸魚
偏将となった辰馬だが、その仕事はむしろ雑用係に近い。上からの命令を下に通達、下からの要望のとりまとめ、就任から30分で、辰馬は精神疲労の極に達した。事務処理能力が低いわけではないがやはり性格的に向き不向きはあるもので、そこのところは参議官としてそばに控える瑞穂と分担する。前々からもしかしてこの娘、すごい頭いいんでは、と思うところはあったが、実際その事務処理能力は辰馬に十倍した。辰馬の能力が低いわけでなく、常人に数倍する辰馬の、さらに十倍。絶人の域といっていい。立て続けに右から左から錯綜する情報に混乱すると、瑞穂がそばで耳打ちしてくれるのが非常に助かる。
もうひとり異能を発揮するのは、エーリカ・リスティ・ヴェスローディア。この少女は「先天的に偉そうで向かない」辰馬、「内向的・臆病すぎて向かない」瑞穂の苦手分野である外交と渉外・周旋という分野にとてつもない才能を発揮、各部署からの苦情その他諸々についてを一手に捌き、粗漏も遅滞もない。
意外なところで意外な才能があるもんだ。
辰馬はぼんやりそう思うものの、自分の将器というものをまだ認識していない。初戦で、手勢五百にして敵主力二万を完敗させた手腕はすでにして各部に伝達され、今回こそ「あれが新羅の・・」という風評を確立しているのだが、辰馬は普段からそういう視線になれているせいか、まったくといっていいほどに気づかないでいる。
とはいえまだ30分でしかない。ここからいやというほど、世間を知ることになるだろうが。
師団長・晦日美咲から、12師指揮官各位に伝達。反撃戦の意思統一について。
その伝令が達するや、辰馬は筆を放って
「先駆ける!」
隷下500と新規に預けられた500、総勢1000人を前してそれだけ告げると、馬にまたがり駆け出した。この馬に関してもさっきまでは国からの借り物だったが、将官となったことで正式に辰馬の持ち馬に。まあ国もただでくれるわけでなく、俸給から馬頭費100000弊(約100万円)、さっ引かれるのだが。馬前使のシンタと馬後使・出水が慌てて追う。焔と武人もそれに続いた。
瑞穂も追う。彼女の知謀は運筹帷幄というべきであり、主君のそばで謀計百出してこそ輝く。どんくさい瑞穂が名馬を得て猛突する辰馬に追いつけるはずもないが、幸い、彼女についてはさきの斎姫ということで優遇措置、車駕が用意されている。ひとを顎で使うのは気の持ちようとして心苦しいがこの際であり、瑞穂は役夫を叱咤勉励、辰馬を追わせた。
大輔も残余の兵をまとめて辰馬のあとを追う。なにせ辰馬がひといきで連れて行った兵は100人かそこらである。まず残り900を合流させねばならず、食糧もてぶらというわけにはいかない。そういう地味で地道だが絶対に必要な作業に関して、大輔は天才といえた。ふつうの天才に見受けられる、輝かしいひらめきはない。しかし彼の用兵には堅実なまちがいのなさがあった。そもそもざっと一目しただけで「この人数が1日で使う食糧」をざっと算出できるあたり、これも異能といえる。このあたりが後生、赤竜帝国五大元帥のひとりに名を連ねる要因となるのだが、まだこのときの大輔にとって自分が将来職業軍人になることも国を構えることも、完全に慮外である。
エーリカは自分の「盾」としての能力と事務処理能力を秤に掛け、まずこちらだろうと事務能力の方をとる。本営の晦日美咲のもとを訪れ、各部署、上下の折衝にあたり、抜け駆けの辰馬へに対する風当たりが少しでも少なくすむように計らう。
・
・・
・・・
「敵襲! 敵襲です!」
「落ち着ついてください。数は?」
「数百から一千、寡兵ですが勢いがすさまじく・・こちらの敷いた防衛戦が次々破られています!」
それを達成するために。
「那琴さん、いけますか? いま、攻めてきている一千はおそらく、アカツキ最強の千騎といえるはずですが」
「問題なしだ。殲滅戦には飽いたところ、存分に雌雄を決してくるさ」
漆黒の巫女服を翻し、那琴は男前に答えると隷下の部卒に指示を飛ばす。きびきびと律動的なその兵の動きから、彼らがヒノミヤの精鋭足ることがうかがえる。
一躍、鞍上にまたがる那琴は150センチちかい長刀をゾロリと抜き、それを掲げた。
「ヒノミヤが巫女の第二位、
突騎出撃。新羅辰馬の部隊は歩兵が主で、那琴の突騎は当然、騎兵。兵力は1000対8000、まず平地での激突なら負けないが、辰馬の詐略がどうくるか、穣であってもそこの読みが難しい。ひとまず那琴に注意を促すだけはしたものの、神威那琴という少女は武人的直情の人であり、心理的陥穽を衝かれると弱い。
本来わたしが向かうべきでしょうが・・。
全体を俯瞰できる人材は得がたい。穣の見たところヒノミヤにそれができる将は客分ガラハドと、不気味な先手衆の長船言継しかおらず、長船は信用に値しないしガラハドが信用できたとして他国人でヒノミヤの正式な一員でもないガラハドに任せるわけにも行かない。しぜん穣に権が集中する。神月五十六なら全体を俯瞰して指図を出せるだろうが、五十六はいま女神ホノアカの力のすべてを、山南交喙へ降ろす大魔術のさなかにあり行動不能である。最高指令権を任された穣が、一局地戦に自分の才能を使い切るわけにはいかなかった。
「巫女さま、狡いですな。この私にも手柄を立てる余地を残してもらえませんと」
ゆら、と立ち寄ってそういうのは、
「指揮系統が二つになっては混乱をきたします。長船様には別の戦場を用意しますので、ひとまずここは神威にお任せを・・」
「は、イヤなこった。アカツキの新顔を叩いていいところを見せたいんだろーがよ、そうはいかねぇ。巫女に手柄を独占させてたまるかよ、俺は勝手にやらせてもらう!」
言い捨て踵を返し、言継はその場を辞す。穣はこのとき追って止めるべきだったかも知れないが、どうしても彼への生理的嫌悪が先立ち、大過なかろうと黙認してしまう。このちいさな断ミスが実にこの「ヒノミヤ事変」の行く末を決定づけるのだが、それはこの時点で人の身におよびつくところではなかった。
・
・・
・・・
辰馬は愛馬を停まらせる。
敵が、近い。地面を走る馬蹄の音、遠くとどろく指揮官の
猶予2時間あるかないか、ってとこか・・。
まず、偵察の密偵部隊・・といっても専門職など配下にいるはずもなく、新兵中から使えそうな者を適当に抜擢しただけだが・・を放つ。
つぐ間に思索。平野と浅瀬・・行軍速度からして騎兵主体だろーし、真っ向勝負では無理。となると浅瀬に追い立てる、か。
そのあたりを、瑞穂に計る。当然ほかに手はないので意見は一致するが、問題はどうやって敵を浅瀬に落とすか。
半刻とせず、偵察隊が戻る。敵突騎6000騎、指揮官神威那琴、もう一隊、騎兵8500騎、指揮官長船言継。
「二人、か・・。それならむしろやりやすいかもな」
「はい。まず使うべきは
と、そう言われても辰馬は読書厨、歴史マニアであって兵法に明るい訳ではない。詳しく、と言うと瑞穂ははじらったように一つ咳払いし、混水摸魚の計について語る。簡単に言えば敵の指揮系統を乱してこちらのいいように操縦してしまおうという、そういう策であり、言われてみればそう難しい話ではない。相手の指揮官の統率力がどれほどかということにもよるが、この際敵が一人ではなく二人、相食ませるのに都合がいいと考えるべき。
急ぎ敵陣に向け、使者を放つ。使者には密書。もちろんフェイクであり、捕まり発見されることを見越してのものだ。
いや、これ仕込んで見つからなかったら大失敗なんだが。
まさかそんなことはないと思うが。敵がよほど間抜けだったらそれもあり得る。相手の程度までをも考え、見切るというのは難しい。
那琴の陣には、長船言継のヒノミヤ離反の件に関する
そして言継の陣には、言継を忌んだ磐座穣による、神威那琴への長船抹殺指令、誅殺を促す書状をつかませる。これで両者を疑心暗鬼とさせ、可能ならば互いに食ませる狙い。両者の性格や心理状態を鑑みてまずうまくいくだろう、ということなのだが・・
「瑞穂お前・・よくこんなの思いつくな・・えげつない」
思わず出た台詞はそれである。奇しくも先ほど、シンタが見方に敵の大軍をおしつけた際にも言ったことだが、えげつないとそう言うほかない。確かに勝つために万端の策を求めたのは辰馬なのだが、すかさずこんな策をひねり出してくる瑞穂の頭脳、その希代にして奇態な構造に恐怖すら憶える。
しかしそれは辰馬にだけは言われたくなかった言葉のようで、瑞穂は明らかなショックを受けて震え出す。「あー、悪い悪い、すまん」辰馬は後悔して瑞穂の頭をなでた。背中をさすってやりたいところだが、かんみその背中は辰馬が触るには露出が高すぎる。
「そんじゃまあ敵さんをお迎えしよーかね。・・この辺って、地名は?」
地元が近いらしい兵が答える。
「ってことは、・・後世の史書に曰く、この戦いで、当時偏将の新羅辰馬は名を成すことになりました。すなわち風嘯平の一戦です!」
冗談めかしてそう言う。事実後世の歴史書にそう記されることになるということを、今の辰馬はまだ知らない。
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