第33話 3章3話.渾金璞玉

 一度見破られた以上、崖越えのルートはもう使えない。


 となると正攻法でヒノミヤを攻略していくしかないわけだが、新羅辰馬という個人になんらかの後ろ盾があるわけでない以上、この軍における始まりは一兵卒、あるいはよくて下士官としてということになる。


 まあそれは構わんが・・兵隊が、ろくに鍛えてない新兵ばっかだな。これじゃ兵を棄てるのと変わらん・・。


 辰馬はアカツキ本営から列車でヒノミヤ境界に搬送されてくる兵士たちを、そう断じた。


 現在アカツキ100万の軍のうち、殿前都点検(軍部総司令官/大元帥)本田為朝ほんだ・ただとも率いる最精鋭40万は西方ラース・イラとの国境にあり、そして副元帥・井伊義経率いる20は北方桃華帝国への備えに出払って、残り40万。うち20万が禁裏の守護であり、残った20万が現在、対ヒノミヤ戦の兵として投入されてきているわけだが、辰馬が見切った通り、これはろくに練兵も終えていない新兵か、退役兵のどちらかで、精鋭というにはほど遠かった。


 それに対して、ヒノミヤの勢は強い。


 なにせ国家最大の宗教法人。圧倒的に金を持っているわけで、最新鋭の装備、火器をかっちり備えている。少なくとも反乱民兵といってイメージされる、貧相な姿と彼らの印象には、天地の開きがあった。むしろ兵が弱卒新兵、指揮官クラスが冒険者、傭兵の混成であるアカツキ軍のほうが、武装も練度も劣弱であった。


 さらにいえば、信仰の力という差もある。アカツキの兵は死を恐れない。死ねば女神ホノアカの居ます「神の庭」に招かれると信じる彼らは、戦場で一兵でも多く殺して死ぬことを本懐とする。武技について練達の冒険者に劣っても、戦意はその点をたやすく覆す。


 信仰というなら、もうひとつ。アカツキ正面軍最前線にある少女。


 山南交喙やまなみ・いすか


昨日は翼の守備に徹していた彼女が、今日は正面に立つ。


 新たなる斎姫に懐疑的なものもいるにはいるが、大多数は女神の現身を歓呼をもって迎える。そしてその歓呼は交喙の力となり、交喙が力を増せば信者たちの力も増すという循環をなす。さすがに大兵同士の戦いで昨日のような螺旋火をガンガン撃ってくることこそないが、とにかく配下の衆に死力を尽くさせる、アカツキの象徴的な意味で、彼女は軍神といえた。


「とはいえ。ここが一番、楽な相手なんだよなぁ・・」


 辰馬はぼやくように呟く。左右の翼に回れば、最強騎士ガラハドや天才軍師・磐座穣に当たる。それに比べればここが一番、与しやすい。


 ぼやいた辰馬は、下士官用の天幕の中にいる。すくなくとも兵卒としての待遇ではなく、下士官でもない。明らかに将校としての遇。


 敵マスケット兵の銃撃により所属部隊長が斃され、さらにその狙撃手へと報復突撃を敢行した副隊長もが射斃され、遺骸を守ってどうにか部隊壊滅を防いだ辰馬を、衆が推戴した形で、いま辰馬は500人隊長として指揮杖を持っていた。


 人を使うとか、はっきりいって性に合わんのだが・・。ま、いーか。


 まず、輜重の牛を潰して500人全員に振る舞う。輜重の糧を勝手に使うこと、これは500人隊長の権限としてはすでに十分越権だったが、辰馬は「文句は戻ってから聞く」と監察官を黙らせ、指揮杖を握って掲げる。


「さ、そんじゃあとは、手柄立てたら褒美はいくらでも、だ。まずここは一瀉千里、突っ切るぞー!」


 “重賞の下には、必ず勇夫あり”という兵法の言葉を、辰馬が知っているわけではない。だが辰馬は自他共に認める読書好きの歴史オタクであり、人心を収攬するすべに関しては十分わきまえている。たっぷり腹を満たし、新しい指揮官の下意気あがる配下500人を率いて、辰馬は馬にまたがった。


 ぉ、おお・・高いな、結構・・。


 馬上の人になった経験は、中等学校時代の修学旅行先で馬厩舎に寄ったときぐらい。ほかには経験がない。まあなんとかなるし。と太ももを締め、手綱を絞りながら軽く馬服を蹴る。


 ん。なかなか、いい馬かもしんない。


「辰馬サン、いーご身分スね?」

「まさか主様が拙者たちをこうして見下すときが来るとは・・くっ、嘆かわしい!」


 馬前と馬後に控えるシンタと出水が、なんかひがんでいるような、そのくせ誇らしげなような顔で茶々を入れた。


「乗りたいなら代わるぞー」

「いや、いらんス。落ちて骨とか折りたくねーし」

「囃したいだけでゴザルから、気になさらんと」

「?」


 辰馬は首をかしげるが、簡単なことである。自分たちが主と仰いでいた辰馬の能力が認められて人の上に立つ地位を与えられたのだから、それはシンタたちにとって我がこと以上に嬉しい。地位と責任を与えられてげんなりしている辰馬には、そこのところがわからないわけだが。


 ともかくも、突撃を敢行。


 直前には待ち構える伏兵があったが、あまりの用兵の神速。伏兵が発った時にはすでに、辰馬たちはずっと先を突っ切っている。まさに兵は拙速を貴ぶ。


 そもそも、あんな見え見えの伏兵にかかるわけねーだろーが。


そう心中豪語するが、見え見えなどではなかった。巧妙な隠蔽はまず尋常の将才で見抜けるものではなく、これを簡単に見破り、回避した辰馬の戦術眼と用兵手腕はそれだけで知れる。


そして。


 左舷から敵に肉薄。向こうは2000人ほどだが、辰馬隊の突撃で鎧袖一触、粉砕された。士気の高さ、気前のいい指揮官への信頼など心理的要因は大きいが、それ以上に。


「辰馬サン、なんで左から?」


シンタが聞いた。もっともな質問ではあるが、辰馬の中には明快で合理的な回答がある。


「そんなもん、簡単だろ。普通人間の利き腕ってどっちだ?」

「え、まあ、右っスかね・・」

「てことは殴られたとき、支えなれるのは右側、守りが弱いのは左。簡単だろ? だったら弱い方を衝く」

「あ・・なるほど!」


 そこまで言われて、シンタは得心したように手を打った。なるほど言われてみればそのとおりで、敵の反撃が異様に力強さを感じさせなかったのもこれで説明がつく。辰馬は天性で軍略というものを体現していた。


 敵部隊を潰走させ、辰馬たちは丘の上の高所に位置どる。水源ばっちり、どっしり構えて下の敵を逆落としに押しまくれる、絶好の場所。要衝と言うべきここを敵味方どちらも押さえていなかったのは辰馬の僥倖だった。


 営を築き、すぐさま12師司令官、美咲に伝令。金の無心。手柄を立てた部下には即時報奨を与える必要があったが、辰馬には手持ちがないから司令官に頼るしかない。美咲は事情を知り、すぐさま200万弊(約2000万円)を放出、辰馬は伝令が持ち帰ったその財貨を、すべて惜しまず麾下500人に分かつ。


「休憩しとけよ-、すぐ敵さん来るし」


 辰馬はぼやーと言いつつ、敵の行軍速度と予想される規模を料る。この時点ですでに、新羅辰馬という少年は兵士たちにとって神算の名将というべきものになりつつあった。なにせ圧倒的弱兵、かつ劣った装備で、あっさりそのハンデを覆して多勢を蹴散らしてのけるのだからすさまじい。兵士というのは命をかける故にすがるよすがを求め、自分たちの将が名将ならばよいと常に願うものであり、今その願いが叶って彼らは本願成就というべしであった。


 さて。次が本番。主力が来るよなー、2万くらいか。まあ高所の利をとったからには簡単に負けないとして。500体2万はさすがにきつい・・。


「ご主人さま、ひとつわたしに策があります。任せていただけますか?」


 瑞穂が、やや青い顔をして言う。実のところ辰馬の顔も青い。なにせ生まれて初めて戦場に出て、生まれて初めて戦死者を見たのだ。冒険で獣を殺しただけでも吐き気を催す辰馬や瑞穂にとって、この凄惨な生き地獄は苛烈に過ぎる。


 それでもやらねばならんわけで、仕方なく全力を振るうわけだが。


「どーやる?」


「明染さん、厷さんに120を与え、火をつけた薪を引きずって地面の草を焼いてもらいます。敵は立ち上る砂塵にこちらの数を見誤るでしょうから、そこを誘導して伏兵にかけます。この部隊は100人、わたしが指揮します。どうでしょう?」


「ん、任せた」


そして交戦。敵は正面守備隊指揮官、山南交喙指揮する二万であり、交喙は斎姫。実力はさておき、ヒノミヤの最上級指揮官といっていい。


 状況はさすがに厳しかったが、いったん後方に下げた焔たちが猛然、薪を引き煙を立ててて突撃をかけると、敵は浮足立つ。そこにすかさず辰馬は残余の兵で突撃敢行。右に左に斬り伏せる。強兵を誇示して驕兵となっていたヒノミヤ勢はこれで浮足立ち、その歩を退かせる。この撤退が偽装ではないと見切った辰馬は追撃を命じ、追った先が瑞穂たちがセッティングした伏兵地点に重なるよう誘導する。


 そして。


「ご主人さま、仕込み、完了です!」


 瑞穂がみずから伝令としてやってくる。神衣かんみその袖を翻し、121㎝の柔肉も揺らしながら駆け寄る瑞穂にとりあえず水をよこし、辰馬は指揮杖を高く掲げる。


「発て!」


 すかさず、隷下の兵が立ち上がる。先刻辰馬がやったように超神速の用兵で伏兵をかわすという手があるが、山南交喙という少女はそこまでの才覚ではなかった。まともにくらい、交喙隊は擾乱され、混乱する。辰馬はそれを見澄まして総員を糾合、強襲をかけ、2万の大兵を500でずたずたにした。槍衾と抜剣突撃、そしてマスケット(火縄銃)による一斉掃射。この激突で交喙隊の被害2100、対する辰馬の被害はわずか2人に過ぎなかったというのだから、すさまじい。


 やってられん・・やってられんが、今おれが具合悪いとか、言うわけにいかないんだよな・・。


 戦場の血臭と死者たちの顔が、身体と魂に呪いとなってこびりつく。自分の指示一つでたやすく人が死ぬということは誇らしいことでもなんでもなく、たたただ胸糞悪い。膝をついて吐きたい気分だが、一度兵士たちの命を預けられた以上、将たるものが弱いところをみせるわけにはいかない。奥歯で舌を噛み、気丈に膝を奮い立たせる。


「このまま追撃!」


 調子に乗って気勢を上げるシンタの襟首を、掴んでぎゅっと締めた。


「ばかたれ。勝手ゆーな。今仕掛けたらやられる」

「えぇ? あんだけ痛めつけたあとでっスか?」

「痛めつけられて帰る途中だからだよ。一刻でも早く帰るために、あいつらは死兵になる。うっかり殴りかかるとまずい」

「はぁー・・辰馬サン、いっぱしの名軍師っスねぇ」

「そんなもんじゃねーし根本的に向いてねぇのはわかった。しず姉助けて神月五十六を斃したら、すぐに軍は抜ける・・さて、こんくらいで退くぞ、根本的に兵力が違うんだ、勝とうと思うなー」


 再度、指揮杖をかざして。まるで意志ある生き物のように辰馬は、兵を指揮する。退く500、対するに2000人を失ってなお18000を残す交喙隊は撤退にかかる辰馬隊を猛追、辰馬は巧みな用兵で敵を追いすがらせないが、また瑞穂が


「ご主人さま、ルートを変更しましょう。こちらです」

「ん・・あぁ、なるほど。そーだな」


 瑞穂の指示に任せて、辰馬は兵を動かす。今度こそ伏兵の種はないが、味方の主力部隊の陰に、辰馬たちは飛び込んだ。この部署数は総勢1万8千万。一度挫かれたといえど戦意は旺盛。寡兵をなぶる驕兵となったヒノミヤ1万8千は乱戦に持ち込まれ、敗残の兵を率いて退いた。


「瑞穂ねーさん、結構えげつねーわ・・味方の前に敵を引きずり込むとか・・」

「ご主人さまの御身を守るためですから。そのためなら、なんでもします!」


 さきほどの伏兵戦術、そして今の敵味方を相食ませる誘導、神楽坂瑞穂という少女の、可憐なだけでない一面をのぞいて、シンタが戦慄する。とはいえ、よく観察すれば瑞穂の握りしめた拳は汗だくで、小刻みに震えているのだが。


・・

・・・


「斎姫が押されていますね・・」


 興味薄げに呟いて、磐座穣いわくら・みのりは陣を動かす。すでに翼の固めは完了している、あとは那琴に任せて問題ない。


 それよりも。


 適度に負けてもらうのは構いませんが、大負けは困りますよ、山南さん。


 心中で、穣は交喙を斎姫とは呼ばない。あれはただ、女神の器としての親和性がたかかっただけの娘に過ぎない。そんなものに五十六の寵愛を奪われたことが穣の中で非常な不快であり、今日、神楽坂瑞穂が出てくるとしたらおそらくはここと見定めて中陣を交喙に譲ったくらいだ。


 交喙に敗北の屈辱を味あわせたかったのだが、想定より敵の伸びが大きい。瑞穂のそばにいるとすれば魔王の継嗣のはずだが、それについてさすがの穣も、プロフィールと基本的な性格、および魔王と聖女に由来する絶大な盈力の持ち主である以上のことは知らなかった。


 穣が救援に達した時、新羅辰馬隊500は交喙の12000に大損害を与えてきれいな撤退を決めた後だった。困難な撤退を鮮やかにこなすその用兵をみて、穣は新羅辰馬という人物を一介の冒険者ではなく、ヒノミヤを崩壊させうる将帥として認める。


 救援に入った穣に、すかさず伝令が飛ぶ。交喙隊から、斎姫の強権を盾にした使者の口上は、助けが遅い、見捨てるつもりかという腹立たしいものだった。交喙は穣より一つ年上のはずだが、精神的にまったく成熟というものがない。ただ霊質において優れているだけで、人として敬意を払うに足る部分を穣は見出すことができなかった。


「斎姫さまの危急にすぐさま馳せつけることができなかったのは当方の落ち度、それに関しては申し開きもございません・・しかし、口上を述べている暇があったらすぐに戻られたがよいと思います。敵の反撃がありますので」


 穣はそういって使者を追い返す。反撃については事実だ。攻勢だったこちらが大負けした以上、今度は向こうが勝ち勢に乗ってくる。


「見る目、嗅ぐ鼻、聞く耳」


 短く口訣。普段日常的に祝詞を上げているゆえに、神讃の言辞を必要としない。


 不可視の耳目が、すかさず四方1000里(約4000㎞)の全ての情報を穣のもとに届ける。瑞穂のサトリのように心の奥までを読む力ではなく、辰馬の自在通のように万象の真実を見切る力でもない。あくまで表層にある情報をさらってくるだけの、姫巫女としては最も劣弱かもしれない力ながら。それが磐座穣という天才の超洞察力と組み合わさることで驚異的天才軍師の頭脳を現出する。


 新羅辰馬の情報の更新。


 16歳、本日初陣。アカツキ対ヒノミヤ討伐師第12師500人隊隊長・・500人!? その数字と、先ほどの戦果、その開きに穣は驚嘆する。たった500の手勢で、あれだけのことをやったというのか。もしかしたら自分は端倪すべからざる名将誕生の瞬間に立ち会ったのかもしれない。少なくとも、今ヒノミヤで軍神ともてはやされている山南交喙などよりも、新羅辰馬のほうがはるかに真実、軍神に近い。


 とはいえ、まだ500人の統帥権しか持たない小物でしかない。すぐに手を打てば摘める・・そう判断した矢先に、また情報が更新される。神楽坂瑞穂が、辰馬の破格の戦功を論じて即時抜擢を師団長に建言した。


 普通なら当然、通らない。しかしこの師団長、晦日美咲は辰馬、瑞穂の知己であり、その人格も才能もそばで見知っている間柄。縁故によるひいきをする人間ではないが、それゆえ優れた才を埋もれさせたままにも、決してしない。


 結果。


 新羅辰馬は軍に参じたその当日に、偏将、ということになった。ほぼ最下級ではあるがまぎれもなくひとかたの将であり、500人隊長とは振るう権限も負う責任もはるかに違う。過去の歴史上、一般人が参軍初日に将校となった例など、このアルティミシアの歴史で1800年前の「祖帝」シーザリオンくらいしか散見できない。


 まさか、その域に・・?


 本来一切の先入観なしにあらゆる情報を精査することによって完璧無比の予測を立てる穣が、さすがにかぶりを振る。なまじ歴史を知るだけに、シーザリオン・リスティ・マルケッススという男がなにをなしたか穣はよく知っている。もし、新羅辰馬がシーザリオンの再来となるとしたら、全世界はいずれあの白面の少年に跪くことになる。史上空前の大帝国の建設。


 その予測と予感に、もう一度かぶりを振る。世界を獲るのは神月五十六様です、あなたではない。そう心に強く念じ、副将に翼で戦う神威那琴を召喚させる。敵の攻撃にカウンターで突騎(精鋭騎兵)をぶつけ、気勢をそぐ。それをこなす用兵家はヒノミヤに神威那琴か長船言継しかおらず、そして穣は同じ主君を仰ぐ先手衆の一員である長船を、根本的に信頼も信用もしていなかった。


 見極めて差し上げます、新羅辰馬。あなたの才能が真実、渾金璞玉こんきんはくぎょくたるかどうか。 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る