第32話 第3章2話.消沈と復活-大鵬展翅

「しず姉・・しず姉が・・」


 うわごとのように、呟く辰馬。牢城雫、不在。そのことが齋す精神的作用は思った以上に大きかった。普段は鬱陶しいだのなんだのぞんざいに扱っていたが、そこはやはり姉弟。絆の強さは余人に計れるものではなく、その絆が突然に断たれたときのショックたるや途方もない。


 緋想院蓮華洞の一室にマーキングされた、転移術式専用の一室。もともと移動、転移系の術に特化した能力者ではない瑞穂や美咲にとっての保険。あらかじめマーキングした地点をたどっての、限定空間転移。


 それがなされた後、辰馬は呆然と呟き続け、狭い室内から出ようともしない。


「あー・・牢城先生がブラコンなのはもうわかってたけど、辰馬は辰馬でシスコンだったのね・・」


 重症ぶりに、エーリカがあきれて口に上せる。その口ぶりには多少の妬心も混ざっているわけで、もしいなくなったのが自分だったとしたら、辰馬はこれほどに悲しんだだろうかと。


「まあ、辰馬サンと雫センセは辰馬サンが生まれたときからの関係だからなー、オレらにゃわかんね、そこらへんはよ」


 そういうシンタの声音に苦いものがあるのは、おそらく下級貴族の4男として父や兄とのしがらみがある身ゆえ。普段3バカの中でも一番脳天気に振る舞うシンタだが、本当の性質・性格は振る舞いに見えるほど奔放ではない。


「とはいえ、悲しみに浸っている時間はありません」


 進み出た美咲が、腕を振り上げる。


 ぱん、と容赦なく張った。


「・・いてーわ・・はぁ・・」


 ぼんやり、そういうだけで。また、沈思黙考。暗く沈む辰馬。


「こーいうとき笑い飛ばしてくれるのが牢城先生だったわけだが・・さてどーすっか・・」


 お手上げだとばかりに肩をすくめる大輔。新羅辰馬という少年は皆の求心力、太陽であるわけで、辰馬が沈んでいるとその影響下にある連中の顔も曇る。まだ組んで間もない美咲や焔、武人でさえも、等しくその失意の恩恵に与った。


・・

・・・


 そのころ。


「うー、うまー! おいしい、これほんとにおいしいよ、ガラハドさん!? ヒノミヤのお客っていつもこんないいもの食べてんの?」


 新羅辰馬の心配をよそに、牢城雫はヒノミヤの豪勢な食事を大いに楽しんでいた。最上級の肉懐石、舌の上でとろけるような牛肉がたまらない。


「あー、おいしい。ほんとおいしい以外の感想でてこないわ、これ。・・あと、残ったぶんお持ち帰りできないかな? たぁくんにおみやげ・・」

「それは無理だ。君は捕虜であって、客人ではない。解放するわけにはいかないのでね」「むー、ケチだなぁ。ちょっと戻るくらいいーんじゃない?」


 およそ生け捕った将と生け捕られた捕虜の会話ではないが、そこが牢城雫の真骨頂。いかなる逆境も順境に変えてしまうしたたかさが、彼女にはある。ガラハドとしても苦笑するばかりだった。


「ま、たまには助けを待つお姫様の立場もいーか。ガラハドさん、次のたぁくんは強いよー?」


「わかっている。あれは叩けば叩いただけ強くなるたちの男だ。本来あそこで斬っておくべきだったが・・」


 ガラハドは言葉を切り、わずかに逡巡する。


 斬って禍根を断つべきであり、転移魔術の発動の瞬間、ガラハドなら無理を押して辰馬の首を獲ることは決して不可能ではなかった。


 しかしそれをしなかったのは、友誼による。将の責務は別として否定したはずの、友としての情が世界最強の剣を鈍らせたのだとしたら、新羅辰馬の、真に恐るべきは戦闘力以上にその人誑しの才か。


・・

・・・


 長船言継おさふね・ときつぐにとって、この戦役はじつに風向きのよいものだった。


先手衆さきてしゅうの次席とはいえ神月五十六の私兵に過ぎず、生来の神職でもない言継を侮るものもヒノミヤには多かったが、アカツキとの交戦で傷ついた巫女の4位、アイドル巫女こと沼島寧々のかわりに右翼の指揮をとった言継の用兵は冴えに冴えた。もともと、若い頃は軍学校に籍を置き、用兵学において秀才の名をほしいままにした男である。全局面中唯一押されムードだった右翼を立て直し、押し返すことに成功した。結果寧々の名声は失墜し、それに比して劣勢を逆転させた言継の名は顕揚される。


 くく、そうすればこうして、余録もあるしな・・。


 薄く酷薄に笑う言継、その腹下には、薄桃色の巫女服をまとった前任者、アイドル巫女沼島寧々が喘いでいた。寧々は激しい言継の動きに休憩を乞うも、言継は寧々の今日の失策をあげつらい、罵って、責任をとれと恫喝、さらに激しい動きでもって、寧々を責め立てる。経験皆無の姫巫女など言継にとって与しやすい相手でしかなく、必死で嬌声をこらえる寧々の精神を打ち崩すのは勝利の決まった遊びでしかない。


 先代の斎姫さまも、生きて落ち延びられたようで実に幸い・・へへ、またとっ捕まえて、あの極上の身体を徹底的に嬲り抜いてやるぜ・・。


「まってろぁ、瑞穂ぉっ!!」


 そう吼えて、長船言継は寧々の子宮へと、遠慮なく精を放つ。ようやく終わり、と安堵する寧々を改めて組み伏せた言継はなにを言ってると再び組み伏せ、夜が白むまでその媚肉を味わい尽くした。


・・

・・・


 翌朝。


 新羅辰馬は珍しく寝坊をした。


 昨夜はほとんど寝ていない。雫がヒノミヤの悪神官どもに汚されているいやな想像ばかりがちらついて、その想像で動悸が加速、かっと沸騰した血が頭に上り、心臓が破れんばかりだった。直接に自分がその肢体を味わった経験故か、奪われる想像がいやになまなましく、心をさいなむ。


 ・・実際にはガラハドの客分扱いでのんびりゆったりお迎えを待っているわけだが、そのあたり辰馬にはわからない。自在通でなんとかのぞき見しようかとも考えたが、多重に張り巡らされたヒノミヤの封神結界の前に、辰馬の盈力といえど数分保たない。


 今朝は瑞穂もエーリカも、忍び込んではこない。まさか昨日のテンションで忍ばれても困るわけだが、気を遣われているというのもなんだか居心地はよろしくなかった。


 とりあず、着替え。


 パジャマの前を肌蹴て、上半身裸になる。天上の最も美しい宝石をすべて集めたよりもなお美しい、すさまじくも可憐なる裸身。ありとあらゆる工芸家が、この美を造出しようと苦心惨憺して果たせず絶命するであろう美身を、辰馬はくんくんと嗅いで。


 あー、昨日風呂はいってねーや・・。


 そのままシャワーに入り、ざっと2日分の汗を流す。風呂は長い方ではなく、カラスの行水だが、一応叔母譲りの美しい銀髪のケアだけは丹念にやる。髪留めの色石を外し、ほどくと、腰までの銀髪がふわりと広がる。ふだんショートに束ね髪、という姿でいるからともかくとして。こうしてしまうと辰馬は本当に、凶悪すぎるほどに美少女だ。どこからどう見ようが、まず男だとは思われない。絶対無二の美しさ。


 身を禊ぎ終えて、灰色のスウェットに着替えた辰馬は、適当に洗い物をこなす。普段こういうことは全部雫がやってくれていたので、辰馬の手際は悪い。不得要領に、なんとかこなし、手持ちぶさたになった辰馬はおもむろに逆立ち。


 大輔もほむやんもできるわけだし。こんくらい、できるよーにならんとな。


 まず三点倒立。そこから頭を浮かし、倒立。その状態から掌を浮かし、五指で逆立ちを支える。ここまではまずできる。


 そこから。


 小指を離す。ついで薬指、中指、親指も浮かして、両手人差し指のみで立つ。一指禅。


 これも、余裕として。


 こっからだーなー・・。


 体重を沈める。人差し指の先端部に、極端に負荷がかかる。これまでこの過負荷に耐えきれず、そこそこのウエイトができていればそれ以上の筋肉は不要、と辰馬は一指禅からの屈伸を避けてきたが。どうにもその程度の錬磨では足りないらしい。少なくともガラハドには、遠く及ばない。


 一朝一夕でどうなるもんでも、ないけどなっ!


 まずは軽く500回。それをこなすと今度は左手を全部浮かし、片手一指で全身を支える。創作物によくある鍛錬風景だが、なかなか、これをこなす人間はそういない。筋肉だけでなく、バランス感覚においても超人的なものが必要になってくるからだ。本物の技芸的サーカス員などの特異な能力者に求められる資質。逆説的に、これを完璧にこなせるようになったとき、辰馬のバランス感覚は飛躍的に増すことになる。


 とはいえ、500回ぐらいじゃなぁ~・・足りんわ。


 軽く2時間ほど筋トレとイメトレをやって、少し気を紛らわすと、小腹が空いた。学生服に着替え、寮を出る。食事なら寮の食堂でもできるが、どうせなら美味いものが食いたい。蒼月館本校舎の学食に向かう。長期休みだろうと、クエスト任務中の学生たちのために蒼月館の学食は8時から19時、年中無休である。


「あ、辰馬」


 エーリカに出くわした。この子はいつでも、学食では素うどんしか食わない。それだけ過去辰馬に奢られた味を忘れがたいわけだが、残念なことに当の辰馬のほうでその思い出はあまり鮮烈でなかった。なんとなーく、いつもうどん食ってんな、という印象。


「お、ちっとはマシな顔になったじゃねーすか、新羅さん」


 すぐ奥手の席に、大輔、シンタ、出水、そして瑞穂。少し離れて美咲も、席二つを空けて待っている。ひとつは辰馬のものだとして、もう一つは・・決まっている。


「迎えにいかにゃーならんよなぁ。なんつーか、勝手に帰ってきそうな気もするけど、しず姉にはいつも助けてもらってばっかなわけだし」


思ってもいないことを、口にした。すぐさま舎弟たちが軽口をたたく。


「そらそーでしょ。ここで雫ちゃん先生見捨てたら辰馬サン、殺されるっスよ?」

「そういう話も面白くはあるでゴザルが、主さま向けではないでゴザルなぁ~、シエルたん?」


 シンタが意を得たり、と肯き、出水が妖精に水を向けるとシエルも当然と胸を張る。

瑞穂に目を向けると、なにも言わず目でうなずいた。


「明染さんたちに連絡しました。艾川・ヒノミヤ交差点路に20分」


 小型無線機を操作した美咲が事務的に告げるが、彼女が事務的なだけでない情義を持つことはわかっている。


「あんがとさん。そんじゃ、行くか」


 再起を期して、新羅辰馬は再び挑戦する。一度落ちた鵬が、再び翼を展く。


 いざ。ヒノミヤへ。

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