第44話 3章14話.憂えて見る孤城落日の辺
アカツキ40万とラース・イラ60万、古今未曾有の大戦争は、膠着の様相を呈した。
最初こそセタンタ率いるラース・イラの「騎士団」、その突破力に圧倒されたアカツキ軍だが、12師師団長・
「ははっ、赤備えの
会戦前、美咲の献じた神楽坂瑞穂の防衛陣戦術を「落ち武者狩りの戦い方」と唾棄した将軍・
それでもなお、20万の兵力差と騎士団副団長、セタンタの指揮統率力により、均衡を崩すには至っていない。アカツキの将軍たちも戦争経験が少ないわけではなく、北の桃華帝国、そしてラース・イラ相手に頻繁な出陣を繰り返してはいるのだが、セタンタ・フィアンその人に匹敵しうるだけの将帥を、アカツキ上層部は持たない。個人のカリスマと統率力は戦術的な多少の優位を覆し、ワゴンブルクや馬防柵のわずかなほころびを衝いて突撃、崩して、着実にこちらへダメージを与えてくる。
美咲は神楽坂瑞穂の指南から荷車を防衛陣地のためだけでなく石や爆薬を積んで突撃させるなどして攻勢にも使い、その適宜優れた指揮は敵に痛撃を与えるが、それは第12師晦日隊・・現在は名義的に本田姫沙羅隊・・が真っ先に狙われる標的となることをも意味する。
そして。
「敵の崩れに乗じます、突撃!」
「待ってください、師団長。今、突出することは危険です」
突撃したがる仮の上官、本田姫沙羅の突出を止めるのにも心を配らなければならないのがつらいところだ。おとなしい性格とは裏腹に姫沙羅の戦術的根幹は敵の弱点を的確に見抜いてそこに全力をたたきつけるというもので、戦術眼としては優秀、確かにそこを衝けば崩せるであろうところなのだが、それはあくまで「一部分を崩せるだけ」に過ぎず、そこからの継続的攻撃がなければ全体的な勝敗は得られない。そして元帥の娘はあるいは嫉みから、あるいは侮りから軽視されており、同輩の将たちを動かす人望に欠ける。にもかかわらず功にはやる姫沙羅を宥め賺すのに、美咲は苦労させられる。雇い主の宰相、
ヒノミヤの山・・一般に「ヒノミヤ」とだけ言われるが、正式には「白山」という名将が用いられる・・から、ぞっとするような魔力の波動が、三条平野に集結する100万の人馬を震わせた。
・・今、のは?
なまじに齋姫としての力を移植されているだけに、美咲の霊的感応力は非常に高い。霊的資質のほとんどない兵士たちですらも本能的恐怖に震え上がった波動に、美咲はあご先を強打されたときの脳震盪に似た酩酊を感じた。
・
・・
・・・
アカツキ内宮。
その絶大な魔力の波動にふらつきそうになりながら、
まず、ここで新羅辰馬に切り札を使わせる。これでもう、当分魔王の力は使えないでしょう。
最初から、山南交喙は辰馬に力を使わせるための供犠の羊。
「兄さん、この先、手筈通りに」
「ああ。山南が敗れたところで『心臓』を奪ってくる」
女神ホノアカの『心臓』。それが山南交喙を主神たらしめるもの。適正のある姫巫女、すなわち齋姫に力を与える神具。だが、道具である以上奪うことは可能であり、適性がなくとも、身を滅ぼす覚悟なら数分の間、主神の力を振るうことはできる。
消耗しきった新羅辰馬に、神具を手にしたわたしなら十分。神楽坂さんの
それがヒノミヤの軍師、岩倉穣の術策。最初から、穣は自身を長らえさせるつもりがなかった。遷は妹の覚悟を知って、そのうえで唇を噛むしかできない。
あの
そう怒鳴りたいが、既にそこは兄姉の間で結論の出た話だ。穣の意思は限りなく強固であり、それを覆すことは不可能。ならぱ兄にできることは、妹の望みを全力でかなえることただ一つ。
とはいえ。
それにしても、あの爺・・。
という気分が止むことはないが。
長兄・始、末妹・穣と違い、遷は大神官(神官長とは認めない)・神月五十六という老人に心酔していなかった。
もともと彼ら三兄妹が五十六に帰属したのは父が死に、母と自分たちを養うためであったのは既に述べたとおり。長兄・始は実務能力からヒノミヤの行政官として運営に携わり、穣は天才的頭脳からヒノミヤの国家戦略そのすべてに参与する大参謀となったわけだが、上級監査官にして
なにより妹を愛する兄として、あのさらばえた老人がかわいい妹の心身を好きに扱っている事実が許せない。
何度も、五十六を殺し、すべての罪を告発してアカツキに投じようと思ったものだが、それを実行すれば穣は決して自分を許さないだろう。それゆえに、遷は五十六に逆らうことができなかった。
「では、わたしは
「ああ」
静かに退室する妹を見送り、遷も覚悟を決める。妹を殺すわけにはいかないが、新羅辰馬と戦えば妹は間違いなく、命を賭すだろう。
ならば穣と新羅辰馬を、戦わせないために。
俺が止めよう。
そう覚悟して、磐座遷は『祭具殿』に向かった。ここはヒノミヤの保管する祭具、宝具、遺産の集積庫。ここにある宝具のひとつで一州が買えるといわれるが、遷にとってそんな価値はどうでもいい。必要なものは3つ。
万障を断つ『太刀』、あらゆる攻撃を無効化する『
どれも、かつてまだ齋姫が女王を兼ねた時代の、さらにその初代。最初の齋姫が使ったとされる、アカツキはおろか世界最高級の宝具だ。ホノアカの『心臓』同様、適正のある齋姫以外が扱えば命をむしばまれる・・高い神力を持つ姫巫女ですらそうであり、過去の歴史上、男でこの神器を使ったものは存在しない・・が、妹のためなら遷にとって、自分の命など塵も同然に軽かった。
・
・・
・・・
そして、新羅辰馬。
「ご、ごしゅじん、さま・・?」
瑞穂が、呆然と呟く。その声に含まれるのは、畏れと恐れ。
「たぁ、くん・・」
「辰馬、あんた、魔王・・って」
雫とエーリカの対応も、似たようなもの。辰馬の変貌とその凄まじすぎる力に、放胆さとそれを裏打ちする実力の持ち主である雫でさえも喉をひりつかせる。それほどに辰馬を中心として立ち上る盈力の奔流が圧倒的であり、さらには辰馬自身が口にした「魔王」という言葉が大きい。その事実は周知だとして、辰馬自身が自分を魔王を継ぐと言ったことは過去にないのだから。
「ば、バケモン・・」
「バカお前、シンタ!」
害意はなくとも孟夏の太陽のごとく肌を焼き肉を焦がす辰馬の力。あまりに絶大すぎる力を恐れて、シンタが、思わず「それ」を言ってしまった。大輔が叱責するも過ぎたるは及ばず。辰馬の背中がわずかに、ぴくりと揺れる。
いやまぁ。魔王なんてそのものズバリでバケモンですけど? そらまぁね。この力、解放したらそー言われることはわかってたよ? わかってたけどなぁ~・・地味にツラい。見ず知らずの他人に言われるのとはわけが違うしなぁ・・はあぁ・・。
軽く鬱になる辰馬だが、それ以上に。
つーか、いかんな、これ・・。
軽く右手をぐっぱと開閉。それだけで、バチバチッ! という魔力(盈力)の波動。なにがまずいといって、その力があまりにも大きすぎる。うっかり力の1割でも解放しようものなら、軽く四方千里は塵も残らない。
困り切った顔で「うーん」とか「あー」とかつぶやく辰馬に、
「神敵滅殺! 滅びよ魔王!!」
螺旋の神焔、白き炎がうなりを上げる。一条、二条、たてつづけに十発、二十発と叩き付けた。一切の容赦ない、主神の全力。
「あああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
さらに放つ、放つ、放つ! 限界をさらに超えて、神力の白焔をひたすらにぶっ放すが、しかし辰馬に毛ほどの傷も与えることができない。どころか、神力は辰馬の身体に飲み込まれ、吸収され、そして魔王の力に変換される。
とはいえ。
内心、辰馬は冷や汗であった。
ど、どげんしよ・・これ、反撃したらまずかよね・・。ほんなこつどげんしよか? ここまで馬鹿げた力やと思わんかったが・・。
心の声とはいえ、南方方言が止まらない。身じろぎ一つで世界に影響を及ぼしかねない大魔力、かつて魔王はほとんど自分の玉座から離れることがなかったというが、それも納得だ、こんなもの、わかりやすい表現をするのなら、アメリカ合衆国の保有する全水爆を剥き身で抱えているに等しい。
交喙は動かない辰馬を、チャンスとみた。これは効いている。いける!
陽炎に乗って、間を詰める。なお身じろぎしない辰馬の胸板、心臓に、具象した焔剣を突き立てる!
「
「・・? あー」
邪魔、辰馬がそう思っただけで、交喙の細身の身体は強大無比の竜巻に呑まれたように大きく吹っ飛んだ。凄絶無比の衝撃波は主神の防御障壁など存在しないかのように素通しし、五体をばらばらに引き継ぎるような、全身の骨をすりつぶすような、全身の血液を灼けた鉄に入れ替えるような、言語を絶する大ダメージを交喙に与える。大きく吹き飛ばされた交喙は平野をごろごろ転がり、砂塵にまみれ擦り傷だらけで倒れるが、それでもなお内宮につながる門は突破させぬよう、その身を挺して阻む。
「あぁ、すまん・・。つーか終わりにしよーや。いまのでわかったろ、どー逆立ちしても勝てないって」
「く・・馬鹿にして、くれる・・!」
轟! 天を衝くような爆炎が、辰馬の前身を呑む。しかしやはり効かない。向けられるあらゆる力は、辰馬に吸収されて魔王の盈力を増大される結果にしかならない。
「だから、やめとけって」
「ちぃ、化け物が・・」
「はいはい、そーですよ、バケモンです。お願いですから通してくださいませんかね?」
「通すわけが、ないだろうがァッ!」
ひたすら、門だけは死守して、交喙は限界まで力を高める。
それは中天の太陽に働きかけ。
灼熱の天球は大地を焼き、大気を焦がす。草は枯れ果て、水は渇える。当然、馬も人も無事で済まない。周囲の兵たち、そして瑞穂たち仲間が孟夏に灼かれて苦悶する。女神として本来人びとに与え約束するべき豊穣とは真逆の、飢餓の顕現。孟夏の熱も乾きも辰馬の身を焼くことも渇かせることもないが、苦悶にあえぐ仲間たちの姿は、間違いなく辰馬の心を苛む。
「やめとけっての!」
不可視の鉄槌が、痛烈に交喙をたたき伏せた。「がふっ!?」苦鳴をあげたことで交喙の力が解け、人々はかろうじて大渇から解放される。
「そーいう無差別とか、ほんと怒るぞ?」
「黙れ! そちらこそ魔王なら魔王らしく、私を八つ裂きにして進んでみろ! 人間らしいふりをして、なんのつもりか!?」
「なんでもねーわ、そんなもん! だいたいアレだ、そーいう考え方は魔王差別だぞ」
「やかましい! とにかく、ここを通りたければ私を殺していけ! 天朝の勇士、その身死しても魂は死せず!」
「!?」
あーもう、こっちがどんだけ頑張って力抑えてっかとか、わかんねーからなぁ、向こうには・・どーにかならんか・・?
自分をもてあます辰馬は頭をかきむしりたい衝動に駆られるが、それより交喙の言葉にビクッ! と反応したのは出水秀規。
「
「ん、おぉ・・」
「では、少々失礼・・山南どの! 貴殿、『忍者ちんちんかもかも丸』のファンとお見受けするが、如何に!?」
「!?」
「・・は?」
辰馬の『鉄槌』に撃たれたときも気丈を保った交喙が、目に見えて平静を失う。辰馬がそのわけのわからん名前に脱力して口をあんぐりさせる横で、出水は色紙・・どこに忍ばせておいたか知らんが、そこは自称、忍者なので・・を取り出すとさらさらーとサインを書いて、交喙に見せた。その瞬間の交喙の愕然とした顔といったら。愕然と驚愕、羨望と恍惚が綯い交ぜになった表情は、ほとんど放送禁止レベルのだらしなさ。
「ま、まさか、あなたが『ちんちんかもかも丸』様・・ですか?」
「いかにも!」
「いや・・なんだよ、その名前・・?」
「ん? 言ってなかったでゴザルかな、拙者のPN。さっきの台詞でピンときたのでゴザルよ、『天朝の勇士、その身死しても魂は死せず!』拙者の処女作『爆乳くノ一触手温泉湯けむり淫獄変』の主人公、ひなきの幼なじみで誇り高き侍、
「あ・・あー、そう・・うん、わかった・・」
「あの本が4部!? 世間の連中はどうしようもない節穴です! 先生の原点はあの本にこそ・・!」
いや・・なんなのこの会話。おれも本は好きだからわからんこたぁないけど・・なんか違う・・。
「じゃ、ここ通してもらえるか?」
「く・・それは・・では、この着物にちんちんかもかも丸様のサインを・・」
「あ、それはOK。うし、進むぞ!」
「あ・・いやー、今の拙者、商業やってるからにはうっかりサインするのも・・」
「知らんわ、いーからやっとけ。ふぅ・・そんじゃ、これで」
辰馬は投げ捨てた呪い石を拾い上げ、また腕に通す。世界全体を圧伏した絶大なプレッシャーが、ようやく収まる。
「はー、まだまだ魔王の力は御しがたいな。ここんところの連戦でそこそこ、レベル上げたつもりだったが・・。ま、いいや。上月五十六は所詮、人理魔術だし。磐座穣の力は情報収集力。これでようやく完全に、シャー・ルフ(王手)だな」
・
・・
・・・
「これが女神ホノアカの『心臓』です、ちんちんかもかも丸さま♡」
懐から取り出した赤い楕円形の丸石を差し出して、山南交喙は出水秀規に撓垂れかかる。出水はだらしない笑みを浮かべ、16年の人生の絶頂、ご満悦だった。
「珍しー、出水君がモテてる・・」
「あのデブ、モテることあるのね、意外・・」
「お、お二人とも失礼ですよ?」
「じゃ、瑞穂。あんたあいつとつきあえる?」
「ぇ・・い、いえ、すみません、無理です・・」
女性陣は口々に、結構ひどいことを言う。まあ、小デブだしメガネだし、脂性でもある出水を好きになる女性はそうそういないだろうから当然の反応ではある。そのデレデレの出水が、突然「あぎひぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃーッ!?」と絶叫した。
「な、なにをするんでゴザルか、シエルたん!?」
果物用フォークで眼球を容赦なく突いた妖精の少女に、出水は批難の声を上げるが、
「ふふー、出水ちゃん、呪い殺してあげよっか?」
にっこり笑うシエルのまとう黒いオーラに、出水はいっさいの浮気が許されないことを理解した。出水秀規、人生の絶頂は、こうして終わる。
「んじゃま、主様、これを・・」
「ん・・」
と、出水から辰馬の手に渡される寸前。
横から伸びた手が、『心臓』をかっ攫う。長身、碧眼。白地に赤線の水干には不似合いな、腰までの金髪。優しげだが実直そう、悪く言えば融通の利かなさそうな顔立ち。実際実直であり、禁欲的でもある。かつて神楽坂瑞穂旅辱の際、彼だけは瑞穂に指一本触れることをしなかった。
・・助けるということも、しなかったわけではあるが。
ともかく、その人影と、その身に帯びる神器を見て瑞穂が声を上げた。瑞穂の記憶通りの代物だとすれば、あまりにも危険。
「磐座上級監査官!? 皆さん、全力防御!」
その声と同時、遷は太刀を一振り。大気がぶぁ、と裂け、衝撃に不意打ちとは言えすでに相当なレベルに達した辰馬たち7人があえなく吹っ飛ばされる。
「俺が相手をしてやる。せいぜい追ってこい、新羅辰馬」
辰馬が立ち上がる前に、遷はすぐさま宝珠を使い転移。
くそ、あいつ、あの力・・いかんな、あんなのが先にいるんなら、ここで魔王の力を使うべきじゃなかった・・。
全身にわずかなしびれを残す強烈な斬撃の残滓に、辰馬は片膝ついて立ち上がる。
「なんにせよ、だ。内宮往くぞ! 決着まであと一歩!」
そしていよいよ、戦場は内宮へ。
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