第43話 3章13話.宛転なる蛾眉、面は芙蓉のごとし

 会戦直前。


 ヒノミヤの陣から、単騎馬を駆って馳せてくる騎影あり。


「あぁ、雫ちゃん先生っスよ、辰馬サン!!」


 その視力と観察眼から物見台に登っていたシンタが、声高に叫ぶ。


「しず姉・・!? しず姉っ!!」


 ぶわ、と涙がにじむ。矢も楯もたまらず、辰馬は駆け出した。鞍を載せるのも面倒と裸馬に飛び乗り、卓越した馬術で御して雫のもとへと一直線。


 そして再会した雫は。


「ぶわはははははははーっ!! たぁくんなにそのカッコ! やーはは、すごい、すごい可愛い! お人形さんだぁ♡」

「う、うるせー! このカッコにはいろいろ事情があんだよ! つーかいつまでも帰ってこねーで、ヒノミヤの子になったんかと思ったぞ?」

「まあまあ。あたしもいろいろあったのだよ」

「うん・・まぁ。その・・非道いことは、されてない、よな?」


 意を決して聞くと、雫はニヤァ~、と、嬉しそうかついやらしく口角を上げる。


「えー? それ聞く? 聞いちゃうかー。さぁー、どーだろなぁ~♪ やっぱそーいうのって恥ずかしーしぃ? でもたぁくんがどーしても、どーしてもおねーちゃんのこと知りたいってゆーなら仕方ないから答えるけど?」

「いや・・いーや。そのぶんなら無事だわ。なんか、心配して損した・・」

「えー? もーちょっと粘ろうよ」

「いーから、戻るぞ・・まったく、おれがどんだけ心配したと・・いやまあ、ホント、よかったよ」


 辰馬の呟きは本当にごくごく小さいものだったが、雫の妖精特有の聴覚は一言一句間違いなく、その言葉を彼女に届けた。嬉しげににこにこ笑ってついてくる。


「へぇ~、たぁくん将軍さまになったんだ」

「将軍、つーか。下士官連中のまとめ役っつーか、雑用だけどな」


 軽く追っ手を引き離して陣舎に戻ると、雫は感心したようにほへー、と陣内を見渡す。


「お帰りなさいです、牢城先生」

「おかえりー。まあ、無事だって信じてたけど」

「まあ、牢城センセをどーこうできる人間なんてそういないからな」

「雫ちゃん先生、お帰りなさいっス!」

「会戦前に、これで一同勢揃いでゴザルな、めでたい!」

「やはー、なんかみんな一回り立派になって。おねーちゃんは教師として教え子たちの成長に感動しているよ・・」


 冗談めかして言う雫だが、しかし実際、いったん離脱してからの辰馬たちの成長ぶりは一目でわかるほどに著しい。驚きもし、それ以上に嬉しい限りだった。


「うし。そんじゃ、作戦会議。まず現状の兵力、約1万対1万で拮抗。武装と兵の練度はまず向こう。士気は向こうだったけど、・・まあ・・なんと言いますか・・今はウチがやたら威勢良くなってます・・」

「そら、辰馬サンのそのカッコ見ればねぇ。オレだって惚れ直す♪」

「うるせーよしばくぞお前。つーかこんな服どこで手に入れた?」

「いや、なんかデブでドレッドのえらいいかついおっさんが、これ買わんかーって」

「は? お前勝手に商売とか・・」

「いや、従軍商人の申請は受けて、俺が通しました。兵站とか融通きかせるのに必要だったんで・・名前は、梁田篤やなだ・あつし。商業街区のけっこうな大店の次男坊だそうです。商人としての修行がてら、ってとこでしょう」

「あー・・なら、いいか・・」

「辰馬サン? なんでオレには厳しくて大輔が言うと納得するんスかね?」

「日頃の行い・・しず姉は敵中突破して戻ってきたわけだけど、向こうの弱点とか、わかんねーか・・」

「うーん、一対一の勝負とはわけがちがうからねー・・でもまぁ、どんな布陣でどこにひとが集中してたかはわかるよ? ちょっと紙とペン貸してくれるかな?」


 そうして雫がサラサラッと書き上げたのは、驚くほど正確無比の陣見取り図。辰馬も瑞穂も、長船でさえも息を呑む。雫は「?」という顔できょとんとしているが、これがあるとないとで作戦の成否には天地の開きがでるといっていい。


「これなら本陣を衝ける・・! ほむやん! 本隊の指揮、任せた! 兵の士気を保つために仕方ねぇ、さっきの『謎の少女』がお酌なりなんなりしてやっから、死ぬ気で戦えって言っとけ! そして俺たちは少数精鋭、いつもの7人で敵本陣に奇襲をかける! 山南交喙やまなみ・いすかをどーにかして、あとは神月五十六こうずづき・いそろくさえおさえればこの戦いシャー・ルフ(王手)だ!」

「やっと個人戦ですね。慣れない将校仕事とか、はっきり言って疲れた・・」

「オレもー。やっぱオレは人の上に立つ人間じゃねーわ」

「まったくでゴザルなぁ。というかそろそろ締め切りでゴザル。さっさと終わらせねば。ねぇ、シエルたん?」

「そーだよ。原稿、一度落とすと取り返しがつかないんだから!」


 というわけで。


 作戦、決行。


・・

・・・


 山南交喙は焦慮していた。


 とにかく兵が思うように動かない。女神の令名ひとつで人は簡単に意のままになると思い込んでいた交喙にとって、これは非常に意外なことだった。兵士たちはそれぞれ功名心から先駆け、臆病から進まず、交喙への疑いで動かず、なかなかに交喙の期待に反する。


 このままでは、神月さまに見限られる・・。


 本来、ホノアカの化身、斎姫として大神官の忠誠と崇拝を受けるのは交喙の側であるはずだが、実際には交喙が五十六に忠誠を捧げている。


 山南交喙はアカツキ・太宰職人街区の染め物屋の娘。


 家庭環境は中流よりはやや上といったところで、あまり娘に関心を払わない両親に育てられた結果あまり人に関心を持たない少女に育つ。学問・運動はとりあえずそこそこ、神術士としての潜力は高いものの、信心深さも慈悲心もおよそ持ち合わせておらず、まさか自分が女神の器に選ばれるなどとは思っていなかった。唯一の趣味は読書で、ある同人小説家がイベントデビューした当初からの熱烈なファンであるのだが、それはまあどうでもいい。


 6月20日頃、とつぜん神月五十六が交喙の前に現れて、お前に生きる意味と意義を与えよう、かわりに一生をかけて儂に尽くせ、と放言した。最初、この爺はなにをほざいているのかと思うものの、宗教特区ヒノミヤの人心掌握術かそれとも五十六のカリスマゆえか、何度か顔を合わせるうちに五十六に心を絡め取られる。出会って一週間ほどで交喙は完全に五十六の虜となっており、この老人に処女すら捧げ、完全な忠誠を誓った。そしてホノアカの「力」を身に受けて斎姫となり、半神半人、現人神となったのだが。


 あまりに強大すぎる力を訓練・修練なしに手にしたために、その心は傲慢を絵に描いたようなものとなった。もともと他人への関心が薄いために人間心理に疎く人心をおもんぱかれない交喙が人心収攬など出来ようはずもなく、五十六以外の一切を見下す彼女に最初こそ女神の現し身として交喙を崇拝した人々もその倨傲に気づいてすぐ、離れていく。離反した人々への怒りから残った人々にまた癇癪を発し、さらなる離反を招くという悪循環。これに関して軍師参謀・磐座穣いわくら・みのりからぼろを出さぬようあまり自分というものを主張しないよう警告は受けたものの、そもそも自分が倨傲であるという大前提に気づいていない交喙が気をつけようもなかった。


 そもそも同じく神月五十六の寵愛を受ける者としてライバル関係にある穣の言うことを、交喙が素直に聞くはずもない。交喙も穣も「五十六の愛妾」という立場は同一だが、穣が五十六ひいてはヒノミヤを世界の最終的覇者となすべく動いているのに対して交喙にはそんな視野がない。ただ、五十六が世界を獲ったならそのとき皇后として冊立されるのは自分だという強い野心だけはあり、穣相手にとてつもなく強烈な敵意を、交喙は持っている。それは五十六の寵愛の度が明らかに自分より穣に傾いているという嫉妬からの憎悪なのだが、交喙はそこに目を向けることのできる器量を持たない。


 これもすべて無能どもが悪い・・! 神の意志に沿えぬクズども、いっそ敵も味方も、神焔で浄化してやろうか・・!?


 片倉長親・鷺宮蒼依をはじめとした離反の将、意のままに動かない兵、そして磐座穣への嫉妬心と、敗北して五十六に捨てられるのではないかという恐怖。それらが渾然となった苛立ちに、交喙はツメを噛む。新羅辰馬ならこの状況、まず自分が起って陣頭指揮を執るところだが、交喙にその概念は根本的にない。総大将が本陣を動くなどばかげたこと、交喙の理性と知性はそう確信している。それはある意味で正しいのだが、臨機応変の用兵、という意味で考えるなら今は後方に構えるより、すくなくとも前線に女神の姿を見せて錦の御旗を掲げるべきであった。


 それにしても敵勢が強い。兵力は五分にされたとはいえ、武装と練度では圧倒的にこちらが上。正攻法の真っ向勝負で苦戦するほどのアドバンテージがあるとすれば・・。


 さっきの、あの女か・・!


 銀髪に白ローブの、あの少女。確かに天女というべき美貌ではあった。ヒノミヤが女神のために奮闘するのであれば、アカツキはあの少女を対抗手段として祭り上げたのだろうが・・。


 力もない、顔だけの小娘になにができる!


 対抗意識、本能的な敗北感からの嫉妬、そういうもので、交喙は内心激昂した。指示を仰ぐ士官たちへの目も、険しいものになる。


「お前たち、全力で敵を押し返せ! ここは女神の膝元、その威信にかけて、敗北も後退も許されぬ! 進め、喜んで死ね! 死ねば神の庭に迎えるぞ!」


・・

・・・


そう交喙が咆哮した頃。


 意気軒昂な兵士たちを率いて、明染焔みょうぜん・ほむらは水際だった指揮を見せる。


 焔が戦前にたてた陣法はそれまでの中央・左右両翼の3陣を前後6陣に分けるという戦い方。まず前陣が衝撃力を与えた後、後詰めの陣は自在に素早く敵の弱点を衝け、またこちらが圧されているときの対応も迅速になる。これは草原を往く騎馬遊牧民族の戦い方に似ているが、軍人でもない明染焔がどこでこんな用兵を身につけたかと言えば天性というほかはない。彼もまたまぎれもない、天才であった。参謀兼監察官としてつけられた長船が、やることがない。事ここに至って奇策を弄する必要はないし、必要があるとしたらそれは敗勢であって真っ向勝負ができている現状は正しいのだが。


「うらあぁぁぁぁぁぁぁぁーっ! いけいけ、崩したれ! 気張ったら謎の美少女Tちゃんが、後でえっちなご奉仕してくれるでぁ! 崩せ、進め、潰せぇ!」


 辰馬が聞いたら卒倒しそうなことを吼えて、焔は陣頭の最も苛烈な中央先陣で獲物を振り回す。一太刀で5人の首が飛び、2太刀で10人。無類の用兵巧者は、恐るべき鮮血の修羅でもあった。


 右翼先陣には厷武人かいな・たけひと。ガラハドに片腕を切り落とされながら、この少年の剣技はなお衰えることを知らない。焔の技が炎の苛烈なら、武人のそれは水の流麗。優美な弧を描く剣閃の領域に入った不幸な敵は、容赦なく両断される。


 左翼は新規参入の鷺宮蒼依さぎみや・あおい。彼女本来の獲物は左右の双剣だが、馬上で振るうには短すぎるゆえに長矛を執っての勇戦。もともとヒノミヤの姫巫女となる前は流れの武芸者であった蒼依の武技も、相当なレベルである。疾風のごとくに舞い、切り崩す。


 中央および左右の翼がそれぞれに傑出した指揮官を得て敵を突き摧し、そこに後詰めの後陣が追突の衝撃力でとどめを刺す。兵力は互角、武装はヒノミヤ。しかし指揮官の能力と兵の運用が、雲泥でアカツキ。最初の激突の時点で、アカツキ12師新羅隊はヒノミヤ勢を圧倒し、ほぼ勝利を決定づけた。


・・

・・・


「もう我慢ならん! 敵も味方も、わが神焔で焼き尽くす!」


 床几を蹴って立ち上がる交喙。そこに。


「ぅだしゃあぁっ!」


 と、あまり上品ではないかけ声とともに幕舎へと飛び込んでくる一団。青ベースの軍服は見間違えようもない、憎きアカツキ正規軍のもので、それが6人。そしてあと1人、白き衣をまとった銀髪の美少女は・・。


「お前は・・さっきの天女!」


 紛れもない。宛転えんてんなる蛾眉がび、面は芙蓉のごとく、玲瓏無比たる美貌は濃艶えんぜんとして露に濡れる牡丹の如し。まさに閉月羞花へいげつしゅうかというべし。この女を八つ裂きにしても飽き足らないくらい憎悪していた交喙をして、なおうっとりしてしまう美貌。緩くウェーブして光をはじく銀髪に、大きくきらきらと輝くルビーの緋眼。処女雪よりなお白い肌、細くたおやかな手足を包む、ゆるゆるとした純白の法衣ローブとベール。


 天女、と呼ばれて、少女は非常に不愉快、というか不本意、というかひどく苦い薬を飲んだような、複雑な顔をした。そして清冽可憐な美貌からはまったく想像もつかない粗野な動きでベールをひっつかむと、ベシ! 地面に叩きつけて声高に吼える。


「だから着替えてからにしよーって言ったんだよ! ここにこのカッコでくる意味あったか!?」

「いや、面白そーだったし・・」

「お前ホントにあとでしばくからな、シンタ。くそ、とにかく! おれはアカツキ12師偏将、新羅辰馬! 斎姫にして女神ホノアカの器、山南交喙、お前をここでぶっ倒して、この戦い、終わりにさせてもらう!」


 びし、と指を突きつける美少女・・新羅辰馬に驚きやや鼻白んだものの。


 なんだ。敵の首魁が向こうから殺されにきたじゃないか・・なら、望み通り終わりにしてやろう! この首を献じて五十六さまに褒めていただく!


 すぐに自若を取り戻し、交喙は鼻で笑う。


「不遜きわまりなし。わたしを神と知って、その大言を吐くか、人間!?」

「努力も研鑽もなしに、たまたま神の器に選ばれただけのチンピラがえらそーにほざいてんじゃねぇよ、ばかたれ。しばくぞ」


 不遜の暴言に、交喙の神力が一極で爆発、まとう神炎、その色は赤でなく、蒼ですらなく、陽炎揺らめく白。神威かつてなく高まり、殺意もまた。


「塵と消えよ!」


 袖を翻し、交喙は腕を振る。忽ち、螺旋を描く白焔の大槍が辰馬たちをめがけて飛んだ。その数7条。一条で一人を殺す構えだ。ひと一人ずつにこれほどの大火力を用意するのはオーバーキルもいいところだが、それだけの威力を前に辰馬の心は、寸毫のさざめきもない。腕に巻いた呪い石を外す。


「我が名はノイシュ・ウシュナハ! 勇ましくも誇り高き、いと高き血統、銀の魔王の継嗣なり!」


 放り捨てて、呪訣の宣言。次の瞬間、辰馬の中でひとつ、殻が割れて落ちる。


 女神の神焔、それは忽ちにかき消された。消されたと言うよりむしろ、最初から「なかったことにされた」ように。


 世界が、歪む。あまりに大きすぎる力に許容量を一瞬で突き破られて、一度世界は死に絶え、そして須臾の間も置かず再生して、もとに戻る。破壊と再生は世界の誰一人にも気づかれずに行われ、結果として“歪み”としての認識が残った。


 世界はかのものの力に耐えうるものとして再構築されたものの、なお荒れ狂う奔流は暴河の奔騰。煉獄ゲヘナの灼熱にして絶対地獄コキュートスの氷獄、相反する極大、無限の混沌を内包し、威力三界の端々に響き世界を震撼させる。世界が震撼し、天が歌った。天とは神でなく魔でもなく、天地にあまねく世界意思。宇宙の万象を構成する根本原質プラ・クリティは歓喜に震え、16年の空位を経て玉座にのぼった新王の登位を高らかに祝福した。


 新羅辰馬は、軽く腕を振って舞い上がった煙を払う。その背に広がるは12枚の黒翼。熾える焔のように、脈打ち明滅する光の羽、その一枚一枚が世界を支えるに足る無比の力の結晶。先ほどまでの純白修道衣は盈力で構成された漆黒の神衣かんみそに変換されており、指先の一本一本、赤い瞳の奥、総身に黒い稲妻を思わせる盈力がバチバチと走り、火花を散らす。


 山南交喙・・というより、その身に宿す女神ホノアカが、戦慄して総毛立った。目の前に立つ相手の、あまりに隔絶した力、そのすさまじさに本能が震え上がる。女神としてこの世に創造されて以来、これほどの力を目にするのは母なる創神・グロリア・ファル・イーリスをおいて他にない。無意識に、一歩下がる。


「さて。人間ごときじゃ話にならんって言いたそうなんで。次代の魔王としてお相手しようか、女神さま?」


 爛々らんらんと、炯々けいけいと。緋い瞳を輝かせ、魔王・新羅辰馬はそう言うとうすく笑った。辰馬らしくなく、酷薄に。

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