第21話 2章10話.人のなす業-天壌無窮
ガラハドと別れた辰馬は、新羅江南流古武術講武所道場に向かう。
道すがら、人がこちらを見ているのは気のせいではないだろう。大怪我はない・・客観的には十分に大怪我・・にせよ身体中あちこちと傷を負っている。辰馬は気質的な問題から回復系・治癒系の術には縁がないので適当に止血してあとは放置だが、かわいらしい美少年が全身あちこちから血を噴いて歩くさまはなかなかに凄絶である。いい感じに服が裂けて首筋やら薄い胸板がのぞくのもまた、周囲には目の毒だった。
そんな視線は完全に無視し。
河川敷から公道に出て、また艾側沿いの道に入り、新羅家へ。
「せあぁぁぁぁぁぁぁぁっ!」
庭先では二人の少女が撃ち合っていた。
5連撃。辰馬の目がとらえたのはそこまで。しかし剣劇音は7回聞こえた。
その、辰馬の目にもとまらなかった残り2つを含めてすべての攻撃を。
「Is dat de omvang?《その程度?》」
エーリカは聖盾アンドヴァラナートで受けた。逆に押し返し、反撃の突きを放つ。ちなみにエーリカの得物は細剣だが、いわゆるレイピアではない。あれは基本的に硬すぎて、折れやすいという欠点を持つ。エーリカのものはもっと薄くペラッペラな、しなる刃。フェンシングで使われる剣により近い、フォイルという剣である。
もちろんエーリカの攻撃が雫を傷つけるレベルには、まったくない。軽く躱していなされるが、しかし雫の攻撃も本気で守りに徹したエーリカを崩すには至らない。最強の剣と無敵の盾は、だが互いを砕いて終わることにはならず、互いの強さを磨き上げ、高みに引き上げる。
「むー、あたし、これでも結構本気なんだけど。生徒の守りを崩せないとか、結構傷つくなぁ・・」
「ふはぁー、ふー・・、へへん! わたしだって一応、守りにかけてはヴェスローディアの至宝ですから! 牢城先生相手でも、簡単にやられないって!」
さすがに雫の攻勢をしのいで肩で息をしているが、それでもまだエーリカの気勢は削がれていない。ニッと笑むとまた、盾を構え直す。
「よぉ。ふたりとも朝から元気だな」
辰馬がそう声かけすると、ピンク・ブロンドとハニーブロンドの二人の美少女はそろって振り向き、そろって愕然とした顔になって、取るものもとりあえず辰馬に駆け寄った。
「たぁくんたぁくんたぁくんっ!? だいじょーぶ? 痛くない? くっそおー、どこのどいつだ、あたしのたぁくんにこんな怪我させたのっ!!」
「ひどい怪我だよー。よくそんな平気な顔して・・出血もひどいし、普通なら立ってられないよ? 辰馬って痛覚おかしいんじゃない?」
「大げさなことゆーな。見た目はともかく、怪我はたいしたことないんだって。そんじゃ、おれ、道場の方に上がるから」
過剰に心配する二人を制して、道場へと上がる。新羅牛雄以外師範を置かないこの道場に於いて日曜は本来、定休だが、そこはかわいい孫のため。今日もしっかりぞうきんがけを済ませてぴかぴかの床の間に、牛雄は一人辰馬を待ち受ける。
「来たよ-、じーちゃん」
「うむ。早速始めるか」
・
・・
・・・
2時間後。
「くはぁ、はへ・・っ・・きつ・・」
辰馬は床に仰向けに倒れ、荒く息を吐く。
特別に困難な鍛錬を行ったわけではない。新羅江南流の根本概念である「超近接戦」を突き詰めての実戦稽古をひたすら打たされただけなのだが、とにかく牛雄とのレベル差が違いすぎる。打ち込んだ次の瞬間にはわけもわからず殴り倒され、床にたたきつけられるか壁に吹っ飛ばされるかというのを数百回、繰り返すと、もとからタフネスには自信のない辰馬の身体は悲鳴を上げる。なんとか精神と意思力で2時間保たせ、しのぎきったと思った矢先に。
「休んでおる暇はないぞ、今日は日曜、ほかに用事もない。あと2時間、いや、日が暮れるまで追加じゃ!」
「ひぃ・・はぁ・・無理だって、じーちゃん・・なんかキャラ違う・・いつからこんな鬼軍曹キャラに・・いやホントちょっと待って、無理だから。もーちょっと休憩・・って、げふぅ!?」
泣き言を言う辰馬の腹を、牛雄は容赦なく踏み抜く! 内臓が食い破られるような衝撃に、辰馬は一瞬、白目を剥いた。
「実戦の場でいいわけは通用せんぞ、辰馬! 徹底的に鍛え直す! さぁ立て、立たんのならこのまま踏み殺す!」
その言葉も眼光もどうしようもなく本気。つい先日までの、孫に甘々な好々爺の面影はどこにもない。かつて新羅の技に絶望してアルティミシア大陸を周遊、世界中の武技を学び、新しい術理体系として新羅江南流を再生させ、アカツキ皇国中央軍武芸師範にまでなった男はまた同時に勇者・新羅狼牙や剣聖・牢城雫を世に送り出した名伯楽でもあり、今また新羅辰馬という少年を狼牙、雫に肩を並べられる達人の域に導こうとしていた。牛雄にとって修行は苦行であり、本気になった以上優しく楽しく教えるという選択肢はない。
辰馬もこれは本気だなと悟ると、甘えの残った意識を切り替える。本気で来る相手には、こちらも本気で応えるのが礼。牛雄の足をつかみ、アキレス腱めがけて中高一本拳(握り混んだ拳の、中指を鈎状に立てた拳形)を突き立てる。引きちぎるつもりで仕掛けた。
牛雄は動じず。辰馬の顔面にそのまま足を踏み落とす。かろうじて紙一重で避けた辰馬は回避運動のエネルギーを利してくるっと身体を反転し、牛雄からわずかに間を開けるとようよう、立ち上がった。
そこからがまた、地獄だった。
立てば立つだけ、倒される。どれだけ意思を奮い立たせようが絶対的実力差は根性でどうこうなるはずもなく、一方的に痛めつけられ続けた。なんなら盈力を使ってもいい、という牛雄になら遠慮なく、と力を使おうとするも、無詠唱での盈力放出すら力を溜める前に先んじて潰され、本当にズタズタにされてしまう。口から唾に混じって赤黒いものが吐瀉され、内臓のどこかが破裂したことを知るも、そんなことで牛雄は手を休めてはくれない。アドレナリンが沸騰した辰馬も痛いとか苦しいとかいう状態ではなくなり、ほとんど無心で祖父に一指報いんと打ちかかるが、しかし無心の、意思と理性による統御のなされていない攻撃は簡単に痛烈なカウンターの的になる。
そしてまた意識を飛ばされ、床に転がされた。
「反射に頼るな、意思を手放すな! 無意識下の反射で動く身体など傀儡以下、ものの訳には立たん! あくまでも思考せよ! 考えて、考え抜いて相手の裏をかけ、狡猾に立ち回れ! 強者というのは臆病な卑怯者であると思い知れ!」
新羅江南流の精神、その究極を牛雄は説く。詰め将棋のように研ぎ澄まされたクレバーな戦闘、それが新羅江南流であり、そこに必要とされるのは肉体を統御する智慧、それ一つに収斂される。だから反射的な動きは、知恵の働きを阻害するとして唾棄されるのである。おなじ動きもすべて、ひとつひとつに意識と感覚を流し込み、毛先の一本一本までに智慧が満ちていなければならない、それが新羅の技の本旨。
「さて。今日はこれで最後に・・する前に、不祥の孫にひとつ、江南流の極意を見せておいてやるとしよう・・。『意』が満ちた状態であれば、神力も魔力も使わずしてどの程度の芸当がかなうか」
また立ち上がった辰馬に、牛雄は無造作に間を詰める。辰馬はまず止めるつもりで前蹴り、下段回し蹴り、身をかがめて掃腿(足払い)のコンビネーションで迎撃するも、どういう歩法か、右にも左にも後ろにも、まったく回避しているふうに見えない牛雄の身体を辰馬の
間に入る。
牛雄が、じつに無造作に腕をなぎ払う。目打ち。「反射的に」辰馬が顔を庇う行動を取り、「だから反射に頼るなという」その薄く華奢な、白い胸板に牛雄の掌が添えられる。
轟音。
それは道場を震撼させ、音は屋外まで余裕で響いた。
エーリカは突然の局地的な地震に「な、なに?」と身を震わせ、雫は「あー、あれ・・師範の『
辰馬は、その場に立っている。
微動だにせず。
受け止めたのではない。
受け流すことを許されなかった。
ために、『心意』から繰りだされた大地震にも匹敵するエネルギー・・『天壌無窮』のすべては外に流れず、辰馬の身体の中を存分に駆け巡り、衝撃で破壊した。
その衝撃の伝導からかっきり20秒。
「かふ・・!?」
赤黒いものを吐き、辰馬はばたりと前のめりに倒れる。
・
・・
・・・
「お疲れさまでした、辰馬さん」
そう言って、瑞穂が辰馬に濃茶を点てた茶碗を渡す。
道場での実戦稽古から2時間。処置して止血して包帯を巻いて、とやっているうちにすっかり夕暮れ暮れなずむ時頃となって、辰馬たちは新羅家で食事を「食っていきんしゃい」とばーちゃんから呼び止められ、今に至る。
「ん。あんがとさん・・つーかおれ、この濃茶っていうやつ、あんまし好きじゃないんだけど。普通に薄茶のほうが・・」
どろっとした緑色の液体に、辰馬はややたじろぐ。斬った張ったの勝負は慣れっこだが、こういうものは慣れがないだけに恐怖心が先立つ・・というか、どろっと濁った汁が鼻水みたいに見えて気色悪い。
瑞穂に出会ってからはや1月近く。辰馬の「奴隷」たるを自覚してからというもの、瑞穂は辰馬に喜んでいただくこと、に積極的に取り組む性格であり、その一つとして、こうして機会があれば茶を点てたり香を焚いたりして見せるのだが、なにぶん、辰馬は風雅とか風流とか、そういうものに縁のない育ちをしてきたし関心もないもので、瑞穂の心遣いもあまり奏功しているとは言い難い。
まぁ、飲むけどさ。
ぐいっ、と呷る。苦い。どこまでいっても苦い。苦みしかない。なにこれ、なんでみなさんこんなもん飲むの? という気分になる。
「あらぁ~、このお嬢さん、所作がきれいやねぇ」
料理を片手に現れたのは、辰馬の祖母新羅みはや。この人も若い頃、魔族に陵辱されて狼牙を産んだ過去があり、そう考えて瑞穂がまた新羅家の娘に入るとしたら、三代続けて新羅家当主は被陵辱者を妻に迎えたことになる。妙な符号だが、どうもつらく悲しい境遇の女性に、この家の男どもは弱いらしい。
「ばーちゃんってお茶とかわかんの?」
「そりゃ、ねぇ。わたしも昔は結構お嬢様やったけん、習い事で結構したくさ。ばってん、このお嬢さんみたいにきれいな所作はなかなか見んよ。所作には心のきれいさがにじむもんやけん、大概はどっか濁った感じになるもんやが」
南方方言混じりに言いつつ、みはやはよどみなく料理を並べていく。瑞穂、雫、エーリカの三人が「手伝います」と言っても、思いのほか力強い拒絶は小娘たちの手助けを借りようとしない。「うちの台所はわたしの庭やけんね」という事であるらしい。
「ふーん」
それ以上聞くと話が長くなりそうなので、それだけ言って料理に目を転じる。白米にほうれん草の味噌汁、鮭の塩焼きと肉じゃが。辰馬は無造作に箸を取ってじゃがいもをほぐし、口に運んだ。
「うん、やっぱ旨い。学食の固いジャガイモとは、比べもんにならんな」
「みはやおばーちゃんの肉じゃが、おいしーよねー。あ、そーいえばこの前、ウェルスの偉い絵描きさんが『ジャガイモ』って絵を発表したんだって」
「へぇ・・別に、どーでもいいや。それよりだけど、じーちゃん?」
「んぁ? わしは今から酔っ払いになるんでな、あまり話は聞けんぞ、辰馬」
「一言で済む。アレはつまり、『心意』は『神威』を代行できる、ってことで、いいんだよな?」
先刻のとどめの一撃、『天壌無窮』。その根本原理を、辰馬はそう言い当てる。神のわざは人間の意思力により具現できる。それを極限までつきつめれば、こうも言える。「人は、神に代わりうる」と。
「さて。それは自分で確かめてもらわんと」
答えることはせず。首と肩をすくめ、瓶子をつかんで酒を飲み始める牛雄。辰馬もそれ以上は追求しない。
その後は歓談して、三人娘と一緒に辰馬は寮へと帰った。彼女らと別れて男子寮に入り、談話室でのんぴりしているとシンタがやってきて、辰馬が三人と一緒に居たのを上階の窓から見ていたらしく「うらやましい、うらやましぁ~、うらやましいんですよ辰馬サンっ! 誰か一人くださいよ!」と辰馬の襟首をつかんでガクガク揺さぶり、辰馬から「うるせーわばかたれ、おまえ自称ホモのくせに女欲しがんな」と鳩尾に膝を食らって悶絶したが、とりあえずそこはどうでもいい。
そして、夜が明けて。また一週間が始まる。
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