第20話 2章9話.央国の騎士

 あのあと。


 新しい肉体、とはいえ所詮仮初めのもの。本来の肉体でない以上魂との完全な合一はありえず、辰馬は拒絶反応に苦しめられる。


 すぐにこの身体から魂を剥がして、もとの肉体に戻さなくてはいけない。そこで活躍したのが今回ほとんどいいところのなかった明染焔である。彼はおよそ人間のそれとは思えない怪力とタフネスとでもって新羅一家3人を抱え上げると、少弐から太宰までのあいだ約60キロ(アカツキ固有の単位だと一指いっし=広げた人差し指と中指の間、約3センチ、一足いっそく=左右の足を軽く開く距離、24指で72センチ、一跨いっこ=人間一またぎ分、(一時代前の)標準的な男性の身長、2足6指で162センチ、一幅いっぷく=公道の道幅、3跨486センチ、一径いっけい=公道の一駅区間ごとに定められた距離、120幅で58320センチであるが、面倒だし無駄なので以後、会話の中以外メートル法表記で統一)を2時間かけずに踏破してのけた。


 功労者・焔はあっさり押しのけられ、なんだかここのところ危機的状況がつづく辰馬に、少女たちが取りすがらんばかりに駆け寄る。魂一つに肉体が二つ存在するという不合理にまず瑞穂が気づき、すぐさま用意にかかるアーシェに協力を申し出る。


「あなたは・・ええと?」


「ごしゅじ・・辰馬さんのお友達の、神楽坂瑞穂です。ヒノミヤで齋姫としてつとめていました、お手伝いできると思います」


 さすがに奴隷です、とはいえないので、そこはぼかす。


 そして先代聖女と当代(といっても既に落剥らくはくしているのだが)齋姫という豪華きわまりないコンビで、剥離・摘出ともとの身体への移植、が行われた。


 瑞穂を驚かせたのはアーシェの行った術式新創世のレベルの高さで、西方のレベルが総じて高いのか、それともアーシェが飛び抜けているのか。およそ現行の魔術あるいは錬金術の水準から隔絶していた。ただの肉体を造る呪法なら難しくはないが、そこに魂とのバイパスをつなげ、命の器として機能させることは世界中の術者が挑んで挫折した道だ。書物には理論として『黄金錬成アルス・マグナ』や『原初の人型アダム・カドモン』といった術の「たぶんこうあればできる・・かもしれん」ということが書かれてはいるものの、それを本当にものにしてしまっている術者はいない。生命の造出はほぼあきらめられ、ほとんど錬金術の現場は命の修復と再生を司る『賢者の石』づくりに邁進しているのが現状であり、そこに本物のアルス・マグナを体現した術者が存在することに瑞穂は驚嘆する。アーシェ・ユスティニア・新羅、先代聖女は、まさしく端倪たんげいすべからざる存在であった。


 とはいえ先刻の『新創世』で消耗したアーシェに、もう一度同じだけの力を使う余裕はない。そこを補うのが瑞穂の役割ということになり、こちらはこちらでアーシェをおどろかせる。


 とにかく神力の総量がすさまじい。おそらく、現在顕力として表層化している神力だけでもアーシェに数倍する。そしてその質も。


 初めての術式ゆえに、瑞穂は何度もつまずきかけるが、つまずきそうになる都度に時軸ときじく(時間操作)の力を使って窮地を回避する。本来的に時間を止める、さかのぼるという瑞穂のこの能力の使い道は戦闘よりもこういう場面が本領であり、部分的に時間を止める、という応用技法を施すことで完全にいっさいの副作用をもたらさない麻酔すら可能とする。時間にかかわる能力者など、アーシェはほとんど見たことがない。唯一の例外は魔王オディナ・ウシュナハだが、彼とてもここまで見事な時間操作は使えなかった。魔王から古き世界についての知識の幾ばくかを伝え聞いたアーシェはおそらく瑞穂が魔王と同格の古神から力を承けているか、その転生体か、どちらかだろうと推察するが、正確なところはわからない。


 ほかの面々はただ祈った。新羅辰馬という少年は横柄であり、怠惰であり、まじめではなくぼんやりしているし、結構に短気でなにかといえば「ばかたれ」を連呼する、お世辞にも人品高潔とはいかないが、とにかく周囲の人を引きつけて好かれる妙な魅力があった。これは彼の父母譲りの盈力や美貌・・沈魚落雁ちんぎょらくがん閉月羞花へいげつしゅうか、傾城傾国の紅顔ということより遙かに大きなアドバンテージであり、のちに辰馬がアカツキの将軍となり、さらにアカツキに裏切られて流浪の王となり、そしてそののちアカツキを滅ぼし大陸9国を平定した『皇』となるに至るまで、常に周囲に傑出した異能を集わせる最強の武器として機能する。


 さておくとして。


 アーシェのてほどきで瑞穂がかろうじて処置を完成させたのは3時間後のこと。瑞穂はそのまま辰馬に折り重なって意識を失い、翌朝目覚めた辰馬はのしかかる少女の柔肌にぎゃーと悲鳴を上げ、瑞穂は自分の胸肉の圧倒的重さ(161センチ66キロ、うち乳重14キロ。乙女としてはこの体重に絶望しかない)に恥じらいひっそり落ち込むが、まあそれは置くとして。


 この一件来、辰馬と周囲の面々の中で、意識が変わったのは事実である。


 辰馬はただ道場の息子として惰性で新羅江南流を身につけるのではなく、祖父と父とに正式に入門した。確保できる時間は毎日2時間程度だが、徹底的な実践稽古を受ける。また、父・狼牙から「これはもう私が持つべきではない」と家伝の短刀・天桜を譲り受ける。64枚の氷の刃を天に透かした絶景は、まさに天に咲く桜。また、魔術に関しては十六夜蓮純とルーチェ・ユスティニア・十六夜に教えを請い、これまでおろそかにしていた「小さくて便利な」術にも手を出す。


 瑞穂はアーシェに師事するようになる。アーシェも後進を育てることにおおいに意欲的で、自分のもてる限りの技を瑞穂に教えていく。瑞穂の成長力は驚異的であり、師を驚かせるところ大であったが、むしろ彼女の弱点はメンタル的なところにあってそれはアーシェにもいかんともしがたい。なにせアーシェも思い詰めて自分を壊したような女性であるから、アドバイスができなかった。


 朝比奈大輔の師は明染焔。新羅江南流を学びたい気持ちもあったが、狼牙と牛雄が辰馬につきっきりでの指導をやるとなると大輔を構っている余裕はなかった。「仕方ねーからほむやん、俺に教えろ」と要求したところ、思い切り頬げたを殴り飛ばされ、軽く10メートル吹っ飛ばされて膝ガクガクにされた大輔は、その威力をものにすべく日々焔と実践組手を交わす。


 上杉慎太郎は実家・・上杉子爵家・・に戻って父に頭を下げ、師匠を乞う。上杉子爵は勘当した4男坊のわがままに癇癪を熾したが、しかし息子の瞳の真剣みと覚悟を見るにつけ、怒りより興味が湧く。ずいぶんとましな顔をするようになったものだと感慨にふけった子爵は、家の使用人で鍵職人、昔は凄腕の盗賊として鳴らした相良段三という人物を紹介、シンタはこの人物から盗賊の技巧とナイフ戦闘のいろはを仕込まれる。


 出水秀規は蒼月館の図書館に入り浸った。小説の執筆そっちのけで魔道書を漁り、自分とは属性が合わないとか現状のレベルが追いつかないとか、理由をつけてあきらめていた上位の魔術に手を出す。『契約』には術者の大切なものを要求されることが多く、一番大事で致命的なものとして寿命を求められることもあるが、覚悟の上。


 牢城雫は自分の攻撃力をもっと高めるために全力で打ち込んでも簡単には崩せない鉄壁の相手を求め、エーリカ・リスティ・ヴェスローディアは自分の防御を伸ばすため峻厳苛烈な猛攻の持ち主を求めて、すぐ傍らに絶好の練習台がいることに気づいて破顔する。彼女らは毎日、時間が空けば芋ジャージに着替えて体育館で実戦さながらに打ち合った。


 とはいえ1週間程度で劇的に変わるわけではないが、意識の変化、覚悟の違いというものは大きい。


・・

・・・


 その日、辰馬が京師外周を走り込みしていると。


 河川敷に一人の青年の姿を見た。


 年は、30歳前後。


 髪は明るい金、短髪。


 着ているものは赤と黒の重装鎧。がちがちの完全鎧フルプレートでありながら、それを着こなす青年の動きはまるで豹のように俊敏だった。


 そう、俊敏だった。


 辰馬が青年だけに気をとられたのはそれだけ青年のまとう「なにか」が突出していたからで、実際には青年の周りには無数と言っていい男たちがいた。青年同様に甲冑を・・意匠や塗装の違いから、別の所属か・・まとい、総員抜剣して青年に掛かる。


 一切の容赦がない、相手を殺すことにみじんのためらいもない殺人の殺陣。それを青年はすべてたやすくかわす。一人が斬りかかってきたのをかわしざま突き飛ばして二人目にぶち当て、虚を突かれた相手のあご先に無造作な掌底を当てて脳震盪を起こさせると、崩れる相手の影に入って3人目への盾にし、わずかにためらった切っ先を甲胄の腕甲ガントレットで受けるとそらし、前へ踏み込み、鳩尾に拳を当てて沈める。そのまま流れるように4人目へ。


そうやって20人ほどの騎士を、1分とかけずに青年は轟沈させた。辰馬は思わず見入ってしまっていた。とにかく速く、重く、無駄がない。掛かってきた敵を盾に使う戦闘法が、集団戦慣れを感じさせた。


 ぱちぱちと、拍手してしまう。青年は最初から気づいていたようで(あの技量で気付かないほうがおかしいわけだが)、薄く人当たりのいい笑みを浮かべると軽く腕を掲げて応える。辰馬が河川敷におりていくと、青年は人なつっこく笑ったまま。


 抜剣した。


 見えない刃。


 超神速の斬撃が、のど元を切りつけ、手首を断ち切り、胸郭へと突き込まれる。


 それを視覚ではない感覚で知覚して、回避したのは1週間の鍛錬の成果か。


「なるほど、初撃で仕留める、という訳にはいかないか・・。魔王継嗣、ノイシュ・ウシュナハと見受ける。一手お相手仕つかまつりたい」


 青年が言うと、その姿が数倍にも大きくなったように感ぜられる。あまりにも圧倒的な威圧感は、父・狼牙たち伝説級のそれに匹敵するか、あるいは・・信じられない事ながら、それ以上。


 辰馬は背筋が凍るような恐怖と、同時に不謹慎なほど浮き立つ高揚感を覚える。


 こちらも天桜を抜いた。


「名前は?」


「ラース・イラのガラハド・ガラドリエル・ガラティーン・・参る!」


 青年・・ガラハドが消える。辰馬も、脳髄をフル回転させて疾走した。目では追えない斬撃を、思考の速さで補足する。初撃がここで、自分がこう躱した。なら2撃目は、3撃、4撃、5撃躱して、6は胸前に打ち付けてくるのを天桜で受け、反撃。超近接戦は新羅の間合い!


 どどっ、どふぅッ!!


 瞬時に寸勁の三連打。


 っ、粘勁のポジショニングが悪い、躱すスペースが・・やっぱり躱された。まず固定してからでないと、こいつにまぐれ当たりはないな・・。


 辰馬は相手の反応速度に心中舌を巻いたが、ガラハドの方も驚いていた。


 一瞬・・一瞬回避が遅れていたら、やられていた、か? やはり魔王継嗣、これ以上の力をつける前に、ここで殺す!!


 互いに、相手の動きを止める、そう念じて動いた結果。


 ギィン!


 と、互いの刃が、真っ向で打ち合う。膂力は明らかにガラハド。だが辰馬も考えなしでつばぜり合いに持ち込んだ訳ではない。


輪転聖王ルドラ・チャクリンッ!」


 最大火力の解放。神讃しんさんの詠唱を省いたために威力は大幅にへずられるが、人間相手に使うのならまだまだオーバーキルが過ぎるといっていい。


 だが。


 ガラハドは倒れない。回避したわけではなく、直撃だった。しかし平然。まるでダメージを受けたように見えない相手は、霊的干渉を受けていないような。


 しず姉と、一緒か!? 魔力をもたないかわりの・・


 今度はガラハドのターンになった。輪転聖王で体力を減らした辰馬の精彩は鈍い。下がって下がって、相手の攻撃をどうにか読むことで致命を避けるも、小さな傷はすでに数え切れない。


 やがて橋桁に追い詰められ。


 信じられないものを、見せつけられる。


「輪転聖王!」


 そう叫んだのは辰馬ではなく、ガラハド。信じられない威力の、「白い光の柱」が、逆巻き天を衝いて屹立する! 回避不能の辰馬はかろうじて防御結界を張ることでダメージは半分程度に抑えたが、問題はそこではない。


 輪転聖王は辰馬のオリジナルだ。古神へのバイパスを作る神讃からして辰馬が独自に創案して組み上げたもの。そもそも辰馬同等の盈力なしには使えないはずだが、今のは間違いなく輪転聖王の威力だった。


 こっちの術が効かない上に、こっちの術をコピーして使える・・ってわけか? そんなわけわからん能力が・・あるもんはあるんだろーな。まずその前提で戦わんと殺られる・・。


・・

・・・


 その後約20分にわたり、辰馬はガラハドと撃ち合った。主導権をとり続けたのはガラハドの方で辰馬は防戦一方だったが、なんとかしのぐことはしのげた。


 やがて、ガラハドの視線から殺気が消える。


 戸惑うような表情になった。


「・・ずいぶんと、まっすぐな剣筋だ」


「?」


「悪逆無道の悪鬼の王と聞いたが、どうにも情報と違う。このまま貴公を殺すのは間違っている気がする」


「あー。そう言ってもらえると助かる。おれも死にたくねーしな」


「とはいえ、神月こうづき老の命令は命令・・さて、どうするか」


「? まーなんか知らんが」


 辰馬はガラハドの手を取り、がっしり握手する。


「喧嘩し合った仲が握手したら、もう友人だぁな」


「・・そうか。なるほど。・・友人を殺すわけにはいかないからな。これはどうしようもない」


「あー。そーいうことで」


 そして二人は手を振り合って別れる。ガラハドの能力について知りたいところはあったが、それより。


 神月、って瑞穂のこと嬲ってくれたばかたれだよな・・そろそろ往くか、ヒノミヤ。

 

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