第13話 2章2話.勇者再臨/斎姫の願い
太宰から北、大都・少弐の郊外にある迷宮で。
「これぁ・・」
ぼろぼろと脆く崩れ落ちるそれは、もともとガラスだったのではなく。
おそらくは煉瓦。
このあたり一帯の迷宮を形成していた煉瓦のほぼ全てが、ことごとくガラスの結晶と化していた。
こんな真似しよる熱量、到底真似出来んで・・。
焔の得意とする法術は純粋に熱と炎の操作。限界まで活動を抑制した熱は絶対零度、最大まで活性化させれば最大で4000度の炎を現出するが、煉瓦をガラス化させるとなれば一瞬で数万度を発し、瞬時に冷却できなければならない。それをこの広大な範囲にやってのけるような術者を、焔は知らない。
いやまあ、一人だけ心当たりあるからこーしてここに来とるんやが・・正直こんなバケモンとは・・辰馬より恐ろしいかもしれんて。
狼紋地方のややガラの悪い方言で心にひとりごちつつ、今日蒼月館で戦うはずだった恋敵、新羅辰馬と思いを懸ける相手、牢城雫の顔を思い出す。辰馬はどうでもいいが、雫に会えなくなったのは痛恨事だった。仕事だからしかたないのだが、どうしようもなくやりきれない。
ぼろぼろに半壊した地下迷宮の探索で薄く汗をかいた額を、焔は太くたくましい腕で吹き上げた。
明染焔、23才。身長210㎝体重140㎏。
アカツキ北西部、狼紋の貧農出身。子どもの頃から大柄であり、怪力無双で知られる。貧乏ゆえまともな教育も受けられず、ただ漫然と将来は父母の後を継いで農業をやるのだろうなと想っていたが、10歳の時、狼紋に来襲した大型の魔獣を一人で
1808年、冒険者育成校『
1809年、2回生となった焔は満を持して国内最高の武術の祭典「
そして敗北して鬼神の憑き物が落ちた焔は、改めて雫を見て、相手が自分の理想にどストライクな女の子であることにはじめて気づく。以後雫に拙くも果敢なアプローチをかけるも「ごめんねー、あたし好きな子いるんだよ、えへへ~」とあっさり振られ、しかし諦められずにストーキングギリギリの行動をとって雫を追い回した結果、アカツキ2党市街区、川沿いのボロ道場、新羅江南竜講武所で新羅辰馬に出会う。
「や、ほむちゃんじゃーん。この子この子、この子があたしのかぁーいい弟ぶんだよ、ほら、可愛いでしょー♪」
「お・・おう・・」
と、言いつつ内心で思ったことは。
弟分て、どー見ても女やんけ!
であり、この勘違いから焔は自分にもチャンスありと思い込んでしまい、新羅江南流に入門してそれまでが楽土に思える壮絶な修練を積むのだが、のちに辰馬のことを男と知ったときの驚嘆と落胆といったらなかった。とにかくそういう縁から、明染焔という男は新羅辰馬、牢城雫とつながりがあり、また彼が蒼月館の非常勤講師をやっている理由もお察しの通り、雫へのストーキングの延長である。
「焔さん」
じゃり、と砂を踏む音がして、一人の少女・・少女と言うべきか、女性というか。あどけなさを残しつつも、雰囲気はすでに大人の成熟を醸す・・が姿を現す。
青灰色の長髪をツーサイドアップに結い上げた彼女がまとうのは、斎姫・神楽坂瑞穂の《かんみそ》やかつての聖女姉妹アーシェ、ルーチェが着ていた法衣にどこか似ている装束・・似ていると言っても形というより雰囲気的なものであり、全体的な雰囲気はどこかエスニックで、違うと言えばかなり違う。それは斎姫の神衣と聖女の法衣も同じ事ではあるが・・であり、彼女が神に仕える身分の人間であることをうかがわせた。
・・人間、といっていいものか、少々悩むが。
儚くも気丈な雰囲気の彼女の瞳は、瞳孔が蛇やトカゲの様に、縦に割れていた。
竜眼。
それを身に宿すと言うことは。竜種といわれる、大いなる存在。竜の化身。
そもそもが竜種は絶対数があまりに少ないうえ、その高いプライド、尊大な気質的に人間の世界に交わることをよしとせず、ほとんど人間と関わることがないのだが、この少女はその点において異質であった。
当然、わけありなのだが。
「そっちも見つけたか? イナンナ。 ・・竜の秘宝やかなんやか知らんが、ホンマ、こんなモンぶっ放されたら終わりやで。三軍ことごとく土に還るべし、や」
イナンナと呼んだ女性の前でガラスを砕いて見せ、焔はこの地に放たれた威力を、そう評す。先日、新羅辰馬が放った光の柱、世界の端から端までの人々がその霊威を見た【
ちゅーことで、発動前に叩かなあかんねんけど・・主導権握ってんのがこっちちゃうねんよなぁ・・。しかも・・。
「手を引かれましても、文句は言いません。これほどの破壊を見せつけられて、怖じ気をふるわぬわけにはいきませんでしょうから・・あの娘とは、わたくしが決着をつけます」
すぐに極玉砕したがる直情的な依頼人に、焔は手を焼く。死ぬなら勝手に死ね、と言いたいところだが、明染焔という男はそこまで冷徹に割り切れないので、自分が関わりを持った人間は全部救いたい。
「いや、無理やろ・・。そもそもあんたが妹・・ニンリルやっけ? を止めるだけの力を持っとるのやったら、初手で止めてるはずやもんな。今ニンリルは秘宝を手に入れて昔より断然強なっとるのに、どーやって勝つつもりなんよ?」
「それは・・どうにか秘宝を奪って・・」
「現実的やないなぁ。まあ、俺も正直、頭使ってどうこう、は得意とちゃうねんけど・・凄腕の助っ人呼んだからその人らと考えよ」
「助っ人?」
「おう、もーすぐ来るはずやで。10、9・・」
カウントダウンを開始する焔。いぶかしげに見守るイナンナ。
「・・1、0!」
刹那。とてつもないプレッシャーが、二人を圧し潰さんばかりに発現する。イナンナは驚き畏怖し、それでも強襲に対応しようとあがくが、到底あらがいうるものではなかった。焔は脱力してプレッシャーを流すと、襲撃者に陽気な声をかける。
「
その言葉に、はじけ飛ばんばかりだった空間の緊張が、突然弛緩する。
「すこしは慌ててくれないと、楽しくないんだがなぁ。焔くん」
「すみません、この人が。すぐにいたずら心を起こす困ったところがあって」
言いつつ現れたのは青髪に赤い瞳、64枚の蛇腹に分かれた短刀を持つ壮漢と。厭世的な雰囲気を漂わせた、法衣姿の儚げな美女。
魔王退治の勇者・新羅狼牙と、その妻、先代聖女・アーシェユスティニア。生ける伝説が、そこにあった。
・
・・
・・・
「荷物こんだけか? つーか、手ぇ貸さなくて大丈夫か? 立てる?」
辰馬は普段の泰然自若がどこにいったと思うほどわたわたと、瑞穂の世話に奔走していた。
「はい・・ご心配いただき、本当にありがとうございます、新羅さま」
瑞穂も、やや困惑気味に答える。斎姫として下女に世話をされることはあっても、こんなに親しく親身にされることは、瑞穂の人生においてなかった。6歳までは貧民街でスリとして生活していた瑞穂は人の顔色に敏感であり、それゆえに辰馬の至心が伝わる。ここしばらくで人の悪意にばかり触れてきた瑞穂にとって、辰馬の優しさがどこに依拠してのものなのかはわからないながら、その裏表のない誠心はとにかくひたすらにありがたく、つい気を許してしまう。
「・・むぅ」
「・・ぬぬぅ」
「えーと・・応援するつもりだったんだけどさー・・やっぱ悔しいから駄目!」
サティアとエーリカがむくれ、そして雫がやたらいい雰囲気の二人に割って入る。
「みずほちゃーん、あんまり薄幸の美少女アピールすんのやめよーねぇ? たぁくんってぱホントそーいうの弱いから! 卑怯! あたしそーいうキャラじゃないから対抗できないし!」
「そーだよ辰馬! だいたい、おとなしそーにしてる女の子はだいたい・・、ビッチ? なんかそーいう悪い子だってみんな言ってた!」
「あざといんですよ、小娘。そういう演技、虫酸が走ります・・わたくしがその存在、消滅させてあげましょうか?」
「うあああ、お前ら一斉にのしかかってくんな、ばかたれ! つーか止めろや大輔、シンタ、出水!」
「いや・・あとが怖いし・・下手すると神罰とか・・」
「女好きなホモとしてはこのシチュエーション最高だな、とか・・」
「主様、ホントにいやなら力ずくで止められるでゴザろぉ~? 困ってるフリしなくてもいいでゴザルよ?」
「役にたたねーなぁ、お前ら!!」
・
・・
・・・
退院手続きは滞りなく済んで(入院治療費は雫に前借りした)、瑞穂はいったん、雫のもと蒼月館の女子寮に引き取られることになった。まさか男子寮で辰馬と同棲させるわけに行かないので、当然妥当な線ではある。帰宅途上のその間も辰馬はずっと瑞穂を気に懸け、声をかけ、少しでもふらつけば支え、本当にこれがあの天衣無縫で傍若無人で奔放不羈の新羅辰馬かという過保護ぶりを発揮。反対にエーリカとサティアのヘイトとフラストレーションは天井知らずである。瑞穂は辰馬に向かってなにかいいたげだったが、どうも他の皆の前では言いにくいことであるらしい。雫としては複雑ながら、辰馬のためならと自分を納得させ、蒼月館の敷地に入る前で他の連中を促し、先に中へと入った。
かくして蒼月館の校門前で、新羅辰馬と神楽坂瑞穂が、ようやく二人きりとなる。
「あの・・お願いが、あるのですが・・」
ものすごく恥ずかしそうに言いにくそうに、瑞穂が火口を切る。
「おお・・なに?」
辰馬も少し、緊張の面持ちで答えた。
・・漫画でよくあるシチュエーションなら、告白、とか? ・・うああああああああああああああああ!
過去16年の人生で初めてのテンションに達する辰馬。期待と緊張で頭の中がちかちか明滅、気が逸るあまり喉が渇き、意味もなくかけ算を1の段から9の段まで暗唱して気を落ち着かせる。
「わたしを・・奴隷にしてくれませんか・・?」
「うん・・うん? ・・はぇ?」
ど、奴隷? いや、なんかの間違いだろ。うん。まさかなー、そんなこと言うはずないよ、この清純な顔で、まさか。おれの耳もおかしくなったかな、いかんいかん。
「あ、あー・・もう一度、言ってもらえっかな・・?」
「はい・・わたしを・・奴隷に・・してください・・」
「っあ!?」
瑞穂の言葉のボディブローに、辰馬は思わず片膝突く。実際生半可な拳で打ち据えられるより、はるかに巨大なダメージだった。
言ったよ! 間違いなく! 紛れもなくだよこの娘ときたら! なに、どーいうこと!?
「そ、その・・わたし、いろいろと、された・・じゃないですか?」
「あぁ・・うん。まあ、そーな。ご愁傷様・・」
「はぃ・・それで、その・・恥ずかしながら、そういうことを・・しないと・・耐えられない身体になってしまっていて・・」
「は、はぁ・・それは、大変だな・・」
「はい・・でも、普通の男の人は怖いし・・でも新羅さまはすごく優しくしてくださるし・・」
「ぁぁ、うん・・」
「それに、見た目に男のかたに見えないから安心感が・・」
「っあぁ!!」
せっかく立ち直った辰馬が、もう一度膝を突いた。
それかー、そこかい決め手は! いやまあね、見た目に男らしいとか嘘つかれるよりマシだけども・・なにこの敗北感。
「・・そういうわけで、どんなご命令にも従います、なにをなされても構いませんから・・どうかお側に・・」
「うん、あー、うん・・。ええと・・」
まあ、なんだ。つまるところ、瑞穂のガス抜きの相手をしろってこと、なんだよな・・ここで断ると男娼通いしますとか言いそうだし、断れん・・。つーても経験数百の女を満足させるとか無理だぞ・・、童貞だし。
「・・うん」
「あぁ、よかった・・。よろしくお願いします、ご主人様♡」
瑞穂はそう言うと心底安心した様に、これまで見せることのなかった華がほころぶような笑顔を見せる。あまりにまばゆいその笑顔に、辰馬もなかば投げやりに「まぁ、いいや」という気分になるのだった。
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