第29話 2章18話.竜攘虎搏

 竜洞の最奥。


 魔王継嗣、新羅辰馬と。


 竜の魔女、ニヌルタが。


 睨み合う。互いの視線に込められる力が、相手を屈服させるべく応酬する。


 もはや互いに油断はなく、この時点で相手に対する決定力にはなりえない。だがだからこそ、互いに軽々けいけいには動けず、状況は膠着こうちゃくに傾く。


 その状況下、ニヌルタにはほかのコマはなく、辰馬には仲間がいる。


「ぼさっとしてんなぁ!!」


 シンタの突撃。ニヌルタは無造作に腕を振り、それをいなすが、その影から夕姫。二本のダガーで、先ほどシンタが傷つけた部位を正確に斬りつける。傷口への攻撃を嫌ったニヌルタは受けずに躱し、半歩下がる。


 間がずれたことで、均衡が崩れる。フリーになった辰馬は両手を天に腕をかざし、神讃の詠唱。それと見て、ニヌルタも半瞬遅れ、詠唱に入る。


デーヴァにしてまたアスラの王、大暗黒マハーカーラの主なる、破壊神にして自在天! 汝、燃える男根より生まれし者! 世界を遍く照らす三眼! 偉大なるマハーデーヴァにして悪鬼のブーテーシュヴァラ! 破壊者ハリにして創造者ハラ! 1000の名を持つ王、その霊威を示せ!! 嵐とともに来たれ!!」


「天に蒼穹そうきゅう、地に金床! 万古ばんこの闇より分かれ出でし、汝ら万象の根元! 巨人殺しの神の大鋸、わが手に降りて万障ばんしょうを絶て!!」


 互いに全力。詠唱の時点で、両者の間にすさまじい力場。周りの皆がたまらず伏せる。


輪転聖王ルドラ・チャクリンッッ!!」


「天地分かつ開闢のウルクリムミッ!!」


 轟っ、と。


 天衝き坂巻く黒き光の柱と、万象を絶つ紅き闇の刃が、激突し、相殺する。威力は完全に互角、互いに押し通ることなく、中空で消滅。


 互角か・・あれで抜けないのは・・つらいな・・。


 辰馬は胸中、苦く呟く。無理をして強がってはいるが、ニヌルタの支配から脱するためにシンタたちへ自分の意思を渡した先ほどの術でかなり精神的に損耗している。精神感応系能力者がこの世界にほとんどいないのはそのためで、「魔王から継承した巨大な精神力」を保有する辰馬であっても消耗が大きすぎる。送信とは違う受信のみとはいえ、瑞穂はよくもまあ、使いこなせるものだと感心させられる。


 相当消耗しているはずが、まだ互角・・ここにきてまだ伸びるというの?


 ニヌルタのほうはニヌルタのほうで、驚きを禁じ得ない。魔了による支配を振りほどくのに、常人なら精神が砕けるほどの力を振り絞ったはずだ。それで力が衰えるどころか、信じられないことに跳ね上がりを見せている。ニヌルタの背筋を、冷たいものが伝った。


 冷や汗。


 それ、と認識するのにわずかな時間がかかった。冷や汗など、恐怖などとうの昔に脱したはずの感情。それが戻ってきたことに、ニヌルタはわずかにたじろぐ。


 が。


 すぐに恐怖は愉悦に変わる。


 ふふ、そうね、闘争とはかくあるべき! 久しくなかった血の高揚、楽しませてくださいな、王子さま!


 ニヌルタは竜爪を構えて、地を蹴った。


 辰馬も天桜を構えなおし、応じる。


 紅蓮の竜爪と氷雪の神刀、秒間10合を超える応酬が繰り出されるが、互いに互いの攻撃すべてを受け、いなし、捌き、決定打たりえない。辰馬の新羅江南流と対等に撃ち合う、ニヌルタのそれは聖域に伝わる竜闘技。ニヌルタは四肢に加え竜の翼と、尻尾も駆使して、辰馬の隙を狙う。なれない変則的な攻撃に、辰馬がやや圧される。


 そのわずかな間隙を、ニヌルタは見逃さない。崩しをかけた。辰馬は崩しと知って外そうとするも、ニヌルタは外しにかかる力を逆に利して一気に崩す。辰馬がバックステップで回避をはかるも、間に合わない。


 掌底が、辰馬の薄い胸板を打ち、


 蹂躙する衝撃。辰馬の全身を駆け巡る。


 竜勁。辰馬のお得意である発勁打撃の、お株を奪う。


 血を吐き膝をつく辰馬。その頭を、ニヌルタは思い切り踏みにじった。竜の膂力による踏みつけが、頭蓋を軋ませるが、辰馬はかまわず即反撃、踏みつける脚の、アキレス腱へ中高一本拳。サティアが足をどけて、半歩退く。辰馬は起き上がりざま半屈状態での掃腿。遠心力を使ってそのまま後ろ回し蹴りにつなぐ。ニヌルタはその蹴りを、間合いをつぶして回避すると同時に辰馬の脇腹へもう一発竜勁。これは辰馬が回避し、ぼふっ、と空をつんざく音。超近接状態での打撃の応酬が続く。


 参るな・・この間合いにはかなり、自信あったんだが・・


 ニヌルタの驚異的技量に、辰馬は舌を巻く。術者としての技量、神力・・人間のそれよりさらに竜女帝・創世の女神グロリア・ファル・イーリスに近い、竜気ともいうべきもの・・の保有量が絶大なのは分かっていたことだが、薄打の技量でここまでやられるのは予想外。短期決戦、一気に圧倒してしまう算段が狂う。


 スタミナであれば人間ベースの辰馬より竜種のニヌルタであり。時間をかければかけるほど、辰馬にとって状況は不利に傾く。


 んー、このままだとまずいかー・・一人だと、限界だぁな。


 ニヌルタ必殺の一撃、竜爪が襲うその寸前。カバーに入ったエーリカが、敢然とそれを止める。


 破砕されたアンドヴァラナート、その破片にして精髄たる、大粒の紅玉ルビーによって。


「ち・・、羽虫!」


 いらだちまぎれに、長く強靭な尻尾でエーリカを殴打、それを今度はシンタが、短刀で縫い止める。


「うらあぁっ、砕破サイファ!」


 流し込まれる波動。ニヌルタともあろうものが、あの一度喰らった砕破の破壊力に怯えをなした。打ち込まれる前に、短刀を抜く。緊急回避。それは反射的、本能的な行動であり、最短距離をとるゆえに最も読みやすく、カウンターを当てやすい。


「っ!!」


 辰馬が先読みの連撃を、ニヌルタのよける先に置く。熟練の狩人が仕掛ける罠のように、正確に巧妙に。


 左拳、右肘、靠法、そして、打ちぬいた肘からの、天桜の抜き打ち。ついにようやく、まともに入る!


 たたらを踏んで下がるニヌルタ。間合いが広がる。中距離。術者にとってこの距離は打撃ではなく、魔術の間合い。


 顕現。三対六枚の光の黒翼。


デーヴァにしてまたアスラの王、大暗黒マハーカーラの主なる、破壊神にして自在天! 汝、燃える男根より生まれし者! 世界を遍く照らす三眼! 偉大なるマハーデーヴァにして悪鬼のブーテーシュヴァラ! 破壊者ハリにして創造者ハラ! 1000の名を持つ王、その霊威を示せ!! 嵐とともに来たれ!! 輪転聖王ルドラ・チャクリンッッッ!!」


奔騰する、光る暗闇。ニヌルタの隔離世結界そのものをぶちぬく勢いで、光の柱が天を衝く! 盈力の圧倒的威力は結界にひびを入れ、穿ち、ついには砕く。


「あ、ああああぁぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


それはまさしく光の暴嵐ルドラ。ニヌルタが絶叫して嵐の檻から逃れようともがくが、完璧に決まった輪転聖王は絶対の威力。いかに竜の魔女といえど、止められない。


「はぁ・・はぁっ・・!」


 いまので・・全力使った・・。さすがにこれで・・、倒れろ!!


 光が、やむ。


 ニヌルタはかろうじて、五体満足で立つ。破壊された隔離世結界、あれの制御を自分の周囲を守る障壁に転換、身を守り、どうにか体力を残す。


「愉しませて・・くれたけれど・・。最後に勝つのは誰か、やっぱり最初から、決まっていたようね」


 勝ち誇るニヌルタ。


「そーだな、おれたちの、勝ちだ」


 脱力、全ては終わったと、辰馬は力を抜く。次の瞬間、ニヌルタの首筋に、白刃がつきつけられる。


「そーゆーこと。動いたら首、落とすから。たぁくんたちにはできないことでも、あたしはやっちゃうよー。先生だからね!」


「新羅さん、お待たせです!」


 雫がかわいらしく凄み、大輔が辰馬へと敬礼。


「魔女ニヌルタ、あなたの身柄はアカツキ政府が保護します。追捕ついぶでありあなたの姉、イナンナにより、聖域の奥へ封印されることとなるでしょう。・・竜種による人間社会転覆を狙った魔女の処遇にしては、いささか軽い気もしますが」


 ニヌルタの前に立ち、そう言った美咲の首を、ニヌルタが乱暴に掴んだ。消耗ゆえにさしたる力は出ないが、人質を取るという意味は十分。


「・・さらに罪を重ねますか。度し難い・・」


 美咲はあわてず騒がず。


 つ。


 銀閃がひらめき。


 ごとりと。なにかが落ちた。


ニヌルタの、竜鱗に覆われた腕が、まったくなんの障害もなくすとんと輪切りに斬り落とされた。


「ぁ? あ・・あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ?」


「あなたは天才だったのかもしれませんが。力を誇る前に、まず痛みを知るべきでした」


 まったく何でもないように、美咲は静かに言い放つ。


「あれ・・美咲ちゃんの力って、強化バフなんじゃ・・」


「今の技、ですか? これは神力とは別の技術です。これを使って・・」


 と、見せるのはほとんど目にも見えないような、極薄の長い糸。


「強度はタングステンの100倍。修練には多少の困難を要しますが、熟練すれば竜の鱗といえど、斬れないものはありません」


「・・はー」


 感嘆する雫。達人ゆえに分かることだが、雫が「多少の困難」といった修行の練度はおそらく想像を絶する。本気で戦って、雫が勝てるかどうかというところだ。純粋な戦闘者としての技量は、おそらく辰馬に勝る。世間の広さにうなる雫をよそに、美咲はテキパキとニヌルタに手当を施し、拘束していく。腕を斬り落とされて消沈したのか、ニヌルタは別人のようにおとなしくなり、美咲に目を合わせない。


「ともあれ、一件落着か・・」


「辰馬、今回わたしたち、あんたにすっっっっっごい迷惑、かけられたから。今度学食の素うどん、奢りなさいよ!」


「えー・・まぁ、素うどんぐらいならいーか・・」


「そーだよなぁ、辰馬サン、ケツ触らしてもらっていーっスか?」


「あー・・って、いーわけねーだろーが! お前は大概で、おれのケツを狙うのやめろや!!」


「まぁ今の辰馬サン相手なら、無理やりにでもいけそーな・・」


「いやほんとやめろ勘弁してくれ怖いからホントに。お前男に襲われる男の気分ってわかんないだろーけどすごく・・うあぁぁ!?」


 がばり、シンタは疲労困憊の辰馬を押し倒し、その引きしまった尻をぐにぐにと揉みしだく。辰馬はぎゃーとわめくが、ここをチャンスとみたシンタは攻撃の手を緩めない。


「辰馬さん鍛えてんのにやーらかいっスよね、うははー♡」


「やめろって、殺すぞ! つーかお前ら助けろ!」


「まあそれどころじゃなくて。サティアちゃんの調子は?」


 そう問う雫の言葉に、瑞穂は小さくうなず返す程度の余裕しかない。額には珠の汗がにじみ、その集中の度を物語る。時軸ときじくによる時間遡航が奏功しているのは間違いないようでねじ曲げられた四肢やつぶれた喉はもとにもどっているが、まだ極限まで嬲られた生命力と精神の修復には至っていない。


「まずは寮に戻りましょう。処置はそれから。今回の、学生会騒乱の事後処理もあります」


「そーだねー。んじゃ。たぁくん、シンタくんもじゃれてないで。こっち来なさい」


「じゃれてねーわばかたれ! どこを見てんだしず姉!」


「いやー、堪能堪能。たっぷり触った。満足」


「シンタおまえあとでしばく・・」


 そして、帰ってきたその日の夜。


 なんとかサティアを回復させた瑞穂は、疲れ切った身体を癒すために辰馬の部屋に忍び込み。


 サティアが肉体を得て辰馬への憑依から離れた=もはや誰はばかることもない、ということで。それはもう大いに乱れ。干からびるほど、辰馬から搾り取った。


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