第28話 2章17話.傀儡舞踏

「・・・・・・」


 生気のない、うつろな瞳で。


 新羅辰馬は軽く地を蹴る。


 速・・まずっ・・!


 そう認識した瞬間に、上杉慎太郎は殴り倒されている。正確を期すならば、顎先を掌底で跳ね上げられ、のけぞった勢いを利して崩し。脇から膝を入れて頭が下がったところへ、鎖骨狙いの肘が落ちてきたのだが、一瞬のことでなにをされたか、シンタには正確に把握できてはいない。ただ、最後の一撃、鎖骨をへし折りに来た肘の一撃だけは、どうにかヒットポイントをずらしたが、別の意味でのヒットポイントがもうほとんど残っていない状態だ。


 辰馬は動きを止めない。シンタを屠ると同時、出水に掛かっている。


「ちぃ! 主様、目ぇ覚ますでゴザルよ! 八掛石陣!」


 素早く手で呪印を結び、力ある言葉を開放。辰馬の四方を八本の石柱が囲み、動きを封じ・・られない。辰馬は無造作に腕を振っただけで、出水渾身の呪縛術を力ずくで引きちぎる。


「うぇぇ!?」


 剃刀のように跳ね上がり、そして撃ち落される上段回し蹴り。それはもはや蹴りというより刀剣の切れ味。出水は本能的に頭をかばう。次の瞬間、軸足に激痛が走った。


「あ・・ああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」


 狙いすまして上段から下段にスイッチした蹴足けそく、それは見事に出水の、肉と厚い脂肪に包まれた太い足を、ボッキリいともたやすくへし折っていた。


 この間。エーリカは動けない。


 相手のあまりのすさまじさに、本能が戦闘を放棄していた。謝って済むなら謝って勘弁してほしいところだ。・・だが、謝ってもサティアのように壊しつくされる運命が待っているなら、どうにか抗うほかはない。


 とはいえ、あまりにも役者が違う。エーリカが完璧に防御に徹したとして、防ぎきれるかどうか。牢城雫の全開に匹敵する猛攻に、背中を冷たい汗が過る。シンタも出水も一瞬で無力化され、瑞穂はまだ時間がかかる。一人で支えうるか。


 誰にいってるのよ、そんなの・・。できるかじゃなくて、やる!


「来なさい、新羅辰馬!」


 名前を呼ばれて反応したのか、ただの反射か。辰馬は次の獲物、とエーリカにおどりかかる。その攻撃の立体的なことに、エーリカは手を焼かされる。上段、中段への拳打・蹴足はともかく、それらをおとりに使っての下段・・下段回し蹴りや掃腿そうたい(足払い)といった技を織り交ぜてくる。颶風の速度もさることながら、とにかくいやらしく肉体的、心理的死角をついてくるのがまた厳しい。受けきった、と思って気を抜くと、その先に次の攻撃が置いてある。


 もともと、剣撃を想定したエーリカの技法に、下段はない。多少の受けの技法くらいは身につけているが、辰馬レベルの相手をこなすには技巧も経験も足りない。


「・・・・・・」


「ちょっとはなんか言ったらどうよ? 今あんたのせいで絶賛大迷惑中なんだけど!?」


 エーリカの怒声にも、辰馬は応えない。表情から気配が読めないというのも、組しづらかった。普段の辰馬なら表情からこちらも次の手を予測できるが、今の辰馬は能面のような鉄面皮。そこに一切の感情はなく、それゆえにエーリカはこれを辰馬と認識せずに済んではいるが。


 辰馬の拳が、アンドヴァラナートを叩く。


 無駄。聖盾がひとの拳で・・っ!?


 人の拳では無理かもしれない。エーリカにとって辰馬はあくまで人間の認識。しかし新羅辰馬という存在の本来は人ではない。神に授かった武具なら、それを破壊する魔の象徴、魔王の継嗣。


 拳から、勁が伝わり。


 破砕。


 あまりにもあっけなく、数百年ものの神器は粉砕される。


「・・っ、ちょ・・!?」


 踏み込む辰馬を、止める手立てがない。


 ずん!!


 総身に響き渡る衝撃。完璧な発勁は威力のわずかたりと、外に逃がすことを許さない。「通った」破壊力はエーリカの中を食い破る勢いで蹂躙し、駆け巡った。


「く・・まだ!」


 不屈の闘志。踏みとどまる。深層の姫君とは思えないド根性。そのエーリカに、ほんのわずか首を傾げ。新羅辰馬は無造作に腕を振り上げ、打ち下ろした。


 輪転聖王ルドラ・チャクリン。辰馬の最大火力が、エーリカにたたき込まれる。神讃しんさんの詠唱なしでの発動ゆえにその威力は大きく半減。それでもエーリカの戦闘力を粉砕するには十分。今度こそ、頽れるエーリカを無造作にどかして最後に残る瑞穂へと歩を進める辰馬の腰に、エーリカは、驚異的な粘りでまた立ち上がり、組みついた。


「あんた、ほんと大概にしなさいよ、辰馬ァ!」


 居反り・・というか、バックドロップ。へそで投げる! 本当に泥臭い、およそ姫たるものの戦いぶりではないが、それがどうした、エーリカ・リスティ・ヴェスローディアという少女はもとから山歩き、剣術遊びばかりやってきた破天荒である。いまさら姫君らしくもなにもあったものではない。


 ハイアングルで脳天から床に叩きつけられた辰馬の頭の中で、なにかがかちりと音を立てた。うつろだった瞳が焦点を結び、意志の光が戻る。


 い・・てぇ・・なんだ、ぁれ・・?


 ぼんやりと、混乱する頭を整理する辰馬。その上に、エーリカが馬乗りになる。


 どげし、ごすっ、がん!


 拳の乱打。遠慮も加減もなしの猛撃が、辰馬の顔をベコベコにする。


 ちょ、おいこら、エーリカお前! こんな、死ぬぞ!?


 とは思うも、声が出ない。しかもその身体は意のままにならないだけでなく、勝手に動いてエーリカの身体をブリッジで跳ね上げ、投げ飛ばし、すかさず立ち上がると片膝ついてふらつくエーリカの側頭部へ痛烈なトゥキック!


 ぁえ!? なにやってんだおれ!?


 大いに焦った辰馬は全身に意識を染み渡らせて肉体の支配権を取り戻そうとするが、それが阻害されて果たせない。その間にも辰馬の体は容赦なく、エーリカを蹴りつける。


 あーくそ、この身体の主はおれだろーが。勝手に動くなって。


意識だけ、魔女に向ける。冷笑と愉悦の綯交ないまぜになった感情が、流れ込んでくる。押しつぶされそうなほどの巨大な悪意。


 ともかく、身体はこれ、一度こいつらに倒してもらうしかないな・・。一応、こんだけ精神ががはっきりしてるなら、どーにか術は使える? そんなら・・少し手助けすっから、しっかりおれを倒してくれよ・・シンタ、出水。


・・

・・・


「そろそろ陽動も終わりでいーんじゃねぇか、晦日つごもり!」


「そうですね。それでは向かいましょう。奇襲が成功していたならよし、失敗していたなら、さらにその後背からの奇襲で仕留めるとします・・」


 大輔に応える、美咲の顔はやや蒼い。相当長時間、斎姫としての強化能力を使い続けだ。消耗もする。もともとが強い大輔と雫の能力をさらに倍加させるには並みの兵士を強化させる数倍の力を要し、消耗は激しい。彼女は成功実験体とはいえやはり完全に適合した女神の器、斎姫は比べられないわけであり。瞬間最大風速的には斎姫同等でも、総合力には見劣りしてしまう。


「みさきちゃん、だいじょーぶ? こっから先はあたしたちに任せて、休んでてだいじょーぶだよ?」


「いえ・・魔女の駆逐と新羅辰馬の魂の選定は私の至上任務。ここで倒れているわけには参りません」


「じゃあ、晦日先輩。肩を」


 学生会の長刀少女、塚原繭つかはら・まゆがそういって、わずかに身をかがめた。


「え・・?」


「肩を、お貸しします。背丈が合わないかもしれませんが、一人で歩くよりマシでしょう? 私はあまり戦闘の役に立っていませんから、これくらいは」


 怪訝そうな顔をする美咲の腕を、繭は半ば強引に担ぐ。


「・・ありがとうございます」


 小日向の侍従長として、またはアカツキ諜報部の部隊長として人に頼られることの多い美咲だが、こうして人に支えられることは少ない。怜悧で完璧なプロフェッショナルの仮面がわずかにほころび、本来の年相応の少女の顔がわずかにのぞく。もっともそれはほんの一瞬で、やはりもとのとおり怜悧な完璧超人に戻ったが。


「と、最後の守護者、ってトコかな?」


「そーみたい、ですねぇ・・こっちのルートは気の休まる暇もねぇ」


 立ちはだかるは魔竜。ティアマトより二回りほど小柄で体長6メートルほど。ティアマトとは違い、首は一つ。二対の角、前肢は獅子、後ろ足は鷹。尻尾は巨大なサソリのそれで、その羽もまた、蝙蝠を思わせるドラゴン一般的なものではなく、鷹のそれ。


「ムシュマッヘー・・」


美咲が呟く。


「なに?」


 大輔が聞き返した。


「ムシュマッヘー、古き神の騎竜です。ティアマトといい、これほどのものをこれだけの数従えるなんて・・」


「神の騎竜、ねぇ。ま、かんけーねーわ。おれの前を遮るやつは潰す!」


「あー、たぁくんの真似だ。似てる」


  疾走。間を詰めながら、大輔と雫は軽口を叩き合う。


 しかしムシュマッヘーは俊敏。ティアマトはその巨躯ゆえに鈍重であったが、こちらは獅子と鷹の脚を利したスピード戦法を使ってくる。洞窟の中、という場所的に空飛ぶ獣にとっての不利も、隔離世結界という何でもありの環境で無効。高みにある敵にこちらの攻撃が全く当たらないというわけではないが、その速度と位置取りゆえにきっちりミートさせるのが難しい。剣聖・牢城雫であってもなかなか、きれいな一撃を当てることができないでいる。


 何合が切り結び、そして離脱。間合いが離れればムシュマッヘーに有利。なにせこの竜の名の意味するところは「怒れる炎」。


「ブレス来る! 繭ちゃん!」


「はいっ!」


 繭の氷結。しかし炎の猛威は止まらない。氷を溶かしてくる。雫が刀の柄から手を放し、懐に手を。その手を閃かすと、ムシュマッヘーが苦悶にうめきブレスが止まる。


「今のは・・?」


「ん。小柄を投げたんだけど・・飛び道具、あれ一本しかないんだよねー。次のブレス前に仕留めるしか・・晦日さん、ちょっと無理できるかな?」


「脚力に一極集中、ですね。わかりました、やってみます」


「話が早くて助かるー。んじゃ、跳ぶよ、大輔くん」


「了解!」


美咲が『意』を込める。限界を超えて沸き立ち満ちる力に、雫と大輔は跳躍。ムシュマッヘーの頭上を越えて。上から。


 首筋の一点目掛け、雫の斬断。強靭な鱗。断ち切れない。それを押し込むのは大輔が打ち下ろす虎食とらはみ! 強圧に押された雫の太刀が、巨竜の鱗を断って逆鱗を裂く! 身の毛もよだつような絶叫。竜は地に落ち、気を失う。


 着地した二人も、限界以上に酷使した脚は一時的に、やや萎える。フラフラとしつつではあるが、それでもここで魔女に時間を与えるわけにいかない、玄室の門を、開け放った。


・・

・・・


 魔女ニヌルタは驚嘆していた。


 さっきまでとは、上杉慎太郎と出水秀規、この二人の動きが目に見えて違う。特に出水。完璧に足を断ち折られて戦闘力を失ったはずが。土塊のギプスという形で状態を回復させて立ち上がると、見事な立ち回りを見せる。ついさっきまで辰馬の動きを追えていなかったはずが、完璧に捕捉、あるいは凌駕していた。


 辰馬の拳をシンタが入り身で受け、懐に入って肘。小癪な相手に辰馬が術を放ってねじ伏せようとするその時には、シンタは背後を取ってがら空きになった辰馬の後頭部を殴打。


 出水の役割はひたすら、辰馬の速度を削ぐこと。使うのはもっぱら「泥濘の足枷」と「八掛石陣」。自分の役割をしっかり把握して、シンタにとってどこで使うのが最高のタイミングか、それを見極め放つ。


精彩みちる二人の動きはまるで、辰馬の動きの先が見えているようで、実際、見えているのだった。


右回避、左に首だけ、バックステップ、パリングから入り身で打ち込み、おれはなんか術を使って間を離しにかかるから、その前に背後に回ってがら空きの背中に、一撃!


 という辰馬の声が、シンタに出水に聞こえている。観自在通による念話というか、そこまで具体的なものでもないが。とにかく辰馬の攻撃に対して次どう動けばいいか、その最適解を、辰馬自身が教える。問題はそれをこなすだけの能力がシンタたちにあるかどうかだったが、二人の舎弟分はそれを問題なくこなした。


「ああ、役に立たないわね、王子さま。もういいわ・・。わたしがやる」


 ニヌルタはそういって辰馬への支配力を手放し。


 それによってゆるんだ手綱を、「絶!」出水が断ち切る。


「っと・・あー、長かった。なんかボコボコにされるし・・お前ら容赦ないのな」


「辰馬サン、やっとのお帰り待ってました!」


「主様、あと任せるでゴザル。拙者もう限界」


「わたしは、まだいけるわよ、辰馬。あとあんた、あとで説教」


「あー、まあ・・。まかせろ。そんじゃ、最後、決着としよーか。魔女」


「一度わたしに完封されたあなたが、何度やっても同じだと思うけれど? それより膝を屈して忠誠を誓うなら、あなただけは助けてあげても・・」


 ひぅ、と。


 銀光、閃く。


 蛇腹刀じゃばらとう天桜てんろうの抜き打ち。


 その速度、精妙たるや絶人の域。これまで一切の余裕を崩さなかったニヌルタが、とうとうついに息を吐く。


「おれは今、ちょーっと怒ってるから。手加減が難しいかもしれん、覚悟しろや」


「・・手加減、ね。惨めに負けた後で、それを言い訳にされても困るのだけれど」


 ニヌルタも、竜爪を構える。


 支配の竜と抗う人と、覇権戦争の最終局面が、始まった。


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