第26話 2章15話.祖竜の血脈
竜の巫女イナンナの妹。
そう嘱望され、優れた力をもち。
さすがとそやされればそやされるほどに、ニヌルタはその先を求め。
純粋なる力の渇望。
それは理由なき力の探求となって。
一族相伝の技、そのことごとくを会得した彼女が「祖竜の墓の守り人」たる両親を殺してさらなる力を求めたのは、必然といってもよかった。
祖竜。かつて1800年前、竜の女帝グロリア・ファル・イーリスが祖帝シーザリオン・リスティ・マルケッススに与えた力の象徴たる巨大な騎竜。高い知性と強靭無比の肉体を持ち、その吐息は天をも焦がす灼熱、あまたの魔術を操り、竜鱗は衝車の突撃をものともせず。翼を広げれば一息に万里を駆けたという。古竜といわれる上位種の最後の一頭であり、現在生きる竜種の一族の祖であるから祖竜。
シーザリオンという英雄とともに戦場をはせたこの巨竜もすでに朽ち果て、その身はない。
しかし竜種の驚異的生命力の賜物。祖竜は肉体朽ちてなおその魂は朽ちず、血涙の雫という姿で、生き続ける。
まだまだ生きたい、暴れたい。原初的根源欲求を叫び続け、騎手を求める祖竜。しかしそれは人の身に余る力であり、ニヌルタ、イナンナの両親も、そのまた両親も。累代祖竜を封印してきた。この力を開放すれば人類に代わって竜種が地上の覇者となれるかも知れなかったが、すでに祖竜はかつての誇り高き英知の竜ではなく、ただひたすらに力を振るいたがる呪いとなってしまっていたために、軽々にこれを頼るわけにはいかない。
で、あったのに。
巫女であるイナンナを支え、竜の墓の守り人を次ぐはずのニヌルタ、そのニヌルタが、道を誤った。
竜種の秘法にある血を媒介した力の操作。それを身に着けた彼女は血涙の雫を舐め、そして力を得る。自分を支配し肉体を奪おうとする祖竜と、祖竜をねじ伏せその力を支配しようとするニヌルタ。
その勝負は決したわけではなく、今なお彼女の中で両者は相克を続けている。
「ふぅ・・んっ、く・・」
拠点・・竜洞に戻ったニヌルタは、臍下へと手をあてがい、みずからを慰めていた。祖竜の力の反動で、力を使えば使うほど彼女の体は昂ぶり、疼く。これまで彼女が辰馬たちを相手に絶対的優位をとりながら、毎度その優位を捨てて立ち去ったか。それは余裕の表れというよりもこの疼きに耐えられなかったためによる。
そして今、ニヌルタの傍らには新羅辰馬という少年がおり。
赤い瞳をうつろにした辰馬に、裸身のニヌルタは嫣然とほほえむ。
「来なさい、王子さま。聖女たちが来るまで、しっかり力を蓄えておかなくてはね」
その誘いに、辰馬は意志の光を感じさせない瞳のままに頷くとニヌルタに歩み寄る。
両者の距離が近づく。
唇が重ねられるその寸前。
顕現するのは緑の長髪、青い瞳。しなやかに豊かな肢体を包むのは煽情的なキトン、首と腰には赤いコルセット。古代ウェルス民族ふうのいでたちのその少女は、すなわち創世の竜女帝グロリア・ファル・イーリスの娘神、サティア・エル・ファリス。
「あまり勝手をすると、あとが怖いわよ、チンピラ竜種」
「あら、負け犬創神さま。心配して下さるのですね。あなたが惨めに命乞いした二の轍を踏まないように? 心優しいこと、涙が出ますわ」
サティアの言葉に、カウンターで放たれるニヌルタの舌鋒。
「・・知っているかしら。女神には『断罪』という権利があるということ」
「さぁ? あいにくわたしは、無神論者なもので。見せてくださる?」
「いいでしょう、とくと見なさい!」
刹那、炸裂する無数の光の剣。一本一本が町を焼き、山を消し、河を枯らす威力!
しかしニヌルタは飄然とそれを躱し、サティアの背後に。背後を取られたサティアも、空間を歪ませてニヌルタの背後にまた回る。
この小娘・・。
サティアは、内心舌を巻いた。
今の私より、明らかに強い・・。
一合の渡り合いでそれを、痛感せざるを得ない。
そもそもが辰馬に敗北して女神として新生したサティアは、過去の絶対的な神力の大半を失っている。今だってニヌルタに背後を取られた際、とっさにその背後を取り直して回避したのも、もともとのサティアの力があれば必要なかったことだ。現に対辰馬戦でのサティアは圧倒的神力の防壁に守られていたため、回避など必要としなかった。そのぶんを勘案したとして、今、かつての力があったとしても互角か、やや厳しいか。なんにせよ容易ならざる相手ではある。
まあ、瑞穂たちが来るまで、多少は削っておくとしますか。
「あら、そんなものですか、女神さま? 所詮は負け犬女神、力のほうもプライドと一緒に、なさけなくみっともなく垂れ流してしまったようですね?」
「あまり、調子に乗るんじゃないわよ、チンピラ竜種。ま、どうせあなたもすぐ、旦那様の前に跪いて泣きを入れることになるのだけど・・その程度見こせないようではやはりチンピラね」
互いに
・
・・
・・・
「竜の魔女の力は、今、ただ人のそれに二倍します」
もともと、ニヌルタは祖竜の力を完全に制御できていたわけではなく。追手である姉、イナンナに追われてこのアカツキまで流れたという時点で彼女が絶対的力を持っていなかったことは知れる。
少弐郊外の迷宮に一族の「裏切者」たちを引き連れて潜伏したニヌルタは、まず力を蓄える「器」を探した。自分ひとりの器では祖竜のそれを支えきれないから、自分の力を媒介してレセプターを作ることを考え、波長の合う、力が強く、そして野心的な、そのうえで利用しやすい相手として
こうして、今のニヌルタは本来あるべき力の、二倍のそれを手にしている。
「・・なので貴方がたに同行を無理強いするつもりはありません。かの魔女は殺戮より人を苦しめて楽しむタイプの相手ですが、次彼女の前に立てば彼女は関心にたりない相手を容赦なく殺すでしょう」
「そんなことは関係ありません。というか、ご主人様は迫られると押しにすっごく弱いんです! 今頃あの魔女に迫られて『えー、あぁ、仕方ねぇなぁ・・』とかやってるに違いないんです! 早く助けにいかないと!」
美咲の言葉にかぶせて、瑞穂が叫ぶ。いつも辰馬相手に強引な押しで身体を重ねている少女の言葉には、強い実感があった。
いったん学生会室を出て行った雫が、一口の刀を佩いて戻ってくる。赤鞘で塚の先には紐飾り、その先には小さな珠。柄といい鞘といい凝った意匠がほどこされており、上物であることは明らか。なにより普通と違うのは刀身。普通の刀より2指(6センチ)ばかり長い。
「まあ、不純異性交遊は取り締まらないとねー、教師として」
ちん、と鞘走らせて、また納刀。特別、速さを意識しての動きではないが、すでにほとんど人の目には追えない。
「牢城先生のいつもの刀、さっきのティアマト戦で刃こぼれしてたもんねー」
「そーいうこと。『絶影』はお気に入りだけどすぐ刃がかけるから・・、その点、この『白露』ならそんなことないからねー。ちょうど砥ぎから帰ってきて、さぁこっからが雫先生の本領発揮♪」
「決戦前に新武器とか、いーなー。あたしも新しい盾ほしい」
「神器がそうそういくつもないでしょ。あたしだって魔法の剣があったらほしーよ」
とはいえ、どんな魔法の剣も、雫が握った瞬間から帯びた魔力は消えるわけで、普通に鍛鉄が見事な刀が雫にとっては最高の武器なのだが。
「俺らも用意せんと・・しかし、まさか新羅さんがあの女に支配されるとか・・」
「まさか辰馬サンと殺り合う展開とか・・、ね、ねーよな、ねぇーよそんなの、あるわけねぇって!」
「いや、話の流れ的に大いにありでゴザルな。拙者が書き手なら・・」
「やめろぉーあ! 辰馬サンと戦って勝てるわけねーだろーが!」
「あの・・いいですか」
いつもの新羅一行に、おずおず声をかけたのは学生会、
「わたしたちも同行します。お姉さま・・失礼、北嶺院会長を虚仮にされたまま、黙ってているわけにはいかないので」
「わたしを含めて、神楽坂さん、牢城先生、エーリカ姫、朝比奈くん上杉くん出水くんに、林崎さんと塚原さん、ロザリンド副会長・・模造品ではありますがわたしも含め、聖女が三人も揃っているのは心強いですね」
「はい。ラシケスさんは素敵な人です。信仰や思想の違う人にも分け隔てなく優しくて。わたしもああいう人になりたいです!」
美咲の言葉に、1日でラシケスの信者になった瑞穂がそういったとき。
巡回から帰らないラシケスを捜索に出た1年の長刀少女、
「副会長が・・ふく、かいちょうが・・っ!」
・
・・
・・・
「まあ、犯人どもは俺らがボッコボコにしといたけど・・」
「まさかこーいうマネするバカがいるとは・・あー、辰馬サンだったら『ばかたれが!』っていうとこだ、ここ」
「同じ男として許しがたいでゴザルな! 凌辱ダメ、絶対! 想像の中にとどめましょう!」
「・・誰に言ってんだよ、お前は」
「切り替えましょう。ともかくも、命に別条がなくてよかったと。今は新羅辰馬奪還、そしてできることならば竜の魔女の討伐です」
さすがに密偵。痛ましげな顔になる一行の中で、美咲は情に流されない。
「まず九人を遊撃と本隊に。遊撃はわたしが指揮し、他メンバーは打撃力主体で牢城先生、朝比奈くん、塚原さん。残る五人が本隊、その指揮は神楽坂さん、お願いできますか?」
「はい! って、え? ええぇ!?」
驚き慌てる瑞穂に、美咲のほうが驚く。斎姫というのは王権の象徴として、有事にあっては王に代わって錦の御旗を掲げることもある立場。儀礼的に瑞穂も練兵式の指揮をとったことぐらいはあるはずで、能力的に見ても一番の適役だと思ったのだが斎姫の役職的性質はさておき神楽坂瑞穂という一個人においては、人を指揮統率するとか、「上に立って差配する」ということがどうにも苦手だ。指揮官の下で助言したり補佐したり、そういう参謀的なことは得意なのだが。
「みずほちゃん、たぁくんの命、かかってるから」
雫が瑞穂の右肩をたたく。
「ここで泣き言言うようだったら、わたしのライバルとして認めないから」
エーリカが左肩を。
覚悟を決めるしかないらしい。辰馬がいまこの瞬間にも窮地にあると考えれば、臆病さの殻に閉じこもっていられる場合でもない。
「わ、わかりました。・・皆さんの命、わたしが預かります!」
「そんで、竜洞って何処?」
シンタの言葉に。
「すでに特定済みです。少弐近郊、以前新羅君と魔女が交戦した迷宮からほど近くの山谷に、魔術的に造出された空間。中に入ればそこ自体が隔離世結界になっています、大火力魔術にも注意を」
「うし、そんじゃ行きますか! とらわれの・・お姫様じゃねーけど!」
大輔が気勢を上げる。瑞穂と美咲が、ニヌルタの残した「力の痕」を頼りに転移。
「ここから先は二手に」
「ここは『東に声して西を撃つ』べきですね・・。まず晦日さんたち遊撃は正面の敵主力をできるだけひきつけてください。わたしたちはその隙に、戦闘を避けて搦手を行きます」
「・・了解」
美咲は一瞬、目を瞠ったが、黙って頷く。「東声西撃」は兵法基礎の一つだが、それが自然と出るあたりに驚かされる。やはりヒノミヤの姫君はモノが違うらしい。
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