第17話 2章6話.盾の乙女

 しまっ・・!


 防御障壁が紙切れのように裂かれるのを目に、辰馬は珍しく焦慮する。


 自分の障壁は無為に終わった。瑞穂も術の発動は間に合わないだろう。一瞬にして巨大な力を振るうとあれば創神・サティアだが、肉体を顕在化させていない常体ではなにほどのこともできない。となると望みの綱はただひとつ。


 エーリカ・リスティ・ヴェスローディアは俊敏に、背負った聖盾アンドヴァラナートをほどき掲げる。龍人の放つ赤と蒼の光条にも劣らぬ、白色の光輝が、日輪のごとく周囲を煌々と照らす。それは怒濤のごとく迫る赤と蒼の奔流を、いもたやすく止めてのけた。


「ふふーん、どーよ。私って役に立つよね、辰馬!」


 フンス、と鼻息も荒く。エーリカは昂然と豊かな胸を張ってみせる。いつもなら五月蠅いよばかたれ、調子に乗るなと素っ気なく返す辰馬も、さすがに今回ばかりは本気で命を救われた。


「ああ、そーだな。お前がいてくれて助かった。・・あんがとさん、エーリカ」


 珍しく、素直な感謝の念を述べる辰馬に、「きゃーっ、辰馬が、辰馬が私に『おまえがいなけりゃ駄目なんだ、結婚してくれエーリカ』って、だって!」エーリカはもじもじと身をくねらせて恥じらう。


「んなこたぁ言ってねーけど・・。ま、いーや、そんじゃ今度はこっちの番だな」


 ふっ、と辰馬の姿が消える。次の瞬間、竜人のひとりの背後をとり、全力の当て身、粘勁ねんけい(ポジショニング)、発勁はっけい(呼吸力)、纏糸勁てんしけい(身体運用)の三位一体を乗せた最大威力の靠法こうほう(体当たり)をぶちかます! どう! と汽車にはね飛ばされたような轟音を立て、竜人が沈んだ。


「まず一人、と」


 とん、とんと。つま先を鳴らし、次の挙動に備える。ノーモーションで動くのが理想だが、べた足すり足では一瞬で詰めることの出来る間合いが短い。


 つーか。全開で戦えりゃあ簡単に勝負がつくんだが・・。まさかこの市街地で輪転聖王ルドラ・チャクリンぶっ放すわけにもいかんし、小さい便利な術とか、めんどくさがらずにとっとけばよかったか・・。


 そう考えながらも動きは止めない。


 とっ!


 また、踏み込んだ。竜人の懐に入り、至近から寸勁の連打+膝蹴りで間を広げ、側頭部への回し蹴り! 基本と言えば基本のコンビネーションなのだが、一撃一撃の重さがすさまじい。速さも相まって、稲妻の威力だ。


 にも、かかわらず。


 その竜人は倒れない。竜の体力、タフネスが、新羅辰馬の技巧と打撃力をしのぐ。カンターで、開手かいしゅ貫手ぬきて。鋭利な爪牙の一撃はそれだけで華奢な辰馬の身体を両断しうる。


 く・・こいつら・・!


 竜人たちは瑞穂やエーリカには目もくれず、集団で辰馬に攻撃を絞ってきた。竜人たちは一対一ならまず負けない程度の技量だが、とにかく集団戦にこなれていて連携がうまい。辰馬の回避する先、先に次の攻撃を置いてくるのが、非常に鬱陶しい。


 ついに竜人の爪牙が辰馬をとらえ・・、


 るその一刹那。光条が空を裂き、いままさに辰馬に躍りかかった竜人の肩に、矢が突き刺さる。


「きあぁぁぁ!?」


 身の毛もよだつ呻きをあげ、竜人は射手を睨む。その強く鋭い眼光の先、身の丈ほどもある大弓を構えるのは神衣かんみそ姿の神楽坂瑞穂。


「ご主人さまは、やらせません!」


「小娘があぁぁっ! まず貴様から殺す!」


「馬鹿者、短気を起こすな! 我々の目的は新羅辰馬を・・ぶぁ!?」


 瑞穂に襲いかかる竜人を、リーダー格らしい別の竜人が叱咤する。その顔にワンパンくれて退かすと瑞穂のフォローに入ろうとする辰馬だが、間に合わない。


「ふっ!」


 とカバーリングに入ったのはエーリカ。光輝の聖盾アンドヴァラナートを構え、竜人の爪牙を真っ向で受け止め、押し返す。


「ふふん、どーよ、ヴェスローディアの盾の乙女は。さあさあ、『聖域』の竜人ってのはこの程度? なんならまとめて掛かってきなさい! ま、いくらかかってこよーが、私の防御は抜けないんだけどねっ」


 瑞穂を庇うように立ちはだかり、威勢よく見得を切るエーリカ。竜人たちは知るよしもないが、彼女の防御は若き剣聖、牢城雫ですらもそうそう崩せないほどのレベルにある。守りに徹した彼女の守備力は要塞であり、難攻不落だ。


 エーリカ・リスティ・ヴェスローディア。


 1800年、ヴェスローディア王国第四王女として、王都ヴァペンハイムに生まれる。


 幼少期から元気のいい少女で、王宮での習い事より城を抜け出して近隣の子供たちと山遊び川遊びに明け暮れるのが好きな少女だった。あまりに城を抜け出すことが多いため、侍従から手足を縛り上げられた上狭く小さな箱に押し込められるという折檻せっかんを受けたこともあるが、彼女の行状が改められることはなかった。


 おてんば姫のチャンバラ遊びはやがて騎士への憧れとなり、師ハゲネについて学ぶも、剣技はなかなか身にならない。かわりに受ける、守るという、盾を使っての防衛技術に関してはハゲネが舌を巻くほどの上達を見せた。この当時父王の以降で聖女としての修行に入るがいかんせん遅すぎ、聖女としての力の萌芽には至らない。それでも彼女の地位に配慮した教会から、9人の乙女の一、『盾の乙女』の称号と聖盾アンドヴァラナートを拝領する。


 1815年昨年。父王病卒。兄と伯父の間で後継争いが起こり、エーリカは政争に巻き込まれることを避けて父王と交友のあったアカツキ国主、梨桜帝を頼ってヴェスローディアを起つ。梨桜帝は15年以上前に死んでいるわけだが、エーリカは気づかなかった。


 とりあえず継承権の象徴であるティアラといくつかの宝石、そして聖盾だけを手にヴェスローディアを出国したエーリカは行く先々で宝石を切り崩し、アカツキを目指したのだが、あまりにも気前よすぎたためにそれらはたちまち底をつきた。結局アカツキ京師太宰までたどり着けず国境付近で無銭飲食の現行犯を食らって汽車から叩き出されたエーリカは周囲を彷徨い歩いた結果行き倒れ、そこをたまたま新羅辰馬とその一行に救われる。蒼月館に運び込まれ、学食で辰馬から奢られた素うどんの味をエーリカの舌は最上級に美化して記憶しており、現在に至るもエーリカは学食では素うどんしか食べない。このときエーリカの中で新羅辰馬という存在は命を救って切れた王子様という認定になっており、もうどうしようもなく揺るぎない。


 結局、アカツキから亡命者としての保護を受けられなかったエーリカは辰馬を追う形で蒼月館に編入。王女のたしなみとして主要9国の言語に関しては問題なく読み書きの出来るエーリカながら、アカツキで教える歴史とヴェスローディアでのそれとの齟齬そご、また国語、古文の言い回しなどに苦戦する。なんとかぎりぎりのラインで合格した結果として、上位に入れなかったことを悔やむより辰馬と同じクラスに入れられたことを、エーリカは心から喜んだ。


 以後辰馬の冒険に同道、随行・・とはならなかったのはエーリカが貧乏だったからで、国元に連絡するわけにも行かないエーリカは現地でバイトして生活費を捻出するほかなく、当初新聞配達をしたが限界があった。そこに目をつけたのがシンタこと上杉慎太郎で、「エーリカってかわいいしおっぱいでけーし、これやったらいーじゃん」と勧めたのがグラドルの仕事だった。水着で男に媚びたポーズをとってそれを写真に撮られる、ということに最初抵抗のあったエーリカだが、新聞配達とは比べものにならない金払いの良さに「まあ、少しくらいならね。我慢我慢」と自分を納得させ、今に至る。


 というわけでここまでなかなか新羅辰馬の冒険譚に絡むことのできなかったエーリカが、ここで本領を発揮する!


 爪の猛攻、織り交ぜられる膝や蹴り、そして間断ない攻撃のなかで繰りだされる必殺『天地分かつ開闢のウルクリムミ』。それらのことごとくを、エーリカは盾一つで受け止め、捌き、いなす。周囲に大被害を出しかねない天地分かつ開闢の剣に関しては、神力(修行は中途半端だったが、それなりの素養はある)の波動を使って押し込み、包みこんで、その威力が外に漏れることを防いだ。


「っ・・なんだあの娘は!? 新羅辰馬一党にあんな防御手段があるとは訊いてない!」


 まあ、いままでエーリカと冒険したことが、そもそも少ないからな。それが・・奏功した!


 愕然とうめく竜人のリーダー。攻撃が途絶えた須臾の間に、辰馬が肉薄する。リーダーもさるもので辰馬の拳を迎撃、打ち合うも、一対一の真っ向勝負なら辰馬はそうそう負けない。3合で圧倒、5合で打ち倒した。


 残るは3人。天地分かつ開闢の剣、その絶大な威力に頼り切っていた竜人たちは、そり絶対性が崩れた時点で及び腰であり、そこに辰馬の拳と瑞穂の矢を見せつけられて完全に戦意を失う。算を乱して逃げ出した。


 倒れる二人の竜人のうち、より立場が高いであろうリーダの方を、辰馬は縛り上げるとまた校舎に戻る。


「こーいうことはあんまりしたくないけど。尋問させてもらうんで」


 空き教室で、いかにも気が進まないらしくムスッとした表情で言う辰馬。竜人のリーダーはどう見ても甘ちゃんな辰馬をせせら笑うが、その認識はあまりにも甘い。


「時間ねーからぱはっと済ます。痛いけどまあ、おれは知らん」


 そう言って竜人の腕から鱗を一枚、無造作にはがすと、その傷口にナイフを突き立てた。あまりに乱雑な行いにリーダーは一瞬、呆然としたが、次の瞬間傷口を灼くナイフの痛みに悶絶する。


「さっさと答えろよー。おれは悲鳴聞いて喜ぶ趣味ないから」


・・

・・・


 一方、朝比奈大輔、上杉慎太郎、出水秀規。


「らあぁ!」


 大輔は男の一人を首相撲に決めると、全力の膝を相手の下腹部にたたき込む。板金の鎧がベコッと凹んで、穿たれる衝撃で相手は膝をつくが、いかんとも、大輔自身も鉄板を撃ったダメージを負う。徒手空拳というスタイルが、まず身を固い甲胄によろった相手には不利であった。


 シンタも苦戦していた。シンタの技は物陰に潜んでからのバックスタブだったり相手の持ち物を盗んだり、あとは爆殺呪の短刀という呪具を持ってはいるが、これはまず 6本の短刀を相手に突き立て、しかるのち7本目を刺すと同時に爆発させるというもので、神聖魔法で強化されているらしい板金鎧にはまず1本目が刺さらないので話にならない。


 出水は魔術師としてもっとも警戒されており、常時2人以上にマークされて術を使えない。そもそも出水は術士としての方向性としてはエンチャンタ(能力の付与、強化。あるいは敵についている強化や加護の無効化を得意とする)に属するところが強い・・土塊に敵をのみ込ませたり、それを使って相手を窒息させるなどの技も使うがやはりバフ役。前衛がある程度機能していないと十全ではない。


 それでも彼らは善戦し、正規の騎士団員らしき刺客たちを10人以上沈めた。だがそこが限界だった。敵は大輔たちが強く抗うほどに容赦なくなっていき、最初は生かして捕らえる、と余裕を見せていてた連中が明確に「殺す」と殺意を明らかにすると、疲弊した大輔たちにどうしようもない。せめて出水の招福法(宮代で見せた、自分と仲間に絶大な幸運を呼び込む術)が使えればともかくだったが、この時点で出水は真っ先に沈められ、出水に力を与えている妖精、シエルもまた捕らえられている。シンタも叩き伏せられて踏みつけにされ、大輔ひとりがかろうじて気を吐いたが、その下腹に無慈悲にも刃が突き立てられた。


「邪教の妖精か。このガキたちはともかく、これは殺すか」


 大輔の腹から剣を抜いた団長・・実際には小隊長でしかないが・・は刃に付着した血糊を祓うと、シエルを汚いものを見る目で見つめ、唾棄するようにそう言った。ウェルスのがちがちの神学主義者にとって、異境の神や妖精はことごとく邪鬼である。


「そうですな。人間を誑かす邪鬼め、滅せよ!」


「やめておきなさい」


 大輔たちを叩き伏せ、意気軒昂な男たちにかかる玲瓏たる声。


 次の瞬間、人影が立つ。


 信じられないほどに美しい、赤毛と紫の瞳の少女。服装は白のブラウスにディアンドル、髪はシニヨンにまとめてある。


「つご・・もり?」


 瀕死の状態、薄れゆく朦朧とした意識の中で、大輔が言った。私服姿だが、こんな美貌を見間違うはずもない。間違いなく2-Dの転入生・晦日美咲つごもり・みさきだった。


 美咲は大輔に一瞥をくれると、言葉を無視して男たちに向き直る。


「ここは退きなさい。さもなくば斬ります」


 そういう美咲が寸鉄も帯びていないのを見た男たちは、冷ややかな嘲笑を浮かべる。お嬢さんがつまらぬ義侠心で助けに出たのかもしれんが、失敗だったなと。威嚇するように剣を振り上げ・・その腕が、ずるり、と落ちた。


「は? あ・・あぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!?」


 ほか数十人の腕も、見えない鋭利な何かによって切り落とされる。一瞬にして場は阿鼻叫喚の坩堝と化した。


「退きなさい」


 もう一度、静かに言う。


 騎士たちは至当に相手の実力を理解した。この少女がなにをしたか、それはわからないが、間違いなくこの少女には勝てない。そう認識した瞬間に彼らの騎士としての矜持は霧散した。自分の腕を拾い上げ、われがちに逃げ出す。


「アーシェ・ユスティニアのウェルス神聖騎士団に、ニヌルタ率いる『聖域』の竜種・・ほかには・・?」


 美咲はそうつぶやくと、意識のない大輔たちに回復魔術を施す。その神聖魔術の威力がまた、なまなかではなかった。その威力と精度は、まるで齋姫・・あるいは聖女のそれに等しい。彼女は三人の傷が致命でないことを確かめると、音もなくその場を去った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る