第18話 2章7話.二律背反の愛情-1

 襲撃から一夜明け。


 新羅辰馬たち一行は、太宰2等市街区、艾川沿いの道を歩いていた。かつては新羅狼牙の魔力で隠れ里とされていたこの一帯、いまは普通にのどかな市街路である。京師太宰の一角としては街路も蒸気灯もまだ整備されておらず、総じてひなびた感じがあるのは否めないが。


「親父とかーさんに訊いてみるか」


 昨日。竜人の尋問を済ませ、大輔たちと合流した辰馬はその後寮で集まり、その座でそう結論づけた。竜種の『聖域』はウェルスの霊峰イツェムナ山脈のどこかにあるとされ、辰馬の身内でウェルスの出身者といえば真っ先に母・アーシェか叔母のルーチェである。発想の順序としては順当であったし、冒険者として先達である父母から話を聞くというのも重要だった。


 ということで。辰馬、瑞穂、雫、エーリカ、そして姿を消したサティアと、大輔、シンタ、出水はぞろぞろーっと列をなして艾川沿いの道を歩いている。


「辰馬サーン、この辺、危なくないスか? この川。氾濫したらドージョー沈んじゃいません?」


「怖いことゆーな。・・まあ、実際立地的に危ないことは危ないんだが、それでも400年間新羅の家はずっとここにあるんだから、だいじょーぶだろ」


 根拠なくそう言う辰馬ではあるが、自然がひとたび猛威をふるえば人間が大事にしてきた歴史や伝統なんてものは一瞬だ。わかってはいるつもりなのだが、人間、実際おこってしまわないと災害の怖さは身にしみない。


 やがて大きなえんじゅの木が見えて道場の門が開ける。道場関係者(血縁者の辰馬と、門弟の雫)を先頭に、中へと入った。


・・

・・・


「狼牙とアーシェさんなら、4、5日ばかり前に出かけたな」


 そう言ったのは、辰馬の祖父新羅牛雄しらぎ・うしお。古希を過ぎていながらその肉体は張り詰めた鋼のように錬磨されており、身だしなみもしっかり整えられていて実年齢より20歳は若く見える。新羅江南流中興の祖でありもと国軍中央統帥局の武芸師範もつとめた、武人としての経歴と逸話において勇者・新羅狼牙にも劣らぬ人物が孫を見遣る視線は、しかしただの好々爺かそれ以上の祖父馬鹿でしかなかった。


「そか・・久々に帰ったのに入れ違いかー。んー・・」


「で、なんの話じゃね? ワシにでも話してみんさい。これでも頼りになるぞ、ワシ」


「じーちゃんにねぇ・・」


 祖父のことは好きだが、その実力に関してほとんど知らない辰馬としては「むう」とうならざるを得ない。無意味に話を広げるのも困る。


「いーんじゃないかな。たぁくんにとっての師範はただの孫に甘いおじーちゃんかもだけど、ホントの師範は凄いんだよ?」


それまで新羅家ご夫君の出したお茶菓子をぱくぱく食べていた雫が、助け船を出す。雫は新羅狼牙、新羅牛雄という二人の伝説から新羅江南流を相伝しているわけで、特に狼牙が魔神戦役に発った後の牛雄による指導の地獄を経験しているだけに、その言葉は金の重みをもつ。


「しず姉がわざわざ「凄い」っていうくらい? へぇ・・」


「なんじゃ、疑っとるんか。あれじゃぞ、ワシの名前、武術教本に引っ張り出されたりしとるんじゃぞ? 見たことないか?」


「おれってそーいうの、あまり読まんからね。親父の鍛錬以外に武芸ってあんまり、かかわりたくないし」


「なんじゃ、そのぶんだと自主練サボっておるのか? 最低限はやっておかんといかんぞ、鍛えておかんと身体にも悪い」


「わかってるって。少しぐらいはやってる・・んじゃ、じーちゃんに話すけど・・」


 そして辰馬は竜人による昨日の襲撃、そして大輔たちを襲ったどこか・・おそらくはウェルス神聖王国の騎士団の件を、牛雄に話した。ふんふんふむふむと聞いていた牛雄の眉間に、一本深いしわが刻まれていく。


「竜人のほうはともかく。騎士団に関しては・・おそらく、だがアーシェさんかも知れん・・」


「はあぁ!? なんで!?」


 あまり言いたくはないが・・という風に口を開いた祖父に、辰馬は思わず強い口調でかぶせてしまう。それくらい信じたくないし、否定したい言葉だった。もし本当だとするのならば、最愛の母が自分を、殺そうとしているのだから。


「・・お前が本来狼牙とアーシェさんの間の子ではないこと、承知しておるな?」


「あぁ、まあ・・魔王オディナだっけ? このわけわからんくらいでかい力も、そいつの所為だって話ぐらいは・・いや、それならおれを憎むのはかーさんじゃなくて、親父のほうになるはずじゃ・・?」


「あの人は聖女としての最後にひとつの予言を承けておってな・・自分と魔王の子が、世界を壊す・・と。それでワシと狼牙も何度か、相談を受けたことがある。辰馬、お前のことを憎んでいるわけではないのだ。ただ、先代聖女の責務として、世界の安寧を揺るがす存在を放置は出来ぬと言う義務感が・・」


 辰馬の耳に、祖父の言葉はむなしく響いた。それまでのすべてを否定されたような気がしていた。自分が愛情を捧げた母は、自分を殺そうとしている・・その現実に向き合おうとして、たまらず胸を押さえた。胃酸が一気にせり上がってきて、耐えられず吐瀉する。


「ぅえっ! ええぇっ!!」


 頭がガンガン言った。口の中がひどく乾く。血液の流れもおかしい。そこそこの鍛錬から自らの心身を律せていると思った少年の身体は、あまりにも脆く打ちひしがれる。内側から外側へ、灼熱したハンマーで何度も何度も殴られるような苦痛。今までに感じたことのない種類の痛みに、辰馬はのたうち回り、のどをかきむしる。身も世もなく絶叫したいのを、それだけはみっともないとかろうじてこらえた。


「ご主人さま、大丈夫ですか? 治癒・・よりもなにか、気を楽にする方法は・・」


 齋姫として何人かの心身病者を相手にした経験があり、自分自身も陵辱の爪痕という病理に蝕まれた瑞穂がなんとか適切に処理しようとするが、こればかりはどうしようもない。出来ることと言えば気道の確保と、ベルトを緩めて締め付けを軽くすることぐらいだ。背中をなでてあげたかったが、それも厳禁。重症の状態なら、人から触れられただけのショックで意識が飛びかねない。


「サティアさま、精神状態を改善する術式は・・?」


「私の精神操作は単純に他者を強制的に傀儡にするだけのものだから、心の病気とか繊細な部分を治すのは、専門外・・。というか母親に裏切られた程度でこんなに動揺するもの?」


 顕現したサティアは無神経に言う。馬鹿にして言っているのではなく、本当にそのあたりがわからないらしい。直接に母の胎から産まれたわけではなく、神域、神の庭の神の繭から自然発生的に生じたサティアには、そのあたりの情動はつかみがたいのかも知れない。


「あたし、お医者さま呼んでくる!」


 雫がそう言って、道場の縁側から飛び出した。


「いや、まぁ・・だいじょーぶ・・うん。伊達に綜制法そうせいほうやってねーわ、おれも・・」


 綜制法。またの名をサンマヤ法。クールマ・ガルパの法術形態で、『マナス』の集中により自らを高め、最終的に宇宙の知と合一する。辰馬はまだとうてい、その高みにないが、基本の法に縋って『意』を高める。そもそもからして意識を集中する、という行為自体が身体を灼くのだが、そこをなんとかねじ伏せてやってみる。


 まずは会陰のチャクラ、四弁のムーラダーラを回す。ついでへその六弁、スヴァディスターナ、次が丹田たんでんの十弁、マニプール。


 マニプールの解放により、感情の抑制が多少は効くようになる。ついで心臓を司る十二弁の輪、アナハタ。循環を司るここを解放したことで、血液の流れを鎮静した。


 さらに意を上へ上へと進ませる。つぎは喉の輪、ヴィシュッダ。呼吸プラーナの集束所の解放。息が整えられたことで、症状はだいぶ落ち着きを見せる。


「ふぃ・・まず五つ解放すりゃ、なんとかなるだろ・・。アジュナーとサハスラーラはまあ、開く必要はないとして・・んん?」


 意識の手綱を緩めた辰馬は、突然魂が引っ張られるのを感じる。抵抗を試みるも、引く力がすさまじい。力比べは一瞬で決し、辰馬の身体から意識が抜けた。


・・

・・・


 んぅ・・? あぁ、なんか引っ張られて・・どこだ、ここ?


 意識だけの状態で、あたりを見渡す。見たことのない場所だった。洞窟、というか自然のものではない。人工的に造られた迷宮、その一角の玄室。


 意識の身体を動かそうとして、すぐ壁につきあたる。なにか水晶のような結晶体の中に閉じ込められているらしい。「こんなもん・・」意識的にささくれ立っていたこともあり、結晶体を破壊しようとするが、その前に声が掛かった。


「ようこそ、魔皇子」


 のぞき込むように、睥睨へいげいするのは。紅い髪に紅い瞳、口の端からは濡れた犬歯をのぞかせる、漆黒のマントを羽織った女。少女と言うには大人びて、女と言うにはまだ幼い年頃の、しかしまとう雰囲気は凄絶苛烈。縦割れの瞳孔には覚えがあった。


「竜人たちのボスってわけか・・わざわざお呼びくださりどーも。で、さっさと解放してくれないならぶっ殺して帰るけど? いまのおれ、ちょっと優しくできそーもないから」


 ほとんど問答無用で盈力の練りに入る。やけに気短になっている辰馬に、竜人の女は薄く艶然と微笑った。


「まあお待ちなさい、王子様。あなたが強いのは十分わかっているわ。正面切って戦って、勝てるとも思っていない。・・わたしはあなたに、真意を確かめる機会をあげようというの」


「あ?」


「母の、聖女アーシェ・ユスティニアの裏切りに傷ついているのでしょう? 彼女が世界をとるかあなたをとるか、確かめてみたくはないかしら? ふふ、もうじき彼女がここにくるわ・・あなたは黙って見届けていればいい」


「・・」


 押し黙る。相手の得体の知れない迫力はさておき、母の真意を、といわれれば是非にと知りたい。なぜ自分を殺そうとしたのか、せめて納得させて欲しかった。


「交渉は成立のようね。・・さて、それではいらっしゃいませ、哀れな鼠たち!」


 女が芝居がかった仕草でマントを翻す。


「ニヌルタあぁぁぁっ!!」


 青い髪、ツーサイドアップ。服装も違う。しかしそれ以外は女とうり二つの女が、上空からニヌルタを襲う!


 ギィッ、ン!!


 高く耳障りな金属音がして、攻撃した女の手にした短剣が壊れて落ちる。止めたのはニヌルタが展開した竜の翼。その硬度は竜鱗に劣らない。


「お久しぶり、姉さん。せっかくの再会なのに、つまらないわね、そんな攻撃」


「お前、やはり『祖竜』の血を飲んだな!?」


「ええ。これほどの力が得られるのだもの。禁じるなんて馬鹿げていると思わない、姉さん!!」


 ニヌルタが腕を振るう。呪文詠唱もなにもない、ただ練った魔力を塊にして打ち出すだけの一撃。それに対して姉と言われた女は呪文を唱えて防御結界を張り、一瞬と保たず突き破られて天井まで跳ね飛ばされる。血を吐き、倒れ、痙攣しながら立ち上がろうとするも、ダメージは一目瞭然に大きい。


「さあ、わたしをここに追い込んだのはなんのため? あなたたちの読み通り、天地分かつ開闢のウルクリムミはここでは使えない。ここまでお膳立てしてもまだ姿を見せてくれないなんて、アカツキの勇者と神国の聖女はずいぶんと臆病なのね?」


 ひぅっ、と火線が空気を焼く。四千度の炎を一極化した熱線の鞭は、しかしニヌルタの直前で不自然に曲げられ、霧散する。爆ぜた炎の後ろから、210センチの巨漢、明染焔が突進した。


「うらあぁぁぁぁぁぁぁっ!!」


 術が効かないなら物理で押し込む。スマートではないが有効な方法。だが甘いと掌をかざし、焔の突進を止めようとしたニヌルタの身体を、強烈な重圧が襲う。魔王殺しの勇者・新羅狼牙の力は、時間すら歪ませる重力場。重圧と身を裂く激痛に、ニヌルタの障壁が消える。そこに焔がぶちかました。


 210センチ140キロの猛チャージ、全体重をのせたその破壊力は数トンに達する。一瞬だけ、本気でニヌルタの意識が飛んだ。焔は追撃の拳をたたき込もうとして、出来ない。女を殴る、ということに対して、彼は抵抗がある。その間隙にニヌルタは焔をはじき飛ばし、口の端の血を舐めとった。


「く・・ふふっ、今のが勇者の重力場・・聞きしに勝るとはこのことね・・。でも、いいのかしら? このままだと、可愛い息子も一緒に死ぬことになるけれど?」


「息子? 辰馬が、来ているのか?」


「たつ・・ま、が?」


 動揺し、物陰から出る狼牙と、泣きそうな顔のアーシェ。重力の戒めが解けたニヌルタは、左手に握った結晶体を見せつける(二人にはその中に辰馬の姿が見えているらしい)ようにしながら二人に苛烈な攻撃を加える。相変わらず術とも言えないような固めて放つだけの魔力波。しかしその威力がとてつもない。気を抜けば一撃で防護結界を破られる。


 って、おれは人質かよ!? くそ、こんな水晶すぐに・・


 結晶を破ろうとする辰馬に、ニヌルタは声をかける。


「そこから出たら死ぬわよ。まあ、見ていなさい、あなたの母があなたを選ぶか世界を選ぶか、聞いてあげるといったでしょう? ・・アーシェ・ユスティニア、あなたは息子を、魔王の継嗣ノイシュ・ウシュナハを殺したいのよね?」


「・・っ!?」


 アーシェはビクッと身を震わせる。息子自身の前で、その質問に答えさせられるのはあまりにも残酷。妻が隠れて息子に刺客を放っていたことを薄々悟っていた狼牙も、痛ましい顔になる。だが今一番傷ついているのは辰馬だ。アーシェが答えないと言うことは、肯定を意味するのだから。


「・・わたしは・・」


 アーシェは青い顔で、しかし決然と口を開く。次の言葉を、全員が固唾をのんで待った。

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