第36話 3章6話.風嘯平/火を行うには必ず拠ることあり

「寝返ろうかと思いまして」


 本気で降るつもりなのか、長船は神官の命にも等しい神官服・・水干をまとうこともせず、アカツキ正規兵の青を基調とした軍服をまとっていけしゃあしゃあとそう言った。もともとガラの悪く品のない顔立ちに三白眼、水干を着ないでいると普通にそこらの路地でたむろしている30男・・いや、もうじき40に近いか・・にしか見えない。ただしその笑中には鋭利な剣、それも刀身に猛毒を塗った邪剣を含むが。


「本気か、卿?」


 問いつつ、長剣を突きつける。ガラハド・ガラドリエル・ガラティーンや牢城雫に比べれば遙かに劣るものの、十分に達人の域に達した剣技。喉元に切っ先を突きつけられて、長船は軽薄に笑いつつ額に冷や汗を浮かべる。


「もちろん、偽降ですよ。私の部署する8000があちらに偽って降り、あなた様が正面でぶつかっているところ、背後からこれを衝く。万全の策だと思うのですが」


「ふむ・・」


 なるほど理にはかなう。兵法に明るくない那琴でも、その挟撃が有効であることはたやすく理解できた。


 問題があるとすれば、この男の心底か。


 那琴は心中に呟き、有能ではあるが信頼の置けない名将の頭からつま先までを見渡す。姿勢は至誠であり、立ち居振る舞いにその心の有り様は現れるというのが那琴の信念であるが、どうにも、長船という男は理解しがたい。人間を相手にしている感覚が薄いのだ。まるで蛇やトカゲを相手にしているような、そんな感がある。


「いや、必要なかろう。こちらは数で圧倒的優位にあるのだ、兵力を分散させるのは愚といえるのではないか?」


「どうですかね・・、あの新人を普通の将と一緒に考えてはいけない気がしますが・・」


 もっとも道理なことを言って承服させようとする那琴に、長船は三白眼をやや伏せて呻吟しんぎんする。


 実戦経験という点において先手衆さきてしゅうほどに優れる部隊は、ヒノミヤにいない。彼らは神月五十六の耳目となり手足となって働く粛正機関であり、個人戦、集団戦問わず豊富な経験を持つ。大規模な戦争の経験はこの戦役がほぼ初めてという那琴たちとは全くわけが違い、その言葉は重い。


「今この時期、この風嘯平の風向きはこちらに逆風。現状のように一カ所にまとまった配置では、敵が火計をとった場合に手も足もでません。部署の配置換えだけ任せていただけますかな?」


「よかろう」


・・

・・・


「次は、と。まず正攻法で勝てる相手じゃねーし。火攻めか、水攻めか・・」

「火攻めですね。この時期この平野を吹く風は、我々に追い風です。火計に理想的な状況といえるでしょう。まず火をかけて、混乱する敵を浅瀬に落とし覆滅する。基本方針としてはまずそれで問題ないかと思います」


 初戦勝利の報告と援軍よこせの無心を伝令に託し、群議の席を主導するのはもっぱらに辰馬と瑞穂。ほかの連中には辰馬のような歴史知識もないし瑞穂のような戦術頭脳もない。瑞穂が一応過去の将帥の兵法100種を抜粋した小冊子『百戦要諦』の草稿を大輔たちに渡し、彼らもそれを回し読みして多少の知識を身につけはするものの、それが結実するのは遠い先。とりあえず「そーだなー」と「いや違うんじゃねぇ?」以外はほとんど口を挟む余地がない。


 火攻めかー・・一度に大勢殺すことになるよなー・・あー、やだやだ。


 人の肉が焼ける臭いを想像してまたせり上がってくる吐き気を、辰馬は根性で堪える。想像力が豊かすぎるというのも、いささか考え物だった。


「偏将さまに、密使が」


 一人の兵士が入ってきて、そう言った。


「密使? どっから?」

「ヒノミヤ将帥、長船言継、ということですが・・」

「っ!?」


 過敏な反応を示したのは瑞穂。もともと気丈とは言いがたい瞳が不安と恐怖に揺れ、顔色が青くなる。ふら、と倒れそうになるのを、辰馬は駆けよって支えた。


「どーする? 追い返すか?」

「い、いえ・・会いましょう。情報が戦局を左右する可能性があります」


・・

・・・


「で、こっちにつきたいと」

「は。新羅公にはどうかお受けいただきたく」


 ぽっと出の辰馬あいてにわざわざ「公」と敬称をつけ、慣れた調子で口上を述べおわった使者に、辰馬は胡乱うろんな目を向ける。


(罠だよな、これ・・?)

(十中八九は。けれど長船という人物の性格上、保険としてこちらに誼を、という可能性もあります。もしくは、ヒノミヤとアカツキ、双方にいい顔をして生き残りをはかるか・・)

(んー、いやな感じのやつだな・・。まあ一応、受けるだけ受けとくか・・。瑞穂としてはイヤだろーが)

(いえ・・ご主人様の、お心のままに)


 とはいえ、やっぱイヤなもんは嫌だろーなとは思う。出来るだけ長船言継に借りは作らんようにしよう、と考えはするものの、自分の中で長船を使った作戦案が形成されていくのを辰馬自身止められない。戦術の幅が広がったらそれを試したくなるのが用兵家というものであり、新羅辰馬という少年にはそのへきがあった。


 使者に内応引き受けた、そう言い置いて返したその瞬間。


「敵襲! 数およそ騎兵1000騎!」


 哨戒の歩卒が、そう叫ぶ。


「速いな。立て直すよりとにかく強襲、ってわけか。・・とはいえ、1000騎で来るとか舐めてるとしか思われんのだが」


・・

・・・


 副官に本陣を預け、神威那琴が突出したのに絶対の自信や裏付けがあったわけではない。ただ、緒戦における敗北とそれによる士気低下、このまま不利な戦いが続けば本当に長船が背くかも知れず、そうなると兵力の上での優位すら保てなくなる。このムードを払拭するために、那琴は示威行為としての突撃を敢行する必要があった。


 新羅隊前線が火砲を放つ。那琴は苦もなくそれを躱し、最精鋭たる1000騎も那琴に続く。神速の用兵。精鋭・突騎を率いるとはいえ、ここまでの速力を発揮しうるのはやはり那琴の資質。


 その耳元を。


 タァン!


 銃声一つ。耳朶に熱いものが走った。


 狙撃。騎馬で駆けている那琴を、それもわざとヘッドショットを避けて耳朶を擦らせた凄腕の射手。那琴は射手を求めて視線を舞わせ、驚嘆する。


 いわゆるマスケット、あるいは烏銃といわれるものの射程は80~100メートル前後、有効射程となるとさらに下がる。それを、那琴の視線が捉えた相手はずっと後方、300メートル近く離れた場所からの精密射撃をやってのけた。これはもはやマスケットではなくまだこの世界に存在しないライフル銃同等の射程と精度、あるいはそれをしのぐ。射手が見せた妙技に、那琴は戦慄した。


 10数人ほどの歩卒を率いたその射手はこちらが見ていることに気づいているのか、挨拶をするように軽く片手をあげた。全体に飄然として軽薄な風だが、今見せつけられた精密狙撃を考えると侮ることもできない。


 結局、那琴はひとまず陣を退いた。無理押しすればまず、射斃される。死は神の庭に迎えられること、それ自体恐ろしくはないが、祖父のために戦えないことは辛く、今ここで無駄死にするべきではなかった。


・・

・・・


「つーわけで、追っ払ってきたっスよー! 辰馬サン、褒めて褒めて! なんならケツ触らせて!」


 陣に戻った馬前使・シンタこと上杉慎太郎は得意満面の高笑いを放った。辰馬としても喜びを隠せない。迎撃に誰を出すか、それを話し合うより先に突出したシンタが見事な成果を上げたことは僥倖の至りであった。


「あー、ご苦労さん。けどケツはやめろ。・・しっかし、シンタにそんな特技があったとはねー・・」

「いやまぁ、ナイフとか射的とか、なんか射つもの全般、なんでも得意なんスよ。銃ははじめてでしたけど、やっぱこれも天才ってやつですかねー、はっはっは!」

「調子乗んなばかたれ・・とはいえ、敵の強襲を未然に防いだわけだしな。なんか褒美は必要か・・なにがいい?」

「1.辰馬サンのケツ揉み、2.辰馬サンとキス、3.辰馬サンともにょもにょ、のどれかですかねー・・さぁどれ?」

「どれもねーよばかたれ! 殺すぞ!」

「えー・・頑張ったのになぁ」

「知るか。・・まあ適当に、1万弊くらいでいいか。お前に10万もやったら堕落するだろーし。さて、そんじゃ次、こっちから仕掛ける。敵陣に潜入して擾乱、および放火の決死隊100人、志願者は?」


 さすがに、志願者の数は少ない。数千・・長船の部隊も含めれば万を越す敵の中に100人で潜入、という時点でまず生きては帰れない話であり、二の足を踏むのもわかる。辰馬自身が陣頭に立つならまだしも、今回辰馬は本陣で火の手が上がるのを見て全軍突撃を指揮する立場であり、決死隊に参加できないので偉そうに「お前がやれ」ともいえない。しかしどうにかやってもらうほかない。寡兵で勝つためにここはどうしても火計の成功が必要だった。


たぶん勝勢が傾けば、長船の8000はこっちにつく。


 そういう打算もある。そのためにも是非、天秤をこちらに傾ける必要があるのだが。


「では、拙者が行くでゴザルよ。隠密と言えば忍者!」


 妖精・シエルを肩に乗せ、くいっと丸眼鏡をもちあげながら、出水秀規が立ち上がる。至急の軍服が内側の肉でぱんぱんになっているが、ある意味恰幅がよく人の上に立つ雰囲気、と評せないこともなかった。


「俺が護衛につきましょう」


 厷武人が、刀を執って同じく、立ち上がる。彼は軍装ではないのだが、もともと学生服と軍服を組み合わせたような服装故に正規兵といって問題ない風情があった。なるほど兵士たちの上に立つなら服装もしっかりしていた方が、士気的によい。


「よし、んじゃ兵員の選抜からなにから、二人に任せた。頼むぞ」

「了解でゴザルよ」

「は。戦果をお待ちください、将軍」


・・

・・・


 神威那琴の陣に、出水秀規率いる100人は潜入を果たす。


 女だらけでゴザルな・・。2次元の女には興味ないのでゴザルよ・・。


 というか、苦手。


 小デブで厚底メガネで汗っかき、しかもこの国の風潮は女尊男卑であり、出水秀規という少年はそうした中で虐げられる立場の男であったために現実の女性が苦手・・嫌いといってもよかった。


 そうした鬱憤を晴らすために書き始めた陵辱系エロ小説でストレスを発散することを覚えた出水は持ち前の集中力・・妄念といってもいい・・から自分の文章に宿る下級精霊、すなわち自分の理想の具現であるシエルを喚びだすに至り、夜だけ人間サイズになという特質を持つ彼女を伴侶と契って女性への苦手意識を克服したわけだが。


 ヒノミヤ、神威那琴の陣は女7:男3の比率であり、出水に忘れていた肩の狭さを思い出させる。


「くっ・・拙者がオレだったころの痛みが、苦しみが・・ッ!」

「出水、狼狽えるな。我々は粛々と任務をこなすだけだ」

「あ、あぁ、そーでゴザルな、拙者としたことが」

「それで、ただ火をつけるだけではすぐ消し止められる。敵陣を混乱させる方策としては・・」

「問題ないでござる。ではみんな、この書信のとおりに噂を撒くでゴザルよ!」


・・

・・・


 10分後。

 神威那琴の陣は、面白いように恐慌状態に陥っていた。

 精強を誇る突騎部隊、士卒も強悍をもって鳴り、簡単にびくりともしないはずであったが、出水秀規の撒いた術策は女性心理を突いた恐るべきものだった。


 曰く。


『陣中に脂ぎった中年変質者が紛れ込み、そこかしこで痴漢行為と下着ドロを働いている』という一見、アホみたいな噂に過ぎないのだが、これが若い女性兵士たちを大いに脅かし、恐慌に追い立てる。悲鳴を上げるもの、犯人を引っ立てようと腕をまくるもの、とにかく一度勢いさえついてしまえばあとはどうとでもなるもので、混乱はさらなる混乱を生み、大恐慌をきたした。


 そこに火がつく。混乱の収拾、鎮静すら困難であり、消化など追いつく状況ではない。


「バカな、こんなくだらない流言蜚語で・・!」


 神威那琴は愕然と呻くが、実際彼女の前に広がる光景がなにより雄弁に現実を語る。


・・

・・・


「出水たちがやったな。よーし、全軍、突撃ぃ! 殺す必要ないから。殴って浅瀬に落とせばこっちの勝ち!」


 敵陣に火の手が上がったのを確かめて、辰馬は1000人を一極集中、景気よく指揮杖を振って炎に逃げ惑う敵中に突撃する。防備を固めるいとまもない敵を撃ち、崩し、切り伏せて進む軍威はそれこそ天の軍使。その圧倒的なことは石で紙を裂くかのごとし、指揮系統が機能している軍としていない軍とでの絶大な戦闘力の違いを見せつけた。新羅隊は踏ん張りの聞かない敵勢を一気に浅瀬へと追い落とし、炎に巻かれ水にあえぎ、足下の定まらない敵兵を叩いては拿捕していく。


 状況の収集困難とみた神威那琴は、長剣を抜き敵陣最前線に立つ将へと突撃した。長剣と指揮杖が激突、火花を散らす。


「なこちゃん!?」

「瑞穂、いま助ける!」


 驚きの声を上げる瑞穂に那琴は雄々しく咆えて、剣撃を加速させた。上下の斬撃、喉元への刺突、手首狙いの跳ね上げ。達人の凄腕と言って良いそれを、しかし辰馬はたやすく受け、捌き、いなす。


「まあ、そこそこ腕は立つとして・・今更おれを苦戦させるほどじゃあないなー。久しぶりに楽勝な相手」

「く・・馬鹿にするか!」


 辰馬が余裕を口にすると、那琴の剣に熱が入る。熱は邪念、無駄な力がこもり、読みやすくなる。武人なら心は常に静謐な水面でなければならず、それを保てない時点で那琴の敗北は決定している。


 キィン!


 清澄な、甲高い金属音。那琴の剣がはね飛ばされた。


 辰馬が攻勢に転じる・・と思った瞬間、那琴は躍馬辰馬の前から飛びすさる。状況不利を悟った那琴はためらいなく撤退を選んでいた。ヒノミヤの敗勢は確実、やむなく供回りの突騎、最精鋭1000騎を糾合して敵中突破をはかる。


「この距離なら撃てますけど・・どーするっスか?」


 シンタがマスケットを構えて那琴の背を追うが、


「いや、いらん。無駄に殺す必要もねーや。大輔、だいたい制圧完了したら消火と救出。虐殺、略奪、暴行は厳罰、相手に女が多いからな、特にこれ徹底して」


「了解です!」


 副将として無類の有能を誇る大輔が、事後処理に駆け出す。辰馬は一仕事を終え、ようやく意気をついた。


 かくて、史上に名高いヒノミヤ事変最初の大戦、「風嘯平の戦い」はこうして新羅辰馬とアカツキの勝利に帰す。この一戦でヒノミヤ側の被害は捕虜、重軽傷者含め4000近く、総動員兵力80000中の5%に達した。


・・

・・・


 さておき、神威那琴。


 とにかく敵中を抜けて旋回、ヒノミヤへの帰途を咆哮する彼女らを、一隊が迎える。


 それは長船言継隷下の部隊であり、接収された那琴らは長船の前に引き据えられるが、そこでの長船の態度はかつてないほどに尊大なものだった。


「なっさけねぇなぁ、那琴ちゃんよ? 『数で圧倒的優位』? バカが、んなこと言ってっから負けるんだよ!」

「貴様、誰に向かって口をきいている! この方がどなたか・・」


 ぞんっ!


 脇侍の女性士官を、長船は撫で切りにした。すさまじい斬撃。技巧型とパワー型の違いこそあれど新羅辰馬にも引けをとらない武芸に、思わず那琴の背筋が凍る。


「どなたかって、そんなもん負け犬だろーが。それ以上でも以下でもねぇ」


 徹底的に見下した態度。自分が日和見を決め込んだせいで負けたという事実について、なんらの後ろめたさも感じていない。むしろ自分を使いこなせなかった那琴の無能をあげつらうような雰囲気すらある。


「そんじゃ、お前には新羅サマへの手土産になってもらうか。巫女の第2位の身柄と、俺の兵8000、これだけありゃあ、まず疎略にはされねぇだろーぜ・・」


 そしてたった1000人の新羅を乗っ取るのに、これだけの兵がいれば十分。長船はまた薄く、爬虫類めいた笑みを浮かべた。

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