1章.女神サティア

第4話 新羅辰馬~神と魔の息子

 新羅辰馬しらぎ・たつまは美少年である。


 沈魚落雁閉月羞花ちんぎょらくがんへいげつしゅうか


 最上級の美貌のたとえ。魚は泳ぐことを忘れて溺れ、鳥は羽ばたきを忘れて墜落し、月は太陽を前にしたように隠れ、そして花は羞じらい蕾に戻る……というほどの意味だが、辰馬の美貌はまさにそれだ。


 光照り映える、一房、横に束ねた長い銀髪に、大粒のルビーのように煌めく緋く大きな瞳。肌はまるで新雪のごとくに穢れなき白であり、頬は紅顔、唇は鮮やかな朱。164センチ50キロ、華奢で小柄、男らしいごつごつした隆起にまったく無縁な体つきも相俟って、初見で彼を男だと見抜ける者はきわめて少ない。というより知り合いでも辰馬の性別に疑いを持っている人間がいくらでもいるし、中等学校の修学旅行では「夜這い」という伝統行事の恐怖も味わった。まあ、半殺しにして恐怖には熨斗をつけて叩き返したのだが。


 とにかくまさに美少女、それも破格の傾城傾国。どこかぼんやりとした眠たげな雰囲気はあるものの、およそ人間の理解の範囲を超えるほどの美形であり、当然ながら、モテる。


 女の子からもモテるのだが、男にもモテる。夜這いされるくらいなので諾なるかな。男が放っておく方がおかしく、不健全といえる。


 というわけで。


「だからさ~、おれ、男だっての。消えろやお前ら。シバくぞ」

「へっへぇ、なーにが男だよ、男モンの服着て『おれ』とかいっても、どーみても女の子じゃん。おら、あそぼー、ぜ!」


 公園で人待ちの辰馬は、今日も今日とてナンパされていた。


 いつもどおりの平常運転。だいたい日に5~6回ぐらいは、こういう手合いに纏わりつかれる。たいがいの相手は一言いってやれぱバツの悪そうな顔で退去するのだが、今日の相手はちょっとばかし、いらん方向に根性があった。へこたれない。なにをするつもりか4人ばかりで辰馬を囲み、いやらしい笑みで辰馬の手を取ろうとしてくる。


あーあー、だからこの顔嫌いなんだよ……どーしよーかな、ホントにしばくか……つーて気安くおれが殴ると殺しかねないからなー、よっぽど手加減せんと。


 辰馬はげんなりと、疲れたようにため息一つ。そんな表情すら、至高の芸術品、一幅いっぷくの絵画である。チャラ男集団はじめ周囲の人々が、うっとり惚けた。


「あのさ、今なら勘弁してやっから、消えろ。そーじゃないと命の保証できねーから」

「はァ? なに言ってんの、ウケるーぅぶっ!?」


 辰馬の一番そばで一方的な誘いをかけてきたチャラ男が、辰馬のまったく迫力不足な恫喝を笑い飛ばそうとして、果たせず沈む。


 単純にボディブローをぞぶっ、と下腹に叩き込んだだけだが、あまりにも速すぎて誰の目にもとまらない。念力か神通力、そうした超常的・超越的な力の作用にしか思われないほどだ。新羅辰馬、すなわち『魔王殺しの勇者』新羅狼牙の息子であり、父と祖父から薫陶を受けた武芸の練達。まだ本目録皆伝の腕前には至っていないが、それでも素人の男衆が4人程度でどうこうできる相手ではない。


「ナオトくん!? テメコラ、な・・!?」


 仲間が倒されたのを見た別のチャラ男が、辰馬目がけて腕を振り上げる。次の瞬間ごすっ、という轟音がして、これまたその場にくずおれ、倒れ伏した。今度は外回し上段蹴り。辰馬としては普通に軽く蹴っているだけ。ただそれがあまりに神速、絶速の域にあり、とうてい常人の目にとまらない。


「あのさ、お前らうるせーわ。襲いたいならそもそも、正面から来んなよ。不意打ちでもなんでもして組み伏せねーと、実力差どーしよーもねーだろーが」


 相手の覚悟のなさと実力の不足に、心底うんざりして辰馬は言い放つ。事ここに至って残る二人のチャラ男は自分たちがなぶろうとした子犬が虎であることに気づいたが、辰馬の方は力を誇るどころか吐き気がしていた。


 あー・・なんかこれ、おれが弱いモン虐めしてる構図じゃんよ。これだからいやなんだよなー、また家に連絡とか来るか・・。親父に殴られるなー・・困る。


 それが困る。祖父は辰馬に対してダダ甘の好々爺こうこうやだが、父・狼牙はそうはいかない。『魔王殺しの勇者』である父は公正明大にして厳格、息子を愛する故にその教育には人一倍厳しい。優しさ故の愛の鞭であることは理解しているが、それでも殴られれば痛いものは痛いから、聖人君子でない辰馬としては殴られると父にこなくそ、という感情を覚えるのは間違いない。


「こここ、こっ、こいつ!」

「つぶしてやらぁ!」


 完全に怯えきった二人は逃げるかと思ったが、そうはならなかった。女に恥をかかされたと思って、恐怖を怒りが上回り、要するにキレたらしい。女尊男卑じょそんだんぴの気風ある国とはいえ政治の舵取りが男系になって久しく、近年は意味なく男性優位を振りかざすバカが多い。


 男が偉いとか女が上とか、どっちもどっちだけどな。優秀なのは個人個人の人格であって、性別なんか死ぬほどどーでもいい・・。ま、さそれはておき、かわいそうだけど、ちっと痛い目みてもらうか。とりあえず血液を奔騰ほんとうさせて・・。


 怖いことを心の中に呟き、赤い瞳に力を込め・・ようとするも。


「そこまでだよ~♪」


 なんの気配も感じさせず、場に割って入った脳天気ながらも高く澄んだ声に、高めた気を弛緩させる。


 チャラ男や周りの人々に、なにをしたのかまったく見切らせなかった練達の辰馬。その技前をもってして、彼女の接近にまったく気づけない。チャラ男が腕をねじり上げられたところで、ようやく気づいた。


 少女の顔を見たチャラ男たちの、顔がびくっと引きつる。


 赤の長いポニーテールと、青い瞳、そしてアールヴ(妖精=エルフ)特有の長くとがった耳を持つ少女。


 辰馬の知り合いであり、チャラ男どもにとっては知り合いではないが、知った顔だった。


有名人だ。太宰ローカルではなく、アカツキという国、アルティミシア大陸全土における有名人。


 牢城雫ろうじょうしずく。かつて8年前から3年連続、アカツキ最高の武芸の祭典『煌玉展覧武術会こうぎょくてんらんぶじゅつかい』剣術部門を連覇した、若き剣聖。ルールありきの試合でとはいえ、西の大国ラース・イラが要する「世界最強の騎士」ガラハド・ガラドリエル・ガラティーンと互角に渡り合った、怪物でもある。太宰における彼女は英雄であり乙女たちの守護者であり、そして不埒ふらちな男どもにとっての死神であった。テレビこそないが白黒写真と活版印刷・・新聞が存在するこの国で、彼女の活躍は広く喧伝されている。


「キミたち、この子あたしの連れなんだよね~♪ お引き取り願えるかな?」


「は、はひゅいっ!」

「もちろんであります!」


雫の言葉に、チャラ男たちは敬礼して去って行く。「あ、ちょっと待った、忘れ物」倒れる二人のチャラ男を、雫は144センチの小柄からは想像もつかないパワーで投げつけた。今度こそチャラ男たちは去り、雫は辰馬に向き直る。


「ふぅ・・。なんとか間に合ったね-、たぁくん♡」


 可憐な顔立ちににぱっと明るい……向日葵を思わせる笑顔を浮かべ、雫は辰馬の横に立つ。辰馬はやや苦笑しがちに、美しすぎる銀糸の髪を掻き上げた。


「あぁ。半殺しにせずに済んだ・・つーかしず姉が時間通りに来てくれりゃ、なんの問題もなかったんだけどな」

「やー、ごめんねー。服なに着てくか迷っちゃって。デートとか久しぶりだから♡」


 雫はやははと独特に笑う。この無邪気さと童顔、そして144センチという小柄……しかしバストは85センチ……のため、実年齢23才には到底見えないのだが、これでも辰馬が父に連れられアカツキにやってきたその瞬間からのつきあいであり、いろいろあって母のつとめを果たすことが難しかった実母アーシェのかわりであり、姉代わりでもあり、そして恋人志願者であり、公的には辰馬の学校の新任教諭である。


「デート違うけどな。じゃ、行くか」


 そんな雫の思わせぶりな態度をにべもなく切って捨て、辰馬は歩き出した。結構な早足でスタスタいくが、健脚ということでは雫の方が勝る。あっさり隣に並ばれた。


・・・


 太宰総合第一病院。


 アカツキ33代皇帝、梨桜帝が世界に先駆けて創らせた総合病院である。地上5階、地下2階の七階層という、帝都太宰どころか世界にも珍しい白亜の大建造物だ。ほとんど城塞といってもいい威容は、人を癒やすと言うより収監するというイメージすら湧かせる。


「よーっす、辰馬サン」


 そのロビーでは、三人の少年が辰馬を待っていた。


「シンタ。大輔と出水も・・おまえら来なくていいっていったろーに・・」


 呆れた風に辰馬が言うと、シンタと言われた赤髪ロン毛、長身痩躯のそこそこイケメンはフヘヘと笑う。上杉慎太郎うえすぎ・しんたろう、自称『辰馬サン命』のゲイ。しかし言動の通り紛れもなく美少女に興味津々であり、ゲイとかホモとかいう公称はどこまで本当か妖しい。辰馬とおなじ冒険者育成校『蒼月館』の2階生である。


「いや、だって謎の美少女だし。俺らもまた会いたいわけですよ! しかも巨乳ちゃんだし!」

「あー……そか……」

「新羅さんすんません。俺がついてながら、こいつどーにも聞きやしないもんで……」


 という茶髪のツンツン頭は朝比奈大輔あさひなだいすけ。胴着姿の筋肉質な少年である。シンタ同様『蒼月館』の2年であり、拳闘部のホープ……だったが事情があり、辞めた。


「そーそー。新羅さんばっかいい目見るのはズルいでゴザルよ……っていだだ、シエルたんやめるでゴザルぅ~! シエルたんがいくら嫉妬しようと、昨日あの子と最後に目が合ったのは拙者。あの子はきっと拙者に惚れたに違いないのでゴザルっ!」


 最後の一人、妄想激しい瓶底メガネの小デブは出水秀規いずみ・ひでのり。見た目と言動がどうしようもないオタクであり、中身はそれ以上にオタク。魔術師見習いであると同時にエロ小説書きであり、肩に乗せる有翅ゆうしの妖精、『シエルたん』は秀規の妄想力から召喚され、契約を交わした存在。その契約内容に関して辰馬は詳しいことをしらないが、すでに夫婦の契りを交わし、夜な夜ないかがわしいことをしているらしい。この体格差でどうやって? と思うが、夜だけ人間サイズになれるそうだ。


ともかくとして。


「あいつ憔悴しょうすいしてただろ、大人数でおしかけていいもんかな・・? まあ、来たもんはしゃーないか、すんません、見舞いです。保護者連れてきました」


辰馬が適当に受付に話しかけると、担当看護師は明らかに胡乱げな目で睨み、辰馬の美貌に一瞬、たじろいだが、次いで辰馬の瞳の色が深紅であるのを見るややはり、凶猛な瞳でめつけてくる。


「あぁ、はい・・保護者さんは?」


 あからさまに胡乱げな者を見る瞳でそう言う看護師に、元気よく手を上げて応えるのは雫。


「はーい、あたしでーす!」

「・・は?」

 その恰幅かっぷくのいい看護師のおばさんは、首をかしげて「あぁン?」とすごむ。馬鹿にしてんのか、という言外の言葉が、雄弁に語っていた。なにしろ雫はこの一行の中で一番小柄であり、一番童顔である。成人していると思えないのは間違いないが、この人、『剣聖』牢城雫を知らないのか……ふぅん、そー言う人もいるんだな……。と、変に感心しながら、辰馬は助け船を出す。


「あー、間違いないですよ、この人23才だし。しず姉、教員免許」

「はいはい。えーと、これです、教員免許! 2年目!」

「拝見しますよ……えーと、ロウギさん? ロウシロさん?」

「ロウジョウです。読みにくくて済みません」

「ふむ……帝暦1792年生まれ……確かに。はい、じゃ、ロウジョウさん、こちらに記入を。面会希望者のお名前は?」


 名前を聞こうが剣聖には興味のかけらもないらしい。牢城家はすでに奪爵されているとは言え皇国三大公家の筆頭、覇城の連枝、それなりに知名度はあるはずだが完全無視だった。しかし。


「名前? はれ、聞いてないよ、たぁくん?」

「えーと、神楽坂かぐらざか・・瑞穂みずほ、だっけ。ヒノミヤの玄道宗家げんどうそうけ神楽坂家の娘らしいです」


 と、そっちの名前が出た瞬間に態度が180度変わる。


「ヒノミヤの神楽坂!? 神楽坂瑞穂さん・・それって齋姫いつきひめさまじゃないですかぇ!? はい、はい、わかりました。問い合わせてきますのですこしお待ちを・・!」

 それまで辰馬たちを「怪しげな少年団」と見なしていた婦長さんは、神楽坂の名を出したとたんに態度を180度変える。


 ああ、齋姫って、聖女さまか。……聖女が、あんなとこであんな目に……んー……なんかわからんが……やっぱ単純な誘拐事件ってわけじゃない、か……。


 さっきの婦長さんとは違う看護師さんに連れられて、病室(501号室)に。


 4階までのどちらかというと質実剛健で飾りのない造りに対し、この階層は異質な感がある。そこかしこに絵画が架けられ、花が飾られ、全体に派手であきらかに金と手間がかけられている。政治家やら資産家の隠れ家として使われるのだ、と教えてくれたのは実は家が貴族(といっても子爵だが)で金持ちのシンタだった。血統的には雫も大貴族の流れだが、こちらはだいぶ前に本家から切られている。


「神楽坂さん、入りますよ」


 まず看護師さんがそう言って入室。しばらく問答があって、看護師さんの「どうぞ」という声に従って部屋に入る。


「どうも、みなさん……昨日は、ありがとうございました……」


 青紫の髪の少女、神楽坂瑞穂はそう言って、儚く微笑った。魂の憔悴が看て取れて痛痛しい。さておいてパジャマの胸元を強烈に内側からせり上げる爆乳……というか魔乳に、舎弟の3バカがごきゅ、とつばを呑む。


「う……やっぱでけぇ……。見てはならんと思うんだが、これはつい目が……」

「いやもうホント。雫ちゃん先生も小柄な割におっきいけど、みずほちゃんと比べたらぺぺぺのぺだわ、ありゃホントに・・たまらん!」

「朝比奈どの、上杉どの、瑞穂ちゃんは拙者のものでござるぞ! 許可なく性的な目で見ないでいただこう!」

「あァ!? いつだれがお前のモンになったよ、ぼんくら。殺すぞ」

「そちらこそ、窒息したいというでゴザルか!」


 病室でガタガタ騒ぎ出す3バカを、看護師が叩き出す前に辰馬が叱責する。


「あー、お前ら黙れ。うるせーからな。あと本人の目の前で胸の話とかすんな。いろいろ困るだろーが」


しごく普通にそう言うが、3バカなおも未練たらたら。


「……辰馬サンがやめろっつーならやめときますけど……命拾いしたな、クソオタ!」

「こっちの台詞でゴザルよ、赤ザル! 脳みそ引きずり出して、かわりに泥水詰めてやろーかァでゴザルァ!」

「だから喧嘩すんなや。なんなら帰っていーんだぞ」

「「は、すんません」」


 一喝されて、ようやく大人しくなる三人。まず静かになったことを確かめてから、辰馬は瑞穗に語りかけた。


「騒々しくてすまん。……で、あんたのことだが……なんであんなとこにいた? たぶん言いにくいことを聞くことになると思う、済まん。だが、教えておいてもらわんと後々、困ることになりそうだからな、言えることは全部教えておいて欲しい」


 辰馬たちは昨日、山賊退治のついでに瑞穂を助けたが、山砦の玄室に半裸で転がされ汚液にまみれていてたという状況を鑑みるまでもなく、すでに手を付けられたあとだった。そのことを追求することになる、と辰馬は頭を下げたのだが、瑞穂は相変わらず穏やかながら覇気も生気も感じられない、なかばうつろな瞳でうなずいた。


「わかりました。全て、お話しします。6月12日からの1週間にわたしの身に起きたすべてのことと、わたしが知る限りのヒノミヤの陰謀の全て・・」


 瑞穂はわずかに遠い目をして、淡々と語り出した。それは聞くに堪えないほどの陵辱の連続、その記憶であった。

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