第37話 3章7話.清濁併呑

 会戦から1夜空けて。


 簡易寝台のなかで、新羅辰馬は目を覚ました。


「おはようございます、ご主人さま」

「ん・・おぁよ」


 同じ布団の中に、瑞穂がいる。裸にシーツを巻き付けてはいるが、その豊満かつ引っ込むべきところのおどろくほどにくびれた見事な肢体の造形美はまったく隠れていない。実に奇跡的なほどに均整のとれた肉体であり、辰馬より一つ年下であるという事実は下手をすれば淫行なのだが、そんなことは関係なく辰馬は瑞穂の肢体に「あぁ、きれいだな・・」とガラにもなく思った。


 辰馬らしからぬ感想は、昨夜の行為がいつものように「押し切られて逆レ」ではなかったから、そのせいだろう。辰馬は自分の意思で瑞穂を呼び、いっしょに寝てくれ、と頼んで、そして自分でも驚くくらい荒々しく瑞穂を抱いた。それはもう何度も何度も、若い二人は燃え尽きるまで絡み合い、まぐわいあった。それは戦場の狂騒というものからの逃避であったかもしれないが、少なくとも辰馬の中で神楽坂瑞穂という少女の重みが今までより遙かに大きくなったのは確かである。優しく目を細めて銀髪を撫でてくる瑞穂にされるままにされながら、辰馬はかつてないほどの幸福感を感じた。


 幸せってこーいうこと、なんかね・・いや、しず姉も帰ってきてないし、それに今この戦時中で、言う事でもないだろーが。


 起き上がり、二人身だしなみを整える。仮の身分とはいえ将官である以上、いつものようにだらけた格好もしていられない。


 着替え終えると、門衛が来客を告げた。第12師団長・晦日美咲と、その本営で事務方を一手に任されていたエーリカ・リスティ・ヴェスローディア、そして増援の兵4000。


「辰馬ーっ! 久しぶり、寂しかったよぉっ! 辰馬もわたしがいなくて寂しかったよね、これからはずっと一緒にいて護ってあげるからねっ♡」

「はいはい。よろしく頼む」

「ん・・? 辰馬のくせに妙に素直・・。なんかあった?」

「いや、なんもねーわ。勘ぐるな」


「新羅さん」

「おー、晦日。お疲れさん」

「はい。この陣を新たに本営として、橋頭堡の要害を急ごしらえで築きます・・。それにしてもエーリカ姫ですが、彼女、すさまじいです。師団外内の苦情のとりまとめから兵站調達と補給経路の確保、ヒノミヤとの外交ルートを開いて上層部との交渉、ほかにも数々ありますが・・政治力というか、そちらのセンスが尋常ではありません。希有な才能です、大事になさいませ」

「あー、うん・・そーする」


 大事に・・。うん。まぁ大事にはするけど・・。


 エーリカからの好意に引き比べて、けれど一番大事なのは瑞穂なんだよなぁと、辰馬はこの時期から明確に思うようになる。かつて桃華帝国の昔の皇帝が若い頃に言った台詞になぞらえるなら、「妻を娶らば神楽坂」なのだった。


 そして、もう一人客人。


 もとヒノミヤ先手衆さきてしゅう次席、今は8000人の大兵力を擁する根無し草となって流亡中の、長船言継。


 衛兵から長船、の名を聞いただけで、瑞穂が息を呑み震える。かつての陵辱を思い出しているのは間違いない。辰馬は瑞穂を抱き寄せると、少し強めに背中を撫でた。いまままで恥ずかしくて出来なかったことも、意識の変った今となっては臆面なく人前で出来る。


 とはいえそれを見とがめる者もいるわけで。


「あぁーっ! なにその仲良しっぷり!? 辰馬、わたしにもやりなさいよ、それ!」

「お前はどーにもなってねぇだろーが。いいから働いてこい、給料でるんだろ?」

「んー、なーんか釈然としないんだけど・・まぁ、この話は後で」


 後にすんな、終わりにしてくれ、めんどくさい。


 と、願いつつ、使者を通す。


「やあ新羅公、はじめまして。俺がもとヒノミヤ先手衆次席、長船言継だ。早々の呼び出し、感謝する」


 そう言って現れた蒼衣の使者はまさかの本人。「っ!?」瑞穂が恐怖に顔を蒼くして、辰馬の袖を強く引いた。辰馬はその手を握り返しつつ椅子に腰掛け、長船にも着席を促す。といっても応接室などない野営地の天幕内、適当な長机を仕切りにしてパイプ椅子での対面だが。


 長船は腰掛けつつ、瑞穂を見遣りにやりと淫笑う。


「お久しぶりですな、斎姫猊下。また貴方様とご一緒できるとは光栄のいたり。くく、また『ご慈悲』にあずかりたいものです・・」


 ご慈悲、とは身体を饗すことの隠語であり、それをいらわれた瑞穂は羞恥と屈辱で白面を土気色に変えうつむく。辰馬の袖をつかむ力は儚く弱くなり、辰馬は勇気づけるように減った力のぶん強く握り返した。


 大丈夫。こんなことで今更、おまえのことを嫌いになったりしねーから。つーかこの腐れ中年・・。


「あのさ、おっさん。あんたの手柄は認めるとして・・、おれの前でそれ以上瑞穂を侮辱すっと殺すよ?」

「いえいえ、侮辱などととんでもない。斎姫猊下の持ち物は最高でしたとも・・。それに、新羅公、あんたは俺を殺せないさ。いくら感情で俺を憎んでも、理性が俺に利用価値を見いだしてる限りは手を出せない。新羅江南流の教えでいうとそういうこったろ?」

「へぇ・・江南流のことをよくご存じで。まぁ、そーだが、あんたが思ってるほどにあんたの利用価値は高くないかもしんないぜ?」

「いやいや、兵士8000,それだけで今のあんたには喉から手が出るほどほしいはずだ。優秀な野戦指揮官がついてくるとなればさらにな」


 確かに、兵力は少しでもほしい。新兵同然の1000より、そりゃあ精鋭8000があればどれだけ楽か。


「それでも、瑞穂を侮辱されるよりはあんたをここで殺しとけ、って気もするなぁ」

「またまた、ご冗談を。あんたはこの計算ができねぇ人間じゃねーや・・ま、こっちを信頼してもらうカードが足りねぇのは事実。ってことで、これを」


 長船は懐から、なにやら小さな桐箱を取り出し、無造作に開いた。そこに現れたものが放つ強く清浄な神力に、辰馬も瑞穂も目を瞠る。


「これは・・!」

「・・『虚ろの勾玉』ですか?」


 息を呑む辰馬と、思わず呟く瑞穂。ヒノミヤの伝承的呪物、最優秀の巫女100人の命を絞った神力から作り出した、「神力封じの結界を無効化する」護符。その製法の邪悪さゆえに禁忌とされ、ここ数百年造られることはなかったはずだが、それが3個。


「神月五十六は700人の巫女の命を使って7つの勾玉を造り、自分と磐座穣いわくら・みのり山南交喙やまなみ・いすから5人の姫御子、そして先手衆の磐座遷っていう側近に持たせてる。俺は信頼されてたわけじゃねーが、磐座遷ってのは武人としちゃともかく案外な間抜けでね。ちゃちゃっと拝借してきた。それと、あとの二つは巫女の2位、神威那琴かむたけ・なことと4位、沼島寧々のぶんだ。・・どーよ、これがあればあんたの力、十全に発揮できるだろ?」


 誇ることを隠そうともせず、長船はそう言ってニタリと破顔する。おまえが欲しいものを呉れてやるぞ、だから俺の要求も聞いてもらおうか、という表情。確かに辰馬にとってこの勾玉は喉から手が出るほどにほしい。輪転聖王さえ使えれば戦局を一瞬で覆しうるし、瑞穂の時軸が使えるようになるのも大きい。


 悪魔の取引。辰馬が清浄な聖人であるならば首肯しない提案を。


「うし。いーだろ」

「へへ、そーでなくちゃあなぁ」


 即時承けた。もともと新羅辰馬という少年は清浄な存在ではないし、邪悪ではもっとない。魔王と聖女の間に生まれた子は「清濁併せ呑む」気質であり、自分と自分の大切な物を護るために手段は選ばない。


「そんじゃ、早速兵士を連れてくるとしますか・・。あぁ、それと。巫女の2位と4位の身柄はどーするよ、大将? なんなら慰安用に解放するぜ?」

「お前はふざけんのもいー加減にしろよ、下衆。・・今までにやったことは不問にすっから、こっから先は略奪も暴行も陵辱もなしだ。それが守れないなら今ここで、おれがお前を殺す」

「はいはい。んじゃ、アカツキ12師に宛てて護送させときますよ。それでいいだろ?」

「ああ、そーしとけ」


 そして、退出前。一瞬だけ瑞穂にねっとりと絡みつくような視線を向けて、長船言継はひとまず去った。


「あれは瑞穂のことあきらめてねー目だな・・瑞穂、これからできる限り、おれから離れんよーに」

「・・はい、ご主人さま。どうかお守りください・・」


 神楽坂瑞穂という少女が自ら「守ってほしい」とそう言ったのは初めてかも知れない。それだけ長船という男に対する恐怖と嫌悪と悪感情が強くすさまじく、独力ではどうしようもなかった。


・・

・・・


 晦日美咲は多忙のなか、護送されてきた姫巫女の身柄見聞に立ち会い、絶句した。


 神威那琴と沼島寧々、二人の姫巫女はどれだけの酷使をうけたのか、酷く消耗し、消衰し、なかば壊れかけていたからである。戦陣に出た少女が敗北の結果に受ける扱いとして当然とはいえ、ここまでの扱いはひどすぎる。美咲は新しく新羅辰馬の幕下に加わった長船言継に詰問吏を放ち、長船に出頭を迫ったが、これに対して偏将・新羅辰馬は「あえて語るべき必要なし」と長船を庇う。


 あえて毒も含む覚悟で進む、というわけですか・・。まるで宰相様のような。


 美咲の中で清濁を併せ呑む人物像と言えば直属の上司、宰相・本田馨綋ほんだ・きよつなであり、理想のために善も悪も使えるものはすべて利する。そういう人物をそばで見てきたために美咲のなかで辰馬が悪人を登用したことへの反感はさほどに高くはないが、それでも個人的に少女たちを悪辣にいたぶった長船言継という男への嫌悪感は残った。


 この男、新羅さんが切れない相手だというなら、私が斬るべきかもしれません・・。


 そう胸(極薄)に期しつつ、ひとまず庶務に戻る。


・・

・・・


「さて。本格的にヒノミヤを攻めるにはまぁ、山岳地帯を上っていく必要があるわけだが・・」


 天幕のなか。新羅辰馬と神楽坂瑞穂は地図上に駒を配して作戦をシミュレーションしていた。


 初日に崖をのぼって裏口にまわろうとしたことでもわかるとおり、ヒノミヤは山上にある。用兵学的に、高地に拠点があるというのはそれだけで有利だ。力というのは上から下へ流れるものであり、下から上に上りながら戦うより、上から下に降りながら戦った方が圧倒的に力が発揮できるのは当然。なのでできるだけ、逆落としに殴られる形での戦いは避けたいところ。


「これはなぁ・・二手に分けるか。山麓で上からの攻撃に耐える大部隊と、それを囮にして囮が殴られてる間にヒノミヤ内宮を衝く小部隊。ヒノミヤ内宮に達すればこいつらも慌てて引き返してくるだろーから、今度はこっちが上下から挟撃・・あとまあ、現地の地形に詳しい人間をこっちに抱き込んで情報をもらう、と。そーやって地形を使わないと、精鋭の逆落としなんか止められねーだろーし」

「はい。十分妥当な策だと思います」

「ん。そんじゃ、細かいツメは軍師殿に任せる」


新羅辰馬の用兵の神髄は「戦術的勝利の連続による戦略的勝利の達成」。風嘯平の一戦とこのヒノミヤ山岳線もまた、連続性をもってつながる。風嘯平の一戦で意気阻喪している今が攻めどきであり、多少無理押しでも一気呵成に攻めるべきだと辰馬の嗅覚は悟っていた。


・・

・・・


「お兄様、くれぐれも頼みましたよ」

「ああ、了解した」


 磐座穣は通信機に向け、ヒノミヤへの山岳路を護る兄・磐座遷に念を押した。


 術により新羅辰馬が使ってくる戦術はすべてこちらの掌の上にある。さきの風嘯平で長船言継が裏切ったのは痛かったが、早期に膿が出せたと考えれば悪いことばかりでもない。


 すべての兵が私の意図したとおりに動くなら、こんなに苦戦もしないものを・・。


 風嘯平の敗北を、穣はそう分析する。騎兵突撃に対しマスケットを並べての連奏射撃も、寡兵で大軍に勝つための攪乱と火計も、どちらも穣の想像を超えたわけではない。ただ、新羅辰馬に対した神威那琴の将才がかの魔王継嗣に劣り、敵に優位な状況を許したがための敗北。自分が指揮官であったらあそこで新羅辰馬の命脈を止めたという自負があり、だからこその慚愧がある。今度こそは止めてのけたいが、やはり今回も穣は全体を俯瞰しての総軍指揮担当であり、登山路上の兄と、内宮城塞の指揮は山南交喙、鷺宮蒼依の二人に任せるほかない。


 速戦で囮を潰して、別働隊も挟撃して叩くとしましょうか。


 そのために必要な駒は、ある。


「ガラハド卿、わが兄の助勢、出陣おねがいします」

「承知した。わが騎士としての誇りにかけて、立ちはだかる敵を打ち倒してご覧に入れよう」


 赤き鎧の騎士、ガラハドの出陣。


 かくて新羅辰馬のヒノミヤ事変、その第2幕が始まる。

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