第41話 3章11話.肆略は火のごとし
「崖に落としましょう。なに、俺の幻を使えば余裕で
こともなげに言う長船に、やはり辰馬は難色を示す。ヒノミヤ内宮を要するこの山は標高1300メートル超、下界とのつながりという関係もあってかそこまで高いわけではないとはいえ、この高さから落ちればまず生きてはいられない。
「正攻法でなんとかなんねーかなぁ。出来るだけ殺さんやり方で・・」
「ないですな。そろそろ覚悟を決めなせぇよ、あんたも。食うために殺す、生きるために殺す。そんなこたぁ普段からいくらでもやってることでしょーが・・つか、敵を人間と思ってるから駄目なんですよ。駆除すべき害虫と思いなせぇ。あいつらを活かしておいたら世の中が無駄に乱れることになる、よってこれを狩って始末することは人として当然の責務、ってね」
「そんなふーに思えるか、ばかたれ。おれはそこらへん、神経細いんだよ」
すでに新羅辰馬という少年の精神は臨界に近いところまで来てしまっている。普段なら癒やしとなってくれる瑞穂や雫、エーリカらがそばになく、ばかげた言動と行動で脱力させてくれるはずの大輔たちも今は将校として奔走中。孤立した辰馬のそばでやけにやる気に満ちている長船は新羅辰馬の中に未来の帝王たる相をはっきりと見いだしたおそらく最初の人間ではあるが、しかしもっとも信任厚い人間というわけではなく、辰馬にとっては鬱陶しく気重になる相手でしかなかった。
こいつを帝王にして、おれはその師父になる。そのためにゃあこんなつまんねぇ戦で折れちまうようなもろい神経してもらっちゃ困るんだがな・・。
すでに辰馬を世界の覇者たらんとさせる意思満々の長船はそう思うものの、新羅辰馬の才能はともかく、精神性がそれに向いていないことは明白だった。今のまま戦わせてもじき、厭戦気分が彼を支配して戦場から身を引くことになるだろう。
「新羅さん、投降者です・・っておっさん、なに新羅さんイジめてくれてんだァ?」
幕舎に駆け込んだ大輔が、椅子に腰掛けて沈む辰馬とそれを見下ろす長船の構図に長文に詰め寄る。普段辰馬のことをアホとかぼんくらとかぼんやりさんとか馬鹿にする大輔たち舎弟らだが、その本質は新羅辰馬の忠実な「番犬」にして「猛犬」。主人に危害を加える相手を、一切許すつもりはない。
「離せよ、小僧。大人相手の態度ってもんがなってねぇーな」
「うるせーよ、おっさん。年食ってるだけで偉そうにすんなって」
「・・・・・・」
両者動く。
まず仕掛けたのは長船。大輔の手首を取り、下に引いて崩しをかける。力が流れたところに、今度は左右の揺さぶり。存分に崩しとフェイントをかけたところで、入り身になって背負い投げ! 投げてたたきつけると同時、遠慮なく生意気なクソガキの腕を折る・・はずの長船の脇腹に、重くじんわり染みる衝撃と、鈍痛。
体格と筋肉の付き方から、ベースが柔術なのはわかるんだよ。そして、どんな技使ってくるかわかってんなら、負ける道理もねぇ!
投げられたのはわざと。自ら力に逆らわず投げられることで有利なポジションで長船の下に入り、極められたはずの腕関節も保全。仰臥の体勢では十分な打撃力は出せない? そんなもん、俺の全力の3割が通れば十分!
どうっ!
ほぼ密着の状態から、鈍く重い打撃音。マウントを取って完全に勝者の余裕だった長船の身体が、下から上に5、60センチほども浮き、ごろりと転がる。
「がは、げふっ、ごあぁ・・!? て、てめ・・この、ガキ・・ッ!」
転がり、膝から立ち上がった長船だが、その自分の足が笑ってしまっていることに愕然とする。ダメージもそうだが、朝比奈大輔という少年に関しての情報と実態が、どうにも違いすぎた。学生会騒乱/竜の魔女の一件で見せた超高威力の衝撃波「虎食み」、あれは驚異だが、にしても大きく振りかぶり、打ち放つモーションを必要としたはず。それが今のは。間違いなく超接近戦、いわゆる粘勁に属する短距離打法。寸打、それもほとんど「無寸」に近い。ただの筋トレマニアでは及びもつかない格闘センスを要するはずだ。
「新羅公といいお前といい、どういう成長速度だよ・・くそが・・」
「三日遭わざれば、って言うだろーがよ。で、どーするよ? もう一発受けてみっか?」
「あー、お前らそれまで。大輔、喧嘩しにきた訳じゃねーだろ。用件は?」
にらみ合う二人に、辰馬が手を叩いて場を鎮める。というか大輔、おれがこんなおっさんにイジめられるわけねーだろぉが、と辰馬は少し仏頂面。
「あぁ、はい。なんか投降者です。えー、と、名前は・・鷺宮蒼依と片倉長親。服装からして結構偉い立場じゃねーかと思うんですが」
「けふっ・・と。あぁ、鷺宮は巫女の5位だ。片倉のじーさんはまあ、ヒノミヤで俺と渡り合える軍略家って言ったら五十六じーさんと磐座妹、それとこのじーさんだけでしょーよ。あのじじいにも裏切られるか、いよいよヒノミヤも終わりだな」
メモ帳をめくって名前を読み上げる大輔にかぶせて、長船が注釈を加える。どうやら二人ともヒノミヤの重要人物であるらしい。それにしても、これによって第3位、磐座穣以外すべての姫巫女がアカツキ側の手に落ちたことになる。あとはこの戦場の敵将、
「人格的に信用できそうか? 大輔?」
「おそらくは。つーか嘘とか腹芸のできるタイプに見えないです、あの二人」
「ん。じゃ、通して」
・
・・
・・・
「
上杉慎太郎、出水秀規にいちおうの警戒をされつつ幕舎に通された老将・片倉長親と姫巫女・鷺宮蒼依は、捕虜の正式な作法に則り辰馬に平伏した。
「あぁ、そーいうのいらん。やめれ。ていうかあんた年上だし。どっちかっつーとおれが頭下げるとこだし」
「いや、しかし・・」
「だからなぁ・・うん。これ命令ってことで」
鷹揚に、というよりかぎりなく適当な態度で、手をひらひらさせて相手に顔を上げさせる辰馬。ひれ伏すのは大嫌いだが、ひれ伏されるのも気分がよくない。
では、と立ち上がり背筋を伸ばした片倉は、シンタと変わらない程度の長身に老いたりといえど逞しい体つき、顔立ちは四角く顎が張っており、無骨で下駄を深く彫ったような顔つきながら重厚で暖かみのある姿貌。頭髪、髭はともに白く、褐色の肌とコントラストをなす。右手の人差し指と中指がなく、そのためもともと右利きであったものを訓練して左利きに代えたのだといい、霊的鉱脈の寡さゆえにヒノミヤの震央にかかわることはなかったが武人としてその人生70年近くをかけてヒノミヤ独立をまもりつづけてきた男は、今、ヒノミヤを裏切った自分に意気阻喪して実際より小さく見えた。
「とりあえず、あんたらは賓客として扱う。ヒノミヤとは戦いたくないだろーから、戦線には投入しない」
そう沙汰を伝えると、もう一人の投降者、姫巫女、鷺宮蒼依が手をあげた。
「あたしはむしろ前線で使って欲しいですけど」
「んぁ?」
「新しい斎姫・・山南交喙が気にくわないので、この剣で一太刀、脅かしてやりたいんですよ。・・はっきりいってしまうとそのためにヒノミヤを離れたようなもので、山南と戦えないのなら意味がないんです」
「んー・・でもなぁ、配下の連中はまだヒノミヤに心があるわけだろ?」
「では部隊は解体してあたしを一兵卒に。それでかまいません」
「・・・・・・」
「いいでしょーよ、新羅公。鷺宮、そんじゃ、新羅公の軍師として任務を与える。お前の願いが叶うかどうかはまずこの作戦の成否如何だ」
・
・・
・・・
というわけで。
鷺宮蒼依は陽動部隊の指揮官を拝命。長船としてはいざとなったら敵といっしょに崖から落としてかまわない囮が出来たとほくそ笑むところ。
そして。
片倉の裏切りに激昂したヒノミヤの兵士たちは、辰馬の陽動や長船の誘引なしでも簡単に引っかかる。片倉を誑かし裏切りに踏み切らせた姦婦(ということにされている)、蒼依たちは微動だにせず備えを守るかに見えたが、実はこの陣事自体、長船の幻術により偽装されている。ここに見える部隊も地面も、そのほとんどは幻であり。蒼依隊に気を取られて注意を逸らされていた隙に辰馬立ちに後背をとられていた敵先鋒隊は背後からの一斉掃射に追い立てられる。どうにか目の前の蒼依隊を壊滅させ、敵中突破での撤退を画策するも、突っ込んだ先に地面はなし。大慌てで制動をかけるも急に止まれるものでなく、さらには後ろからの砲火にさらされて次々と断崖に落ちていく。辰馬は気が狂いそうになるほどの煩悶を抱えながらも、これも責任。落ちていく敵兵の姿を目をそらすことなく見据え続けた。
まず辰馬が長船の策と幻術で敵先鋒隊6000の残り5000を壊滅させ、残敵数14000。
・
・・
・・・
いっぽう、明染焔と
実際のところ、アカツキ側の作戦立案から実戦指揮まで、ほぼすべて神楽坂瑞穂の手になるが。
こちらは膠着しつつあった。
何度か
実際瑞穂が一番恐れたのは敵が防備を固めてこの戦法に出ることであり、荷車要塞は対騎兵、とくにプライドが高く引っ込みのつきにくい貴族や上流階級者の騎兵に対する、なりふり構わぬ平民歩兵による切り札とはなりうるが、あくまでもこの戦法は野戦築城の延長線上。兵の訓練がしっかりしていれば荷車を戦車代わりに攻勢手段として使う運用法もありだが、今のアカツキ偏将新羅辰馬隊における兵員にその練度はなく、攻めの決め手には欠ける。
この半日のうちに何度か動揺を誘う密書や擾乱部隊を送り切り崩しをはかったものの、これらは尽く看破され、危うく密偵が捕捉されかかる。もし彼らが捕まって見せしめに処刑でもされれば、こちらの士気低下は免れないところだった。磐座遷という男は
しかし天は瑞穂にほほえむ。
折しも7月末。空は晴天にして乾天。風は北西で、そして瑞穂たちに追い風。
火攻に格好の状況が整い、あとはどう炎を制御するかだが、ここに炎を操る技に関してならプロ中のプロという男の存在を忘れてはならない。
大将・明染焔。人理魔術使いとしてはほぼ限界レベル、4000度に達する炎を自在に操る男。これまで種々の状況的制約で火炎使いとしての本領を発揮できなかった焔だが、ここで存分、遺憾なく能力のほどを発揮することとなる。
「目覚めたる人間の守護者、マナス(意)勝れたる火天の王よ、天を摩するはいと高き焔、明らけく光輝われらを照らせ! 聖浄なる炎、三界を掃け!
神讃とともに、腕を振って空を薙ぐ焔。
放たれるは神焔。古神の一柱たる火神アグニからの借力は、現存の主神ホノアカの炎にも引けを取るものではない。炎は乾燥した山を一気に飲み込み、中腹一帯は紅蓮に包まれた。
「好機逸すべからす! 全軍突撃です!」
周章狼狽する敵を前に、瑞穂の号令。猛火の中を、アカツキの兵は突進する。真っ向勝負であればともかく、この状況において堅守の名人、磐座遷も守り抜くことは不可能。再起不能に摧された陣を惜しむまもなく追っ手に囲まれ、磐座遷は逃亡を強いられた。先手衆としての遷の個人戦闘力を恐れた瑞穂はこの場で遷を抹殺すべく刺客の勢200を送り込んだが、驚異的なことに遷はこのすべてを退け、傷を負いはするもののヒノミヤ内宮への帰陣を果たす。
戦闘が終結すると焔は、あれだけ猛威を振るった炎を一瞬で鎮火させた。火計が有効な状況で、これほど優位に立てる能力もまずない。
「強行軍! ご主人さまたちに合流します!」
山上の要塞を確保した瑞穂は、すぐさまの進軍を言い渡した。これにより、山上平地における新羅辰馬の勢は辰馬約1800+焔・瑞穂勢約6000、それに老将片倉と姫巫女・蒼依の約600を加えておよそ8400。山南交喙10000に、数の上ではほぼ拮抗する数字で相対することとなる。
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