第40話 3章10話.竜鱗に攀じて鳳翼に附く

 アカツキ西方戦線、三条平野においては、10万単位の大会戦が行われていた。


 守るはアカツキ主力、元帥・殿前都点検・本田為朝ほんだ・ためとも40万。


攻めるはラース・イラ第二騎士団長、セタンタ・フィアン60万。


 兵力差1.5倍。都市の防衛戦ならまだ勝ち目のある数字だが、野戦でこれは相当に厳しい。術策を用いようにも三条平野周辺は特別な要害となる地形もない広大な平野であり、騎兵主体のラース・イラに圧倒的有利。ラース・イラ軍の士気は極めて高く、遠路かけてきた疲弊もほとんど見られない。とりあえず、ヒノミヤ戦線で騎兵突撃を撃破したという12師団師団長、晦日美咲つごもり・みさきが喚ばれその戦術を問われたが、馬防柵を立て、騎兵の突撃力を削いで引きつけ、鉄砲隊の斉射で斃す、という新羅辰馬のやりようを聞いた「誇り高い」アカツキ武士たちは怒り狂った。


「なんだその戦法は!? 落ち武者狩りの土民のやりようではないか! およそ武士たるものの戦い方ではない!」


 将官のだれかが、聞こえよがしに大声を上げた。平民以下、咎人の血を継ぐ美咲が宰相のごひいきであることが妬ましいのだろう、この手の野次には、美咲は慣れたものだ。


「ならば、ひとつ言わせてもらいます・・死ぬなら一人で死んでください」


 あまりに怜悧な、氷を背筋に差し込むような言葉。相手の将官は怒りと屈辱で顔を土気色にし、ぱくぱくと口を開閉させた。


 そして殿前都点検・本田はさすがに百戦錬磨の陣巧者。短く切りそろえた白髭を撫でしごき、薄く瞑目するとうなずく。


「晦日戦隊長の言を容れる。異論がある者は代案を出せ!」


 誰より軍務経験の長い元勲にそう言われては、若手将官の出る幕などない。本田は早速に野戦陣の造営を兵たちに命じた。


「死ぬなら一人で死ね、大した啖呵でした」


 会議の席を辞した美咲にそう声をかけたのは、栗毛を三つ編みにまとめた、少女というか女性と言うべきか、その中間にあるような女性。理知的な顔立ちは十二分に端正、体つきはフラットきわまりない美咲が代わって欲しいほどに肉感的だが、この肢体といいどうにも自信なさげな雰囲気といい、美咲にある少女を想起させるに足る。


 本田姫沙良ほんだ・きさら。21才。元帥本田為朝の一人娘であり、軍学校においてきわめて優秀な成績をおさめた秀才。その軍才は本田為朝自身が「出藍!」とたたえたほどであり、軍学校卒後すぐに分隊長(大尉-西方的にはキャプテン)の地位にのぼっている。ちなみに美咲の「戦隊長」は大佐-コロネル相当であり姫沙良より三階級も上位だが、これは宰相の本田馨綋ほんだ・きよつなから大軍指揮のため便宜的に一時預かりの地位であって正式のものではない。


 というか宰相の本田と元帥の本田、二人とも本田で混乱するが、この二人の間に血縁関係はない。公爵にして宰相の本田馨綱は77才、30年近く前の時点ですでに筆頭宰相であり、その兄・本田馨ほんだ・かおるは30年前の元帥殿前都点検。その当時まだ皇子であった永安帝の目付役として出陣し、永安帝の無理な作戦に振り回されたあげく手腕を発揮できず、奇襲突撃に敗れて戦死した人物。本田為朝はその時期ようやく父から家督を継いだばかりで、馨戦死の時奮闘、大活躍して永安帝の覚えめでたく、戦死して馨の後任として・・とはいえ、若手将官がすぐに元帥となれるはずもなく、10数年間の精勤を必要としたが・・元帥となったことを考えれば、まんざら無関係な血統でもない。そしてこの宰相と元帥は、文治派の首魁と武断派の総領ではあるが妙に仲がいい。だから誰もが最初は、彼らを血縁だと勘違いする。


 そんな元帥令嬢は、実にうらやましげに美咲を見遣り、軽く嘆息した。立場上の息苦しさがあるのだろう、年の近い美咲に気安さを感じているらしい。


「私もあのように毅然とものが言えればよいのですが・・」

「わたしの態度を真似されると無用に敵を作りますよ、希沙良様。御身を大事と思うなら、ひとまず自分を殺しておとなしく過ごされるのがよろしいかと」


 美咲が言いたいように意見を言えるのは後ろに宰相の威というものがあるからだと、自分で自覚している。宰相の子飼いがうっかり卑屈な態度を取ろうものなら宰相府そのものが侮られるわけで、そうならないために美咲はあえて相応の態度を取っているところがある。決して新羅辰馬のように野放図に放言している訳ではなく、あなたには気苦労がなくていいですね、というような態度を取られると少々、かちんと来る。


「それで、つまらない世間話がしたいわけではないでしょう。ご用件は?」


 突き放すように美咲は言う。傾国といってさえよい美貌の美咲が冷たい態度を取ると本当に冷然としたものがあり、姫沙良は気圧される。あまり関わってはくれるなという意思表明の態度だったが、そこは貴族特有の空気の読めなさ、姫沙良は意を決したように半歩踏み出し、朱唇を開く。


「貴方の、斎姫の“加護”を私の隊に、与えてはくださいませんでしょうか?」


 そう言った。


 少し微妙な顔になる。美咲の、人造の斎姫という秘密を知るものはそう多くはなく、また、あまり知られて気分の良いものでもない。極秘裏に接収した過去の斎姫の死体をばらしてその因子を抽出するという行為は生命に対する冒涜、禁忌であるからだ。しかし面前の女性はそんなことはまったくお構いなしに、無邪気に瞳を輝かせて『斎姫の奇蹟』による助力を願ってくる。それは美咲の能力・・加護による力の飛躍的な底上げ・・を受ければ、率いられる部隊は無類の強さを発揮するだろうが。


 普通なら嫌悪を抱くかも知れない無神経な態度だったが、しかし相手が初陣の恐怖と元帥の娘という責任感による重圧、それらをどうにかしようと必死でいることを考えると、なんだか怒るよりもほほえましさを感じてしまう。なんのかんので、晦日美咲という少女は他人に甘い。


 ここで元帥府と良好な関係を築いておけば、ゆかさまの御為にもなるでしょう・・。


 主君のためにと胸中呟いて理由付けし、自分はお人好しではないと言い訳する。


「了解しました。では、希沙良様は第12師の隷下に」

「よければ統帥権は私が握った、ということに、名目上そうしていただけますでしょうか? 私が晦日さまの隷下に入ったとなるといろいろ声が上がるでしょうから・・」


 意外に図々しい。そう思うも乗りかかった船だ、美咲は首肯し、受け入れた。


・・

・・・


 最前線ではラース・イラ第2騎士団長、セタンタ・フィアンが大暴れしていた。


 アカツキの勢が弱いわけでは、決してない。彼らはよく鍛えられ、優れた指揮官の統率のもと統制のとれた動きで敵と渡り合っている。この戦が迎戦であり、侵略軍に対する国土の防衛ということもあって士気は高く、兵站もしっかりと行き渡っていて不安要素はない。


 にもかかわらず。


「せあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁーっ!」


 奔馬躍動。


 赤い鎧の騎士が敵中から突出、日の光を浴びて輝ききらめく長槍をしごいてぐるりと頭上で一回転、ぶんと投げると、大槍は光の速さで空を裂く。銘は神槍ブリューナク。その威力はかすっただけでも必殺であり、数百百人をたやすく薙ぎ倒し、刈り斃す。そして殺戮を果たした神槍は、自動で所有者の手に戻った。


 ラース・イラが誇る「騎士団」の副団長、セタンタ・フィアン。その武威まさに鬼神であった。この男が最前線で武勇を誇り、そしてその効果はただ一武芸者の猪突と言うことに終わらない。最高指揮官が最高に武威を見せつけることでラース・イラの軍勢は士気異様に高く、アカツキのそれを圧倒、全体の戦局をゆるがす。


 また、セタンタという男はただ個人的武芸のみで副団長にのぼった猪ではない。戦機を見通す眼力とそこに戦力を傾注する統率力、この二つにおいて傑出した才能を誇り、もしガラハド・ガラドリエル・ガラティーンという天才が存在しなかったなら間違いなくラース・イラの歴史に最高の騎士にして名将、と名を残したに違いない傑物。その鷹の目が捉えた敵のひるみを逃さず、セタンタはブリューナクを指揮杖にして一斉突撃を敢行した。


 その目の前で、アカツキの工兵が野戦築城。陣を作るだけの暇は当然無く、馬防策だけ応急的に建てる。


 関係ない、そう断じてセタンタは突進。


 ラース・イラ主力の前に、馬防柵を挟んでざっと並べられる、アカツキ銃兵隊。


「撃ーっ!」


 ドドドフッ、パパァーンッ!!


 風嘯平の再現。なぎ倒されるラース・イラ勢。しかし半数が斃されても、セタンタは残り半数を率いて一切突撃の威力を殺さない! 馬防柵ごと突破、銃を捨て抜剣するアカツキ武士団を、無造作なほど簡単に狩り殺す。


「っハァ! 鉛玉でこのセタンタを殺せると思わないことだ!」


 獰猛に吼えるセタンタだが、突破するのに兵力を損耗したのは事実。ひとまずここに陣を移し、後続の兵員が集まるのを待つ。


 ともかくとして、これにより最前線の橋頭堡の一つが、ラース・イラに奪われることとなった。


・・

・・・


 その頃、ヒノミヤ山上野戦陣。


「うし。そろそろいーか・・反転、突撃ーっ!」


 兵を収束させて北げる1800、それを追う6000の先端1000ほどが先走って分断されたのを見て取った辰馬は、すかさず軍を反転させた。自ら先頭に立ち、突撃をしかける。優位をとったからと正面から挑まない。あくまで側翼、防御の弱い左手がわに回り、正攻法より擾乱を用い、自軍を一極集中、敵軍を各個撃破。


 その慎重謹慎な戦ぶりは新羅辰馬という少年の性格にそぐわない感もあるが、実のところ辰馬らしいとも言える。新羅辰馬はあくまでも「誰一人として殺したくない」というのが考えの基盤にある甘ちゃんであり、これまで女神サティア、竜の魔女ニヌルタという難敵を相手にしても、敵を殺すということを可能な限り避けてきた。今回戦争という状況で殺戮を避けられないにしても、せめて味方の被害は最小限に抑えたい。


 まず敵衆20000中の先鋒隊6000、さらにその最先陣1000を壊滅させた辰馬は、大輔たちに略奪暴行の禁止を厳命して将几・・なんてものはないから、幕舎に置いたパイプ椅子にぐたりともたれる。


 あー疲れた。疲れる・・。こんなん神経すり減るって・・おれに軍人は無理だな。将来、軍人だけは絶対いやだ。


 将才がある=将帥に向く、というわけでは必ずしもなく。新羅辰馬という少年は根本的に優しすぎて神経の細いところがあり、軍指揮官向きとはいえない。本人もその道をまったく望むことはなかったのだが、後世、アルティミシアの歴史上最大最高の君主にして将帥と言えば誰もが間違いなく赤帝・新羅辰馬の名を挙げることになると今の彼に伝えても信じることはまずないだろう。


 とはいえ先のことはさておき。


「瑞穂もしず姉もエーリカもいないとなると、えらい味気ないな・・」

「女が欲しいなら世話しますぜ、新羅公。なに、お代はいりません。あとで神楽坂先代斎姫猊下を自由にさせてもらえればもう、いくらでも」

「させるわけねーだろぉが、ばかたれ! 殺すぞお前!」


 瑞穂への執着を隠そうとしない長船言継おさふね・ときつぐに、辰馬は強い視線を向ける。長船は悪びれることもなく、平然とその眼光を受け止めた。


「つーか気になってたんですよ。あんたが神楽坂猊下・・いや、瑞穂をそばに置く理由」

「あ?」

「そりゃ、瑞穂はあの器量とあの身体だ、大概の男なら簡単に溺れるでしょーが・・あんたのそばの女はどれも、器量というなら瑞穂より美人だ。半妖精の剣聖しかり、つ国の姫君しかり。なのにあんたの一番の寵愛は瑞穂にある。どーいうことですかね?」


 三白眼をぎょろりと剥いて、長船は辰馬を誰何する。


 そんなもん知るかと辰馬は思ったし、そう答えるほかにない。実のところ別段な理由などなかったのだから、ほかに答えようがなかった。


「理由が言えねぇ程度のもんなら、あの女、俺にくださいよ」

「お前にはあんのかよ、理由が?」

「まあ、ね」


 長船は薄く酷薄に笑う。長船という男が瑞穂に執着する理由、それは瑞穂のもつ奴隷気質・・殴られ蹴られ罵られ、貶められることで輝くマゾヒズムと、それを支配して満たされる長船自身の昏い征服欲のゆえであり、歪んではいるが確かにこの男はこの男なりに、瑞穂を愛してはいるのだった。


 長船が心底を吐露したならば辰馬としては「その愛情の形は認められない」と突っぱねられたかも知れないが、あくまでも自信ありげに笑って見せただけの長船、その自信に対して拠って立つものを、辰馬は持てず、揺らぐ。


 おれが瑞穂を・・好きな理由・・?


 ここは戦場で、今考えることではないのかも知れないが。あるいは今考えなければ深く考える機会のないことかも知れなかった。


 可哀想な事情を抱えているから。


 違う。


 母アーシェにかぶるから。


 これも、なんか違う。


 ・・まあ、なんだ。


「落ち着くから、かな」

「あ゛?」

「あいつがそばにいると落ち着く。気が楽になる。ほかに理由とかいらねーわ。おれはあいつがそばにいてくれねーとどうしようもない。・・いやまあ、それはしず姉とかエーリカ相手でも同じ事で、瑞穂が特別ってわけでもないが・・ま、そーいうことだから、お前にもほかの誰にも渡さん。手ぇ出したら殺す」


 神楽坂瑞穂、牢城雫、エーリカ・リスティ・ヴェスローディア。結局のところ新羅辰馬の人格の根幹は、この三人に依拠する。本人を前にしてお前が必要だとは恥ずかしくて絶対言えないところだが、彼女らがいないと人として立ちゆかないぐらい辰馬は瑞穂たちに依存しており、彼女らを奪われると考えただけで拒絶反応が出るほどだ。つまるところ新羅辰馬という少年はあまり事物に執着しないようでいて、いざこだわる相手には独占欲が異常に強い。


 辰馬の視線と、長船のそれが中空で絡み合い、火花を散らす。


 なんか憑きものの落ちた顔してやがるが・・。瑞穂の身体に肉の悦びを刻んでやったのはこの俺だ。純愛気取ったガキに、現実の厳しさをわからせてやるよ。女は愛情なんかより、男の手管になびくもんだってことをな・・。


 長船は心にごちて、視線をそらした。


「ま、了解しました。そんじゃ、次のを考えますか。まず1000を覆滅して、敵は残り19000。こっちはほぼ無傷の1800」

「あぁ・・このくらいの兵力差、歴史上の名将なら簡単にどーにかするところなんだが・・、おれには才能がないからな、頼むわ」


 心底そう思っての言葉に、長船は愕然と瞠目する。


 このガキ、本気・・らしいな、とんでもねぇ。


 自分の才能に無自覚な天才にひがみに似たものを覚え、しかしそれ以上に「この少年を育ててみたい」という自分らしくもない思いが、長船言継の心中に去来する。後世多くの人材が口をそろえて言い残す、「新羅辰馬という人には本当に、『おれが支えてやらないと駄目だから』と思わせる不思議さがあった」という魅力に、長船もが絡め取られた瞬間であった。


 このガキが竜なら・・竜鱗りゅうりんじて鳳翼ほうよくく・・ってこともありなのか?


 長船は自分が玉座に座す辰馬の師父として立つ未来を幻視して、かつてない興奮を覚えた。もしそれがありえるならば、なんという誉れか。


 よし。


 長船はその未来を現実にするべく力を尽くすことを決める。


 まあ、瑞穂のことはまた別だが。


「この近くに崖があります。そこに敵勢を落としましょう」


 そう進言する。この策の残酷さに辰馬が渋るとしても、自分が辰馬をして勝たせるために働く、そう決めた。

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