第6話 散華の斎姫-2.手折られる花

 6月13日


 一夜明けて。


 私室で夜を徹した瑞穂は強い眠気と自己嫌悪の念にとらわれていた。敵を倒す、それを考えるにつけ、自分がどこまでも浅ましく汚い手段を考えつくことに、どうしようもない厭わしさを感じる。


 私室で茶を点て、一服、きっしてから斎姫の正装、神衣かんみそに袖を通す。この神衣、デザインは可愛いのだが、どうにも露出度が高い。瑞穂はどうしてもと譲歩を引き出してインナーを下に着ることを内宮府の歴々に認めさせたが、歴代の斎姫は下着無しでこれを着ていたというのだから恐ろしい。瑞穂はインナーがあっても恥ずかしさで死にそうなほどだ。胸が小さければまだしもかもしれないが、彼女のの華奢な身体は局地的に121センチととてつもない巨大さを誇り、上半身を覆い隠すはずの比礼ひれ=肩から胸にかけてかけるケープのようなものが思い切り押し上げられているのがどうしようもなく恥ずかしい。


 神楽殿に向かうと、ほかの姫巫女四人の姿があった。


 凜然と立つ長身の、黒い巫女服に藍色の横ポニーテールの、目元涼やかな少女が、神威那琴かむたけ・なこと。武威の名門、神威家の嫡女で巫女の2位である少女は、その凜々しさから瑞穂とヒノミヤの人気を二分する。神官、司祭らの男衆に人気が高い瑞穂に対して、那琴の人気は巫女や宮女ら女性たちに集中しているが。一つ年下の瑞穂が6才で神楽坂家に迎えられて以来の幼なじみであり、両者の仲は親友と言っていい。少なくとも瑞穂の認識はそうである。


「瑞穂、おはよう。ふふ、今日も可愛いな、きみは」


 男装の麗人然とした那琴は、そう言うと瑞穂の腰に腕を回し、抱き寄せるとくい、とあごを掬い上げる。たぶん冗談なのだと思うが、瑞穂へのこうしたスキンシップから、二人の百合疑惑がヒノミヤのあちこちでまことしやかにささやかれているのは確かだ。


「はいはい、なこちゃん、冗談はほどほどにね」


 瑞穂はそう言って、那琴の腕からすり抜ける。


「冗談ではないのだが。・・そういえば、お父上が倒れられたそうだな。苦衷くちゅうお察しする」


「うん・・」


 答えながら、那琴を疑っている自分を瑞穂は嫌悪する。なこちゃんまで疑ったらどうしようもない、とは思うものの、感情とは別のクレバーな部分が、否応なく那琴を被疑者の一人に思わせた。


「おはよ~う~、みずほちゃ~ん~♡」


 間延びした声でぽや~ん、と声をかけてきた、栗色の長髪に金環を嵌めた女性は四位、沼島寧々ぬしま・ねね。姫御子の中では才年長の20才だが童顔で、実年齢よりかなり若く見える。袖やらなんやらにフリルをつけまくった薄ピンクの改造巫女服は彼女がヒノミヤの広報戦略担当として、言うなればアイドル活動をしている証拠だ。瑞穂のファン、那琴のファンとはまた別のファン層を確立していて、ヒノミヤ外の太宰市民、というかアカツキ国民にも、それなりに周知されている。齋姫という国の象徴である瑞穗には、当然及ぶべくもないが。


 いつでも笑顔の寧々を、瑞穂は1秒だけじっと凝視する。「?」と首をかしげる寧々。業務用なのか本心からの笑顔なのか判然としない表情から、彼女が敵か味方かは判別しかねる。神力を使えば分かるだろう。瑞穗のもつ二つの能力のうち一つはサトリ。人の思考を読む力。それをもってすれば考えなど簡単に読めるが、これはプライバシーの問題に抵触し、モラルの高い瑞穗がそうそうは軽々に使えない。


 寧々に挨拶を返して次の相手は五位、鷺宮碧依さぎみや・あおい。瑞穂より2才年長の17才。名前の通りに碧い長髪をハーフアップに結い上げた、飄々とした雰囲気の美少女だ。もともと流れの武芸者であり、神楽坂相模の推存すいぞんでヒノミヤの巫女となって頭角を現した。ヒノミヤ屈指の剣客であり、剣腕は上級監査官・磐座遷いわくら・うつると互角。速度を利した剣技は一刀と二刀の違いこそあれ、【剣聖・牢城雫の再来】といわれる。


 こちらも見させてもらうものの碧依は他者からの干渉を受けず、他者に干渉もしないタイプであり、瑞穂も進んで人に踏み込む人間ではないのでもともとそう親しくない。いきなり虚実を探るにも情報が足りなかった。


 そして。


 最後の一人。間違いのない敵対者。


 三位、磐座穣いわくら・みのり


「おはようございます、神楽坂さん」

「は、はい・・おはよう、ございます・・磐座さん・・」


 なにごともなかったかのような顔で平然と声をかけてくる穣に、瑞穂は硬い声と態度を返す。喉がヒリつき、吐き気がした。瑞穗の部屋で息を吹き返した少女……本名か偽名か分からないが、晦日美咲つごもり・みさきと名乗った……からの話によれば、美咲を追い立てるべく精鋭集団『先手衆さきてしゅう』をけしかけたのは穣その人だという。にもかかわらずのこの平然ぶりに、瑞穗はうすら寒いものを感じた。


 年は那琴と同い年で瑞穂より1才年長、16才だが、那琴のようにクールな雰囲気ではない。背丈も低めで、どちらかといえば瑞穂や寧々のような、男受けがよさそうな容姿であり、この可憐な顔で人を害する謀計を駆使するとはてとても思えない。しかし瑞穂は彼女がどこまでも怜悧冷徹な謀主ぼうしゅであることを知っている。過去に彼女が陥れた人間を、何人も見てきた。


 おそらく磐座さんが、お義父さまに毒を盛った主謀者、あるいは主導的関与者・・。


 そう考えると震えが来る。人を殺す、それを躊躇なく人に指示することの異常性を思い、自分とはかけ離れた精神構造に恐怖する。どちらが正しいとか間違っているとか、くだらないことを言うつもりはない。穣には穣を動かす正義があり、どうしても相模を除く必要があったのだろう。ただ瑞穂としては自分とは違う精神性、異質性に自分は勝てないと恐れを抱くのみだ。


 しばらく会話を交わしたが、ほとんど何を言ったか覚えていない。


 ただ、声や目つきの端々から、相手が自分たち神楽坂派を本気でつぶしにかかっていることは、否応なく理解させられた。


 その夜。


 五十六翁を弾劾して大神官位を剥奪する・・けれど、本当にほかの手はないのでしょうか? 人間同士、ヒノミヤの神職同士で相争うなんて、ばかげているのに・・


 私室で思索に耽る瑞穂の耳朶を、ノックの音が喚び覚ました。折りたたみの木椅子から立ち上がった瑞穂がドアに向かうと、瑞穂が開けるより先に、外からドアがぶち開けられた。


「っ!?」


「叛徒、神楽坂瑞穂。令により貴女を拘束する。ついて来られよ」


 目の前で吹っ飛んだドアに驚き目を白黒させる瑞穂の面前に大神官印璽だいしんかんいんじを押印された令状をつきつけ、そう言ったのは、大神官・神月五十六の直属【先手衆さきてしゅう】を従えた五十六の筆頭大将、磐座遷いわくら・うつるだった。

  

・・・


 大神官印璽だいしんかんいんじを掲げながら、宝剣の鯉口こいくちに手をかける金髪の青年、磐座遷いわくら・うつる。穣の兄であり、大神官・神月五十六直属ののヒノミヤ実働部隊【先手衆さきてしゅう】の指揮官である。長髪の美形であり、優しげな雰囲気と物腰からヒノミヤの神職女子たちに人気を誇るが、五十六の命令であればどんな汚れ仕事も遂行する冷徹さを持つ。背後に続く長船言継おさふね・ときつぐ兼定玄斗かねさだ・げんと長谷部一幸はせべ・かずゆきらはヒノミヤ屈指の無頼漢として腕は立つものの御しがたいならずものたちだが、それを見事に統率していることからも彼の能力のほどは知れる。


「来ていただきましょうか、斎姫・・いえ、叛徒・神楽坂瑞穂」


 遷は感情のない硬質な声で、そう迫る。


 瑞穂としてはしてやられた形だった。五十六の罪を暴き、斎姫の名をもって弾劾する策、それを躊躇している隙に、逆手を取られ先んじられた。自分の見通しの甘さに歯噛みしたい気持ちに駆られるが、どうしようもない。だがここで捕まってやるわけにも行かない。じり、と下がる。


「ひぃ~めさまぁ~? 顔色がわるいですよぉ~? ・・ってなぁ、へへ、なぁに下がってんだよ、このクソガキがよォ! 今までさんざん俺らを見下してくれやがって、今となっちゃあお前が罪人なんだよ、オラ、頭ァ地べたに擦りつけて、謝罪して見せろよクソメス豚がァっ!」


 瑞穂が下がったぶん、巨漢の兼定が前に出た。ごいつ巌のような身体を無遠慮に迫らせせ、下卑た邪悪な笑みを顔に張り付かせながらに汚い言葉を吐きつつ乱暴な手つきで瑞穂の紫発をわしづかみにしようとする。


「っ!」


 瑞穂はつかみに来た長船の腕を、下から内から外へ、円弧を描く腕の動きではじく。そのまま捌いて投げに持ち込もうとする。諸般の事情でどんくさくはあるものの、一応体術の心得はある。といつても一番の得手は弓であり、それとてし到底達人の域には遠く、そして態度は野盗か山賊そのものだが兼定はいちおう、一流の神官戦士。はじかれながらも体勢を立て直し、瑞穂につけいる隙を与えない。


「お? おぉ~? なに? なに反抗しやがってんの、お前、罪人の分際がよォ? 磐座体調ぉ~? このクソ豚、抵抗の意志ありですぜぇ。ちょっと懲罰の必要ありじゃないですかねぇ~?」


 そう言って弄うようにいやらしく笑んで見せたのは、先手衆№2、長船言継おさふね・ときつぐ。長船という名前からおわかりいただけるかどうか分からないが、かつて16年前、ルーチェ・ユスティニアと最初に遭遇したアカツキ京城柱天ちゅうてんの門衛、長船奉也おさふね・ともなりの息子である。軍学校を簡単すぎてつまらんとやめた当時の青年、それが現在、先手衆の№2としてヒノミヤの上級神官兵をやっている。まだ36才だがすでに完璧なまでの若白髪で、美形と言って言い顔立ちながら表情は野趣に富み、そして顎先には剃り残しの無精髭。目つきはやや三白眼であり、睨むと異様な迫力があった。


 わざとケンカを買わせて正当防衛成立を主張する、じつにゴロツキのやりようだが、このやり方が横行するのはそれだけ有効性が確立されているからだ。手垢がつくほど繰り返し使われる手法というのは、使われるだけの理由がある。実際瑞穂は叛徒認定を受けた上に捕り手に反抗したと言うことで、状況的・心理的に窮してしまっている。


「磐座さん! わたしは無実です! 真に罪科つみとがあるのは五十六翁で・・!」

「あなたにとっての真実と、私にとっての事実は違うのです。私にとっての真実、私にとっての正義はあくまで神月閣下が定められること。閣下がそれが正しいと言えば白を黒と言うことに躊躇ためらいもございません・・これ以上の問答は無用。やれ」


 それでも良心の呵責はあるのか、遷はやややるせなげに目を伏せるが、配下の3人はそんなことお構いなしだ。雲上人の齋姫、それをいたぶり、凌辱できる大義名分を得て、その意気は天を衝かんばかり。


「っハァ! そーでなくちゃーなアァ! さぁ、ブチのめして這いつくばらして踏みつけて、ズタズタのぼろ雑巾になるまで可愛がってやるよぉァ! うら、抵抗するだけ抵抗してみな、姫サンよぉ!」


 瑞穂の嘆願を淡々と突き放す遷に、許しを得て瑞穂の周囲を囲む長船、兼定、長谷部の三人。長船はニタリと笑って挑発するように手招きし、短髪赤毛の巨漢・兼定は鉄鋲で補強された六尺棒を構える。優男・長谷部も拳法の構えをとった。


 最初は長谷部。五指を開いた貫手ぬきてが、遠慮も容赦もなく瑞穂の目を狙う。瑞穂はかろうじて体捌きで躱すも、瑞穂の回避先を予測していた兼定の六尺棒が吸い込まれるように着地点を狙う。脇腹に突き出される棒の切っ先を、身を捻ってまた回避。鈍い瑞穗がこの二連撃を回避してのけたのは密かに使った身体強化の神術によるが、それでも所詮、瑞穗の力をいくばくか強化するに過ぎない。二の太刀も回避されたところに、三の太刀。満を持して、長船の拳。上からたたきつけるように打ち下ろす拳。


 実力に勝る相手に、多勢のコンビネーションをもってかかる。これはなんら卑怯でも不名誉なことでもない。200年ほどまえ、桃華帝国とうかていこく王朝の嘉叡かえい年間に活躍した将軍・李君錫り・くんしゃんくはこの戦術の天才でそれまで猛威を振るった沿岸地域の海賊を討伐し功績を挙げたし、彼が記した兵書【嘉叡新書かえいしんじょ】を研究したアカツキの民兵出身将軍、南部朧紀なんぶ・ろうきはこの戦術を発展改良、禁裏守護の【護陵隊ごりょうたい】を組織して賊徒を粛正し、戦果を上げた。この戦法は弱が強に勝つために確立された立派な戦術であり、重ねて言うが卑怯でも不名誉でもない。戦士にとって最大の不名誉は敗北であって、極論、勝つためならなにをしてもいいとさえ言える。


 かわせない、そう悟った瑞穂は瞬時に神力を練る。内在する大きな力【潜力せんりき】を、発現する小さな力【顕力けんりき】に変換、変換したぶんをすぐさまに消費して、力をふるう。


 直後。長船の必殺の拳は、豪快に空を切る。空間がぐわん、とえぐれるほどに強烈な拳の直撃を受ければ瑞穂はただで済まなかったはずだが、一瞬前まで瑞穂がいたはずの空間に瑞穂の姿はない。その身体は室内から忽然と消えていた。


「逃げた、か。それほど遠くには行っていないはず、探せ!」

「「「応ッ!」」」

 瑞穂の転移術式をすでに認知している遷は、慌てない。あの術で転移できる距離は数メートルから百メートルというところ、そして借力法(顕力を精霊、神や魔神に献じて奇跡を行う術。「力を借りる」ために借力法という)である以上、転移した直後は消耗で動けないはず。


・・・


 遷の読み通り、瑞穂はかなり大きく消耗していた。緊急事態ということで、神域の上位存在が要求する顕力は普段よりも大きく、つまるところは足下を見られた。それでもあの場で長船の一撃を食らっていれば終わりだったのだから助かったことは確かだが、消耗で手足がまともに動かせないほどの状態にあった。瑞穗と繋がる神域の上位神霊……アカツキの主神ホノアカよりはるかに上位、アルティミシアの創造神グロリア・ファル・イーリスと対等の、創世の力を持った存在……は、吸えるときに瑞穂の力を吸い取れるだけ吸い取るという、貪欲な意志を持っており、そのため瑞穗の消耗はすこぶる大きい。


とっさのことで座標の指定が間に合いませんでしたが……ここは……?


 瑞穂はかろうじて動かせる首を動かして、周囲を見回す。薄暗い、湿った狭い部屋。なにやら物々しい、瑞穂には用途のわからない道具がいくつも散乱しており、室内と室外を隔てる間には頑強な鉄格子が嵌められている……牢屋ろうおくだった。


 ま、さか……。よりにもよってこんな場所……


 瑞穂はなんとかしてこの場を脱しようとする。神力を振り絞ろうとするも、上位存在との精神交感を阻害する力場が働いているらしくこちらの呼び声が届かない。


 これは、封神結界……!?


 封神結界、神具【封神符】によって展開される、ある区切られた範囲の空間における神力魔力の行使を妨げる結界。ヒノミヤには自衛のためとしてこの貴重な神具が潤沢にあり、そのひとつを使った場がこの部屋であるらしい。この中では、瑞穗は翼をもがれた鳥も同然。


 瑞穂はこの転移を偶然の事故と考えたが、実際はそうではなかった。朝の神楽舞で五人の姫巫女が集合したあのとき、挨拶に紛れて穣は仕込みを済ませ、瑞穂が転移術式を発動させたならここに飛ぶように細工を施していた。穣が直接に仕込んだのであれば瑞穂は気づいただろうが、親友・那琴にそれと知らず転移座標を指定する呪具を持たせ、那琴が瑞穂をハグしたときに「偶然」那琴から瑞穂に渡るようにしたことまでは、瑞穂も那琴も気づけなかった。


 ただ気ばかり急いてどうしようもない状況に、各所を探索し尽くした先手衆と、彼らに護られた老人と少女・神楽坂相模かぐらざか・さがみ暗殺未遂の首魁、神月五十六と磐座穣がやってくる。


「これはこれは・・自分から牢に入るとは・・。くく、さすがは皆の範たる齋姫、咎人とがびとに落ちても模範的な態度でありますな」


 巫女としての清廉な居住まいはどこへやら、淫靡いんび媚態びたい撓垂しなだれかかる穣を侍らせ、瑞穂の姿を認めた五十六は勝者の余裕で仰々しく言い放った。鍵を開けて入ってくる男たちに、瑞穂は本能的な恐怖に脳髄を萎縮させる。しかし身体のほうはまったくもってぴくりともしない。逃げなくては、逃げなくては。そればかり思い、恐怖がとめどなく、涙があふれる。


「ゆ、ゆるして・・ください・・わたしの、神楽坂の負けです・・、神月さまの軍門に下ると誓います・・ですから、もう許してください・・」


 気づけばそんな情けない命乞いの言葉が口をつく。その敗北宣言に、五十六は会心の笑みを浮かべた。


・・・


 その思いは50年以上前、少年時代までさかのぼる。


 神月五十六は玄道三宗家の末席、神月家の嫡子として生まれた。


『呪術の神月』の当主たるべく育てられた五十六には優れた才能があった。神官としての学識と霊力、そして呪具の扱いに関して、比類なかった。彼は自分を選ばれた天才であると任じ、優れた人間は劣った人間を支配し、導いてやるのだという思想に浸った。


 それが瓦解したのは1761年、五十六14歳の時。五十六は神楽坂家の次期当主、神楽坂相模という『本物の天才』と出会う。当初五十六は相模に張り合おうとしたが、相模の才能はあまりにも隔絶していたため、すぐに競争を放棄した。五十六は相模の中に理想の指導者の姿を見て、彼を王としてその補弼の宰相となることを望んだが、五十六にとっての不幸は相模が自分の思想に共鳴しなかったことである。相模の考えは友愛と協調であり、他者を支配する選民思想とは全く、相容れなかった。ために両者は親友として交友を続けながら相手を理解しえぬままに数十年を過ごす。


 五十六は相模と神楽坂の血族を越えるべく、自分の血を濃くすることに邁進、三宗家の次席でありながら勢力的に落ち目となっていた神威かむたけ家の娘・皐月を妻に迎え、嫡男・戒理かいり、次子・伊緒いおをもうける。戒理は五十六を満足させるだけの才能を満たさなかったため愛情をそそがれることがなかったが、伊緒は才能優れ、五十六の期待を受けた。


 改めて神威の養子に出された伊緒は、ちょうど『魔神戦役』のおり、細君との間に一子・那琴をもうける。この那琴が非常に優秀な素養……聖女の資質……をもっていたために、五十六は狂喜乱舞する。相模には子がなかったために家を保つためには養子を迎えるほかなく、五十六は出来損ないの戒理の子を神楽坂に入れて三宗家と12神官家を支配する算段になっていたが、那琴が6才のとき、相模は貧民街区でスリをしていた一人の少女を『英気あり』と養子に迎えた。これが瑞穂である。


 瑞穂はオドオドした少女だった。スリをして日々の糧を稼いでいたというからどれほどにふてぶてしい娘かと思えば、滑稽なほどに人の顔色をうががい、日々を怯えて過ごす子どもだった。


 にもかかわらず。


 五十六は初対面にして瑞穂に圧倒され、絶望的な敗北感にうちひしがれる。


 それほどに瑞穂の神力の内在量……潜力は凄まじかった。顕力に関しては修行を積んでいないために顕在化した力はまだ未開花だったが、開花したときどれほどのものになるのか想像もつかない。それこそ現人神といっしまっていいほどの、絶大すぎる力だった。


 五十六はそれまでにまして那琴を厳しく鍛えた。那琴も瑞穂に負けまいと必死に応えたが、やはりあまりの才能の差は埋めることができなかった。日に日に、瑞穂と那琴の間の神力差は顕著なものとなっていった。そして1616年春1月、瑞穗はヒノミヤの神官・大神官による評議会においてほぼ満場一致で齋姫に就任する。


 もはや尋常の手段で瑞穂を押さえること……つまり相模を制すること……は不可能と知った五十六は、非常の手段に訴える。どんな手を使っても神楽坂を絶やせと磐座穣に命じ、命じられた穣は神楽坂家の使用人を買収して相模の食事に毒を混入させる。相模が死なず、昏睡したことに五十六は穣を叱責したが、穣にとってはそれすら想定内。相模だけでなく瑞穂もまとめて葬るためには、瑞穂にこちらをあえて嗅ぎ回らせる必要があった。


・・・


そして穣の読み通りに。


 瑞穂はこうして五十六の前に倒れ伏し、そして惨めに敗北宣言している。


「ふふ、かははははははっ! こんなに胸がすくことがあるとは思わなんだ! 惨めよなぁ、瑞穂! そら、もっと卑屈な命乞いを聞かせてみよ! ワシを満足させてみよ、死にたくなければ斎姫の誇りも、矜恃も、人としての尊厳も、すべて捨て去れ! つまらんプライドにすがるようなら殺す!」


 五十六は歓喜し、喜悦し、哄笑し、動けない瑞穂に近づくと脚底を頭に、背中に打ち下ろした。69歳の老人とはいえ、ただの老人の踏みつけではない。日々鍛錬を欠かさない、武道練達の69歳である。その足刀は本気ならば氷柱を断ち割れるほどのものであり、それがわかるだけに瑞穂の恐怖のほどは凄まじい。瑞穂の意志は早々にヘシ折れ、およそ人としての誇りがかけらでも残っていれば口にするのをはばかられるような、惨めきわまりない媚び諂いの言葉を、瑞穂は息の続く限り並べ立てた。


 それからの時間は瑞穂にとって悪夢そのものだった。命と誇りを天秤にかけた結果、命を選んだ……もし相模の命という人質がなければすこしは気概を見せたかも知れないが、反抗すれば相模を殺されるかもという恐れは瑞穗の心から一切の抵抗力を奪った。五十六に命ぜられるまま自ら裸踊りを披露させられ、五十六たちにじっくり、たっぷりと嬲られた上、69歳の老人の肉竿で貫かれ、15年守ってきた処女を無惨に奪われた。泣くことすら許されず、笑え、と命ぜられて激痛の中で笑顔を作らせられ、そして膣内に出してくださいと懇願すらさせられて無責任な射精を何度も何度も受けた。


 五十六は自分が終わると先手集の連中に瑞穂を犯させた。長船が、兼定が、長谷部が、一度に瑞穂を陵虐した。一番瑞穗に執着したのは長船で、この男は何巡も何巡も、繰り返しやってきては瑞穗を犯した。穢れを知らなかった少女の身体はたちまちに汚辱にまみれ、瑞穂は泣き狂い許しを請うたが、それは男たちの獣欲をあおるだけの効果しかなかった。それから3日3晩、瑞穂は五十六とその配下の神官戦士数千人による陵辱を受けた。その中には人間ですらない、五十六の式として使役される、醜悪な鬼の姿すらあった。


・・・


 16日。


「ぁ・・う・・くぁ・・ぅ・・」


 すっかり憔悴した瑞穂は、男たちの飽くことない欲をひたすらにぶちまけられる道具にとしてのみ、生きることを許されていた。五十六にしてみれば約束は守った、ということだろう。命は助けてやったのだから詭弁的だが、約束は破っていない。


 また新しい男がやってきて、瑞穂の中に無造作に肉竿を入れた。巨大な肉こぶに内側を刮がれるような激痛に瑞穂はたまらず甲高い喘ぎを上げるも、それは男を喜ばせることにしかなかず、男は大喜びで腰を打ち付けてくる。また穢される、3日にしてそのことに抵抗すら少なくなってしまった自分にどうしようもない嫌悪感を覚えるも、しかし死を選ぶことが出来るような狂性に身を任せることも出来ない。


 1時間ほどして、男が「うっ」とうめいて射精していく帰り際、こう言った。


「お前の親父、処刑されたぜぇ・・生きたまま寸刻みだ。くく、かわいそうになぁ、大逆人の罪人娘は、哀れ贖罪しょくざいのために性処理便器に・・ぅおぉぉ!?」


 男の瞳が、恐怖に見開かれる。


 上位存在と人間のつながりを阻害する、牢屋の力場。これがある以上、瑞穂はただの惨めな小娘でしかないはずだった。


 それが、今瑞穂が身のうちから放つ力は。


 顕力ではなかった。


 自分の中にある潜力を直接、引き出して使っている。変換もしていないし、上位存在への「奉納」もしていない。


 今の瑞穂は巫女ではなかった。


 現人神。人でありながら、神であるもの。


 瑞穗の本来持つ二つの力、一つは心を読む力、サトリ。そしてもう一つ。それが今発現しつつあるもの。


 トキジク。


 それすなわち時間を操る力。瑞穗の無意識の意思が、この牢屋一帯の時間を瞬間にして数千年分、強制的に進ませる!


 轟っ!!


 光の暴嵐。瑞穗に突き入れた最後の男は、ひからびるどころか砂のような微細な粒子に溶けて消滅した。周囲一帯の空間も、それまでの重厚荘厳は廃墟の遺跡ででもあるように朽ち果てた。人も建物も、時間という圧倒的で人知の及ばぬ力の前に、おかまいなしで消し飛ばされた。かくて解き放たれた瑞穂は、うつろな瞳に涙を浮かべ、転移魔術を発現して虚空に消えた。


 知らせを聞きつけ、遷を護衛に牢屋に駆けつけた五十六は現場の惨状に愕然とし、報復に震えた。甘かった。神楽坂家への溜飲を下げるためとはいえ、神楽坂瑞穗という娘は生かしておくべきではなかったと、後悔するも遅い。


「計画を速めるぞ。あの娘が戻ってくるより先に、この国を掌握する……瑞穂よ、お前の居場所はもはや、この国にはない……!」


 遷に命じて、ついで遠く彼方の瑞穂に向け、呟く。この呟きに込められた宣言が、アカツキを震撼させることになる一大クーデター事件「ヒノミヤ事変」の始まりだった。


・・・


 気がつくと瑞穂は洞窟の中にいて、山賊にのし掛かられていた。先ほどまであった全能感は、今は消失している。やに下がった笑みを浮かべ巨大な乳房を揉み捏ねてくる山賊たち、を見上げて、瑞穂は恐怖よりむしろうんざりしたものを感じた。


 また、同じ目に……


 もう絶望すら感じないほどになれてしまっている。どうとでもしてください、と思った。


 望まぬ行為、だがもう嫌悪感すらわかない。瑞穂の心には世界への絶望と、五十六への濁った憎悪だけが残り、ほかはなにもなかった。


 神月五十六……お義父さまの仇……。かならず、殺します、貴方だけは許さない……力が、要ります。あの男と、ヒノミヤを覆す力が……。


男の愛撫にまったく反応せず、思案している瑞穂。男はなんとか瑞穂に声を上げさせようとして、無駄な努力と悟ったのか諦めて挿入してくる。3日で1000人以上を受け入れ、なお処女と変わらぬ瑞穂の具合に、男は法悦にとろけた顔に成り、瑞穂を立たせて背を壁に押しつけると腰を使い始めた。


 それと同時に。


「邪魔すんよー」

 透明に澄んだ、中性的な、高いが甲高くはないハスキーボイスが、場に響いた。山窟の入り口に、四人ほどの人影があるのを、瑞穂は見た。


 先頭に立つのは164,5センチの銀髪緋眼の少年? だった。疑問符がつくのはあまりにもその容姿が美しいからだ。緑と茶色基調の法衣めいた学生服のような衣装を纏ったその少年は、髪型がショートで、目つきと顔立ちがやや精悍……というか勝ち気な感じであるために男だろう、と思ったものの、あの顔立ちだと女でも十分に通る。それも絶世の美女として。


 赤は瞳は魔族の血を引く証明だが、どうにも怖くない。ぼんやり、ぽやーとした雰囲気があり、どうしようもなく山賊に挑もうというふうに見えない。


「な、んだぁお前らはあぁっ!?」


 山賊の一人が、驚きと畏怖と陶酔が入り交じったような声を上げた。威嚇するように腕を振り上げ……その身体が、ぽーんと水平に吹っ飛んで岩壁にたたきつけられ、ごろんとくずおれる。


 なんだ、どうしたと洞内のそこみかしこから集まる山賊たち。その数100人近く。それに対する4人、絶体絶命のはずだが、誰一人として焦ったふうがない。


 美貌の少年は「はぁーっ」とため息をつくと、まとめ五色のたまで束ねて横に垂らした髪の房をかるくいじりながら、口を開く。


「そーいうテンプレ通りのザコ台詞いらんから。ま、いーや。おれの今月の食費のためにとりあえずやられろ。……んじゃー、行くぞ-、お前ら」

「応ッ! つーか新羅さんが一番やる気なさそーなんすけど」

「まあ、辰馬サンだからなー」

「いつものことでござるよ! 賊ども、とくと見よ我が忍法!」

「いやお前のって法術じゃん」

「違う! 忍術でゴザル!」

「それもどーでもいーわ。キビキビやれー、ちゃっちゃのぱっぱで終わらせるぞー」

 脱線しかかる仲間たちを美少年が統率して、

 そして


・・・


 百人の山賊は4人の猛者によって、あっけなく壊滅した。


 忍者と名乗る小太りメガネの少年は、仲間たちのいうとおり魔法使いだった。土の精霊と交感するらしく、泥で相手の足を絡め取ったり、口をふさいで窒息させるという戦い方を好んだ。接戦を挑むと肩に止まる小精霊がぽう、と飛んで、相手の目に魔術の砂礫をふりかける。これにひるんだ相手に、小デブメガネは容赦なく金的を喰らわした。


 銀髪美少年を「辰馬サン」と喚んだ赤髪ロン毛、長身痩躯の少年は、おそらくシーフ。素早い動きで敵を幻惑し、巧みなヒット&アウェイを決める。素早く敵の背後に回って、影に潜んでからの一撃バックスタブも得意技だった。


 同じく「新羅さん」とよんだ短髪の少年、こちらも長身だが、ロン毛少年よりやや低い。ただし肩幅と胸板は3割増し。いかにも「武道家」の風情で、薄打の技に長けた。見た目からしてパワー型だが見た目以上にパワーは凄く、壁に当たった拳を痛めるどころか壁のほうをぶちこわしていく。


 そして真打ち、銀髪の美少年は・・彼に関して瑞穂はよくわからない。武道家のようでもある。骨と骨の継ぎ目に打撃を打ち込んで関節を外してしまうというなんともえげつない武術を使い、しかしそれだけでなく瑞穂自身に似た力を使う。それは間違いないが、その力の質が霊力とも神力とも、魔力ですらない。あえて表現するなら極限まで高められた神力と霊力魔力とを掛け合わせたような。この力を要所でちょいちょいとふるうだけで、山賊たちは次から次にゴロッゴロと倒れていく。そして少年は潜力の内循環機構を完成させているようで、適宜力を使いながらまったく疲労の色も見えない。


戦い終わって。

「あー、こらひどいな・・だいじょーぶか、アンタ?」

 美少年はそう言って、とりあえず、と瑞穂に自分の上着をかぶせる。

「え、なんで隠しちゃうんスか、辰馬サン?」

「いや、隠すだろ普通。お互い困るだろーが」

「いや、オレぁ全然困らんっつーか」

「ん。わかった、しばらく黙ってろな♪ 殺すぞ」

「……はい……」

「で、あんたは……? どこの、誰?」

「……わたしは、神楽坂瑞穗……ヒノミヤの神官長・神楽坂相模の娘です・・・」


 これが。

 新羅辰馬と神楽坂瑞穂。

 のちの赤龍帝国皇帝と皇妃の、運命の出会いであった。 

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