第2話-プロローグ-2.乱闘会議

 事態は危急。蓮純はもてる権限の全てを使って人を集めた。皇帝永安帝、筆頭宰相本多馨綋(きよつな)、次席宰相大久保宗城(むねなり)、本多、井伊、酒井、榊原の四元帥、ほか高官から貧官まで、そろえられるだけの人員を蓮純は動員した。さすがに出征中の人員を引き戻すことは不可能だったが、寝ている元老院の老貴族をたたき起こして登城させるぐらいのことはお構いなしでやった。


 これに一番不快だったのは永安帝そのひとであった。皇帝に即位した、得意絶頂のその当日に、つまらん用件でたたき起こされたのだ、実際の用の大小は関係ない、永安帝がつまらん話と断ずれば、それはいかな聖賢(せいけん)の説話であろうとつまらん話になる。皇帝の権威とはそういうものだ。


 それでも永安帝が激昂しなかったのは、ルーチェの存在による。蓮純の隣に控える銀髪の処女(おとめ)にちらちらと好色な視線を投げかける永安帝に、ルーチェはもちろん気づいて辟易(へきえき)していた。それでも我慢するしかない、独力で広大な太宰の町とその近郊をくまなく探すことは不可能である。


 とはいえやはり気持ち悪いものは気持ち悪く、ハンサムぶった中年がニタニタやに下がった顔でぶしつけに見つめてくるのに、ルーチェはさすがにげんなりしてしまう。相手の機嫌を損ねるわけにはいかないために少しサービスしてほほえみを返してみせるが、それがまた永安帝を増長させるので


 うう、ホントいやです、こんなの・・あの脂ぎった視線、それだけで身が穢れる気がしますよお・・。


泣きたい気持ちになるが、今は媚びを売らねばならない。必死に口角を上げ、表情に笑みを貼り付ける。


 一座の衆がそろうや、座を見渡して蓮純が口火を切る。


「一同お揃いになられましたね。では、私から。今回、こちらのルーチェ・ユスティニアさまの言葉により聖女・アーシェ・ユスティニアさまが強奪されたこと、そしてもう一つ、この太宰に【魔王殺しの勇者】が存在していることが知れました。・・この二つの要件について速やかに処理したく存じますが、どなたかご腹案はございませんか?」


「魔王殺しの勇者」というのは一世代においてただひとり存在するといわれる、まさに「魔王を殺せる」力を持った人間のことだ。魔王という存在は生命として創世神に匹敵するほど圧倒的なので、まず通常の武器や魔法で殺すことは不可。ただ「魔王殺し」という特殊な血を持つ人間だけが、彼を殺しうる。


 もし二つの報せのうち後者がもたらされていなかったなら、場は絶望に支配されただろう。しかし今回、勇者がこの国、この町にいると聞き、アカツキの百官たちの気はやや安逸(あんいつ)に流れた。ならば勇者がどうにかしてくれるだろう、と。


 よどみなく言い上げる蓮純に、すぐに応答する声はない。熟考して口を出すつもりの人間はいるのかも知れないが、蓮純は「ありませんね。では私の案ですが・・」と自分の企図した案を披見(ひけん)する。それがまた、人員の配置から資金の割り振りまで完璧であって群臣たちの舌を巻かせるが、面白くない顔を見せるのは永安帝である。


 ふん、つまらん。蓮純め、才を誇りおって。


 自分を世界一の大才と信じて疑わない……どこからその自信がくるのか、根拠を聞きたいところだが……永安帝は、才気渙発(さいきかんぱつ)鋭気風発(えいきふうはつ)たる蓮純に信頼よりむしろ憎しみを覚える。元老であり宰相、さらに皇太子時代の敗戦・沙陀畷(さたなわて)の戦いにおける命の恩人本多馨元帥の弟、本多馨綋の庇護があるため皇帝といえどそうそう手を出せないが、理由さえあれば官を剥奪して庶人に落とすところだ。


「くあぁ・・ふん」


 わざとらしく、これ見よがしに空あくびをかみ殺す永安帝。それとみた廷臣たちの雰囲気が、一斉に永安帝への追従(ついしょう)ムードに流れるのは、帝政国家である以上仕方のないこと。なにせ暴戻の君に逆らえば官人としてこの国に生きる場所を失う。うっかり刃向かうことなど出来るはずもなかった。


「あー、十六夜宰補の言ももっともではありますが、主上のお顔色がよろしくない様子。ここはいったん解散としては・・」


 帝におもねる幇間(ほうかん=たいこもち)がそう言いかけると、蓮純はぴしゃりとはねのける。


「なにを仰るか! 今は寸秒をも惜しむべき時!」


 さとい蓮純に永安帝の不愉快ぶりや自分への嫌悪がわかっていないはずもない。だが十六夜蓮純という人間は、打算では動けない。怜悧冷徹な表情と刃物めいた雰囲気から彼を冷たい人間と談ずる人間は多いが、十六夜蓮純ほどの情動家はほかにそうそうお目にかかれるものではないのだった。


 そのことに、ルーチェもようやく気づき始める。


 なんだ、いい人じゃないですか……。見た目で人を判断するのはよくない事でしたね、反省しなくては。


 得心して、自戒するルーチェ。気づいてみれば蓮純の全てが好もしく思えてくるから不思議だ。最初とのギャップから、余計に蓮純への好意が高まってしまう。いわゆる「不良が雨の日に子犬拾った」を見た心境である。


蓮純に無垢な信頼と好意の視線を向けるルーチェ、それを見てまた、面白くないのが永安帝だった。自分が目を付けた女が、ほかの男に高好感度状態、これは不愉快だろうが、べつにルーチェは蓮純に惚れているわけではないし、そもそも惚れたとしてルーチェは永安帝のものである訳でもない。


 関係ないのだが、永安帝が蓮純に逆恨みを覚える理由としては十分すぎる。


「おい、おまえ! ルーチェ、とか言うたか、ちょっとこっちへ来い!」


床几にもたれてぐったりと横座りしていた永安帝は身を起こし、ルーチェを呼びつけた。ルーチェは一瞬、ものすごーく複雑で不愉快で不本意そうな表情を浮かべるも、ここで永安帝の機嫌を損ねるのは得策ではない。すぐに微笑を顔に貼り付け、永安帝の前に進み出る。


「ふ……もらったあぁぁぁぁぁぁぁ!」


 がば、と永安帝のグローブのような両手がルーチェに掴みかかる。この衆前で、問答無用で押し倒しにかかってきた。


「く……、やめて、ください!」


 押し倒される寸前、ルーチェは軽く身をずらして半身に。永安帝の袖下をつかむ。


「!?」


 愕然、目を見開く永安帝、と廷臣たち。そのままルーチェは袖を斜め下に引き、重心をずらすイメージで体を崩す。


 がくっ、と永安帝の雄偉な体躯が崩れた。体幹と体重移動を駆使した、見事な崩しだった。


 そこでルーチェの動きは止まらない。半身のところから、今度は入り身になって崩れた永安帝の懐のうちに飛び込む。


 がらあきのあごを下から掌打で打ち上げ、さらに歩を進め。


 完全な無寸、ゼロ距離の距離に。


 どん、と床を踏みしめる。上がってくる衝撃の反動を足首、膝、股間、腰、背骨、背中とらせん状に纏糸させ、肩から靠法(たいあたり)をぶち当てた。


 どふぐぅっ、と鉄くずがプレスされるような異音。


「お……ぶ!?」


 永安帝は小さくうめくと、痙攣してその場に頽れた。ほぼ100%の衝撃が体内に「透った」ダメージを受け、吹っ飛ぶことすら出来なかった。


 桃華帝国の拳法72派の一、八字拳の絶招、釣魚雲身把山靠(ちょうぎょうんしんはざんこう)。聖女(のスペア)として身に納めるべき護身の技の一つだ。まさか150センチにも満たない華奢で可憐な少女がこんな破壊力を発揮するとは思ってもみなかった人々は、一瞬、唖然とし、ついで一転、騒然となった。


「こここ、小娘えぇぇぇぇ! 貴様、なにをするかあぁ!?」


 次席宰相、大久保宗城の甲高い奇声。典医が泡を食って永安帝の身体を引きずり、奥に引き下がると、主上を傷つけられて血の気の多い武士たちはあわや腰の指物を抜きかかる。


 ちゃっ! ぞりっ! すしゃっ!


 というか、抜いた。


「小娘貴様、自分が何をしたのかわかっておるのか!?」

「打ち首じゃ、打ち首じゃ! この娘、このまま生かして帰すわけにいかん!」

「殺せ、殺せ!」


 口々にわめく武毅の国のサムライたち。さして広くもない会議場を、憎悪と狂騒が満たす。さきに狼藉を働いたのはあきらかに永安帝のほうなのだが、アカツキの武人たちにとってアカツキという国家の象徴、皇帝を面前で打擲(だちゃく)されて黙っていられるかという気分があまりにも大きい。誰一人として冷静でなかった。


「なんです? 悪いのはそちらでしょう? 喧嘩を売るというなら買って差し上げます、ただし、それなりに痛い目をみること、覚悟なさい」


 ストレスで気が短くなっているルーチェは、やや血走った瞳で男たちを睥睨する。その昂然とした態度が、また武人たちの勘に障った。女尊男卑の気風とはいえやはり政治・軍事の場は男が主、そのために「小娘ごときが」という気分が、最初からルーチェに対してあった。


「くひぃ! 小娘がぁあぁぁぁっ!」

「殺すだけでは飽き足らん! 裸に剥いて城門に吊してやるわ!」


悪びれないルーチェが自分はあくまで悪くないと薄い胸を張ると、武士たちの怒りは頂点に達した。制服組でない着物組の連中は、すこぶるに気が短い。誰かがちゃっ、と刀を抜くと、ほかの連中もつぎつぎに鞘を払った。


 ふん……、愚かな方たちです。神力の使い手であるわたくしに、短兵など何本束ねても同じ事……まあ、少しわからせてあげるとしますか・・。


ルーチェも柳眉をわずかにつり上げ、右手でさっと空を凪ぐ。


「栄耀なる光の祝祭(グロリアス・ルーチェ・トリビュスティ)」


短く一言。


猛烈な光の奔流が、会議場全体を満たして爆発四散。居並ぶ男たちのことごとくが、なすすべもなくなぎ倒される。


「ぐっはあぁぁ!」

「おぶぅあぁっ!?」

「げひぃお!」


 なぎ倒されただけ反響する悲鳴。しかしながら、だ。「栄耀なる光の祝祭」はまとめて100人以上を叩き伏せる大威力だが、所詮殺すつもりのない手加減した一撃。そんなものにアカツキ武士がへこたれることは全くない。気絶した何人かはほったらかしに、勢いよく立ち上がった連中は、威勢良く抜刀してルーチェに突貫する。


 一人が肉薄、ルーチェの薄打(はくだ=格闘術)の腕前はさっき見た。ここよりは近づかない剣の間合いから……、


「しっ!」


 いきなり袈裟で首筋狙いの斬撃。


「っ!?」


 確実に殺すつもりの一撃に、ルーチェの胸中わずなおびえが生じる。強烈な神力と卓越した武術のセンスをもっていても、ルーチェには「人を殺した経験」などなく、そしてアカツキのつわものたちにはその手の経験がいくらでもあった。それが実力の差を埋め、逆に覆す。


「まだまだ、せあぁ!」


 二の太刀。横に胴凪ぎ。「次ぃ!」そこから三の太刀につなぐ。刃を跳ね上げ、正中線を真っ二つにする勢いの猛烈な唐竹割り。それとて躱されると追撃で蛇のようにのど元を狙う追い突き。あまりにも迷いのない、実践に特化しすぎた殺人剣に、ルーチェは防戦一方とされてしまう。さらに悪いことには、ほかの連中も続々とこの凶刃行に加わらんと待ち構えているということだ。このままではどうあっても、ルーチェ・ユスティニアは殺されてしまう。


 死ぬ……わたし、が……?


 恐怖が生じ、恐怖が迷いを生む。さっきまで洗練された動きで凶刃をさばいていた身ごなしが次第に精彩を欠くようになり、そして猛然たる攻撃に圧されたルーチェは、とうとう尻餅をつく。


「終わりだ小娘えぁ! 死ぬえぇぇぇぇぇぇぇぇえ~ッ!!」


 大上段に構え、大ぶりに振り下ろされる凶刃。


 それを、


「そこまでです」


 静謐(せいひつ)な声とともに止めたのは、十六夜蓮純。白刃は彼の人差し指と中指、二本の指で、溶接されたように完璧に固定されていた。屈強の武士が渾身の力を込めて押そうが引こうが、びくともしない。


「卿らにひとつ問いたい。少女一人に多勢でかかり、あまつさえ神聖な殿中において無用に佩刀を抜き、斬りかかる。……それが卿らの信じて行う正義でありましょうか?」


 切れ長の瞳に剣呑な光をにじませて、蓮純は武士たちにもの申す。あまりにもっともな言い分に、武士たちはぐうの音も出ない。


「だ、だがこの娘は我が君に暴力を振るったのだぞ、我が国に対する最大の侮辱である!」

「そんなつまらん誇りは犬にでも喰わせるがよろしい!」


 往生際悪く言いつのる一人を、蓮純は言葉の刃で一刀両断。


「これ以上はこの私が許しません。よろしいか」


 一座を睨めつけ、絶対零度の声。なお戦意をひっこめない一部の連中に、やれやれと頭を振った蓮純は、「失礼」胸ポケットからたばこを一本、取り出した。封を切る。


 法術で着火。


 神と聖女の「神術」、魔族とその眷属の「魔術」、そして神力も魔力も持たない精霊や精霊と交感した人間が、「法術」である。法国クールマ・ガルパの聖仙プラデュムナが創始し体系づけたもので、別名を人理魔術、簡易魔術ともいわれる。絶対的な力に劣るため大火力はだせないが、汎用性に優れるという利点がある。


 ゆら、と紫煙が舞った。


「しばし眠られよ……。紫煙揺籃(しえんのゆりかご)」


 蓮純が「力ある言葉」を告げると、煙を吸った男たちがばたり、ばたりと倒れていく。

 死んではいない。眠っているだけである。


「眠りの法術……すさまじいですね」


 ただひとり、眠っていないルーチェが言った。偶然に免れたのではない。神力の加護である。力に劣る相手の術は、勝るものには通用しない。ともかく脳と意識をごまかし、睡眠状態に陥らせる、眠りの法術はきわめて高等な術の一つだ。それをここまで簡単に、一瞬でやってのけるあたり、十六夜蓮純という男の力は底知れない。本来簡易魔術などルーチェという神力使いのエキスパートにいっさいの干渉を及ぼせないはずだが、それでも大きなあくびが出て止まらなくなる。術士として蓮純の霊力が圧倒的に巨大で神力にとどくほどなのか、はたまたそれ以外の理由か。


「あなたにも非はあります。反省なさいませ」

「なんでですか!? わたしは悪くありません!」


 蓮純の諫めに、ルーチェはかっとして反駁する。


「悪くなくとも、立ち回りをまなびなさい。あれでは無用に敵を作ります」


 血の上るルーチェを、あくまで冷静な顔で窘める蓮純。


「さておき・・これでは国の力は、頼れませんか・・」

 死屍累々の状態でぐったり折り重なって眠る数百の男衆を眺め、蓮純は呟く。状況は収束したものの、事態は一歩も進展しないままだった。

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