縁《えにし》

「…………」

「…………」


 二人は二人ともが沈黙して歩き続けていた。

 コマは頬を赤らめ、木洩日から視線を反らすように前だけを見つめている。歩みの調子は木洩日を気遣う余裕もなく、どこかぶっきらぼうだ。

 木洩日はそんなコマの一歩後ろを、明るい表情で繋いだ手をぶんぶん振りながら元気よく歩んでいた。


「…………」

「…………」

「…………」

「…………」

「……木洩日」

「うん?」

「先程は取り乱してすまない。恐らく、人の子の前で赤裸々に涙を流した神など、私が初めてだろう……」

「ううん。……あのね、なんだかコマが近くに感じられて嬉しかった」

「――近くに、か」


 コマは闇の先に遠い視線を向けた。

 木洩日はコマの手を少しだけ強く握って語りかけた。


「コマはこんな遠いところまで私を探しに来てくれた。そして私の辿る運命を共に歩んで、手助けしてくれている。カナイのコマを思い出した今、改めて伝えたいの。ありがとう、コマ」


「私は、私の神格その神意が照らした道を見失わずただ真っ直ぐに進んでいる、それだけだよ」


「……?」


「んん……神の常套句だ、気にしないでくれ」


「そ、そっか。……コマが何の神様だってことは聞かないほうがいい?」


「いや、木洩日がここまでを思い出した今であれば、それは伝えてもよいことだろう。それは木洩日にとって、さして重大たることではなかったから。――私は『縁』《えにし》を司る神だった」


「えにし?」


「そう。人と人とを繋ぐ理の糸だね。だからこそ私は、ここニライに渡って来れた」


「どういうこと?」


「私は、私と縁のある者が在る場所にしか赴けないんだ。一応ニライとカナイの間を渡ることができる【渡し神】ではあるのだが、その条件は非常に限定的だ」


「そうなんだ……。それじゃあ――あっ!」


「どうしたい?」


「な、なんでもない!」


「…………?」


 力を借り受けたという神様も、コマと縁のある方々なの?

 そんなことを漏らすところだったのだ。焔ノ狐神はそれを望んでいないように思われる――。


「そっか。じゃあコマと私は確かに縁があったんだ!」

「そうだね。木洩日は本当によく私に祈ってくれたから」

「そっかぁ」


 それが嬉しくなって、木洩日はコマの手をぎゅっと握り再び大きく振った。

 物事が良い方向に向かい始めている予感があった。暗い森とは正反対の明るい方向に。



「止まって」



 ――コマが制止を呼びかけた。

 たちまち神経に鋭い痺れが走り、木洩日の明るい気持ちは一瞬のうちに消え失せてしまった。

 緊迫。

 僅かな間の静寂。

 そして、歩みの音さえ立てず闇から滲み出るようにして現れたのは、大理石のように滑らかな巨体を持つ獅子であった。

 やはり瞳は夜闇にぎらめく赤。体躯の造詣は、前二体の獣と違い異形を思わせる奇怪な成りではなく、そのまま獅子のようであった。しかし前述したように、山のようにそこに聳える巨躯は奇妙に滑らかである。光沢帯びた隆々の肉は、秘めた力を嫌というほど思い知らしめる。


 それが、三体。


 彼等はじっとこちらを窺っている。木洩日は彼等の視線を受け、金縛りに遭ったように硬直してしまったが――。

 やがて視線を受け続けるうちに――そのまま僅かも状況が動かぬ奇妙な沈黙が続くうちに、木洩日は気付いた。

 獅子の赤い瞳に、前の獣にはあった魂の絶叫が如き敵意が籠っていないことに。

 睨み合い――見つめ合いはそれからしばらく続き、そしてついに光沢の獣はふいと顔を逸らすと、木洩日たちが辿ってきた道とは別の方向へと歩みを進め始めたのだ。――背後の闇からもう二体が現れ、彼等も先導に続いた。


「……コマ。あの獣たち、どうしたのかな?」


 その不可思議に戸惑いながら木洩日が問うと、コマは去りゆく獣たちをじっと見ながら静かに答えた。


「砂漠の神獣が森を徘徊する状況が作り出した、ある種の結託だよ。絶対の危機はその他の脅威を平穏にならす。獣たちが襲ってこなかったのは、ここで私たちと争えば砂漠の神獣を呼び寄せる危険があるからだ。――それにほら、私たちは互いに助け合えるんだ。森の木々は、私たちの息吹に当てられ存在を変質させてしまう。覚えてるかい? つまり私たちが通った道のりは、他のものに気付かれやすい状態にある。でもね、それはつまり身を潜めんとするものからすれば、私たちの通った道は都合のよい迷彩になるんだよ」

「――あっ!」

「同様に、彼等の通ってきた道が私たちにとっての目眩しになる。その道を逸れるように進めば、幾らか安全だ。だから、ある意味の結託」

「なるほど……」


 木洩日は、もう一度獣たちのほうを窺った。

 ――凶暴、だけではない。獣たちの赤く輝く瞳に、感情の色を見た気がした。

 木漏日が理解できる感情。視線を合わせた獣と互いに共鳴したような心持ちを覚え、そこに不思議な一つの繋がりを感じた。

 奇妙な心持ちだった。恐怖という概念の具現としか思えなかった彼等と、今こうして僅かながらも心通じ合っている。

 彼等は別に悪魔というわけではない。コマのその言葉が実感として深く感じ取れ、理解できた。縁の不思議を感じる……。

 やがてついに獣たちは二人から完全に視線を外し、闇の中へ消えてしまった。


「私たちも行こう。……獣たちがあれだけ事を荒立てないということは、危機はもうすぐそこに迫っているということだ」

「もうすぐ、そこに――」

「大丈夫。一帯に広がっていた【銀灰の砂漠】、あの領域の大きさからすると、徘徊している砂漠の神獣は一体だろう。砂漠の神獣は目の前に立った者には容赦ないが、自ら破壊対象を探しまわるような真似はしない。彼等が来た道を逸れれば出会わないよ」

「そ、そっか。良かった……」


 木漏日は安堵の吐息をついた。獣たちとの穏便といい、やはり運命が良い方向に向かっているように思えた。


「行こうか」

「うん!」


 木洩日はまた表情を明るくして前へ進み始めた。

 コマの手をしっかりと握りながら。







 ――コマの推測は。

 それは確かに、間違いではなかった。



 切り取り入れ替えた砂漠の地が一ヵ所だったとするのなら、それは正しい推測であった。



 ――まさかそこまではしないだろう。

 理知では測れぬ悪意への侮りが、最悪の試練を招き入れる。


 

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