【あるまいてぃ】・2
――小さい。
葉弥栄より若干小さな体躯、どころではなかった。実際の【あるまいてぃ】は、木洩日よりも幼い姿を取っていた。
大小不揃いの六本腕、強靭が窺える尾。
体を装飾する、輪状の黄金の飾り。
跪いてしまうほど美しい、褐色の肌。
そして……彼のモノの顔つきを表す言葉を、葉弥栄は一つしか知らない。
――愛らしい。
その言葉の形容を、そのまま形にしたような面相で、彼の者は微笑んでいた。
(…………)
目は六つ――大きな目の下に、模様のようである、開かれた小さな目。
肌と同じ色の眉。くりりとした瞳。可愛らしい小さな鼻。赤黒の小さな口。左右頬の下に、切れ込みのような傷。
入念なまでにその色で塗り潰したような、腰下まで伸ばした白の髪。その下で青く輝く、額に刻まれた瞳の紋様。
どちらとも付かぬ性別のその姿形は、人の容姿からはかけ離れていたが、しかし彼の者は美しく――そして愛らしい容姿であるように感じた。
そんな愛らしいモノが、いつの間にか葉弥栄の膝の上に乗っかり、葉弥栄の顔を覗き込んでいる。
あまりに予想の外にあったその振舞いに、葉弥栄は身も頭も固まり、ただ【あるまいてぃ】のことを上の空で見つめ返していた。
『お前がハヤサカとやらかい?』
突然、そのようなことを意味するニライの言葉が、鈴の鳴るような音で頭の中に響いた。
葉弥栄はハッと正気を取り戻し、慌てて、【あるまいてぃ】を膝に乗せたまま礼の形を取った。
【あるまいてぃ】は一層に微笑みを濃くした。
『大丈夫、怖くはないよ。その姿勢を固くするのをやめなさい。さあ、もう声が出るはず。怖がらず、お前がここに来た要件を述べてごらん?』
固くなるなと言われても、心情的にもあらゆる意味で固くならざるを得ながらも、葉弥栄は願いを口にした。
「――幾日後、この地に流れ着く幼子の魂を、元の世界へ還したいのです。どうか、どうかその幼子を連れて、この地で【最果ての聖域】と呼ばれる場所――この白の世界へ赴くことをお許し願いたい」
葉弥栄は、神格全てでもって頭を下げても足りぬ、無謀な嘆願をしたつもりであったが。
【あるまいてぃ】は――。
『わかった』
僅かの間すらおかず、軽い調子でそう返答しただけだった。
葉弥栄はぽかんと口を開き、呆けてしまった。
『おまえの言う幼子と共にということであれば、私のほうから遥か遠くより呼び出すことはできない。ニライの者が便宜上【最果ての聖域】と呼んでいるらしい境界点へ赴きなさい。そうすればお前と幼子双方をここへ呼び出し、『境界の海』の外、概念で隔てられたカナイの世界へ飛ばしてあげよう。――ん? どうしたの? そんな顔をして』
【あるまいてぃ】はクスクスと笑い、呆け面の葉弥栄を見つめた。
葉弥栄は今見聞きしているものが幻であるような
「どうして……?」
『ん?』
「どうして、私にそのように良くしてくれるのです?」
到底現実とは思えぬ都合のよさ。
それを言うと、【あるまいてぃ】はにこりと笑い。
葉弥栄に握った手を差し出し、それを開いた。
そこにあったものは――。
『これはおまえのものだろう?』
【あるまいてぃ】の手の内にあったものは、輝く一滴の、透明な液体であった。
見覚えはない。しかし、確かにその一滴に込められた思いには覚えがあった。
「それは――」
『そう。これは、あの日お前が流した涙の一滴だ』
「――――……」
いつかこの日が来たる。
そう、神格朽ち始めたあの日の神が思っていたことを思い出した日。
一人の子の真心、人の持つ幸いに触れた、あの日に流した一粒の涙。
『おまえは不思議に思わなかったのかい?』
「え……?」
『早坂 桜。いくら多くの神々が、一人の人の子を特別に寵愛していようと、それが理由で手のひらを返すように態度を変え、こぞってお前に力を貸す理由にはならない。そうは思わないか? ――そうじゃないんだ。おまえに力を貸した多くの神は、この一滴に込められたおまえの熱――その幼子の持つ真心の真正を、早坂 桜を通して思い出したから、おまえに力を貸そうと思い立ったのだ』
「――――」
『私はおまえに力を貸そう。お前は、他の神々が他の地へ去るなか、尊い神格を見せその地へ留まり、人と云うものを信じ続けた。神格朽ちようと自身のその尊い思いを大切にし続けた』
そう言うと、【あるまいてぃ】は六本の腕で葉弥栄の頭を包み、柔らかな白の毛茂る胸に抱き留めた。
葉弥栄の瞳が見開かれる。
『偉い』
優しく抱擁しながらに、心の底からの声を、葉弥栄に届けた。
『おまえは偉いよ。……よく頑張ったね。その自分を、もっと誇りなさい』
「――――……」
しばらく、ただ抱き留められたままでいた。
優しい微笑みと共に、自らの温度を伝えるような抱擁で全身を包まれていた。
やがて再び、【あるまいてぃ】の鈴のような声が降ってきた。それは葉弥栄の心を不思議に揺らし、同時に熱を灯した。
『私はおまえを、この上なく愛しく思う。神の神たる愛しさをおまえの中に見た。いつの世も驕り高けれど気高きおまえたちを、おまえの中に』
『おまえは、頑張った。私はそれを愛しく思い……そして自身が証明されたような気にもなった』
『愛し子』
『おまえは確かに、私の中にあるぞ』
葉弥栄は。
理由も分からず、【あるまいてぃ】の胸の中で涙を流していた。
どうしてであるのか。
分からない。いくら考えようと。
ただ、止めどなく涙は溢れた。
『愛し子、次におまえと会うそのときを楽しみにしているから。――だから、無暗に自身を犠牲にするやり方はやめなさい。……私が、悲しい』
『祈ることしかできないが』
『私は、おまえのために、祈っている』
額に、柔らかで熱い感触があった。
葉弥栄の体から、力が抜けた。
(……私は、たまたま綺麗であった、地に落ちた落葉の一枚だったのか。彼の者が向けてくれたこの情は、神が、地上に顔を出した虫ケラに微笑みかけるようなものだったのか。それとも――)
思い巡らせながらも。
その答えは、祝福の熱と、流す涙の中にあった。
救われたような気がした。
何に、自身のどんな心を慰められたのかは分からない。
ただ、救われたような気がしたのだ。
こうあろう、と意識の片隅で思った。
こうありたいと、木洩日を想いながらそう思ったのだ。
ただ、今だけは――。
葉弥栄は涙留めることなく、【あるまいてぃ】に抱かれるままに、その熱をただ感じ取っていたのだった。
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