寄り添いの約束
「そうか、焔ノ狐神様が……」
よろめく木洩日をしっかり支えながら、コマは表情を暗くして呟いた。
――泉の地からはすぐに立ち去った。その地で争いを起こすという禁忌に触れてしまったからだ。砂漠の神獣という脅威を取り除いたという、他のものにとっても益のある事情があるとはいえ、それを慮る配慮を森の獣に期待するのは間違いであろう。所詮、獣である。
神獣の聖性に当てられ、足腰どころか体の全てが言うことを聞かなくなった木洩日を、しばらくはコマが背負い進んでいたが、木洩日は今自身の足で地に立っていた。
「焔ノ狐神様が、あとは自分で頑張りなさいと仰ったから」
そう言って、震えよろめきながらも自身の足で歩き出したのだ。
焔ノ狐神はそういった意味でそれを言ったのではないことは分かっていたが、しかし、かの神の手厚い厚意に応えるためにはそうするべきだと、心が言っていたから。
焔ノ狐神の厚意に応えたい。それを告げたその際、守護を施されたときに起こったこと、絶体絶命のあのときに何が起こったのか、あの金色の薄野原であった全てのことをコマに語った。
「……それを告げられなかったのは、確かに良いことだったかもしれない。それを知っていたら、私は冷静でいられなかったかもしれないから」
俯き表情に影を落とすコマ。
彼がなぜそう思ったのか、木洩日は察することができた。
木洩日は息を荒げながらも、もう灼熱のように燃ゆることない心を奮い立たせ、コマが木洩日を守るため払った代償の話を焔ノ狐神から聞いたときから抱いていたその思いを、コマに告げた。
「……ねえコマ。出来ればだけど、コマが私を守るためにしたことを、私に隠さず教えてほしいの。……そうしないと、私はこうしてコマの手を握り続けることができなくなってしまう気がするから……」
「木洩日が気にすることは――という返事は、不誠実だね……」
「コマが私の手を握ってくれるように、私も、私からコマの手を握っていたいの。だからそのために……。駄目、かな?」
「…………。……少し、時間をくれないだろうか? だが必ず話す」
「――うん。ありがとう」
木洩日は弱弱しい微笑みを浮かべ、こくりと頷いた。
「木洩日、大丈夫かい? 無理がきたらすぐに言いなさいね」
「うん、大丈夫。ありがとう」
そう答えたが、木洩日の疲労はもう限界を超えていた。
頭の中に、頻繁に光が走るような感覚がある。聞こえない雑音が耳の中で飛び交っている。目の前の景色だけがやけに鮮明だった。
しかし極度の疲労がもたらす恩恵が一つあった。それは――。
「でもコマ、いったい誰が、この森の地と【銀灰の砂漠】の地を入れ替えたんだろう? どうして……」
「……私はそれを知っている」
「やっぱり――!」
「だがすまない、それを伝えることで木洩日に大きな不利益をもたらす可能性があるから、今は言えない。――それにそれは気にしても仕方のないことだ。それを知ることで危機回避の手助けになるようなこともない事柄だから」
「そっか……。うん、分かった」
「――それに、木洩日。それを言わぬことで私が重荷を背負うことも、ないから……」
ぽつりと付け加えられた、最後の一言。
木洩日はその言葉に少し驚いて。
次第に、湧き上がる温かなものが胸の内をくすぐるような、とても嬉しい気持ちがいっぱいに溢れてきて。
木洩日は何度も何度も頷いて、コマの手をぎゅっと強く握った。
「お、おわっ……!」
「おっと!」
「ご、ごめん。ちょっとよろけちゃった」
「大丈夫かい?」
「うん、大丈夫……」
木洩日は瞳を細め、蒼白の頬を少しだけ赤く染めて、もう一度頷いた。
「コマが私の傍にいてくれるのなら。私は、大丈夫」
「…………。………………」
繋いだ手を、緩く握り返されたことには気付いたが。
その言葉を受けたコマの頬も朱に染まっていたことには、木洩日は気付けずにいた。
焔ノ狐神の守護の代わりに、木洩日の心に灯る炎。
それと同じ炎が、きっとコマの心の内にも揺らめいていたことには。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます