警告 ~1~

「ニライ様。『招来人』の件、その報告です。――足止めは失敗致しました」


 ――場所は変わり。

 そこは、木洩日たちが今在る地から遠く離れた、どこかの場所。


 室内。広く豪奢な応接室。


 どこぞとも知れぬそこには、一目でその部屋の主が只者でないことを分からせる景観があった。

 床には上等な生地の敷物。漆黒の地に、部屋全体の空気を引き締める荘厳な文様が赤で描かれている。

 天上に光源はなく、側壁に取り付けられた繊細な造りのランプが部屋を品よく照らしている。ランプの光は不思議な広がり方を見せ、部屋全体を十全な明るさで満たしていた。

 一見しただけでは用途の分からぬ物が、景観を損ねぬ程度に部屋のそこかしこに置かれている。


 琥珀色の珠と、塩の結晶のようなもの。

 赤の地に黒の文様、肉を表したような特徴的な模様あしらえの弓。

 コートハンガーのような形の、薄汚れた樹木のような何か。

 鏡面に何をも映さない、華美な意匠が施された大きな円形の鏡。――そのような奇妙が沢山。


 その部屋には二人の者がある。

 一人は、部屋の中央で姿勢正しく直立する、真っ直ぐな黒髪を腰まで下ろした女性。

 ぶれのない凛とした声で報告事を口にした彼女は、姿勢、表情、切れ長の瞳、細い柄の眼鏡、そのどこを取り上げても生真面目な印象を受ける、格式を押し固めたような容姿の女性だった。


 彼女の視線の先には、豪奢な書斎机がある。

 机の上には所狭しと様々が置かれ、場所を取っていた。山のように積み重ねられた書類、幾本かのペン、大きな判子、やはり一見しただけでは用途の分からぬ道具……。


 そして、そこに腰掛けているのは。

 直立する彼女とまったく同じ姿の女性だった。

 容姿だけではなく、着ている服まで姿が同じ。

 女性は書類に判を押しながら上目遣いで直立する従者を見やると、ふんとため息を吐き苦々しい表情を浮かべた。


「なぁんでだい」


 声も従者の彼女と同じ声色だったが、受ける印象はだいぶに違った。

 矜持、尊厳、傲慢をそのまま声にしたような声色。

 その高圧的な声を受けてもしかし、従者の女性は変わらぬ一本調子な口調のままに報告を続けた。


「やはり用意した妨害の程度に問題があったかと。【半月獣】では彼女らを止められませんでした。しかし夜の間限定の転送とはいえ、【半月獣】以上に強大な砂漠の獣を【広大な森の平原】に送れば、致命的な環境の破壊は必至。――故に、起こるべくして起きた必然かと」

「チッ」


 書斎机に座った彼女は舌打ちし、煙管に手を伸ばし口に煙を咥えた。赤い煙管の先から、上品な香りが立ち込め始める。

 従者の女性は生真面目な口調のまま続ける。


「しばらくは手が出せません。これ以上の介入は非難を呼びます。――他の六十三体の方々から」

「まあったく、面倒ったらないね」

「報告は以上です。失礼致しま――」


 従者の女性が踵を返し部屋を立ち去ろうとしたそのとき。

 音もなく部屋に現れる者があった。


「邪魔するよ」


 温かだが、恐ろしい。

 その二面を矛盾することなく内包する笑みを湛えた、紅白色の着物に身を包んだ美しい女性がそこに在った。

 その女性の出現に、ニライと呼ばれた彼女は煙管を口から外し、瞳を大きく見開いた。――従者の女性は後ろへと下がり、深く一礼してそのままの体勢でいる。


「おお、これはこれは。――焔ノ狐神様」


 驚いたように、下手したてな態度で彼女の名を口にした。

 ――書斎部屋に、薄野の金が生い茂っていた。それは焔ノ狐神を円形で囲うように生い茂っており、彼女の行く先に合わせて薄野が現れては消える。

 焔ノ狐神は左右の袖に両手を通し隠す姿勢でニライの前に立ち、不敵な笑みを浮かべた。


「久しいの」

「ようこそおいでなすった。――今日という日は、何用で?」

「世辞の一つも言えんのか」


 焔ノ狐神はいきなりに言った。木洩日に接する焔ノ狐神からは考えられぬ高圧的な態度であった。

 しかしそれを受けたニライは、愉快気にカラカラと笑い始めた。


「あなた様の美しさを言葉にする必要はありますまいて。恐れ多くもあなた様の姿をとる不敬、お許しいただきたい。何卒に」

「ふん」


 焔ノ狐神は白けた色を瞳に浮かべ、一つ鼻を鳴らした。



 焔ノ狐神の前には、焔ノ狐神その柱の姿があった。

 鏡映しのような姿が。

 


 焔ノ狐神が現れるまでそこに座っていたはずの女性の姿はもうどこにもない。今やそこには、薄野と同じ金色の髪を背に流し、幾本もの尻尾を揺らす焔ノ狐神の姿があった。

 焔ノ狐神の映し姿は誠実に構えながらも、柔和に微笑んでいた。言葉で態度で慇懃に接していても、芯は僅かにも揺れていないことが見て取れた。

 しかし――。


「警告する」


 焔ノ狐神が発したその鋭い声に。

 映し姿は、それまでの柔和を僅かに崩した。

 眉が少しだけ跳ね上がり、底の見えぬ深い情念を表したような笑みにも亀裂が走る――。


「この地に来訪せし、あの幼子にちょっかいをかけるのはやめろ。それだけ言いにきた」

「――何故に?」

「私がそう望んでいる。これ以上の理由がいるか?」

「…………」

「神ノ第三位である私の言葉、努々軽んじるべからず。言いたいことはそれだけだ、邪魔をしたな」


 焔ノ狐神は背を翻し、――そして跡形もなく、現れたときと同じ唐突で部屋から消えた。

 薄野も消え去り元の景色と静寂だけが残された部屋で、今は再び従者の女性の姿をとったニライは、歯を食い縛り煙管を握る手を震わせていた。

 後ろで控えていた従者の女性が、変わらぬ口調で告げた。


「これで、手出しすることはできなくなりましたね」

「――ええいッ!」


 叫び、ニライはこれ以上ない苦々しい表情で書斎机を叩きつけた。



 書斎机の前方で輝く三角錐の置物が、僅かに傾いた。

【ニライノ閻魔】と金文字で記された、その証明が。


 

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